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第6話
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大阪・関西国際空港。
大阪湾の洋上に建造されたこの国際空港は西の玄関口だ。今、この空港から一人の女性騎手がヨーロッパに向けて旅立とうとしていた。
「ゆっきー、本当に大丈夫なのか?」
「毅は心配しすぎ」
「そうか?」
「大丈夫だよ。向こうに着いたら斗馬さんと合流するし」
「そっか、斗馬さんが一緒なら心配ないな」
「そうよ」
毅は漸く安心したようだった。すると、彼女の乗る便の搭乗アナウンスが流れる。
「じゃ、行ってくるね」
「おお、頑張れよ!」
彼女はリュックを背負うと搭乗口へと消えていった。毅は彼女の乗る飛行機を見送るべく、屋上へ向かうためその場を後にしたのだった。
飛行機が水平飛行に移り、ホッとした彼女は競馬雑誌をめくり始める。そこには【ヴァイザァブリッツ、凱旋門賞挑戦!!】の大きな見出しが躍っている。そして、記事では【主戦の高橋雪子、既に渡仏】とあり、彼女は気を引き締めた。
彼女こそ、ヴァイザァブリッツのデビュー以来主戦を努めている高橋雪子本人だ。雪子は検疫を受けなくてはならないヴァイザァブリッツに先立って飛び立った。だが、行き先は記事にあるフランスではなく、アイルランドだ。
(アイルランド。ヨーロッパ最大の馬産地……)
雪子は別の雑誌を開き、アイルランドについての知識を頭に入れようとした。だが、すぐに睡魔が襲ってきて、それは1時間と続かなかった。根を詰めることもないと思い、雑誌をしまうとそのまま眠りについたのだった。
アイルランド・ダブリン空港
アイルランドで最も混み合うという国際空港にリーアムは運転手としてかり出されていた。勿論、仁菜も一緒に来ていた。
「なんで、僕がこんなことしなくちゃならないんだ?」
「ムッシュ・ルブランの【お願い】だからでしょ」
ふて腐れるリーアムを一蹴する仁菜。到着までの間に少しでも情報を得ようと、タブレットでヴァイザァブリッツのレース動画を確認していた。正確にはヴァイザァブリッツに乗る騎手を見ていた。その騎手は日本では珍しい女性で、日本初のG1ジョッキーだ。
(重賞はヴァイザァブリッツ以外でも勝ちを挙げている。これは、手強い相手になりそうだわ)
動画に続いて、件の女性騎手の成績を確認しながら物思いに耽っていると、前が陰る。仁菜は眉根を寄せ、顔を上げた。
「熱心に見入っているかと思ったら高橋騎手の記事か……」
「斗馬……」
立っていたのは斗馬だった。仁菜はタブレットをスリープモードにして立ち上がる。その表情は冷淡で何を考えているのか分からない。その様子から斗馬は自分が彼女に許されていないことを痛感する。
「ミスター・トーマ。僕たちは誰を迎えに来たんですか?」
「そういえば話してなかったね。日本の女性騎手だよ」
「女性……」
「それも、日本初の女性G1ジョッキーだ」
斗馬の話を聞いて、リーアムの目が輝いた。仁菜はため息をつき、肩をすくめた。そこへ到着便を伝えるアナウンスが流れる。
「どうやら予定通りの到着のようだ」
「そうですね」
「じゃ、迎えに行きましょうか」
斗馬に紹介された高橋雪子は緊張しているのか無表情だった。リーアムが色々話しかけても短い返事を繰り返すばかりで、リーアムはガックリと項垂れたのだった。そんな様子を見て斗馬は仁菜に囁きかけた。
「彼女、ちょっとしたコンプレックスがあってね。人前では余りしゃべらないんだ」
「え?」
「ジュリアンから聞いていると思うが……」
