1 / 1
いっぱいのスープ
しおりを挟む
「うちの料理ロボットが壊れてしまったので、新しいのがほしいんだが」
「それでしたら、こちらのT-91はいかがでしょうか。
先週発売されたばかりの、最新機種でございます」
販売員が私を示すと、男性客は「ほう」と興味を示した様子だった。
「こちらのT-91は、従来の料理ロボットが標準搭載していたレシピの倍、十万種類のレシピを搭載しております。
もちろん、アップデートで新たなレシピを搭載することも可能です」
「はは、十万種類か。一生かかっても全てを試すことは出来ないね。
他には?」
「こちらが最大の売りなのですが、T-91にはこれまでになかった「寄り添い機能」というものが搭載されています」
「どんなものなんだい」
「これまでにない」と聞いて、男性客の気持ちが更に動いたようだ。
販売員の口調に熱が籠もる。
「お客様の心境や体調を察知して、その時のお客様に最適な料理をお出しするという機能です」
「うーん……いまいちぴんとこないな」
初めて私の機能を聞いた客の殆どが抱く思いを、この客も抱いたらしい。
首をひねる客に、販売員が「例えば」と言葉を続けた。
「お客様に、なにか悲しいことがあったとしますでしょう」
「ああ、失恋とかね」
「その時、従来のロボットはお客様から事細かに指示を受けなければ食事をお出しできません。
ですが、このT-91は一言「何か作ってくれ」と言えば、傷ついた心に寄り添うような、あるいはその気持ちを元気づけるような―――どんな料理がちょうどいいかはお客様によって異なるので、一概にそうとは言えませんが―――そんな料理を出してくれます。
お客様が風邪を引かれたり、体調を崩されたときも同様です」
「なるほど、便利だね」
「購入されてすぐはT-91もお客様のことをよく理解しておりませんので、お客様のご希望に沿うような料理はお出しできないかもしれません。
ですが、おなじ時間を過ごすに連れて少しずつお客様の好みや感情を理解していきます」
その説明を聞いて、男性客は深々と頷いた。
「まるで恋人や夫婦だな。
しかし、面白いロボットだ。
いくらだい」
男性客は、私を購入した。
男性の名前は「春川 学」。大学病院に勤める独身の内科医だ。
好きな食べ物はキャベツと鶏肉、嫌いな食べ物はトマトと桃。アレルギーの類はない。
生まれと育ちは東京だが母が京都出身のため、基本的には薄味や関西風の味付けを好む。
ただし、味噌汁だけは東北出身の父の影響で赤味噌しか飲まない。
これが、私に登録された彼の情報だった。
「まずは、前の料理ロボットに登録してたデータの引き継ぎと確認だな」
細々としたデータの引き継ぎを難なくこなしたあと、彼が私に指示したのはキャベツと鶏団子のスープだった。
既存のレシピよりも少々薄味の、だがハーブとスパイスをしっかりと効かせたスープを登録されたレシピ通りに作り、彼の前に出す。
「……うん、うまい。いつも通りだ。
データの引き継ぎは、上手くいっているようだな」
そう言って、彼はスープをおいしそうに飲み干した。
医師である彼は、家にあまり帰ってこない。
時折帰ってきても、不規則な時間に食事をすることが多いため胃が疲れているのだろう。
凝った料理を出すことは滅多になかった。
その代わり多く作ったのは、スープや味噌汁だった。
夜勤明けに帰ってきた時にはシジミの赤味噌汁。
休日の朝にはタマネギだけをじっくりと煮込んだオニオンスープ。
外食が続いて野菜不足の時には、鶏肉とキャベツ、それに数種の野菜を煮込んだポトフ。
彼はどれも、味わうようにじっくりと飲んだ。
「ちくしょう……」
その日帰ってきた彼は、一人では真っ直ぐ歩けないほど酔っていた。
ソファにもたれかかった彼が「T-91」と私を呼ぶ。
「なんでもいい。何か作ってくれ」
その指示に従って、私はスープを作った。
煮込んだキャベツとタマネギを滑らかになるまですり潰し、ミルクを加えたポタージュだ。
酒でも忘れられないほど強い感情をもてあましている彼には、このスープが合うと考えた。
彼はそれを無言で完食し、ベッドでぐっすりと眠った。
翌日には、いつも通りの彼にもどっていた。
