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終章 All You Need is Love
<side-SHINO>
年度が、開けた。
前年度は、クリスマスから年末にかけて、薫風の売り出しに全力を注ぎ、素晴らしい成果を得られた年になった。
薫風は見事流通販路が開け、定期的な販売に結びついている。
俺はと言えば、相変わらず全国を駆けずり回りながら魅力溢れる新たな酒を追い求めつつ、柿谷酒造の立て直しにも奔走していた。
正月休みは妹の嫁ぎ先に呼ばれて過ごし、二月の俺の誕生日には、晴俊が随分遅くまで俺の長電話に付き合ってくれて、独ぼっちで過ごす寂しさも、家族がそれとなくフォローをしてくれて、何とか乗り切った。
年度が変わると日本酒課にも新人が入ってきて、俺はその子の教育係に任命され、今ではよくそいつと飲みに出かけている。
そうそう。
隣にも、新しい人が入居した。
看護師さんだという二十歳代の女性だ。
なんだか、妙なテンションで引っ越しの挨拶に来ていた。
俺は・・・内心、ちょっと複雑で。
こうなったらもう、本当に千春はここに帰って来られない訳で、俺と千春を結んでいた最後の糸が完全に切れたような気がした。
この冬の出来事は、本当にひと時の夢だったんじゃないかと思う。
だけど、俺は今じゃ街を通っていてもスカウトに声をかけられるぐらいにまで容姿が変わって、家のクローゼットにはあの黒革のロングコートがかかっている。
千春はこの世に存在していたし、俺の傍にいてくれた。確かに。
あれから以後、本屋なんかに立ち寄る度、無意識にではあるが『澤清順』の名前を探している自分がいた。
だが、一時頻繁にマスコミに登場していた澤清順は、ここ数ヶ月パッタリとメディアの前から姿を消した。
本当に、夢のように消えてしまった。
川島は「いつまでも引きずってないで、新しい恋を探せよ」と言ってくれたが、むろんそんな気にはなれなくて。
いつか、千春以上に好きになれる人が本当に現れるのか、全く自信がなかった。
でも、人が失恋しても、世の中は動いて行く訳で。
日常は待ってはくれなかった。
それなりに仕事も忙しくて。
それなりに日常が過ぎて行って。
俺が毎月一万円札を入れているミッキーマウスの形をしたクッキーの空き缶は、行く宛のない不安さを俺に訴えているようだった。
その日は、朝から直接出先に向かい、やっと帰社できたのは2時を回った頃だった。
俺は肩を叩きながら、カフェテラスに向かう。
遅めのランチだ。
案の定、日替わり定食はもう終わってしまっていて、俺は仕方なくカレーを頼んだ。
俺が呑気に一人でカレーを頬張っていると、田中さんがバタバタと慌ただしく入ってきた。
「あ~! やっと発見した!! 大変、大変!!」
「な、何? どうしたの、田中さん」
「どうしたのじゃないですよ!!」
田中さんは俺の目の前に座ると、一冊の本を俺の前に叩きつけた。
ビクリと俺の身体が跳ねる。
「びっ、びっくりしたぁ~・・・」
「驚いてる場合じゃないんだから。これ、読んで」
「え?」
俺は、本に目を落とす。
『All You Need is Love 澤清順』と印刷してあった。
「これ・・・」
「昨日発売された最新刊です。篠田さんは絶対にこれ、読まなくちゃダメ」
「え?」
「読んだら、分かるから」
田中さん、メチャメチャため口なんだけど(汗)。
「わかったよ。家に帰って、読むから」
「ダメ。今読んで、今」
「今? だって、仕事・・・」
「課長には、また外に出たって言っておきます。休憩室に行って読めば、課長も気付かないから。ね」
「そんなにすぐ読めないよ」
