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第二章 陰謀のようなもの

貴賓室の闘士

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 胡州帝国軍第六艦隊分岐艦隊旗艦『那珂』。

 その貴賓室の窓の外には宇宙船の残骸と思われるデブリが浮かんでいた。先の大戦で胡州帝国攻略を目指す遼北人民共和国とフランスの同盟軍と胡州帝国軍との激闘が戦われた宙域である。ここは戦後、胡州に返還された後も手が加えられずそのままの状態で胡州帝国海軍の演習場として使用されている。

 深い椅子に腰掛けた老人は静かに手にしたブランデーグラスを眺めながら、流れる交響曲に身を任せていた。その強い意思を象徴するかのような青い瞳は、彼が目の前に広がる光景の生まれる瞬間、『戦場』を幾つとなく見つめてきたことを示していた。そして、その満足げな表情は残骸と廃墟の中で生きることを決意した意思表示のようにも見えた。

 曲は佳境に入り、ティンパニーの低音がブランデーグラスの中の液体をかすかに震わせた。

「閣下。近藤です」 

 管楽器の雄叫びが始まろうとしたその瞬間、音楽をさえぎるようにスピーカーから低い声が響いた。老人は眉をしかめながら吐き捨てるようにつぶやいた。

「入りたまえ」

 彼は外の胡州帝国軍の駆逐艦の残骸に眠る天上の都にたどり着いたであろう兵士達との語らいを中座させられて、不機嫌になっていた。だが老人はそのことで相手を責めるほど狭量な男ではなかった。

 貴賓室の自動ドアが開くと、胡州帝国海軍中佐の制服を着た、近藤と名乗った神経質そうな中年の男が部屋の中に入ってきた。彼は不愉快そうな老人の様子を気にするわけでもなく、言葉を切り出すタイミングを計っていた。ここで無遠慮に実務的な話をしてくるような人間ならば、老人はとっくの昔に近藤に愛想を尽かしていただろう。だが、静かに老人の気持ちの整理がつくのを待つ程度の礼儀を近藤は心得ていた。

「近藤君。この曲が何か分かるかね?」 

 高らかな管楽器の雄叫びに合わせるように管楽器の高音がその存在を明らかにするような調子で旋律を奏で始める。老人はこの部分に至る過程に闖入者があったことは残念に思ってはいたが、手にしたグラスを傾けることでそんな気持ちをどうにか落ち着けるすべを心得ていた。そして老人は曲に合わせるように目を閉じる。

「クラッシックですね……私はクラッシックはワーグナーしか聞かないもので……」

 老人は再び目を開き近藤と言う胡州帝国海軍の士官を見つめた。正直であることが美徳であるということは、老人の70年近い人生で学び取った一つの価値観だった。理論を語る者、特に軍の参謀を務めるものは、正直であるべきだと老人は経験から理解していた。希望的観測で上官の機嫌を取り繕う虚構の夢想家が、どれほどの敗北を老人に味合わせたかを数えて語り始めれば、その語りの道連れにはグラス一杯のブランデーでは足りない。

 老人は静かに口を開いた。 

「リヒャルト・シュトラウスだ。『ツァラトストラはかく語りき』だよ、憶えておきたまえ。教養は人の大小を左右する重要な要素だ。君も少しは勉強が必要のようだね」 

 閣下と呼ばれた老人は静かにブランデーグラスに口をつけた。老人の機嫌が直ったことに少し安堵した近藤は流れる交響曲に耳を傾けた。かつての老人のルーツにも当たるドイツで生まれた一人の哲学者とその思想を音楽にするという試みを行った音楽家に敬意を表するように近藤はしばらく沈黙した。

 そして老人がブランデーグラスを紫檀の組細工をあしらった貴賓室の執務机に置いたのを確認して話を切り出した。

「例の報告書は読んでいただけましたでしょうか?」 

 近藤はそう一言一言確かめるように言った。

 老人の目に生気の炎のようなものを近藤は感じた。遼州系外惑星の大国ゲルパルトの秘密警察の大佐を務めた男、ルドルフ・カーン。彼はアメリカや遼北が血眼になって探している先の大戦の第一級戦争犯罪者である。その屈強な意思は遼州外惑星の大国であり先の『第二次遼州戦争』で地球に反旗を翻したゲルパルト帝国を追われた同志達を、敗戦後二十年にわたり指導している人物ならではの力を持っていた。

「ああ読ませてもらったよ」 

 それだけ言うとカーンは近藤を試すような沈黙を作り出した。

 数多くの危険分子の拷問に立ち会ったことのあるカーンにとって、聞きたいことを尋ねるより、沈黙することの方が人に真実を語らせる鍵になることをわかっていた。カーンに黙って見つめられて、近藤は額に汗がにじむのを感じていた。
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