「何か、見栄えのいい料理を作ってくれ」
そのリクエストを受けたのは、彼が三十を迎えた初夏のことだった。
中学生の頃に告白して以来ずっと交際していた女性に、プロポーズをするのだという。
「夜景の見えるレストランでするのが一般的なのかもしれないが、僕も彼女もそういう場所だと緊張してしまう。
だから、二人とも家でしようかと思ってね。
彼女は桃が好きなんだ。だからその……桃を使ったデザートを出してくれ。
あとは、お前に任せる」
その期待に応えるよう私は腕を振るい、彼とその恋人はとても喜んだ。
中でも彼の恋人が喜んだのは、桃の冷製スープだった。
桃と生クリームにヨーグルト、それからチキンブイヨン。
ほんのりと甘い桃色のスープは、彼女の口にも、そして彼の口にも合ったようだった。
「おいしい。とてもおいしいね、学くん」
「ああ。本当に、うまい。
このT-91を買ってよかったよ」
コースの最後、デザートとしてピーチ・メルバを出したとき、彼が女性に向き直った。
「夏美……中学から今まで、本当に待たせた。
受け取ってくれないか」
そう言って差しだした小さな箱の中には、ピンクダイヤの指輪が鎮座していた。
女性が涙ぐみながら、それを受け取る。
翌年、二人は結婚した。
式には、ラズベリーソースが掛かった桃のアイスケーキが出された。
結婚から二年後、彼らの間に子どもが生まれた。
名前は「秋菜」。元気な女の子だ。
「T-91。秋菜のスープを作ってくれる?」
彼女の指示に従って、私はスープを作った。
にんじんをすりつぶし、なめらかになるまで裏ごししたポタージュだ。
まだ幼い秋菜に合わせて、香辛料の類は一切使用していない。
「あーい」
「よく食べられたわね、秋菜。えらいえらい」
秋菜はにんじんが嫌いだが、ポタージュにするとよく食べる。
一口食べる度に手を叩いて喜ぶ秋菜をみて、夏美は穏やかに微笑んでいた。
「ただいま」
彼の声が聞こえると、夏美は早速玄関に向かった。
楽しげに話す二人の声が聞こえてくる。
「おかえりなさい。ご飯、出来てるわよ。
作ったのは、T-91だけど」
「はは。でも、君も作ったんだろう」
私が作った食事とは別に、夏美も何か一品を作る。
それが、彼ら夫婦の習慣だった。
「一品だけね。どれが私が作ったのか、分かる?」
「うーん、一番量が多い奴かな。君はいつも作りすぎるから」
「もう、そんなこと……あるわね」
食卓に並んだ料理のうち、一つだけ皿に山と盛られた料理を見て夏美が苦笑いした。
大家族の長女として弟妹の食事を作り続けてきた彼女は、未だにその習慣が抜けずに作りすぎてしまう癖がある。
それでも、彼はいつも笑って「おいしいよ」と夏美の料理を平らげていた。
「お、秋菜。ちゃんとにんじんも食べられるようになったのか」
「T-91のスープだと、ちゃんと食べるのよね。お陰で助かってるわ」
「うん、いい買い物をしたよ」
そう言って、彼と彼女が食卓に着いた。
十八年後。学と夏美は年を取り、秋菜は大学受験をする歳になった。
父と同じく自分も医師になりたいと、秋菜は毎晩夜遅くまで勉強している。
そんな彼女を、学も夏美も応援しつつ心配していた。
「勉強をしすぎて、身体を壊さなければいいんだけど」
「そうだな。僕も秋菜くらいの歳には勉強漬けの日々だったけど、夏美の差し入れがなかったら身体を壊してたかもしれない。
T-91。秋菜に何か、夜食を作ってくれないか」
彼の言葉に従って、私は料理を作った。
牛蒡とにんじん、豆腐にねぎにこんにゃく。それから豚肉。
火の通りにくいものから順にごま油で炒めてからしっかりと煮込んだ、豚汁だ。
徐々に寒くなってきた今は、身体が温まって栄養が豊富なものがいい。
秋菜の元へ椀を持っていくと、彼女はちょうど一休みしているところだった。
私が持っている豚汁の椀をみて、目を輝かせる。
「ちょうどよかった。今、くたくたになっちゃって」
椀を包むように手にした秋菜は、ふうふうと息を吹きかけながらそれを食べた。
「ありがとう、T-91。もうこれで一踏ん張りできるよ」
豚汁を食べ終えた彼女は、再び机に向かった。
秋菜が医師になってから、三十年が過ぎた。
