Nothing to Lose

国沢柊青

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 その日の晩は、羽柴の部屋で過ごす最後の晩になった。
 荷造りも終え、主な荷物はすでに宅急便で向こうに送る手配も済んでいた。大きな家具は先ほどリサイクルショップの店員が来て、瞬く間に運び出してしまい、室内はガランとしていた。リビングには、緑色のソファーがぽつんと残っている。
「このソファーはどうするんです?」
  床に直接座ってピザを食べ終わった真一は、空になったケースをゴミ袋に入れながら言った。
 羽柴はニヤッと笑うと、真一の手を引いてソファーに腰掛けた。
「このソファーはお前に貰ってもらおうと思って。真一の部屋になら置けるだろ?」
「え? いいんですか?」
「ああ、もちろん」
 ニコニコと少年のように微笑む羽柴の笑顔に何を思ったのか、真一は眉間に皺を寄せた。
「何を企んでいるんです?」
「何をって・・・、分かるだろ?」
 羽柴はそう言って、真一をソファーに押し倒す。
「床の上じゃ、真一が痛いからさ。態々残しておいた」
 真一の顔がみるみる赤らんだ。
「荷造りの間、そんなこと考えていたんですか?! あなたは?!」
「うん。それしか考えていなかった」
 あっけらかんとしている羽柴の言い草に、真一は言葉を失ってしまう。
 羽柴は、鼻先を真一の鼻先に擦り付けて言った。
「それにこれがお前の部屋にあると思い出せていいだろ? 今夜のこと」
「何を・・・!」
  気恥ずかしさで真一は、右手で顔を覆った。
「今夜は俺達の初夜だ。新婚だもんな」
 クックックと羽柴が笑う。
「もう・・・。あなたって人は」
 指の間から羽柴の顔を見上げる。その真一の手を、羽柴が取り去った。
「そんな俺が好きなんだろ?」
 真一は、羽柴を見つめ続ける。やがて観念したように笑顔を浮かべ、頷いた。
 羽柴が、ゆっくりと真一の唇を奪う。
 静かに、しっとりと、深く。
 真一の手が羽柴の背中に回り、羽柴の身体を確かめるように撫で上げた。
 羽柴は真一の首筋にキスを繰り返しながら、真一の服を脱がせようとしたところで、その手を真一に掴まれた。
「ちょっと待ってください」
「何?」
 羽柴が顔を上げると、いやに真面目な真一の顔があった。
「そう言えば、検査、どうだったんです?」
 羽柴が、きょとんと真一を見つめる。真一は、憮然とした表情ながらも顔を赤面させて言った。
「こんな時に訊くのは悪いと思いますけど、今思い出して・・・。あなたといるとつい楽しくて、真面目なことを考えるのが疎かになってしまうんです」
 羽柴はにっこり笑って、鼻先を真一の鼻先に擦るつける。
「もちろん、陰性でした。真一が過保護なくらい心配してくれるから、陽性なんてことは絶対ないよ」
「そうですか・・・」
 真一の顔が穏やかになる。
 羽柴が再び首筋に舌を這わそうとして顔を埋めると・・・
「ちょっと待ってください」
 またストップがかかる。
「なにぃ~」
 さすがに顔を歪めて、羽柴が不平の声を上げる。真一を見ると、真一は窓の方を見ていた。羽柴もその視線の先を追う。真一の言わんとしていることが判った。
 そう言えば、窓にはカーテンがない。
「あ」
「さすがにカーテンなしでは、勇気がありません」
 人一倍シャイな真一にとっては、確かに無理だろう。
 「でも、したい」と羽柴が呟くと、「僕もしたいです」と珍しく正直に真一が答えてきた。そんな真一を放っておく羽柴ではない。
「羽柴耕造の底力見せてやる」
 羽柴はそう言うと、寝室へのドアを開けておいてから、台詞の意味を咀嚼している真一をソファーに乗せたまま、それごと抱えて寝室に運んだ。