「それでフランスではなく、こっちに呼んだんだったわよね」
斗馬は眉根を下げて苦笑する。仁菜は肩をすくめると、雪子とリーアムの後を追う。
「リーアム、先に車を取ってきてくれる?」
「わかったよ」
リーアムはホッとしたように駐車場に向かってかけ出す。そんな彼の背中を雪子は済まなそうに見つめている。
「海外は初めて?」
「あ……」
仁菜は敢えて日本語で話しかけた。雪子はかなり驚いたようだった。顔を赤くしてしどろもどろに応える。
「は、はい……」
「じゃ、まずはアイルランドの美味しいものでも食べに行きましょうか」
「え? でも……」
「大丈夫。エスコート役もいるし」
仁菜の笑顔にようやく緊張が解れたのか雪子は笑顔を見せる。結局、四人はダブリン市内で食事をし、アレクシスが所有するアパートメントに向かった。
「ぶちすげぇ……」
「はい?」
玄関ホールを見上げて雪子が零した一言を仁菜は聞き逃さなかった。思わずマジマジと彼女の顔を見やってしまった。彼女は自分の失言に口を手で押さえてオロオロしている。
「【お国言葉】ね」
「はい……。備北の出身なんで」
「備北?」
「広島の……」
仁菜はジュリアンから聞いた話を思い出した。広島県北の出身である彼女はなかなか訛りが抜けず、そのことで同期の男子にからかわれたという。そのことがトラウマになり次第に無口になっていったとも。
「前もって聞いてたけど、こっちでは気にしなくても良いわ」
「え?」
「だって、雪子が話している日本語が訛りが強いって分かる人間はいないもの」
「あ……」
「私と斗馬は別だけど」
それでも、雪子はホッとしたようだった。よくよく話を聞いてみると、雪子が先行してこちらへ来ることにしたのは、英語を話せば良いからだったという。英語なら自分の訛りが出ないので堂々としていられると思ったらしい。そんな彼女に仁菜も最大限協力することを約束した。
長旅の疲れからか、雪子は早々に客室へと引き上げた。リーアムも明朝早く牧場に戻らなければならないと言うことで早々に引き上げている。今に残っているのは仁菜と斗馬だけとなった。
「お疲れ様」
「どってことないわ」
「彼女はこっちでやっていけそうかい?」
「問題ないと思うわ。レース動画もいくつか見たけど、彼女ならこっちの環境にすぐ慣れるはずよ」
仁菜が断言したことで斗馬もホッとしたようだ。だが、すぐにその表情が曇る。
「仁菜、僕はどうしても知りたいことがある」
「なにかしら?」
斗馬は姿勢を正し、仁菜の瞳を真っ直ぐ見つめる。その瞳の奥には懇願するような色が見える。
「君はやはり僕のことを許せないか?」
仁菜は目を瞠る。まさか、そんな質問をされるとは思わなかった。だが、もしかしたらそう思わせるような態度を取ったのかもしれない。
実際、再会したときの態度は褒められたものではなかった。様々な思いが頭の中をぐるぐると回り、言葉が出てこない。すると、斗馬からため息が漏れた。どうやら沈黙を肯定と受け取ったようだ。立ち上がり、自室へと引き上げようと仁菜の横をすり抜けようとした。
「待って!」
仁菜は斗馬の腕を掴んで呼び止めた。
「仁菜?」
斗馬は振り返り、首をかしげる。仁菜は掴んでいた手を離す。すると、今度は斗馬のネクタイを掴み、それを自分の方へと引き寄せる。唇が触れるか触れないかのところで仁菜がしゃべり始める。
「貴方のことなんて大っ嫌い。でも、憎んではないわ」
「仁菜……」
「だって、貴方は私の初恋の人だもの」
驚いた斗馬が言葉を発するよりも早く仁菜の唇が重ねられた。それは触れるだけのキス。すぐに離れてしまう。斗馬が名残惜しげにしていると、仁菜はクスリと笑みを浮かべた。
「おやすみなさい。良い夢を……」
