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第9章 墓参り
眠るもの
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秋の気候に近く設定された気温が心地よく感じられて、嵯峨は気分良く葬列をやり過ごすと先頭に立って歩いた。かえでと渡辺はそんな嵯峨の後ろを静かについて行く。嵯峨家の被官の名族、醍醐侯爵家と佐賀伯爵家の墓を抜け、ひときわ大きな嵯峨公爵家の墓標の前に嵯峨は立っていた。そしてその後ろにひっそりとたたずむ小さな十字架に嵯峨とかえで、渡辺は頭《こうべ》をたれた。
そこに眠るのはエリーゼ・シュトルベルグ・嵯峨。嵯峨惟基の妻であり、嵯峨茜の母である。その美貌はかえでも何度か写真で見たことがあった。目の前のさえない叔父とは桁が違う美女であるエリーゼを思うと二人の短い夫婦の暮らしがどんなものだったかかえでには想像もつかなかった。
「おい、久しぶりだな」
墓に向かってそう言うと嵯峨は中腰になりさびしげな笑顔を浮かべながら墓に花を供えた。そして桶からひしゃくで水を汲むとやさしく墓標に水をかけた。
「また命をとられかけたよ。それでも残念だけど今は君のところには行けそうに無くてね」
そういいながら墓標のすべてを水が覆い尽くすまでひしゃくを使う。かえでは何度同じ光景を見ただろうかと思いをめぐらした。
第二次遼州大戦で開戦に消極的な西園寺家は軍部や貴族主義者のテロの標的とされた。かえでの祖父、西園寺重基《さいおんじ しげもと》は毒舌で知られた政治家であり、引退後のその地球との対話を説く言動は当時の反地球を叫ぶ世情の逆鱗に触れるものばかりだった。
そんな彼を狙ったテロに巻き込まれてエリーゼはわずか23歳で短い生涯を閉じた。
泣きじゃくる従姉妹の茜が胸に顔をうずめるのを見ながら叔母を見送ったこの墓の風景は、そのときとまるで変わらない。珍しくかえでの眼に涙が浮かんだ。
「失礼ですが……」
木陰で休んでいたらしい背の低い男が嵯峨達に声をかけてきた。表情を変えずに合わせていた手を下ろして嵯峨は彼を見つめた。着ているのは詰め襟が特徴的な胡州陸軍の勤務服。その階級章はこの男が大佐であることを示していた。そしてその左腕に巻かれた腕章の『憲兵』の文字。父である嵯峨が憲兵隊にいたことを考えればこの目の前の小柄な男が嵯峨に意見を求めに来たこともかえでには自然に感じられた。
「高倉さん。お久しぶりですねえ」
嵯峨は着物の帯に手を伸ばして禁煙パイプを取り出して口にくわえる。そんな行動にそれほど機嫌を害しない高倉はかえでから見ても嵯峨の扱いに慣れていることがかえでからも見て取れた。そしてかえでは高倉の名を聞いて彼のことを記憶のかけらから思い出していた。
高倉貞文《たかくらさだふみ》大佐。アフリカで勇猛な泉州軍団を指揮した醍醐文隆陸軍准将の懐刀と呼ばれた男である。脱走で知られる同盟国遼南帝国の兵卒に苛烈な制裁を加えて戦線を維持し、アフリカからの撤退戦でも的確な資材調達術などで影で醍醐を支えた功労者として知られていた。現在は海軍と陸軍と治安局に分かれていた憲兵組織を統一して設立された特殊工作部隊『胡州国家憲兵隊』の隊長を務める男である。
同業者、そして醍醐家の主君と被官ということからか、いつもの間の抜けた表情で嵯峨は話を切り出した。
「醍醐のとっつぁんは元気してますか?しばらく会ってないなあ、そう言えば」
そんな嵯峨の態度に表情一つ変えず高倉は嵯峨を見つめていた。
「ええ、閣下はアステロイドベルトの軍縮条約の実務官の選定のことで惟基卿のご意見を伺いたいと申しておられました」
「ご意見なんてできる立場じゃないですよ俺は。それに今度の殿上会で現公爵から前公爵になるわけですから。〇〇《まるまる》卿なんて言葉も聞かなくてすむ立場になるんでね」
そう言って笑う嵯峨を高倉は理解できなかった。胡州の貴族社会が固定化された血と縁故で腐っていくのを阻止する。主家である醍醐、嵯峨の両家が支持する西園寺義基のその政策に高倉も賛同していた。だが多くの殿上貴族達の間では遼南では皇帝の地位を投げ捨て、今、胡州公爵の位まで平気で投げ捨ててみせる目の前の男の本心がいまだ読めないと疑心暗鬼になる者が出ていることも事実だった。
「高倉さんは俺みたいなドロップアウト組と世間話する時間も惜しいでしょう」
嵯峨はそう言うと禁煙パイプを帯にしまって今度は帯からタバコを取り出した。安っぽいライターで火をつけると、今度は携帯灰皿を取り出す。
「俺みたいなのに会いに来た要件をキーワードでつなげると、バルキスタン共和国、アメリカ陸軍特殊作戦集団、胡州国家憲兵隊外地作戦局《こしゅうこっかけんぺいたいがいちさくせんきょく》。そんなところですかねえ」
そう言うと嵯峨は空に向けて禁煙パイポの息を吐いた。高倉は明らかにこれまでの好意的な目つきから射抜くようなそれになって嵯峨を見つめていた。嵯峨の指摘した三つの名前。どれも高倉が嵯峨から情報を得ようと思っていた組織の名称だった。