 あまりのことに、真一は目を大きく見開いたまま、ポカンとしていた。
「ここなら、擦りガラスの窓だからいいだろ?」
 羽柴がそう言っても、真一は羽柴の怪力ぶりに呆気にとられた表情のまま羽柴を見つめている。 羽柴は大きく息を吐き、次の瞬間には片膝をついて腰を押えた。
「さっ、さすがに今ちょっと腰にきたかも・・・」
「え!! 大丈夫ですか?!」
 慌てて羽柴に縋る真一を見て、羽柴が低く呟いた。
「真一を歓ばす程度には大丈夫だけど」
 それを聞いて、真一はまたもや自分が担がれたことに気が付いた。
「もう! また僕をからかって! あなたがいつもそうだから、僕は・・・」
 最後まで言うことができない。おかしくて、笑い出してしまう。
 あの聴き心地のいい声で笑う真一を、羽柴が優しく抱き締めた。
「だって俺、お前の笑い声が一番好きなんだ」
 真一も羽柴の背に手を回す。
「あなたといると、僕はすごく自由になれる・・・」
「そうか?」
「ええ」
「じゃ、恥ずかしがらず、自由な感じで、よろしくお願いします」
 その羽柴の言い草に、フフフとまた真一が笑う。
 羽柴は、真一のシャツのボタンに手をかけた。
 真一もまた、羽柴の服を寛がせる。
 ヒーターはかかっているが、少しひんやりとした空気が、二人の熱い素肌に触れていく。
 羽柴がまだ淡い色の右の乳首を甘噛みすると、真一の身体がピクリと跳ねた。
 真一は、右より左の方が感じやすい。そのことを羽柴は知っていて、わざと焦らすように左の乳首に息を吹きかける。
「・・・あ・・・」
 羽柴がちらりと真一の顔を盗み見ると、少しだけ潤んだ真一の瞳があった。真一は羽柴と目が合うと、かたく目を閉じる。
「どうしてほしい?」
 右に愛撫を加えながら、真一の耳元で囁く。真一は、腕で顔を覆いながら緩く鼻を鳴らした。
「それじゃ、判らないよ」
 腕の間から羽柴を見る真一の目が、羞恥でますます潤んでいくのが判る。でも、羽柴の太ももに当たっている真一のものは既に息づき始めていて、すぐに陥落することを羽柴は理解していた。
「・・・左の方にも・・・、触って、ください」
 掠れた声。興奮している証拠だった。
 羽柴は、左の乳首を口に含む。「はぁ」と深い吐息が真一の口から洩れた。
「あっ・・・あ・・・ん」
 密やかなそれでいて官能的な小さな声。
 今まで羽柴が身体を併せてきた者の中でも真一は一番控えめな喘ぎ声を出したが、羽柴には一番セクシーに聞こえる。
 いつもはきちんとしていて抑制的な真一が、羽柴から与えられる快感によって次第に奔放になっていく様が、たまらなかった。
 滑らかな脇腹に手を滑らせて、羽柴は手に何か違和感のあるものが触れたことに気が付いた。目を向ける。バンソーコーだった。
「真一、これ・・・どうした?」
 いつになく真面目な羽柴の声に、真一が顔から腕を退けた。
「あ・・・。虫に刺されたんです。痒くて引っかいたら、血が出てしまって・・・。お願いです。そこには触らないでもらえますか?」
 自然な口調でそう言われ、羽柴はバンソーコーから手を放した。
 真一は、羽柴が真一の体液に触れることに過敏なほど嫌悪を示す。
 それが真一の愛の深さ故と判っているだけに、できればその心の傷に触れてはいけないと羽柴も気を使ってきた。どこかで、なんだか判らないジレンマを抱えながら。
「キスして・・・」
 いつになく甘えた声を上げる真一に応えて、羽柴は狂おしいほど深く唇を重ねた。互いに、貪るように舌を絡める。
 口付けを交わしながら羽柴は、真一の膝頭を掴んで、押し広げた。その間に己の腰を押し進めると、真一の足が絡んできた。
 完全に昂ぶった互いの性器が触れ合う。
「んぁ・・・あぁ」
 痺れるような快感に耐え切れなくなったのか、真一が羽柴の口付けを逃れて喘ぐ。