パタンとドアの閉まる音を聞きながら、斗馬は一人途方に暮れたのだった。
大阪湾の洋上に建造されたこの国際空港は西の玄関口だ。今、この空港から一人の女性騎手がヨーロッパに向けて旅立とうとしていた。
「ゆっきー、本当に大丈夫なのか?」
「毅は心配しすぎ」
「そうか?」
「大丈夫だよ。向こうに着いたら斗馬さんと合流するし」
「そっか、斗馬さんが一緒なら心配ないな」
「そうよ」
毅は漸く安心したようだった。すると、彼女の乗る便の搭乗アナウンスが流れる。
「じゃ、行ってくるね」
「おお、頑張れよ!」
彼女はリュックを背負うと搭乗口へと消えていった。毅は彼女の乗る飛行機を見送るべく、屋上へ向かうためその場を後にしたのだった。
飛行機が水平飛行に移り、ホッとした彼女は競馬雑誌をめくり始める。そこには【ヴァイザァブリッツ、凱旋門賞挑戦!!】の大きな見出しが躍っている。そして、記事では【主戦の高橋雪子、既に渡仏】とあり、彼女は気を引き締めた。
彼女こそ、ヴァイザァブリッツのデビュー以来主戦を努めている高橋雪子本人だ。雪子は検疫を受けなくてはならないヴァイザァブリッツに先立って飛び立った。だが、行き先は記事にあるフランスではなく、アイルランドだ。
(アイルランド。ヨーロッパ最大の馬産地……)
雪子は別の雑誌を開き、アイルランドについての知識を頭に入れようとした。だが、すぐに睡魔が襲ってきて、それは1時間と続かなかった。根を詰めることもないと思い、雑誌をしまうとそのまま眠りについたのだった。
アイルランド・ダブリン空港
アイルランドで最も混み合うという国際空港にリーアムは運転手としてかり出されていた。勿論、仁菜も一緒に来ていた。
「なんで、僕がこんなことしなくちゃならないんだ?」
「ムッシュ・ルブランの【お願い】だからでしょ」
ふて腐れるリーアムを一蹴する仁菜。到着までの間に少しでも情報を得ようと、タブレットでヴァイザァブリッツのレース動画を確認していた。正確にはヴァイザァブリッツに乗る騎手を見ていた。その騎手は日本では珍しい女性で、日本初のG1ジョッキーだ。
(重賞はヴァイザァブリッツ以外でも勝ちを挙げている。これは、手強い相手になりそうだわ)
動画に続いて、件の女性騎手の成績を確認しながら物思いに耽っていると、前が陰る。仁菜は眉根を寄せ、顔を上げた。
「熱心に見入っているかと思ったら高橋騎手の記事か……」
「斗馬……」
立っていたのは斗馬だった。仁菜はタブレットをスリープモードにして立ち上がる。その表情は冷淡で何を考えているのか分からない。その様子から斗馬は自分が彼女に許されていないことを痛感する。
「ミスター・トーマ。僕たちは誰を迎えに来たんですか?」
「そういえば話してなかったね。日本の女性騎手だよ」
「女性……」
「それも、日本初の女性G1ジョッキーだ」
斗馬の話を聞いて、リーアムの目が輝いた。仁菜はため息をつき、肩をすくめた。そこへ到着便を伝えるアナウンスが流れる。
「どうやら予定通りの到着のようだ」
「そうですね」
「じゃ、迎えに行きましょうか」
斗馬に紹介された高橋雪子は緊張しているのか無表情だった。リーアムが色々話しかけても短い返事を繰り返すばかりで、リーアムはガックリと項垂れたのだった。そんな様子を見て斗馬は仁菜に囁きかけた。
「彼女、ちょっとしたコンプレックスがあってね。人前では余りしゃべらないんだ」
「え?」
「ジュリアンから聞いていると思うが……」
「それでフランスではなく、こっちに呼んだんだったわよね」
斗馬は眉根を下げて苦笑する。仁菜は肩をすくめると、雪子とリーアムの後を追う。
「リーアム、先に車を取ってきてくれる?」
「わかったよ」
