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第21章 闖入者

闖入者

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 事件から一日経ってようやく水島の心は落ち着いてきていた。

 水島は駅前を歩いていた。突然彼の目の前をトイレ掃除を終えた女性が通り過ぎようとした。

 ぶつかりそうになったのは最近は突然現れたアメリカ陸軍の関係者を名乗る少年のことを考えていたからだった。だがそのおかげであることに気がついた。

『まったく……あんなに汚して誰のものだと思っているのかしら……』 

 女性の思考とともに流れ込んだ強力な力を示す独特の引っかかり。水島の悪戯心を最大限に刺激するそんな引っかかりの魅力に水島の意思はすでに決まりきった作業のように動き出していた。

『起きろ』 

 それだけ念じただけだった。銀色の板のようなものが突然女性の三角巾の後ろから現れた。

「うわ!」 

 それが自分に眠る力によるものだとも知らずに女性はそのまま腰を抜かして倒れ込む。ふわふわと移動していた銀色の鉄板。女性の叫び声に気付いた通行人はその奇妙な物体に目をやる。しかし、彼らがそれを目にすることができたのは一瞬だった。

 そんな通行人の一人、眼鏡を掛けた大学生風の男の肩に向けて回転するように飛んで行ったその板のような存在は彼の周りの空間と一緒に腕を捻じ切るとそのまま蒸発するように消えた。

 しばらく腕を捻じ切られた青年は何が起きたか分からないと言うように立ち尽くしていた。次第にさっきまで彼の腕が生えていたところから血が噴出す。それを見てようやく男は気がついたように叫び声を上げた。そのまま倒れこみうめく男。

 ここまで来て通行人達はそれが尋常ならざる事件であることに気付いた。慌てて駅の係員を呼びに走るサラリーマン。血を見て驚きその場にしゃがみこんで泣き始める女子高生。茫然自失という感じでただ立ち尽くしている老人。

 そんな中、水島は一人起きた出来事をじっと眺めていた。そのままパニックを起こして逃げ去ろうとする群衆にまぎれて走り去らなかったのはほとんど奇跡だった。

 そして先ほどの法術の発動源である女性に目をやった。まだ女性は座り込んだまま事態の重要性に気がついていない。それを見た水島の気は大きくなっていた。

「大丈夫ですか?」 

 水島は何も知らない通行人を装って倒れ込んでいる女性に手を差し伸べた。

「あ……ありがとうございます」 

 50は越えているだろう。今の出来事への驚きからさらに年上に見える彼女を助け起こしながら水島は自分が起こした出来事があまりにも大きい事実にようやく気付いていた。

 そしてようやく辿り着いた駅員の姿を見ると水島は群集にまぎれて雨の町を歩き回った。

 知らない町。足はいつの間にか最近見慣れてきた通りに辿り着き。いつの間にか自分の部屋に辿り着いていた。

 驚きと恐怖。しかし慣れない力を操った疲れはそのままコタツに入り込んだだけの水島を眠りに導くには十分なものだった。

「やっぱり……遼州同盟も東和政府も何かを隠しているんだな……」 

 目覚めてコタツの上の法律書を眺めていてもそのことばかりが気になってくる。

 人体発火は以前から都市伝説として知られていた。最近では一部のテロ組織は法術の存在を知っていてそのことを同盟機構が隠蔽していたことがマスコミで騒がれていた。何度となく起きた不自然な自爆テロ。それを法術の発動と知りながらもみ消していた事実は自称良心的市民達を激怒させるには十分な事実だった。

 そしてまた最近の話題となっているのは意識介入。いわゆるテレパシーについてもその後のプライバシー対策の為に成立した法案を見れば政府は知っていたと考えるのが自然だった。そのあまりにできすぎた隙の無い法律文章。一応法律家を目指す水島にもそれはその文章を想起した人間が完全に意識介入能力を理解した上で作ったものであることは一目瞭然だった。

 昨日水島が見た空間を切り裂く銀色の平面。それについては水島も初めて見るものだった。

 まるで知らない法術の発現。そしてそのもたらした効果の絶対的な威力。腕がなくなってからもその事実が信じられないように落ちた腕を見下ろしていた青年の恐怖の表情が今でも頭の中を駆け巡っている。

「しかしあの切れ味……色々使えそうだな」 

 突然湧き出てくる独り言。その能力が強力でありながら簡単に発動する。その事実。不意に水島の顔には笑みが浮かんできた。

「色々使える……色々使える……」 

 笑みが止まらない。行政訴訟に関する判例集は次第に水島の『色々使える』と言う言葉に埋め尽くされていく。鉛筆を持った水島の手。まるで意思を持ったように同じ言葉を書き連ねていく。

 人の腕の骨を切り裂くのにまるで抵抗など無いというようにあの銀色の板は動いていた。そして切り裂いた後は何事もなかったかのように蒸発していた。

「どんな武器より強力で便利。本当に最強じゃないか!」 

 水島は自分がいかに得意げな表情をしているか想像しただけでも楽しくなってきた。

 その時だった。

「もしかしたら神にでもなったつもりなのかな」 

 突然の背中での声に水島は驚いて振り返った。

 そこには当然のように以前東都で出会った例の少年が立っていた。ヤンキースの帽子。噛み続けるガム。それらの遼州の民衆が考える典型的なアメリカの少年に似た姿はあまりに滑稽に見えて、突然の闖入による恐怖よりも笑いが出てきそうになるのを感じていた。

