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第18話

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 斗馬に誘われて入ったログハウスは、高校生だった斗馬が『叶えたい夢だ』と言って見せてくれたスケッチブックに描かれたそれと寸分違わぬものだった。

「あの火事から二年かけて牧場を再建した。その後、仕事の合間に少しずつすすめた」
「斗馬……」
「牧場のみんなが協力なしには出来なかったがな」
 
 斗馬が肩をすくめ苦笑いを浮かべている。それでも仁菜は彼が自ら描いた夢を完成させた事が嬉しくて、我が事のように喜びがこみ上げてくる。

「さて、まずは腹ごしらえだ」

 斗馬は薪ストーブに火を入れるとキッチンへと案内した。

「一通り、食料は入れて貰っていたから、リクエストがあれば聞くけど?」
「だったら一つしかないわ」

 仁菜はクリームシチューをオーダーした。斗馬は任せろと言わんばかりに腕まくりをする。

「私は荷ほどきしてるわね」

 そう言って、居間に戻った。荷ほどきと言うほど荷物は多くないが、クローゼットの中に荷物をしまう。振り返ると薪ストーブの上に置かれたケトルがシュンシュンと音を立てている。

「斗馬、コーヒーか紅茶はある?」
「そこのキャビネットにコーヒー豆があったはずだ」

 視線だけで示されたキャビネットの中にはコーヒー豆だけではなく、コーヒーミルやロートにフラスコもある。

(相変わらず、コーヒーにはこだわりがあるんだ)

 斗馬はホームステイ先で教わったというサイフォン式のコーヒーを好んでいた。自ら道具を持ち込んで時々振る舞ってくれたことを思い出す。仁菜はそれらを取り出し、ダイニングテーブルに並べた。
 まずは豆をミルにセットしていていく。コーヒーの上品な香りが立ち上る。それから、アルコールランプ、フラスコ、ロートを準備する。

「え~と、これでいいんだっけ?」
「ああ、これはこうするんだよ」
 
  後ろから抱きしめるように仁菜の手を取る斗馬。その大きな手に触れられて鼓動が速くなる。それを、悟られないように深呼吸するが、どうしても手が震えるのは抑えられなかった。うなじにかかる息づかいから斗馬に見透かされていることを感じ、仁菜は俯いてしまう。

「シチューのほうは弱火で煮込むだけだから、コーヒーを飲もうか」

 斗馬は手際よくコーヒーをカップに注ぐ。

「コーヒーにこだわりがあるのは変わらないわね」

 仁菜はカップに口を付けながら隣に座った斗馬の顔を見る。彼は目を閉じ、香りを吸い込み堪能している。

「そうだな。これだけは譲れない」

 真剣に答える斗馬に少しばかり呆れる仁菜だった。



 その後、出来上がったシチューを食べながら、このログハウスを作る上での苦労話を披露した。

「一番大変だったのはロフトの上に付けた天窓だな」
「天窓?」
「ああ、この辺りは星空が綺麗だろう? 季節ごとに違う星座を楽しみたいから天窓を付けたんだ」

 斗馬は牧草地で星空を眺めるのが好きだった。特にこの辺りは空気が澄んでいるから星がよく見える。だが、冬は寒さが厳しい上に雪も多いので外で星を眺めるに適していない。そこで天窓をしつらえて、家の中から星空を眺められるようにしたのだった。

「今夜は新月だからよく見えるかもな」
「それは楽しみ」
 
 二人で後片付けを始める。話に夢中になっていたせいか、時刻は21時を回っていた。どちらともなく、ソワソワし始めた。

「先にシャワーを浴びるといい。僕はベッドを確認してくる」

 そう言って、斗馬はロフトに上がっていった。大きさから考えてベッドが一つしかないのは間違いないだろう。仁菜はスーツケースから着替えを取り出す。中には昨日ヴァネッサが押しつけた例の紙袋が入っていた。どうするか悩んだが、意を決してその紙袋を掴み、バスルームへと駆け込んだ。



 ゆうに30分は過ぎただろうか。意を決してバスルームから出た。斗馬は何も言わず、入れ違いでバスルームへと消えていく。仕方ないので仁菜はそのままロフトスペースへと上がる。しつらた天窓からは星空がよく見える。

(これだけ大きな天窓、相当大変だったろうなぁ)
 
 ベッドに寝転がり、見上げれば星がよく見えた。斗馬とも星を眺めたが、両親とも天体観測のために夜の牧草地に出かけた事を思い出す。あの頃の自分は幸せだった。その幸せが永遠に続くと疑わなかった。それが、どうしてあんな事になってしまったのだろう。仁菜は悲しみに飲み込まれそうになり、涙がこみ上げてきた。