私を購入したときは働き盛りだった学も、既に八十過ぎだ。
食の好みも少し変わってきたようで、嫌いだった桃も、今は好物になっていた。夏美の好物だったからだろう。
ただ、トマトは嫌いなままだった。
その夏美は、先日亡くなった。
学と秋菜に看取られて、最後は眠るように息を引き取った。
既に医師を引退していた彼は、夏美を亡くした後は目に見えて家に籠もるようになっていた。
これまで集めた蔵書や、家族写真を集めたアルバムを眺めては、短い一日を終える。
それが彼の日常となっていた。
「T-91」
あるとき、彼が言った。
「何か作ってくれ」
最近料理のリクエストをしなくなった彼に指示を受けるのは、久々だった。
彼の言葉を受けて、私は料理を作った。
鶏胸肉のミンチを使った肉団子に、くたくたに煮込んだキャベツ。
具材はそれだけで、スープはごく薄味。
代わりに、ショウガを肉団子にもスープにもたっぷり加える。
それが、彼の好きなスープだった。
「うん、うまい。いつも通りだ」
スープを飲んだ彼が、ほっとした表情で呟いた。
それからも、彼の「何か作ってくれ」というリクエストに答え続けた。
キャベツのタマネギのミルクポタージュ。
桃の冷製スープ。
にんじんのポタージュ。
具だくさんの豚汁。
彼はその全てを「うまい」と言って平らげた。
それでも、彼の身体は次第に細くなっていった。
やがて自力で身体を動かすことが困難になった彼は入院することになったが、そこでも彼は私に「何か作ってくれ」と望んだ。
私は、これまでのデータを参考に彼の心と身体に合う料理を作り続けた。
「T-91」
これまでのデータから彼に最適な食事を考えているとき、彼が私を呼んだ。
「ありがとう」
それが彼が私を呼んだ最後だった。
彼が亡くなった後、私は秋菜に引き取られた。
冬彦という男性と結婚してすぐに子どもを授かった彼女は、毎日忙しなく働いている。
だが、とても充実していると言っていた。
「T-91、何か作って」
そのリクエストに応えて、私は今日も料理を作る。
今日の彼女や夫、その子どもにぴったりの料理を。
「それでしたら、こちらのT-91はいかがでしょうか。
先週発売されたばかりの、最新機種でございます」
販売員が私を示すと、男性客は「ほう」と興味を示した様子だった。
「こちらのT-91は、従来の料理ロボットが標準搭載していたレシピの倍、十万種類のレシピを搭載しております。
もちろん、アップデートで新たなレシピを搭載することも可能です」
「はは、十万種類か。一生かかっても全てを試すことは出来ないね。
他には?」
「こちらが最大の売りなのですが、T-91にはこれまでになかった「寄り添い機能」というものが搭載されています」
「どんなものなんだい」
「これまでにない」と聞いて、男性客の気持ちが更に動いたようだ。
販売員の口調に熱が籠もる。
「お客様の心境や体調を察知して、その時のお客様に最適な料理をお出しするという機能です」
「うーん……いまいちぴんとこないな」
初めて私の機能を聞いた客の殆どが抱く思いを、この客も抱いたらしい。
首をひねる客に、販売員が「例えば」と言葉を続けた。
「お客様に、なにか悲しいことがあったとしますでしょう」
「ああ、失恋とかね」
「その時、従来のロボットはお客様から事細かに指示を受けなければ食事をお出しできません。
ですが、このT-91は一言「何か作ってくれ」と言えば、傷ついた心に寄り添うような、あるいはその気持ちを元気づけるような―――どんな料理がちょうどいいかはお客様によって異なるので、一概にそうとは言えませんが―――そんな料理を出してくれます。
お客様が風邪を引かれたり、体調を崩されたときも同様です」
「なるほど、便利だね」
「購入されてすぐはT-91もお客様のことをよく理解しておりませんので、お客様のご希望に沿うような料理はお出しできないかもしれません。
ですが、おなじ時間を過ごすに連れて少しずつお客様の好みや感情を理解していきます」
その説明を聞いて、男性客は深々と頷いた。
「まるで恋人や夫婦だな。
しかし、面白いロボットだ。
いくらだい」
男性客は、私を購入した。
