Amazing grace

国沢柊青

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act.34

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 月曜日の朝は、いつものように慌しい。
 特に今朝は寒波が一気に南下してきて、いたるところの水道管が凍りつき、朝から街中が大騒ぎだった。
 ドースンは白い息を吐きながら、怒鳴りあっている水道管工事業者と住民との間を掻い潜るようにして、ごく標準的なアパートメントの入口にある5号室のブザーを押した。 
「おい、ハロルド! ドースンだ。開けてくれ」
 インターホンに向かって怒鳴ってみたが、口が悴んでちゃんと声にならなかった。身体の芯が冷えている。血糖値が落ちているかもしれない。
 ドースンは胸のポケットからチョコバーを出しながら、もう一度ブザーを押した。返事はない。
 相手が、一回や二回ブザーを押しただけで応対してくるような奴ではないことは、十分承知だった。
「テクノポリスの2月号買ってきてやったぜ」
 インターホンにそう声をかけると、しばらくの沈黙の後、何の前触れもなくドアの鍵が開く音がした。
 ドースンはチョコバーに齧り付きながらドアを開け、中に入った。
 古めかしい階段を上り、一番目のドアをノックする。
 魚眼レンズからこちらを伺う気配がして、ようやくドアが開いた。
 中背の少々肉付きがよい色白金髪の男が立っていた。
 無造作に伸ばされた髪の毛はおしゃれというよりは、不可抗力で伸びてしまったという雰囲気である。
 ハロルドは、あれだけドアを開けるのを警戒していたくせに、ドースンが部屋に入ると意外に愛想のいい顔をしてみせた。
「雑誌はどこだい?」
 本当のところを言うと、ドアが開くまでのあの間は、警戒していたのではなく、ただ単にパソコンの前から離れるのが億劫なだけなのだ。ドースンはそれをすべて知っている。
 ドーソンが小脇に抱えた紙袋を渡すと、ハロルドは夢中になって紙袋を破り開けた。
「毎回すまないな、助かるよ」
 パソコンオタクが夢中になって読む人気雑誌の表紙をうっとりと眺めながら、ハロルドはそう言った。
 この、今年36歳になる色白の男、ハロルド・キンブルは、根っからのパソコン好きで、滅多に外出しない。
 食料品はデリバリーサービスを利用し、生活に関わる上で発生する支払いはすべてパソコン上で処理をする。彼の消費している生活費の殆どは電気代や通信費に消え、むしろ彼はそれを喜びとしている。
 学生時代は、勉強に勤しむよりもっぱらハッキングに夢中になり、落第しそうになると、学校のネットワークシステムに侵入して成績を改ざんし、“無事”卒業した。
 現在は、マニアが好むようなソフトウェアを作成したり、時には違法なデータ抽出やコピーなどをして生計を立てている。意外に儲かるビジネスらしい。
 彼の好む雑誌は、人気が高い割に発行部数が少ないので手に入りにくい。得意の“物臭”で定期購読の申し込みもしていないから、時々ドースンがこうして貴重な雑誌を買って持ってくることを事のほか喜ぶのだ。だからドースンが、少々無理な注文をしても大抵聞いてくれる。
 まるで社会性がないこのパソコンオタクとドースンがどうして知り合いなのかは、彼らの過去を振り返ればわかる。
 早い話が幼馴染なのだ。
 だが、新聞社の多くの同僚は、ドースンにそんな友人がいることなど知らない。知っているのはレイチェルぐらいのものだった。
 親指の爪を齧りながら雑誌を読みふけるハロルドの前に椅子を置いて座ると、ドースンは、ハロルドの膝を丸めた新聞で叩いた。
 ハロルドが顔を上げる。
「わかってるよ、ケヴィン。一体今度は何を探って欲しいんだ?」
 しつこく雑誌を持ったまま、パソコン前に移動するハロルドの後に続き、ドースンは言った。
「FBIのデータベースに侵入できるか? CIAでもいい」
 パソコン前の椅子に腰掛たハロルドの動きが一瞬止まり、やがて彼はゆっくりと振り返った。
「それ、本気で言ってるのか?」
「ああ。好きだろ、そういうの」
 椅子の後ろに立つドースンは自信たっぷりにそう返す。ハロルドは「やれやれ」と首を横に振って溜息をついた。
「いくつの回線を経由させないといけないと思ってるんだ? そんなの雑誌だけじゃ割に合わない」
 ハロルドがそう言ってくるのは十分わかっていた。
 ドースンは懐から小さく畳んだ紙切れを取り出した。
「身長165センチ、サイズは上から95、63、98。ブルネットのダンサー」
 ハロルドが、目の色を変える。
「セックスの上手い下手にかかわらず、一週間付き合ってくれるとさ」
 ハロルドがドースンの手から、女性の連絡先が書かれてある紙切れを奪い取ろうとする。ドースンは、タイミングよくそれを上にあげた。
「もちろん、成功報酬」
 まったく、新聞記者はこれだから嫌だよ、とハロルドがぼやいてパソコンの画面に向き合った。 
「前も侵入したことがあるって言ってたじゃないか。簡単だろ?」
「バカ言えよ、どれぐらい前の話だと思ってるんだ」