 何しろこちらには力がある。その自信が水島にこの驚いても仕方の無い少年の登場と言う出来事を平然と受け入れる度量を生み出していた。

「ずいぶん変わったね」 

 少年は自分の登場をあまり驚かない水島に気を悪くしたように口を尖らせて呟いた。今の水島にはそんなことすら些細なことに思えていた。ここにいるのもアメリカ陸軍の情報網とやらのおかげだろう。少年が現れたのもきっと自分が回想によっていたからだろう。そう言い聞かせると少年に対していくらでも強気に出れる気がしてきた。

「その割には僕が何ができるかわからないみたいだね」 

 再び心を読まれたと言う事実。そして少年の言葉は水島の痛いところをついていた。確かに水島は少年が何ができるか分からない。思考を探ろうとしても他の法術師のようにあっさりと侵入できる隙すらない。

「そう、オジサンはそこまでなんだよ。僕はオジサンより強い。ただそれだけ」 

 少年はそのままガムを噛みながら水島を見つめている。ここの来てようやく水島は本気で少年の意識を探ろうとした。

「無駄無駄。やめたほうがいいよ。それより知りたいんだろ?」

「何が……」 

 いくら意識を集中しても一切思考が読めない少年に次第に恐怖を感じながら水島はつぶやいた。

「あの切れ味とあの力で何ができるか……僕も試したけどあれはいいものだよ」

「つまり……君も使えるのかな?あれを」 

 冷静を装いつつ水島は声を絞り出した。一瞬少年の心の中に触れた気がした。そしてそこにあると感じたのはあの掃除の女性のものと同じ感覚。ただその力は水島がいくら意識を集中しても微動だにせず何も起こりはしない。

 水島に意識の進入を許してもなお笑顔でガムを噛み続ける少年。彼はただニコニコと笑いながら水島を見つめている。すでに先ほどまでの優越感は水島には無かった。ただ恐怖。具体的に目の前に見える少年に対する恐怖だけが感情のすべてだった。

「ど……どうするつもりだ……」 

 動揺する水島の様子に少年はようやく自分の勝ちを認めて満足そうにうなづいた。しかし明らかに少年にしか見えい目の前の化け物に負け続けるには水島のプライドは高すぎた。すぐに小さな反撃を思いつく。

「靴で人のうちに上がるのは感心しないな」 

「おっと……大使館の私室からなので……失敬!」 

 そう言うとすばやく靴を脱いだ少年はそのまま腰を下ろす。

「アメリカ大使館で暮らしている……信じろと言われても……」 

「よく覚えていたね。それにしてもなんだか難しい本が一杯あるね。勉強家なんだ、オジサンは」 

 少年はそのまま身を乗り出してコタツの上を覗き込む。

「一応法律家を目指しているからな」 

「オジサンが?」 

 そう言って笑う少年の頬には悪意が見て取れて水島はそのまま黙り込んだ。少年の悪意の正体は『侮蔑』だった。届出が無く、緊急性の認められない法術の発動に懲役を含む刑罰が科せられる法律が施行されてもう三ヶ月以上が経つ。それに水島がやってきたのは放火、器物破損、そして今回は傷害である。

「それより僕についてくれば厚遇してもらえると思うのにな」 

 少年は笑みを崩すことなくそう言った。だが水島も恐らく少年の意図する自分のが予想できないほど愚かでは無かった。

「モルモットとしてだろ」 

 水島のつぶやきににんまりと笑う少年。そして彼はそのまま腕の通信端末を開いた。

「見てごらんよ。オジサンが能力暴走で腕を切り落とした大学生。死んじゃったよ」 

 少年の言葉に水島は彼の端末も開いた。しかしそのような情報は何度検索しても出てこない。

「警察の発表はまだだからね。こう見えても僕のは一応ネットしている範囲が広いんだ。担当の警察官に直接指示を出せるレベルにも親切に情報を送ってくれる人がいるからちょっと検索すればすぐ結果が出てくるんだ。便利でしょ?」 

 淡々と語る少年。水島は少しばかり諦めたように肩を落として少年の端末に移る箇条書きの被害者の死を知らせる文書を眺めていた。

「まあ僕は……と言うか僕達はすごく心が広いんだ」 

 少年はそう言うと立ち上がる。水島は被害者の死と言う事実に困惑したまままだ立ち上がれずにいた。

「オジサンのような犯罪者でも役に立つ場所がある。いいことだと思うよ。でもね。時間と言うものは有限だから。それに僕達もそれほど気が長くは無いんだ」

 少年の目の前にあの女性が作り出したのよりも遥かにはっきりとした銀色の板が現れる。水島は何もできずにそれに手を伸ばす少年を眺めている。

 板の中に少年の腕が引き込まれた。あの死んだ青年のように千切れるわけも無く少年はにこやかな笑みを浮かべたまま水島を見つめている。

「ゆっくり考えて結論をね。よろしく。まあ他に選択肢はないだろうけど」 

 少年はそのまま銀色の板の中に飲み込まれた。そして彼のジャンバーが飲み込まれると同時に銀色の板も当然のように蒸発した。

 水島はただ自分がとてつもない出来事に巻き込まれたことを理解していた。そしてそのきっかけを作ったのも自分自身だと気付いて力が抜けていくのを感じていた。
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