「仁菜?」

 名を呼ばれ、我に返る。そこには心配そうにのぞき込む斗馬がいた。

「どうした?」
「星を見てたら、夏休みに夜の牧草地で天体観測してたこと思い出して……」
 
 仁菜は起き上がりながら、儚げな笑みを浮かべる。斗馬は彼女の目尻に堪った涙を親指で優しく拭った。そして、どちらともなく唇を重ねる。仁菜は斗馬の背に腕を回す。

「いいか?」

 その問いに迷うことなく頷いた。二人はもう一度唇を重ね、舌を絡めた。暫くすると、仁菜の口から甘い吐息が漏れ始める。斗馬の手が怪しくうごめき、パジャマの中に潜り込む。脇腹を這い上がり、双丘を揉みしだく。慣れた手つきでブラをずらし、その頂を弄ばれる。その刺激に耐えられなくなった仁菜は身を捩った。

「仁菜、君の体は柔らかいな」

 斗馬は低くささやき、胸をもみしだく。そして再びく唇を重た。それは甘く優しいキス。身も心も蕩けるそれに仁菜は先を強請ねだるようにキスを返す。その間も斗馬の手は仁菜の体をまさぐり、パジャマのボタンを外していく。

「随分セクシーな……」
「言わないで!」
「なんで? 凄く似合ってる。とてもそそられるよ」

 仁菜は恥ずかしくて手で顔を覆った。斗馬はその手をどけて額にキスをする。

「僕はもっと見たい」
「で、でも……」
「綺麗だよ」

 それだけ言うと、斗馬は耳朶を甘噛みし、舌を這わせていく。首から肩へと下がり、双丘の頂きを丁寧に舐め取る。その刺激に耐え切れず背を逸らし、喘ぎを漏らす。仁菜がどれだけ感じているのかを確かめるように、舌で転がしたり、強く吸い付いたりを繰り返す。仁菜の体はその先を求めて疼き始める。その証拠に腿を摺り合わせている。頃合いを見計らって斗馬は太股を撫でていた手を仁菜の秘めた場所へと這わせていく。そこは既に潤っており、更なる刺激を求めていた。
 斗馬は慎重に指を進めていく。秘裂をなぞり、ゆっくりと蜜口を探り当てる。初めてではないが恐くなった仁菜は目を瞑る。必死に声を抑えようとするが、次から次へと与えられる刺激に囚われ、必然的に喘ぎが漏れる。

「もっと声を聞かせて……」

 そう囁く斗馬の声が聞こえたが、今の仁菜は何も考えられない。あだ、本能の赴くままに喘ぐだけだった。やがて斗馬の舌は秘めたる場所に隠された花芯に触れる。その瞬間、仁菜のからだが跳ねた。耐えがたい快楽に仁菜の両手はシーツを強く掴む。だが、斗馬は緩めることなく責め立てた。指で中を探り感じる場所を突き止める。そして、舌と唇で花芯を弄ぶ。同時に与えられる刺激に喘ぎは大きくなる。家臣を強く吸い上げれば、仁菜の視界はチカチカと白い花火が散り意識を飛ばした。
 ほんの一瞬、意識を飛ばしていた仁菜の目に入ってきたのは小さなパッケージを加えた斗馬の姿だった。それを歯で器用に開けると自身に装着した。

「心配しなくていい。全部僕に任せるんだ」

 そう言って額にキスを落とした後、仁菜の中に自らを深く沈める。やはり、そこは狭くキツい。仁菜の喘ぎに斗馬は理性を失いそうになる。薄い膜越しからでも分かるほど、仁菜の中は素晴らしかった。自制心をかき集め、激しく揺さぶりたい衝動を抑え込む。

「斗馬、斗馬!!」
「仁菜、僕の背に腕を回して……」

 ゆっくり抽挿を繰り返しながら伝える。仁菜を先程とは比べものにならない快感の波が押し寄せてくる。斗馬の背中に爪を立て、必死に抗う。だが、押し寄せる快楽の波に打ち勝つことは出来ず、とうとう飲み込まれ果てたのだった。

「クッ」

 斗馬にも限界が訪れる。小さなうめきと共に欲望を薄い膜の中に解き放った。そして、そのままになの上に倒れ込んだ。そのまま二人は折り重なったまま息を整えた。



 やがて、斗馬が起き上がり、仁菜の中から自身を引き抜き後始末をする。先程まで繋がっていた蜜口はぬらぬらと愛液で濡れている。それを目にして斗馬の心は高揚した。萎えたはずのそれが再び力を取り戻すように強張るのを感じる。それを悟られないように仁菜の横に倒れ込み、彼女の体を引き寄せた。心地良い疲労感が二人を包む。

「仁菜、僕はとても幸せだ」
「私もよ。夢じゃないって思えると良いんだけど……」
「大丈夫さ。朝になればそのことを証明してあげるよ」
「だったら嬉しいな」

 そう呟きを残した後、仁菜からは安らかな寝息が聞こえてくる。斗馬は彼女の頬にキスをして抱きしめる腕に力を込めた。そして、明日の朝には彼女にプロポーズをすると決める。そのための指輪は用意してある。彼女は泣いて喜ぶ顔を思い浮かべながら深い眠りへと落ちたのだった。



 翌朝、二人は天窓から差し込む日の光と鳥の囀りで目を覚ます。

「おはよう」
「うん、おはよう……」

 仁菜は寝ぼけ眼なのか、目を擦りながら起き上がる。暫くボーッとしていたが、ハッと我に返ったように息を飲むとシーツをたぐり寄せて体に巻き付けた。その顔は耳まで真っ赤になっていた。

「初めてでもないのに?」
「恥ずかしいものは、恥ずかしいのよ!!」

 抗議の声を上げても斗馬は軽く躱す。それどころか、触れるだけのキスを唇に落とした。

「バスタブにお湯を張ってくるよ」

 そう言うと斗馬はその裸体を晒しながら、ロフトを降りた。後に残された仁菜は散らばった下着をかき集めた。



「ねぇ……」
「なんだ?」
「なんで、一緒に入ってるの?」

 湯気で白く煙るバスルーム。仁菜は後ろから抱きしめられるような格好で斗馬と二人バスタブに浸かっていた。

「一緒に入った方がすぐすむだろう?」
「まぁ、そうなんだけど……」

 仁菜は眉間に皺を寄せて納得いかない様子。だが、斗馬はお構いなしだ。おまけにお尻辺りには何か硬いものが当たっている。それが何かわからない仁菜ではなかった。

「ここではしないから……」
「ここ以外ならいいのか?」

 斗馬の手が怪しい動きを見せ始めた。このまま流されれば、後で大変なことになるのが目に見えている。仁菜は手首を掴んで捻る。

「仁菜! い、痛い!!」

 仁菜は手を離すと、無言のままバスルームを出て行った。



 その後の朝食は気まずい空気が流れた。斗馬は仁菜の顔色を覗うがそれを一切無視して黙々と食べすすめる。

「仁菜?」
「……」

 仁菜はギロリと睨んだが、斗馬の意気消沈した姿に溜飲を下げた。

(そろそろ許してあげようかな?)

 仁菜は手にしたマグカップを置くと、斗馬に微笑んで見せた。

「もう怒ってないよ」
「本当か?」
「うん。でも……」
「でも?」

 仁菜は笑みを消して、斗馬を睨みつける。

「際限なく求めるのはやめて」

 ダイニングテーブルの上を冷気が通り過ぎていった。そんな気がした。それは恐らく、仁菜が笑みを貼り付けながらも目が全然笑っていないからだろう。斗馬は大人しく頷いたのだった。



 自業自得とは言え、斗馬が思い描いていた当初の予定が頓挫してしまった。どうにか軌道修正したいが、良い案が思いつかない。どうしたものかと悩んでいるうちに外から仁菜の声が聞こえてきた。

「斗馬! こっちに来て!!」

 仁菜の声がした方は放牧場の柵がある方だ。斗馬はダウンジャケットを手に取り外へと出た。キンと冷えた空気に身震いする。仁菜の姿を見つけ、駆け寄る。彼女の視線の先には芦毛の馬が草を食んでいた。

「この時間は外に出せってうるさいんだ」
「そうなのね……」

 仁菜が口笛を吹くと芦毛の馬が反応し、首をあげた。もう一度口笛を吹くと芦毛の馬は耳をピンと立て彼女の方を見つめた。そして、何かを思い出したように一直線に彼女の元へかけ出した。

「随分、白くなっちゃったわね」

 仁菜は芦毛の馬の鼻面を撫でる。この馬こそ,ユキノライジン・シュバルツアードラ・ヴァイザァブリッツの父であるタガノテンジンだ。
 仁菜の記憶にあるタガノテンジンは引退して間もない灰色の毛が斑に散らばっていた姿だ。それも年を重ねるごとに白くなる。最早『白馬』と行っても差し支えないほどだ。

「仁菜、俺はみんなの夢を引き継ぐつもりだ」
「夢?」
「ああ、内国産馬による凱旋門賞制覇。その夢を僕は引き継ぐ。だが、一人では無理だ」
「どういうこと?」
「一緒に夢を追い続けて支えてくれるパートナーが必要だ。生涯の伴侶となってくれるパートナーが……」

 斗馬は胸ポケットから小さな箱を取り出した。それを開けると仁菜の前に跪き、差し出した。

「再会して間もないけど、僕の気持ちを受け取って欲しい。そして、僕と共に夢を引き継いでくれないか?」

 それは間違えようもないプロポーズだった。仁菜は驚きと困惑で声が出ない。ただ、口を押さえて息を飲んでいるだけだ。
 そんな仁菜を促すようにタガノテンジンが鼻で背中を押す。彼女が振り返ると、タガノテンジンは喉を鳴らして首を振る。それはまるで『斗馬の言葉を信じてやれ』と言っているようだった。

「本当に私でいいの?」
「君でなきゃダメなんだ」

 その言葉に仁菜は喜びの涙を浮かべて微笑んだ。

「なら、私の答えは一つ……。 あなたと結婚します」

 斗馬は立ち上がると仁菜の左手を取り、薬指に指輪を嵌めたのだった。
 
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