「お願い・・・ゴムを・・・」
 堪えきれなくなったのか、泣きそうな声で真一が言った。
「もう降参するのか・・・?」
 触れ合わせたまま、少し乱暴に腰を揺する。
「あぁ! あ・・・! ダメ・・・、我慢できないから・・・お願い・・・」
 羽柴は、ソファーのクッションの間に手を突っ込むと、すぐにコンドームの包みを取り出し真一の勃起したペニスに被せた。ゆっくりと愛撫するような手つきで。
 コンドームが欠かせない二人のセックスでは、もはやゴムをつける時こそが一番ドキドキする瞬間となっている。
 恥ずかしがり屋で、その瞬間に決して「イク」なんて大声を上げない真一が、唯一その瞬間を訴えて意思表示を示す言葉だからだ。
「もういいぞ。我慢しなくても・・・」
 羽柴はそう言いながら、自分の指を口で濡らし、真一の腰の奥に指を入れる。
 指先で優しく刺激してやると、真一が汗ばんだ羽柴の身体にしがみ付いてきた。
「は! ああぁ・・・! あぁ!」
 ビクンビクンと真一の身体が震える。
 深い絶頂感を得られたのか、真一はしばらく羽柴にしがみ付いたままでいた。
 羽柴が慎重にゴムを取って、床に転がっているはずのボックスティッシュの箱を探る。ティッシュを数枚取り、それで真一の放ったものを包んで床に置いた。
 濡れ光る真一のペニスを新しく取ったティッシュで拭ってやると、真一の滑らかな腹部がピクリと痙攣して、また脈打つのを感じた。
「なんか、今日の真一、凄いな・・・」
 いつになく感じやすくなっている真一に、羽柴はごくりと唾を飲み込む。
 羽柴は、真一の先が少し触れて濡れた自分の腹部を指で拭った。指で撫でるように触ると少し温かい。その行為は、真一が正気に戻る前までの僅かな時間の羽柴の密やかな歓びだった。
 基本的にウィルスは、空気に触れるとその力をなくす。羽柴が傷ついていない限り、うつることは少ない。
 だが、真一がそれを嫌っていることは確かだ。羽柴はすぐに指を拭う。
「真一、後ろ向いて・・・」
 大きく胸を喘がせている真一をうつ伏せにして、腰を抱える。
 羽柴は真一のアヌスに舌で触れた。
「あ!」
 真一の背中が反り返る。
 羞恥のせいで逃げようとする真一の腰をしっかり押えたまま、執拗に舌を這わすと、内股の陰から垣間見える真一のそこは、再び力を取り戻していた。
 羽柴は、アヌスから下に続く筋に舌を這わせた。真一の性感帯であると判っていたので、ペニスの根元をぐっと握り込んでやる。
「やっ! あぁぁぁぁ!!」
 真一は、まるで悲鳴のような声を上げた。
 恥ずかしいと判っていても、腰が勝手に揺れてしまう。
 羽柴に押さえられていなかったら、確実にまたイッていた。
 真一自身、自分の身体をコントロールできなかった。
 羽柴からされることはなんでも、怖いくらい感じてしまう。気が狂いそうだ。
 羽柴が再び自分のそこにゴムを被せてくれるのを感じた。
 ── 早く欲しい・・・。
 心は変に焦っていたが、素直にそれが口にできない。
 どうしようもなくなって、真一は羽柴の方を振り返る。
 羽柴が大きく怒張した彼自身にもゴムをつけるのを見て、真一は安堵の吐息をついた。
 真一の視線に気づき、羽柴がテレ笑いを浮かべる。真一の背中に逞しい胸板を沿わせながら、羽柴は真一の耳元で囁いた。
「実は、俺も我慢ができないんだ」
 真一は羽柴の頬に口付けた。羽柴も、それが真一のねだっているサインだと知っている。
 次の瞬間には、羽柴の熱い身体と結ばれていた。
「はぁ・・・あ・・・」
 安心したように、柔らかな息が真一の口から洩れる。
「辛くないか?」
 羽柴はいつもそう訊いてくれる。自分のものが、真一の身体に負担をかけていることを気にかけてのことだ。