「それと近藤資金についても知りたいみたいですねえ。また胡州でもずいぶんとあっちこっちで近藤さんの遺産が話題になってるらしいじゃないですか。最終的には俺等が暴れた尻拭いを押し付けちゃって俺も本当に心苦しいんですよ」
明らかにこれは口だけの話、嵯峨の本心が別にあることは隣で二人のやり取りを呆然と見ているだけのかえでと渡辺にもすぐにわかった。
そこに眠るのはエリーゼ・シュトルベルグ・嵯峨。嵯峨惟基の妻であり、嵯峨茜の母である。その美貌はかえでも何度か写真で見たことがあった。目の前のさえない叔父とは桁が違う美女であるエリーゼを思うと二人の短い夫婦の暮らしがどんなものだったかかえでには想像もつかなかった。
「おい、久しぶりだな」
墓に向かってそう言うと嵯峨は中腰になりさびしげな笑顔を浮かべながら墓に花を供えた。そして桶からひしゃくで水を汲むとやさしく墓標に水をかけた。
「また命をとられかけたよ。それでも残念だけど今は君のところには行けそうに無くてね」
そういいながら墓標のすべてを水が覆い尽くすまでひしゃくを使う。かえでは何度同じ光景を見ただろうかと思いをめぐらした。
第二次遼州大戦で開戦に消極的な西園寺家は軍部や貴族主義者のテロの標的とされた。かえでの祖父、西園寺重基《さいおんじ しげもと》は毒舌で知られた政治家であり、引退後のその地球との対話を説く言動は当時の反地球を叫ぶ世情の逆鱗に触れるものばかりだった。
そんな彼を狙ったテロに巻き込まれてエリーゼはわずか23歳で短い生涯を閉じた。
泣きじゃくる従姉妹の茜が胸に顔をうずめるのを見ながら叔母を見送ったこの墓の風景は、そのときとまるで変わらない。珍しくかえでの眼に涙が浮かんだ。
「失礼ですが……」
木陰で休んでいたらしい背の低い男が嵯峨達に声をかけてきた。表情を変えずに合わせていた手を下ろして嵯峨は彼を見つめた。着ているのは詰め襟が特徴的な胡州陸軍の勤務服。その階級章はこの男が大佐であることを示していた。そしてその左腕に巻かれた腕章の『憲兵』の文字。父である嵯峨が憲兵隊にいたことを考えればこの目の前の小柄な男が嵯峨に意見を求めに来たこともかえでには自然に感じられた。
「高倉さん。お久しぶりですねえ」
嵯峨は着物の帯に手を伸ばして禁煙パイプを取り出して口にくわえる。そんな行動にそれほど機嫌を害しない高倉はかえでから見ても嵯峨の扱いに慣れていることがかえでからも見て取れた。そしてかえでは高倉の名を聞いて彼のことを記憶のかけらから思い出していた。
高倉貞文《たかくらさだふみ》大佐。アフリカで勇猛な泉州軍団を指揮した醍醐文隆陸軍准将の懐刀と呼ばれた男である。脱走で知られる同盟国遼南帝国の兵卒に苛烈な制裁を加えて戦線を維持し、アフリカからの撤退戦でも的確な資材調達術などで影で醍醐を支えた功労者として知られていた。現在は海軍と陸軍と治安局に分かれていた憲兵組織を統一して設立された特殊工作部隊『胡州国家憲兵隊』の隊長を務める男である。
同業者、そして醍醐家の主君と被官ということからか、いつもの間の抜けた表情で嵯峨は話を切り出した。
「醍醐のとっつぁんは元気してますか?しばらく会ってないなあ、そう言えば」
そんな嵯峨の態度に表情一つ変えず高倉は嵯峨を見つめていた。
「ええ、閣下はアステロイドベルトの軍縮条約の実務官の選定のことで惟基卿のご意見を伺いたいと申しておられました」
「ご意見なんてできる立場じゃないですよ俺は。それに今度の殿上会で現公爵から前公爵になるわけですから。〇〇《まるまる》卿なんて言葉も聞かなくてすむ立場になるんでね」
そう言って笑う嵯峨を高倉は理解できなかった。胡州の貴族社会が固定化された血と縁故で腐っていくのを阻止する。主家である醍醐、嵯峨の両家が支持する西園寺義基のその政策に高倉も賛同していた。だが多くの殿上貴族達の間では遼南では皇帝の地位を投げ捨て、今、胡州公爵の位まで平気で投げ捨ててみせる目の前の男の本心がいまだ読めないと疑心暗鬼になる者が出ていることも事実だった。
「高倉さんは俺みたいなドロップアウト組と世間話する時間も惜しいでしょう」
嵯峨はそう言うと禁煙パイプを帯にしまって今度は帯からタバコを取り出した。安っぽいライターで火をつけると、今度は携帯灰皿を取り出す。
「俺みたいなのに会いに来た要件をキーワードでつなげると、バルキスタン共和国、アメリカ陸軍特殊作戦集団、胡州国家憲兵隊外地作戦局《こしゅうこっかけんぺいたいがいちさくせんきょく》。そんなところですかねえ」
そう言うと嵯峨は空に向けて禁煙パイポの息を吐いた。高倉は明らかにこれまでの好意的な目つきから射抜くようなそれになって嵯峨を見つめていた。嵯峨の指摘した三つの名前。どれも高倉が嵯峨から情報を得ようと思っていた組織の名称だった。
「それと近藤資金についても知りたいみたいですねえ。また胡州でもずいぶんとあっちこっちで近藤さんの遺産が話題になってるらしいじゃないですか。最終的には俺等が暴れた尻拭いを押し付けちゃって俺も本当に心苦しいんですよ」
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