男性の名前は「春川 学」。大学病院に勤める独身の内科医だ。
好きな食べ物はキャベツと鶏肉、嫌いな食べ物はトマトと桃。アレルギーの類はない。
生まれと育ちは東京だが母が京都出身のため、基本的には薄味や関西風の味付けを好む。
ただし、味噌汁だけは東北出身の父の影響で赤味噌しか飲まない。
これが、私に登録された彼の情報だった。
「まずは、前の料理ロボットに登録してたデータの引き継ぎと確認だな」
細々としたデータの引き継ぎを難なくこなしたあと、彼が私に指示したのはキャベツと鶏団子のスープだった。
既存のレシピよりも少々薄味の、だがハーブとスパイスをしっかりと効かせたスープを登録されたレシピ通りに作り、彼の前に出す。
「……うん、うまい。いつも通りだ。
データの引き継ぎは、上手くいっているようだな」
そう言って、彼はスープをおいしそうに飲み干した。
医師である彼は、家にあまり帰ってこない。
時折帰ってきても、不規則な時間に食事をすることが多いため胃が疲れているのだろう。
凝った料理を出すことは滅多になかった。
その代わり多く作ったのは、スープや味噌汁だった。
夜勤明けに帰ってきた時にはシジミの赤味噌汁。
休日の朝にはタマネギだけをじっくりと煮込んだオニオンスープ。
外食が続いて野菜不足の時には、鶏肉とキャベツ、それに数種の野菜を煮込んだポトフ。
彼はどれも、味わうようにじっくりと飲んだ。
「ちくしょう……」
その日帰ってきた彼は、一人では真っ直ぐ歩けないほど酔っていた。
ソファにもたれかかった彼が「T-91」と私を呼ぶ。
「なんでもいい。何か作ってくれ」
その指示に従って、私はスープを作った。
煮込んだキャベツとタマネギを滑らかになるまですり潰し、ミルクを加えたポタージュだ。
酒でも忘れられないほど強い感情をもてあましている彼には、このスープが合うと考えた。
彼はそれを無言で完食し、ベッドでぐっすりと眠った。
翌日には、いつも通りの彼にもどっていた。
「何か、見栄えのいい料理を作ってくれ」
そのリクエストを受けたのは、彼が三十を迎えた初夏のことだった。
中学生の頃に告白して以来ずっと交際していた女性に、プロポーズをするのだという。
「夜景の見えるレストランでするのが一般的なのかもしれないが、僕も彼女もそういう場所だと緊張してしまう。
だから、二人とも家でしようかと思ってね。
彼女は桃が好きなんだ。だからその……桃を使ったデザートを出してくれ。
あとは、お前に任せる」
その期待に応えるよう私は腕を振るい、彼とその恋人はとても喜んだ。
中でも彼の恋人が喜んだのは、桃の冷製スープだった。
桃と生クリームにヨーグルト、それからチキンブイヨン。
ほんのりと甘い桃色のスープは、彼女の口にも、そして彼の口にも合ったようだった。
「おいしい。とてもおいしいね、学くん」
「ああ。本当に、うまい。
このT-91を買ってよかったよ」
コースの最後、デザートとしてピーチ・メルバを出したとき、彼が女性に向き直った。
「夏美……中学から今まで、本当に待たせた。
受け取ってくれないか」
そう言って差しだした小さな箱の中には、ピンクダイヤの指輪が鎮座していた。
女性が涙ぐみながら、それを受け取る。
翌年、二人は結婚した。
式には、ラズベリーソースが掛かった桃のアイスケーキが出された。
結婚から二年後、彼らの間に子どもが生まれた。
名前は「秋菜」。元気な女の子だ。
「T-91。秋菜のスープを作ってくれる?」
彼女の指示に従って、私はスープを作った。
にんじんをすりつぶし、なめらかになるまで裏ごししたポタージュだ。
まだ幼い秋菜に合わせて、香辛料の類は一切使用していない。
「あーい」
「よく食べられたわね、秋菜。えらいえらい」
秋菜はにんじんが嫌いだが、ポタージュにするとよく食べる。
一口食べる度に手を叩いて喜ぶ秋菜をみて、夏美は穏やかに微笑んでいた。
「ただいま」
彼の声が聞こえると、夏美は早速玄関に向かった。
楽しげに話す二人の声が聞こえてくる。
「おかえりなさい。ご飯、出来てるわよ。
作ったのは、T-91だけど」
「はは。でも、君も作ったんだろう」
私が作った食事とは別に、夏美も何か一品を作る。
