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忘れていたこと
四十一、
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「いつまで?」
「もしかして遠い親戚とかかなと思ってたけど、話聞く限りそうじゃないんでしょ。なんで島崎さんって帰らないの?」
その言葉に頭の中が真っ白になった。清水に自分のことを指摘されたことも、目の前の弁当のこともすっぽりと頭から抜け落ちてしまった。
(なんで、帰らないって……。)
ケリーは吸血鬼で、でも人を怖がらせたく無いから誰彼構わず血を吸うことは出来なくて、事情を知っている俺とアパートにいるのは都合が良くて、だからずっと一緒に住んでいる。日本に旅行に来ていて、お金も用意していた血液も無くなったのに、元いた世界に帰りそびれたからだ。
そして、帰ることができる日まで暫く居候させてくれと言われていた。そのことを、すっかり忘れていた。
「杉野?どうした?」
「清水、月の満ち欠けってさどのくらいの周期だっけ?」
「え、突然なに?……約一ヶ月のはず。前の満月から再び満月になるのは一ヶ月くらいかかる。って、杉野が知らない訳ないでしょ」
困惑した様子でそう言われるが、確かに知らない訳では無かった。美恵子さんに言われるからきちんと勉強はしてるし、このくらいの知識は知っていて当然だった。だけど、そのことをすんなりと受け入れることを脳が拒否していた。
ケリーは満月の夜に元いた世界に帰ることができる。
(ケリーとの同居生活は永遠に続くものではなかった。)
そう認識した途端、何も無い空間に放り出されたような気分になった。今まで頼りきって、寄りかかっていた存在がふっと消えていなくなるような、そんな感覚。それはお母さんがいなくなった時の感覚に似ていた。だが違ったのは、身を引き裂かれるような激しい痛みではなくて、じんわりと心に針を刺されるような徐々に蝕んでいくような痛みを伴ったことだ。ドクンドクンと、心臓が強く脈打つ。
「杉野?」
慌てたように動き出した俺に清水が声をかけるが、それに対しての反応はできなかった。スマホを取り出して月の満ち欠けについて検索する。指先が冷たく、慣れた行為の筈なのに、「月の満ち欠け」とその一言だけを入力するのに二、三度誤字して、ようやく知りたかった情報を得た。
「……一週間」
「え?」
「あと一週間で、ケリーは出て行く」
表示された日付けは今日から丁度一週間後だった。
その後、清水から何か言われたような気がするが全く頭に入らなかった。それどころか、午後の授業の記憶も放課後になってバイトに向かった記憶も殆ど無く、なんとなく見えている物が移り変わっていくだけで気づいたらその場所にいた、という感じだった。
帰り道、最寄駅に着いてアパートまで歩いていても心が切り離されたようにどこか別の場所にあった。逆に頭の中は妙に冷静で、ケリーのこれまでの行動を振り返って納得していった。
ケリーから次の満月の時まではと言われた時は(それくらいならいいか。)と気にも留めていなかった。だから、自分にとっては重要なことではないと、覚えていようともしていなかったと思う。その結果、いきなり目の前に迫った現実にどうしたらいいかわからなくなった。
今まで、なんであんなに色々としてくれるんだろうと思っていた。家事だったり、テスト期間には勉強を教えてくれたり、お茶やココアを入れてくれたり。いくら料理の仕事をしてたとしても毎日の献立を考えて作るのは負担だろうし、他の家事なんてもってのほかだ。それが俺と暮らす限り永遠と続くなんて嫌でしかないだろうし、一ヶ月で済むと思ったから耐えられたのだろう。恩人だとか言っていたが、俺が気を悪くして出て行けと行ったら向こうにとっては住む場所が無くなるだけではなく、血を吸える相手もいなくなるのだ。吸血鬼にとっては死活問題だし、それくらいは仕方ないと思っていたのかもしれない。
(でも、じゃあ優しくしないでほしかった。)
血を吸う時に背中を撫でてくれること、母の命日のことを伝えた時に肩を抱いてくれたこと、テストが終わった日に大量の唐揚げを作ってくれたこと、お墓参りに着いて来てくれたこと、いつも優しい笑顔で接してくれたこと。俺の機嫌を取るためにそこまですることなかった。俺は日々の家事だけで十分感謝していたし、血を吸われることにも抵抗無かった。やはりケリーは元々の性格が優しいのだろう。いくら面倒事を押し付けられたとしても、目の前にいる人が苦しんでいたら自然と助けようと動く、そんな優しい吸血鬼。
その優しさが辛いと思う日がくるとは思わなかった。最低限の家事だけしてあっさりといなくなってくれたら「これからまた全部自分でしなきゃいけないのか」とげんなりするだけだっただろうに。今の俺はケリーがいなくなるのが寂しくてたまらない。
だけど、引き留めようとも思わない。
吸血鬼が家族とどのくらい繋がりがあるから分からないが、むこうにも友達はいるだろうし待ってる吸血鬼もいるはずだ。たった一ヶ月足らず一緒にいた人間の為にこっちに残るなんて、しかもまた住まわせてもらうからと家事をしようとするなんてあってはならない。
「もしかして遠い親戚とかかなと思ってたけど、話聞く限りそうじゃないんでしょ。なんで島崎さんって帰らないの?」
その言葉に頭の中が真っ白になった。清水に自分のことを指摘されたことも、目の前の弁当のこともすっぽりと頭から抜け落ちてしまった。
(なんで、帰らないって……。)
ケリーは吸血鬼で、でも人を怖がらせたく無いから誰彼構わず血を吸うことは出来なくて、事情を知っている俺とアパートにいるのは都合が良くて、だからずっと一緒に住んでいる。日本に旅行に来ていて、お金も用意していた血液も無くなったのに、元いた世界に帰りそびれたからだ。
そして、帰ることができる日まで暫く居候させてくれと言われていた。そのことを、すっかり忘れていた。
「杉野?どうした?」
「清水、月の満ち欠けってさどのくらいの周期だっけ?」
「え、突然なに?……約一ヶ月のはず。前の満月から再び満月になるのは一ヶ月くらいかかる。って、杉野が知らない訳ないでしょ」
困惑した様子でそう言われるが、確かに知らない訳では無かった。美恵子さんに言われるからきちんと勉強はしてるし、このくらいの知識は知っていて当然だった。だけど、そのことをすんなりと受け入れることを脳が拒否していた。
ケリーは満月の夜に元いた世界に帰ることができる。
(ケリーとの同居生活は永遠に続くものではなかった。)
そう認識した途端、何も無い空間に放り出されたような気分になった。今まで頼りきって、寄りかかっていた存在がふっと消えていなくなるような、そんな感覚。それはお母さんがいなくなった時の感覚に似ていた。だが違ったのは、身を引き裂かれるような激しい痛みではなくて、じんわりと心に針を刺されるような徐々に蝕んでいくような痛みを伴ったことだ。ドクンドクンと、心臓が強く脈打つ。
「杉野?」
慌てたように動き出した俺に清水が声をかけるが、それに対しての反応はできなかった。スマホを取り出して月の満ち欠けについて検索する。指先が冷たく、慣れた行為の筈なのに、「月の満ち欠け」とその一言だけを入力するのに二、三度誤字して、ようやく知りたかった情報を得た。
「……一週間」
「え?」
「あと一週間で、ケリーは出て行く」
表示された日付けは今日から丁度一週間後だった。
その後、清水から何か言われたような気がするが全く頭に入らなかった。それどころか、午後の授業の記憶も放課後になってバイトに向かった記憶も殆ど無く、なんとなく見えている物が移り変わっていくだけで気づいたらその場所にいた、という感じだった。
帰り道、最寄駅に着いてアパートまで歩いていても心が切り離されたようにどこか別の場所にあった。逆に頭の中は妙に冷静で、ケリーのこれまでの行動を振り返って納得していった。
ケリーから次の満月の時まではと言われた時は(それくらいならいいか。)と気にも留めていなかった。だから、自分にとっては重要なことではないと、覚えていようともしていなかったと思う。その結果、いきなり目の前に迫った現実にどうしたらいいかわからなくなった。
今まで、なんであんなに色々としてくれるんだろうと思っていた。家事だったり、テスト期間には勉強を教えてくれたり、お茶やココアを入れてくれたり。いくら料理の仕事をしてたとしても毎日の献立を考えて作るのは負担だろうし、他の家事なんてもってのほかだ。それが俺と暮らす限り永遠と続くなんて嫌でしかないだろうし、一ヶ月で済むと思ったから耐えられたのだろう。恩人だとか言っていたが、俺が気を悪くして出て行けと行ったら向こうにとっては住む場所が無くなるだけではなく、血を吸える相手もいなくなるのだ。吸血鬼にとっては死活問題だし、それくらいは仕方ないと思っていたのかもしれない。
(でも、じゃあ優しくしないでほしかった。)
血を吸う時に背中を撫でてくれること、母の命日のことを伝えた時に肩を抱いてくれたこと、テストが終わった日に大量の唐揚げを作ってくれたこと、お墓参りに着いて来てくれたこと、いつも優しい笑顔で接してくれたこと。俺の機嫌を取るためにそこまですることなかった。俺は日々の家事だけで十分感謝していたし、血を吸われることにも抵抗無かった。やはりケリーは元々の性格が優しいのだろう。いくら面倒事を押し付けられたとしても、目の前にいる人が苦しんでいたら自然と助けようと動く、そんな優しい吸血鬼。
その優しさが辛いと思う日がくるとは思わなかった。最低限の家事だけしてあっさりといなくなってくれたら「これからまた全部自分でしなきゃいけないのか」とげんなりするだけだっただろうに。今の俺はケリーがいなくなるのが寂しくてたまらない。
だけど、引き留めようとも思わない。
吸血鬼が家族とどのくらい繋がりがあるから分からないが、むこうにも友達はいるだろうし待ってる吸血鬼もいるはずだ。たった一ヶ月足らず一緒にいた人間の為にこっちに残るなんて、しかもまた住まわせてもらうからと家事をしようとするなんてあってはならない。
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