陽気な吸血鬼との日々

波根 潤

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「さよなら」

五十七、

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 バイトが終わって空を見上げたが、雲が厚くて月は見えなかった。先週半ばに梅雨入りしたそうだが、空梅雨なのかあまり雨が降らない。ただ、肌に触れる空気は湿っていてどんよりとしていた。

(天気は関係ないって言ってたっけ。)

天気は直接は関係ないが、前回は雨によって日付け感覚が狂って帰りそびれたと言っていた。しかし、今日は俺も満月の日を調べたしケリーも知っている。今夜が確実にお別れの日なのだ。バイトを休もうかとも思ったが、普段の日常を崩したくないのと、寂しさを紛らわしたくて休まなかった。
 しかし、今日一日夜が近づくにつれて焦る気持ちが沸いてきて、バイトの時間は時計ばかり見ることになってしまって少し後悔した。
 
(早く帰ろう。)

 最寄り駅に着いて、できるだけ早足でアパートに向かった。



 アパートが見えてくると、部屋から漏れる明かりを見て切なくなった。
 ドアの前に立って、心を落ち着かせるように深呼吸をする。普段通りにケリーとテテと向き合えるように。

(よし。)

意を決して、ドアを開けた。

「ただい……え?」
「おかえり!清飛!」
「ぴゃー!」

いつものように出迎えてくれるテテと、その後ろに立つケリー。だが、その様子を目にしてつい固まってしまう。なんら変わり無い日常なのに、一つ大きく違っていることがあった。

「その、姿……」
「ちょっとね、久しぶりに戻ってみた」
「そっか、そうだったね……」

白に近い金髪と宝石のような青い瞳ーーすっかり忘れていたケリーの本来の姿がそこにあった。身長も伸びて、いつもより視線が上を向く。見慣れない姿から聞き慣れたケリーの声が聞こえて、少し混乱した。普段通りに向き合おうと思っていたのに、思ってもいなかった光景にそんな思いは吹き飛んでいってしまった。
 しかし、ローブは脱いでおり、いつものエプロンをつけているのでなんとなくそれが普段のケリーらしくてホッとする。

「この姿嫌?変わろうか?」
「いや……大丈夫」

にこやかだが、少し不安げな表情で問われ咄嗟に断る。姿を変えるにも血が必要なのだし、わざわざ変化させるのも忍びない。そもそも俺が嫌だと思う資格なんてなかった。
 それに、当然だがもうケリーは日本人の姿でいる必要は無いのだ。どのように帰るのかは知らないが、満月が関係しているのだから飛んでいくのだろう。コウモリになるなら外見を偽らなくても人間を驚かせることはないし騒ぎになることもない。
 だが、あの姿のケリーを見られるのは今朝が最後だったのかと胸の中に寂しさが広がった。

(写真とか、残しておけば良かったかな。)

そんな考えが浮かんだが、吸血鬼がカメラに写るのかは疑問だった。

「ぴゃ?」
「テテ」

ケリーの姿は変わっても、テテの姿はいつも通りだった。首を傾げる様子が可愛くて、見ていると寂しさが解れる。手を洗ってベッドを背に座ると、テテが近寄ってきて腕をつたって肩の上に乗った。

「テテ、ケリーのこの姿久しぶりに見たね」
「ぴゃー」
「テテからしたらこっちの方が見慣れた姿だよね」
「ぴゃ!」
「そうだね、かっこいいね」
「なーに?俺の話?」

ケリーが晩ごはんを運んできた。どんぶりを二つ。中身は親子丼で、初めて晩ごはんを作ってくれた時と同じだと、懐かしくなった。テテの晩ごはんはおにぎりだった。ほぐした鮭や炒り卵が入ってて、彩りが良い。

「いただきます」
「いただきます!」
「ぴゃー!」

 とろりとした卵と、柔らかい鶏肉、しっかりと煮込まれてくたくたになった玉ねぎと出汁が染み込んだ白米が口の中に広がった。ケリーが作る物はなんでも美味しかったが、和食はピカイチだと思う。

(日本、好きなんだろうな。)
「美味しい」
「良かった!初めて作った時も美味しそうに食べてたなって思って」
(覚えてたんだ)

俺の様子を思い出して、今日の晩ごはんに作ってくれたのだろうか。
 親子丼を口に運びながら、ケリーをじっと見る。部屋に入ってきた瞬間は混乱したが、声も仕草も話し方も全部普段通りで脳が「目の前にいるのはケリーだ」と完全に理解していた。

(さっきまで寂しかったけど、なんだか嬉しい。)

最後にケリーの本来の姿で一緒に過ごせたことが嬉しかった。

「予定より一ヶ月帰る日が延びたけどさ」
「うん!」
「楽しかった?」 
「楽しかった!」

迷う素ぶりも無くそう言われて、お世辞なのかもしれないがホッとした。こんな何も無いような田舎で、俺なんかに家事させられて、楽しい要素なんて無いはずなのに、先程のケリーの言葉には少なからず明るい気持ちが乗っていて嘘ではないのだなということはわかった。「また来る?」と聞けば、もしかしたらあっさりと「もちろん!」と答えるかもしれない。しかし、それを聞く勇気は無く、

「楽しかったなら、良かった」

とできるだけ笑みを浮かべてそう言った。
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