それが、彼ら夫婦の習慣だった。
「一品だけね。どれが私が作ったのか、分かる?」
「うーん、一番量が多い奴かな。君はいつも作りすぎるから」
「もう、そんなこと……あるわね」
食卓に並んだ料理のうち、一つだけ皿に山と盛られた料理を見て夏美が苦笑いした。
大家族の長女として弟妹の食事を作り続けてきた彼女は、未だにその習慣が抜けずに作りすぎてしまう癖がある。
それでも、彼はいつも笑って「おいしいよ」と夏美の料理を平らげていた。
「お、秋菜。ちゃんとにんじんも食べられるようになったのか」
「T-91のスープだと、ちゃんと食べるのよね。お陰で助かってるわ」
「うん、いい買い物をしたよ」
そう言って、彼と彼女が食卓に着いた。
十八年後。学と夏美は年を取り、秋菜は大学受験をする歳になった。
父と同じく自分も医師になりたいと、秋菜は毎晩夜遅くまで勉強している。
そんな彼女を、学も夏美も応援しつつ心配していた。
「勉強をしすぎて、身体を壊さなければいいんだけど」
「そうだな。僕も秋菜くらいの歳には勉強漬けの日々だったけど、夏美の差し入れがなかったら身体を壊してたかもしれない。
T-91。秋菜に何か、夜食を作ってくれないか」
彼の言葉に従って、私は料理を作った。
牛蒡とにんじん、豆腐にねぎにこんにゃく。それから豚肉。
火の通りにくいものから順にごま油で炒めてからしっかりと煮込んだ、豚汁だ。
徐々に寒くなってきた今は、身体が温まって栄養が豊富なものがいい。
秋菜の元へ椀を持っていくと、彼女はちょうど一休みしているところだった。
私が持っている豚汁の椀をみて、目を輝かせる。
「ちょうどよかった。今、くたくたになっちゃって」
椀を包むように手にした秋菜は、ふうふうと息を吹きかけながらそれを食べた。
「ありがとう、T-91。もうこれで一踏ん張りできるよ」
豚汁を食べ終えた彼女は、再び机に向かった。
秋菜が医師になってから、三十年が過ぎた。
私を購入したときは働き盛りだった学も、既に八十過ぎだ。
食の好みも少し変わってきたようで、嫌いだった桃も、今は好物になっていた。夏美の好物だったからだろう。
ただ、トマトは嫌いなままだった。
その夏美は、先日亡くなった。
学と秋菜に看取られて、最後は眠るように息を引き取った。
既に医師を引退していた彼は、夏美を亡くした後は目に見えて家に籠もるようになっていた。
これまで集めた蔵書や、家族写真を集めたアルバムを眺めては、短い一日を終える。
それが彼の日常となっていた。
「T-91」
あるとき、彼が言った。
「何か作ってくれ」
最近料理のリクエストをしなくなった彼に指示を受けるのは、久々だった。
彼の言葉を受けて、私は料理を作った。
鶏胸肉のミンチを使った肉団子に、くたくたに煮込んだキャベツ。
具材はそれだけで、スープはごく薄味。
代わりに、ショウガを肉団子にもスープにもたっぷり加える。
それが、彼の好きなスープだった。
「うん、うまい。いつも通りだ」
スープを飲んだ彼が、ほっとした表情で呟いた。
それからも、彼の「何か作ってくれ」というリクエストに答え続けた。
キャベツのタマネギのミルクポタージュ。
桃の冷製スープ。
にんじんのポタージュ。
具だくさんの豚汁。
彼はその全てを「うまい」と言って平らげた。
それでも、彼の身体は次第に細くなっていった。
やがて自力で身体を動かすことが困難になった彼は入院することになったが、そこでも彼は私に「何か作ってくれ」と望んだ。
私は、これまでのデータを参考に彼の心と身体に合う料理を作り続けた。
「T-91」
これまでのデータから彼に最適な食事を考えているとき、彼が私を呼んだ。
「ありがとう」
それが彼が私を呼んだ最後だった。
彼が亡くなった後、私は秋菜に引き取られた。
冬彦という男性と結婚してすぐに子どもを授かった彼女は、毎日忙しなく働いている。
だが、とても充実していると言っていた。
「T-91、何か作って」
そのリクエストに応えて、私は今日も料理を作る。
今日の彼女や夫、その子どもにぴったりの料理を。
0
お気に入りに追加
0
この作品の感想を投稿する
あなたにおすすめの小説
校長室のソファの染みを知っていますか?