「大丈夫! 凄く面白くて短いから、2時間ぐらいもあれば一気に読める!!」
何だか今日は、田中さん、押してくるなぁ・・・。
「で、読んだら、これ見て」
田中さんはそう言って、本の最後のページに新聞の切り抜きらしき二つ折りの紙切れを挟んだ。
「いいですか? 絶対に、読んだ後で見るんですよ」
田中さんの気迫があまりにも凄いので、俺は反射的に頷いてしまった。
結局俺は、そのまま田中さんに休憩室に連行され、半ば閉じ込められてしまった。
仕方なく俺は、休憩室の自販機でカップのコーヒーを買うと、傍らのベンチに腰掛け、ページを捲った。
出だしは、こう書いてあった。
『男の妹が結婚したのは、初秋の頃のことだった。
彼女は、シングルマザーという苦難をものともせず、しかも新郎は中学時代の初恋の人・・・という周囲を驚かせるものだった。』
小説は、明らかに俺と千春の物語だった。
千春は、本当に俺を小説の登場人物のモデルにしてしまったらしい。
俺は、その小説を読むことで、千春があの夜なんで傷ついていたのかを知った。
昔の恋人、吹越さんに会ったからだ。
しかも、奥さん同伴の吹越さんに、だ。
更に、奥さんは知らなかったとはいえ、千春が傷つくようなことを言った。
小説はフィクションだから現実とは違うところもいっぱいあったけれど、でもそのシーンは多分本当のことだったに違いない。
途中俺が知り得なかった千春の本心が垣間見えて、俺の心はざわめいた。
あの時、千春はこう思っていたんだ、こう感じていたんだと知るにつけ、嬉しく思うことも後悔することもたくさんあって、息苦しかった。
あの時、あの瞬間に戻れれば、きっともっと千春の心を捕まえていられただろうに。
俺が鈍感過ぎて、大切な時間はすでに過ぎてしまった・・・。
話のラストは、こうだった。
男同士の適わぬ恋を諦めかけた主人公に、相手の元々ストレートであった男が「好きだ」と告げる。
主人公は、男のためを思って(そこはあえてぼかされて書かれていなかったが、俺にはそう感じた)、男を拒絶する。
失意にくれたまま主人公の元を去った男は、その後不慮の事故に遭い、死んでしまう。
主人公は、男を失った後悔と悲しみに苦しみ、「来世はきっと結ばれるように」と願いつつ、思い出の地である湖に身を投げた・・・。
「 ── なんだ・・・これ」
俺は読み終わって、そう呟いた。
何で、こんな終わり方なんだ?
「俺は死んでないぜ、千春」
俺は思わず呟いた。
千春は、俺のことをもう死んだと思いたいんだろうか。
それとも、俺と過ごした時間をなかったことにしたいとでも?
けれど分かったのは、主人公が湖に佇み、たくさんの『愛』を抱いて、湖に沈んだってこと。
『分かってほしい。僕はあなたを困らせたくはなかった。
あなたへの愛が、僕を弱くして、くじけさせた。
本当に悪いのは、僕だった。
素直になれないくせに、あなたを愛することを諦め切れなかった僕のせい。
だけど愛してる。
こんなにも、愛してる。
愛こそが全てだと、今、僕は学んだ。
僕は黙って逝くよ。
そちらの世界で出会えることは不可能なのかもしれないけれど、せめて来世で。
どちらかが違う性で生まれてくることができれば、僕らはこれほど苦しまずに済んだんだ・・・』
「何なんだよ、ちくしょう! あいつは、バカか?!」
俺にはあんなにネガティブ発言は許さないと言っておきながら。
小説丸ごと一冊で、究極のネガティブ発言をするなんて。
恋愛塾の塾頭の名が泣くってもんだ!!
俺は、ビートルズの名曲『All You Need is Love』を思い起こしてた。
あの歌って、こんな悲しい歌詞だったか?
曲調からして全然違うじゃねぇか!
俺は、ベンチから勢いよく立ち上がった。
そのせいで、本が床に滑り落ちる。
本を拾おうとして、新聞の切り抜きが飛び出しているのが見えた。
「 ── ああ、これ・・・」
田中さんが「最後に読め」と言っていた切り抜きだ。
俺は、その切り抜きを開いてみた。
何てことはない。テレビ欄の切り抜きだ。
5時からのニュースの時間帯にグルリと赤ペンで丸印がしてあった。
『澤清順、生出演! 新作の全てを語る▷街頭インタビュー 愛こそすべてか? あなたの恋愛観について』
しかも、切り抜きの端っこには手書きで『インタビューの場所は、渋谷スペイン坂』と書いてあった。
「渋谷で、5時?!」
俺は腕時計を見た。
4時半。
間に合うか? ── ギリギリだな。
俺は、何かに弾かれたように、休憩室を飛び出した。
<side-SHINO>
年度が、開けた。
前年度は、クリスマスから年末にかけて、薫風の売り出しに全力を注ぎ、素晴らしい成果を得られた年になった。
薫風は見事流通販路が開け、定期的な販売に結びついている。
俺はと言えば、相変わらず全国を駆けずり回りながら魅力溢れる新たな酒を追い求めつつ、柿谷酒造の立て直しにも奔走していた。
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年度が変わると日本酒課にも新人が入ってきて、俺はその子の教育係に任命され、今ではよくそいつと飲みに出かけている。
そうそう。
隣にも、新しい人が入居した。
看護師さんだという二十歳代の女性だ。
なんだか、妙なテンションで引っ越しの挨拶に来ていた。
俺は・・・内心、ちょっと複雑で。
こうなったらもう、本当に千春はここに帰って来られない訳で、俺と千春を結んでいた最後の糸が完全に切れたような気がした。
この冬の出来事は、本当にひと時の夢だったんじゃないかと思う。
だけど、俺は今じゃ街を通っていてもスカウトに声をかけられるぐらいにまで容姿が変わって、家のクローゼットにはあの黒革のロングコートがかかっている。
千春はこの世に存在していたし、俺の傍にいてくれた。確かに。
あれから以後、本屋なんかに立ち寄る度、無意識にではあるが『澤清順』の名前を探している自分がいた。
だが、一時頻繁にマスコミに登場していた澤清順は、ここ数ヶ月パッタリとメディアの前から姿を消した。
本当に、夢のように消えてしまった。
川島は「いつまでも引きずってないで、新しい恋を探せよ」と言ってくれたが、むろんそんな気にはなれなくて。
いつか、千春以上に好きになれる人が本当に現れるのか、全く自信がなかった。
でも、人が失恋しても、世の中は動いて行く訳で。
日常は待ってはくれなかった。
それなりに仕事も忙しくて。
それなりに日常が過ぎて行って。
俺が毎月一万円札を入れているミッキーマウスの形をしたクッキーの空き缶は、行く宛のない不安さを俺に訴えているようだった。
その日は、朝から直接出先に向かい、やっと帰社できたのは2時を回った頃だった。
俺は肩を叩きながら、カフェテラスに向かう。
遅めのランチだ。
案の定、日替わり定食はもう終わってしまっていて、俺は仕方なくカレーを頼んだ。
俺が呑気に一人でカレーを頬張っていると、田中さんがバタバタと慌ただしく入ってきた。
「あ~! やっと発見した!! 大変、大変!!」
「な、何? どうしたの、田中さん」
「どうしたのじゃないですよ!!」
田中さんは俺の目の前に座ると、一冊の本を俺の前に叩きつけた。
ビクリと俺の身体が跳ねる。
「びっ、びっくりしたぁ~・・・」
「驚いてる場合じゃないんだから。これ、読んで」
「え?」
俺は、本に目を落とす。
『All You Need is Love 澤清順』と印刷してあった。
「これ・・・」
「昨日発売された最新刊です。篠田さんは絶対にこれ、読まなくちゃダメ」
「え?」
「読んだら、分かるから」
田中さん、メチャメチャため口なんだけど(汗)。
「わかったよ。家に帰って、読むから」
「ダメ。今読んで、今」
「今? だって、仕事・・・」
「課長には、また外に出たって言っておきます。休憩室に行って読めば、課長も気付かないから。ね」
「そんなにすぐ読めないよ」
「大丈夫! 凄く面白くて短いから、2時間ぐらいもあれば一気に読める!!」
何だか今日は、田中さん、押してくるなぁ・・・。
「で、読んだら、これ見て」
田中さんはそう言って、本の最後のページに新聞の切り抜きらしき二つ折りの紙切れを挟んだ。
「いいですか? 絶対に、読んだ後で見るんですよ」
田中さんの気迫があまりにも凄いので、俺は反射的に頷いてしまった。
結局俺は、そのまま田中さんに休憩室に連行され、半ば閉じ込められてしまった。
仕方なく俺は、休憩室の自販機でカップのコーヒーを買うと、傍らのベンチに腰掛け、ページを捲った。
出だしは、こう書いてあった。
『男の妹が結婚したのは、初秋の頃のことだった。
彼女は、シングルマザーという苦難をものともせず、しかも新郎は中学時代の初恋の人・・・という周囲を驚かせるものだった。』
小説は、明らかに俺と千春の物語だった。
千春は、本当に俺を小説の登場人物のモデルにしてしまったらしい。
俺は、その小説を読むことで、千春があの夜なんで傷ついていたのかを知った。
昔の恋人、吹越さんに会ったからだ。
しかも、奥さん同伴の吹越さんに、だ。
更に、奥さんは知らなかったとはいえ、千春が傷つくようなことを言った。
小説はフィクションだから現実とは違うところもいっぱいあったけれど、でもそのシーンは多分本当のことだったに違いない。
途中俺が知り得なかった千春の本心が垣間見えて、俺の心はざわめいた。
あの時、千春はこう思っていたんだ、こう感じていたんだと知るにつけ、嬉しく思うことも後悔することもたくさんあって、息苦しかった。
あの時、あの瞬間に戻れれば、きっともっと千春の心を捕まえていられただろうに。
俺が鈍感過ぎて、大切な時間はすでに過ぎてしまった・・・。
話のラストは、こうだった。
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主人公は、男のためを思って(そこはあえてぼかされて書かれていなかったが、俺にはそう感じた)、男を拒絶する。
失意にくれたまま主人公の元を去った男は、その後不慮の事故に遭い、死んでしまう。
主人公は、男を失った後悔と悲しみに苦しみ、「来世はきっと結ばれるように」と願いつつ、思い出の地である湖に身を投げた・・・。
「 ── なんだ・・・これ」
俺は読み終わって、そう呟いた。
何で、こんな終わり方なんだ?
「俺は死んでないぜ、千春」
俺は思わず呟いた。
千春は、俺のことをもう死んだと思いたいんだろうか。
それとも、俺と過ごした時間をなかったことにしたいとでも?
けれど分かったのは、主人公が湖に佇み、たくさんの『愛』を抱いて、湖に沈んだってこと。
『分かってほしい。僕はあなたを困らせたくはなかった。
あなたへの愛が、僕を弱くして、くじけさせた。
本当に悪いのは、僕だった。
素直になれないくせに、あなたを愛することを諦め切れなかった僕のせい。
だけど愛してる。
こんなにも、愛してる。
愛こそが全てだと、今、僕は学んだ。
僕は黙って逝くよ。
そちらの世界で出会えることは不可能なのかもしれないけれど、せめて来世で。
どちらかが違う性で生まれてくることができれば、僕らはこれほど苦しまずに済んだんだ・・・』
「何なんだよ、ちくしょう! あいつは、バカか?!」
俺にはあんなにネガティブ発言は許さないと言っておきながら。
小説丸ごと一冊で、究極のネガティブ発言をするなんて。
恋愛塾の塾頭の名が泣くってもんだ!!
俺は、ビートルズの名曲『All You Need is Love』を思い起こしてた。
あの歌って、こんな悲しい歌詞だったか?
曲調からして全然違うじゃねぇか!
俺は、ベンチから勢いよく立ち上がった。
そのせいで、本が床に滑り落ちる。
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「 ── ああ、これ・・・」
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俺は、その切り抜きを開いてみた。
何てことはない。テレビ欄の切り抜きだ。
5時からのニュースの時間帯にグルリと赤ペンで丸印がしてあった。
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「渋谷で、5時?!」
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