 ── そんな訳、ないじゃない・・・。
 真一は首を横に振る。
 ── 早く天国に連れて行ってほしい。
 ゆっくりと突かれて、真一の背筋にぞくぞくと寒い快感が脳天まで這い登ってくる。しかし、それとは対照的に自分のそこには、身体中の血液が流れ込んだかのように熱い。まるで心臓がそこに移動したかのように、ドクドクと真一の心を揺さぶった。
「あぁ! う・・・・あ、んん」
 身体の下敷きになっているシャツをかみ締めながら、真一は喘いだ。自分の根元を押さえ込んいる羽柴の大きな手に、自分の手を重ねる。
「イキたいか?」
 荒い息で羽柴が訊いてくる。上ずった声。たまらなく、セクシーな。
「・・・こ、耕造さん・・・は?」
 胸を喘がせながら真一は羽柴を仰ぎ見る。
「ごめん、俺、もうちょっと・・・」
「じゃ、我慢する・・・。その時まで、押えてて・・」
 真一はそう言いながら、羽柴の手に重ねた自分の手を羽柴の腰に滑らせた。
 逞しい筋肉の動き。素晴らしく美しいと真一が焦がれてならない羽柴の身体・・・。
 真一の長い指が羽柴のアヌスを掠めると、「んん・・」と羽柴がうめいた。
 真一は決して指を入れたことはないが、触っただけでも羽柴は感じてくれるようだった。以前は恥ずかしがって真一の愛撫から逃げていたが、最近はそこを触ることを許してくれている。
「ああ・・・、真一・・・」
 真一の身体を抱きしめている右腕に一際力が篭る。
 羽柴の手にペニスを激しく扱かれて、真一もまた仰け反った。
「あぁっ! あっ!」
 最後はどちらの声か判らなかった。
 脱力した二人の身体が、ソファーに突っ伏す。
 羽柴は身体を繋いだまま、身体を入れ替えて真一を自分の身体の上に抱え上げた。そうしないと、大の男二人の身体はソファーから転げ落ちてしまう。
「ゴムを始末しないと・・・」
 汗塗れの顔を上げてそう言う真一に、額に張り付いた髪を掻き上げてやりながら羽柴は言う。
「少々のことじゃ洩れないさ。もう少しこのままでいよう」
 真一は安心したように微笑むと、羽柴の胸に頬をつけた。まるで羽柴の心臓の鼓動を聴いているような仕草だった。
「 ── なぁ、真一」
「ん?」
「真一」
「何?」
「・・・真一」
「どうかしましたか?」
 真一が顔を上げると、ニヤけ顔の羽柴がいた。
「名前を呼ぶと、締め付けてくる」
 羽柴が何を指して言っているかを理解した真一は、瞬時に顔を赤面させて、羽柴を叩くかのように腕を振り上げた。ハハハと羽柴が声を上げて笑う。
 真一とて、羽柴にそんな風に笑われたら、そこから響いて感じてしまう。
 互いにまた昂ぶってくるのを感じて、二人は目線をあわせた。
 羽柴が、クッションの下を探る。
「くそ」
 羽柴は舌打ちして身体を起こした。
 向かい合って座るような体勢になる。
「どうしました?」
「ゴムがもうない。バカだな、俺は。補充しとくの忘れてた」
「そうなんですか・・・。それではもう今日は、これでおしまいですね」
 真一が切なそうな表情を浮かべる。
 そんな真一をいつになく真摯な瞳で見つめながら、羽柴が言った。
「真一、ゴムなしでやるか」
 その瞬間、真一は言葉をなくし、息を飲む。
「俺は、いいんだぞ」
 羽柴のその言葉に、様々な意味と感情が込められていることに、真一はすぐに気がついた。羽柴の澄み切った瞳が心に痛い。
 真一は、両手で自分の顔を覆った。
 ── ああ、なんて愛情をこの人は与えてくれるのか・・・。
 幸せすぎて、涙が堪えられない。
「泣くな、真一・・・。泣かないでくれ・・・」
 そう言う羽柴の声の方が涙で濡れていた。
 真一が顔を上げると、羽柴の瞳から大粒の涙が零れ落ちた。
 真一は、その涙に口付ける。そうしてぎゅっと羽柴を抱き締めた。
「俺は、本気だぞ・・・」