フルーツパフェ
大衆娯楽
校長室ならば必ず置かれている黒いソファ。
しかしそれが何のために置かれているのか、考えたことはあるだろうか。
座面にこびりついた幾つもの染みが、その真実を物語る
長く短い真夏の殺意
神原オホカミ【書籍発売中】
SF
人間を襲わないはずのロボットによる殺人事件。その犯行の動機と真実――
とある真夏の昼下がり、惨殺された男性の死体が見つかった。
犯人は、人間を襲わないはずの執事型ロボット。
その犯行の動機と真実とは……?
◆表紙画像は簡単表紙メーカー様で作成しています。
◆無断転写や内容の模倣はご遠慮ください。
◆文章をAI学習に使うことは絶対にしないでください。
◆アルファポリスさん/エブリスタさん/カクヨムさん/なろうさんで掲載してます。
〇構想執筆:2020年、改稿投稿:2024年
太陽の花が咲き誇る季節に。
陽奈。
SF
日本が誇る電波塔《東京スカイツリー》
それは人々の生活に放送として深く関わっていた。
平和に見える毎日。そんなある日事件は起こる。
無差別に破壊される江都東京。
運命を惑わされた少女の戦いが始まろうとしている。
日本昔話村
たらこ飴
SF
オカルトマニアの唐沢傑は、ある日偶然元クラスメイトの権田幻之介と再会する。権田に家まで送ってくれと頼まれた唐沢は嫌々承諾するが、持ち前の方向音痴が炸裂し道に迷ってしまう。二人が迷い込んだところは、地図にはない場所ーーまるで日本昔話に出てくるような寂れた農村だった。
両親が若い頃に体験したことを元にして書いた話です。
スケートリンクでバイトしてたら大惨事を目撃した件
フルーツパフェ
大衆娯楽
比較的気温の高い今年もようやく冬らしい気候になりました。
寒くなって本格的になるのがスケートリンク場。
プロもアマチュアも関係なしに氷上を滑る女の子達ですが、なぜかスカートを履いた女の子が多い?
そんな格好していたら転んだ時に大変・・・・・・ほら、言わんこっちゃない!
スケートリンクでアルバイトをする男性の些細な日常コメディです。
エスカレーター・ガール
転生新語
SF
永遠不変の一八才である、スーパーヒロインの私は、決戦の直前を二十代半ばの恋人と過ごしている。
戦うのは私、一人。負ければ地球は壊滅するだろう。ま、安心してよ私は勝つから。それが私、エスカレーター・ガールだ!
カクヨム、小説家になろうに投稿しています。
カクヨム→https://kakuyomu.jp/works/16817330660868319317
小説家になろう→https://ncode.syosetu.com/n5833ii/
「夢楼閣」~愛玩AI『Amanda』~
大和撫子
SF
……そのAIはただ愛されたかった。ただ誰かの、何かの役に立ちたかった。誰も引き取り手がいない。廃棄処分を待つ日々。けれどもある日救いの手が差し伸べられる。けれどもそれは、人類滅亡への……
西暦2222年、地球はAIで溢れかえっていた。彼らは高い知性と喜怒哀楽の感情を持ち、少しずつ、意思の力も身に着けるようになってきていた。
人間との割合は半々程度。互いに均衡を保ちながら、平和を保っていた。そう、表向きだけは……。
身分を乗り越えた純愛、真の愛とは何かをテーマにした作品です。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる