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第10話

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 10月、フランス・パリ某所

 いよいよ、本番の凱旋門賞を迎えた。この日はフランスギャロ主催のレセプションパーティーだ。多くの報道陣がオーナーやブリーダー、ジョッキーたちに話を聞こうと詰めかけている。
 そんな中にあって仁菜は会場から少し離れたホテルのスイートルームにいた。そこである人物と待ち合わせをしていた。

「あ、あの……。なんで、私、メイクされてるんですか?」

 不安げに見上げる雪子に仁菜は優しく微笑む。

「人脈作りだと思って」
「で、でも……」
「ムッシュ・ルブランやオズワルド卿の元にはあなたを紹介してくれないかって問い合わせが入っているそうよ」
「そうなんですか!?」

 驚きの声を上げる雪子。ちょうどその時、呼び鈴が鳴った。仁菜はすぐに向かいドアを開ける。ドアの向こうに立っていたのは赤毛の美女だった。

「チャオ、ニーナ」
「チャオ、ヴァネッサ。紹介するわ、彼女がユキコよ」

 ヴァネッサは興味津々といったふうで、雪子の顔をのぞき込んだ。

「は、初めまして。ユキコ・タカハシです」
「私はヴァネッサ・コンティ。今日はあなたのコーディネイトを頼まれたの」
「え?」
「シークもお待ちかねだし、さっさと始めましょうか」
「お願いね」

 不安げな雪子をよそにヴァネッサは持ってきたスーツケースを開ける。中にしまわれていたのはドレスだ。それを並べ、次々と雪子に合わせていく。

「やっぱり、こっちが良いわね」

 独りごち、雪子に着るように命じる。その間に仁菜はドレスに似合う靴を選んだ。するとどうだろう。雪子から幼さが消え、レディへと大変身を遂げる。

「さすがね」
「お褒めいただき、光栄よ」

 余りの変化に自身でも戸惑う雪子。そんな彼女を励ますように背中を押したヴァネッサだった。

「さぁ、顔を上げて、胸を張りなさい。今夜はあなたの運命が変わるわよ」
「え?」

 呆気にとられる雪子をよそにヴァネッサはどこかに電話をかけ始める。そして、自分も着替え始めるのだった。



 レセプション会場ではリーアムや斗馬がソワソワして待っていた。そこへ仁菜たちのリムジンが到着したとの報が入りホッと胸を撫で下ろす。
 彼女たちはドアマンに案内され、颯爽さっそうと会場内に入ってきた。そんな彼女たちを真っ先に迎えたのはカンドゥーラを身にまとった【砂漠の石油王】サイード・アル・サラディンだ。

「ヴァネッサ、相変わらず美しいね」
「お世辞なら間に合ってるわ、サイード」
「我が愛しの君は手厳しいな」

 そんなやりとりをしながらも、サイードはヴァネッサの腰に手を回し、引き寄せた。ヴァネッサは彼の浅黒い頬にキスをする。すると、サイードは物足りなかったのか、彼女の顎をも上げ唇を重ねた。
 そういう現場に遭遇したことないのか、雪子は顔を真っ赤にして俯く。いつまでもキスをやめそうにない二人を注意するかのように咳払いをする仁菜だった。

「そういうのは寝室に引き上げてからにして下さい」
「ああ、失礼」
「シーク・サラディン……」

 そこに声をかけたのは斗馬だった。緊張しているのだろうか、顔が強ばっている。そんな彼を値踏みするかのようにサイードは斗馬を上から下まで舐めるように見る。

「どうやら、君はお父上とは全く違うようだね」
「え?」
「それはさておき、彼女を紹介してくれないかね?」
「そうでした」

 斗馬は思い出したように、雪子を隣に呼ぶ。雪子は何が何だか分からない様子で斗馬の隣に並んだ。

「高橋、こちらはサクル・サハールのオーナーのサイード・アル・サラディンだ」
「サクル・サハールのオーナー……」

 斗馬に紹介されたサイードは右手を差しだした。その顔には笑みが浮かんでいる。雪子はおずおずと手を差しだし挨拶を交わした。

「君のレースは見させて貰った。素晴らしい騎乗だ」
「あ、ありがとうございます」

 雪子が恥ずかしそうに俯いていると、サイードはささやくように告げた。【今度、うちの馬にも乗って欲しい】と……。突然の申し出に雪子は顔を上げる。サイードは頷き、更に言葉をかけた。