 真一の耳元にキスをしながら、羽柴が囁く。「判っています・・・」と真一は何度も繰り返した。
 ── この人に出会えたことは、まさに人生の奇跡。
 真一は身体を放すと、真っ直ぐに羽柴を見つめた。
「でも、ゴムがなくてはダメです」
 悲しそうに歪む羽柴の頬を両手で包みながら、真一は羽柴にキスをする。
「あなたがそう言ってくれることが僕に対する深い愛情の証であるように、ゴムがないとダメというのが僕のあなたに対する愛情なんです。判ってください」
 感極まったのか、羽柴の目から涙が溢れ出てくる。羽柴の腕が、真一を抱き締めた。
「許してくれ・・・。すべてを分かち合うことができない俺を、許してくれ・・・」
「何言ってるんですか。こんなに僕を幸せにしておいて、まだそんなこと言うんですか。これ以上幸せになったら、僕は狂い死んでしまいますよ」
 真一が微笑む。
 何度も何度もキスをして、真一はふと床に転がる羽柴の腕時計を見た。
「今何時です?」
「え?」
 真一が腕時計を拾った。
「9時、15分前・・・」
 羽柴もやっと閃いたらしい。
「近所のドラッグストア、まだ開いてるよな」
「ええ、多分」
 羽柴が、真一から身体を慎重に抜いて立ち上がった。ティッシュを取り、もどかしそうにコンドームを取る。
「新しいの買ってくる!」
 ドタバタと羽柴は寝室を走り出ていく。
 床に散らばったままの羽柴の服を見て、真一は顔を青くした。
「耕造さん! 服!!」
 玄関のドアがバタンと閉まる音がして、ドタドタと羽柴の足音が寝室に帰ってくる。
「外出たら、異様に寒かった」
 そう言って服を着込む羽柴を見て、真一は笑った。今まで生きてきた中で、真一が一番大笑いした瞬間だった。


 出発ロビーで、羽柴は人目も憚らず、真一を抱き締め続けた。
「耕造さん・・・、会社の人、見てる・・・」 
  腕の中でもがく真一に、「構うものか」と羽柴は真一を抱き締め続けた。 
  二人の向こうでは、一人だけで見送りに来ていた稲垣が、居心地悪そうにそっぽを向いている。 ジェラルミン製の旅行鞄の上には、タキシードの入ったスーツバッグが置かれていた。
「あんまり帰って来れないかもしれないけど、5月頃なら一度帰れるとは思うから・・・」
 涙ぐんだ声の羽柴に、真一の方がハハハと笑って羽柴の腕を撫でた。
「やだな、しんみりとしないでくださいよ」
「お前、案外平気だな」
 羽柴が、身体を離して真一の顔を覗き込む。
「だって、大げさなんだもの」
「そうだな。一生会えない訳じゃないんだし・・・」
 互いに微笑みあった時、申し訳なさそうに稲垣が「羽柴、時間だぞ」と声をかけた。
「え? もう?」
 羽柴と真一が、同時に電光掲示板を見上げる。
 掲示板は、羽柴の乗るニューヨーク行きの便の搭乗手続きが開始されたことを告げていた。
「じゃ、行くな」
「ええ」
「向こうについたら、すぐ連絡先を教える。メールのやり方教えてやったんだから、毎日送れよ」
「了解しました」
 羽柴が荷物を手にとって、歩き始める。
 羽柴の姿が人込みに消えたと思ったら、バタバタと走って帰ってきた。
「忘れ物!!」
 羽柴は息をついてそう言うと、荷物を放り出して真一を抱き締め、情熱的なキスをしたのだった。
 稲垣がぎょっとしているのは分かっていたが、そんなことはどうでもよかった。
 真一も感慨深かったのか、羽柴の舌を切なげに追いかける。
 涙の滲むようなキスをして、羽柴は去っていった。実に羽柴らしい笑顔を浮かべて。
 ── 笑顔が見られてよかった・・・。
 真一はそう思いながら、飛び立つ飛行機を見つめ続けたのだった。
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