リーアムはホッとしたように駐車場に向かってかけ出す。そんな彼の背中を雪子は済まなそうに見つめている。
「海外は初めて?」
「あ……」
仁菜は敢えて日本語で話しかけた。雪子はかなり驚いたようだった。顔を赤くしてしどろもどろに応える。
「は、はい……」
「じゃ、まずはアイルランドの美味しいものでも食べに行きましょうか」
「え? でも……」
「大丈夫。エスコート役もいるし」
仁菜の笑顔にようやく緊張が解れたのか雪子は笑顔を見せる。結局、四人はダブリン市内で食事をし、アレクシスが所有するアパートメントに向かった。
「ぶちすげぇ……」
「はい?」
玄関ホールを見上げて雪子が零した一言を仁菜は聞き逃さなかった。思わずマジマジと彼女の顔を見やってしまった。彼女は自分の失言に口を手で押さえてオロオロしている。
「【お国言葉】ね」
「はい……。備北の出身なんで」
「備北?」
「広島の……」
仁菜はジュリアンから聞いた話を思い出した。広島県北の出身である彼女はなかなか訛りが抜けず、そのことで同期の男子にからかわれたという。そのことがトラウマになり次第に無口になっていったとも。
「前もって聞いてたけど、こっちでは気にしなくても良いわ」
「え?」
「だって、雪子が話している日本語が訛りが強いって分かる人間はいないもの」
「あ……」
「私と斗馬は別だけど」
それでも、雪子はホッとしたようだった。よくよく話を聞いてみると、雪子が先行してこちらへ来ることにしたのは、英語を話せば良いからだったという。英語なら自分の訛りが出ないので堂々としていられると思ったらしい。そんな彼女に仁菜も最大限協力することを約束した。
長旅の疲れからか、雪子は早々に客室へと引き上げた。リーアムも明朝早く牧場に戻らなければならないと言うことで早々に引き上げている。今に残っているのは仁菜と斗馬だけとなった。
「お疲れ様」
「どってことないわ」
「彼女はこっちでやっていけそうかい?」
「問題ないと思うわ。レース動画もいくつか見たけど、彼女ならこっちの環境にすぐ慣れるはずよ」
仁菜が断言したことで斗馬もホッとしたようだ。だが、すぐにその表情が曇る。
「仁菜、僕はどうしても知りたいことがある」
「なにかしら?」
斗馬は姿勢を正し、仁菜の瞳を真っ直ぐ見つめる。その瞳の奥には懇願するような色が見える。
「君はやはり僕のことを許せないか?」
仁菜は目を瞠る。まさか、そんな質問をされるとは思わなかった。だが、もしかしたらそう思わせるような態度を取ったのかもしれない。
実際、再会したときの態度は褒められたものではなかった。様々な思いが頭の中をぐるぐると回り、言葉が出てこない。すると、斗馬からため息が漏れた。どうやら沈黙を肯定と受け取ったようだ。立ち上がり、自室へと引き上げようと仁菜の横をすり抜けようとした。
「待って!」
仁菜は斗馬の腕を掴んで呼び止めた。
「仁菜?」
斗馬は振り返り、首をかしげる。仁菜は掴んでいた手を離す。すると、今度は斗馬のネクタイを掴み、それを自分の方へと引き寄せる。唇が触れるか触れないかのところで仁菜がしゃべり始める。
「貴方のことなんて大っ嫌い。でも、憎んではないわ」
「仁菜……」
「だって、貴方は私の初恋の人だもの」
驚いた斗馬が言葉を発するよりも早く仁菜の唇が重ねられた。それは触れるだけのキス。すぐに離れてしまう。斗馬が名残惜しげにしていると、仁菜はクスリと笑みを浮かべた。
「おやすみなさい。良い夢を……」
パタンとドアの閉まる音を聞きながら、斗馬は一人途方に暮れたのだった。
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