「僕は才能ある者への投資は惜しまない。今度じっくり話をしよう。勿論、トーマを交えてね」

 サイードはウインクをしてヴァネッサを伴い会場の奥へと消えていった。壇上に目をやると出走馬について解説が成されていた。
 まずはエプソムダービーを制したシャンデル・ドゥ・グラスが紹介される。意気込みのほどをアレクセイとジュリアンが語っていた。
 続いて、壇上に上がったのはサイードとバネッサ。実はヴァネッサはサイードが所有するサクル・ハラールの主戦騎手だった。今回はキングジョージⅥ&クイーンエリザベスステークスを獲り、ロンシャンへと乗り込んできたのだ。

「今年こそ、女性ジョッキーによる凱旋門賞制覇を成し遂げてみますわ」

 そう、高らかに宣言する。そんな彼女をまぶしそうに見つめる雪子だった。

「いつか、あなたもあの場所に立つ日が来るわ」
「そうでしょうか?」

 戸惑いがちに尋ねる雪子に仁菜は微笑みかけた。

「あなたに期待を寄せる馬主が現れたわよ」

 そう言われ顔を上げれば、オズワルド・ハワードがグラスを掲げてウインクしてみせる。そして、自分たちの元にやってきた。

「凱旋門賞で君の騎乗が見られると思ったんだがね、ミス・ユキコ」
「オーナーの指示ですので……」
「それは残念。もっと早くに知っていれば、君に馬を用意してやれたんだが……」
「そのお気持ちだけで十分です」

 雪子は少し悲しげな微笑みを浮かべる。オズワルドはそんな彼女の頬にキスをして囁いた。

「予定が空いているようなら、香港国際競走で乗ってくれるかい?」

 突然の申し出に面食らったが、自分をそこまで評価してくれることに嬉しかった。

「帰国後、先生と相談してみます」
「良い返事を待っているよ」

 オズワルドはもう一度雪子の頬にキスをして、その場を離れたのだった。

「オズワルド卿はなんて?」
「香港で自分の馬に乗ってくれないかと……」
「凄いじゃない!」
「でも、私の一存では決められないので保留にさせて貰いました」

 それでも仁菜は雪子が頑張ってきたことが認められて嬉しかった。何より、雪子の顔に笑顔が戻ったことに安心した。
 と、壇上ではソレイユ・ノアールの紹介が始まろうとしていた。

「さて、今度は私の番かしら。ちょっと行ってくるわ」
「仁菜さん、頑張って」

 雪子のエールに手を挙げて答える仁菜は気を引き締め、壇上に上がった。マイクを向けられ、歯切れよく答るた。

「それでは、シャンデル・ドゥ・グラスではなくソレイユ・ノアールが勝つと?」
「可能性はゼロではありません。何より出走するからには勝ちに行きます。もしかすると初の凱旋門制覇は私かもしれませんよ?」

 その言葉に会場が大いに盛り上がる。仁菜は笑顔で壇上を降りたのだった。

「ニーナ、随分大きく出たわね」
「最高峰のレース凱旋門賞。私にはそう何度も巡ってくることはないでしょうから、大口ぐらい叩かせも罰は当たらないわ」
「ふふ、ここで活躍すれば巡ってくるかもよ」
「ええ、そのためにも最善を尽くすわ」
「それは楽しみね」

 二人が会話を楽しんでいると、突然会場に歓声が上がった。壇上にいるのは鷲尾兵馬と津島直哉だ。二人は異口同音でヴァイザァブリッツの状態が良いことを語っている。兵馬に至っては【圧勝することになるだろう】ともまで言っていた。
 会場を見渡せば、ようやく笑顔を取り戻した雪子の顔が強張っている。それを見て斗馬も辛そうにしていた。更に壇上の直哉も二人のその姿に気付いたらしく、目を逸らし俯いていた。

(あの男に思い知らせてやる。自分が度だけ間違った決断をしたかってことを……)

 仁菜は壇上を見つめながら強く拳を握るのだった。
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