 ハロルドはそう言いながらも、迷いのない動きでキーボードとトラックパッドを操った。
「で、何を調べたらいいんだ? アクセスしたら5分もはそこにいられない。追跡システムが作動するからな。各国のターミナルを7つぐらい経由させるとして、それでも10分稼げたらいい方だろう。刑務所はごめんだぜ」
「この男のことを調べてくれ。国際手配がされているはずだ。有名なIRAの戦闘員だった男らしい」
 ドースンは、キーボードの隣にジェイク・ニールソンの名が書かれたメモ用紙を置いた。ハロルドが鼻を鳴らして笑う。
「オーケー、それぐらいの情報があったらすぐさ」
 いくつかの複雑なプロテクトをすんなり通過して、いきなり画面にFBIのあのマークが表示された。 
「時間を計ってくれよ」
 ハロルドがそう呟きながら、検索をかける。
 一度プロテクトを潜り抜けてしまえば、FBIのデータベースは欲しい情報がすぐさま得られるようにわかりやすく細分化されている。それは、全国のFBI支局はもちろんのこと、州警察や市警、アルコール・火気・麻薬局の捜査官が時折捜査データを照会するためだ。したがって、データベースを使い慣れていない者でも目的のものに辿り着けるようにとの配慮がなされている。だから、ハロルドのような人間が一度内部に入り込んでしまうと、後は迷わずすんなりと目的のデータが抽出された。
「過去の犯罪データをあわせると、かなりの量のデータがあるぜ」
 検索画面に出てきたファイル名をスクロールさせながらハロルドが言う。 
「それ、全部コピーできるか?」 
「訳ないさ」
 ハロルドは、肩を竦めて次々とハードにデータをダウンロードしていく。
 世界最速の通信速度を誇るシステムを大金かけて組み上げているお陰で、大きな画像つきのデータを含んでいても、ものの1分も経たずに全てのデータをコピーし終わった。
「おい、もうすぐ5分経つ」
「はいはい。お邪魔様でした」
 ハロルドは落ち着いた様子で、回線をシャットアウトする。
 あまりにも簡単にことが運んだので、自分達が違法行為を行ったという感覚が今ひとつ欠如していた。
「データを開けてみてくれ」
 ドースンが椅子をパソコンに近づけながら言う。
 ハロルドはキーボードの隣に置いてあるクッキーを口に運びながら、書類のひとつを立ち上げた。
 カタカタとハードディスクが動く音と共に、ジェイク・ニールソンの犯罪カルテが画面に表示されていく。
 モノクロームの写真で表示された刑務所に入れられる直前のジェイク・ニールソンの顔写真を見て、ドーソンは何か引っかかるものを感じていた。
 ── この男、どこかで見たことがあるような気がする・・・。
 だが、その先はまったく思い出せない。過去にニールソンの関係するニュースを見ているのかもしれない。
 いずれにしても、どこかで見知った顔のような気がしてならなかった。
 しかし、その写真の他は、ドースンが普通に調べても出てきそうな内容ばかりで、特別目を引くようなものはなかった。
 カルテの最後には、獄中の中で死亡したとの文字が打ち込まれていたが、そのテキストの上に線が引かれ、そのすぐ下に、赤い字で国際指名手配犯との表示が新たにされていた。あえて言えば、その部分だけが不気味さを醸し出していた。
 それ以外は、ごく普通の・・・と言ったら語弊があるかもしれないが、活発に活動する革命家という名前そのままの経歴が並んでいた。
 小さい事件から大きな事件まで、若い頃から本当に数多くの事件に関わってきている。
 ただ他の戦闘員と違うのは、彼が後半関わった事件は、金銭的な利害が見られるものが殆どであるという点だ。
 そこには、犯罪研究アナリストの『金銭欲に走った活動に傾倒したせいで、IRA本体からも非難を集めた』という分析結果も添えられてある。
 結局、このニールソンという男は、共和国独立という信念のためではなく、金儲けのためにテロリストの皮を被っていたということか。
 ニールソンが捕まったのは、彼が25歳の時。身内からの密告きっかけだったと記されていた。そこに何かありそうな予感がした。
「なかなか物騒な男だね。こういうのとは、絶対に関わり合いたくない。この氷のような眼を見てみろよ」
 太り気味の身体を震わせてハロルドが言う。
 そんなハロルドを横目で見ながら、ドースンは呟いた。
「ひょっとしたら、お前の隣に住んでるかもしれないぜ。なんせこいつ、この街に潜伏しているらしい」
 目に見えてハロルドの顔が強張った。 「じゃ、今度の爆弾騒ぎは・・・。それで調べてるのか・・・!」と目を丸くしている。
 ドースンは溜息をついた。
「まだ本当にそうかはわからないがな・・・。もうちょっと別の角度の顔が見たい。他の写真も開いてくれないか」
「了解」
 ハロルドが素早く写真データをクリックしていく。
 昔の活動時の写真と目されるモノクロ写真が、次々と表示されていく。
 遠景でとった不鮮明なもの。真っ黒い服に身を包んで煙草を吸っている横顔。身分証明書を偽造した時の証明写真。昔の仲間の中で薄く冷たい笑みを浮かべている顔・・・。
「ちょっ、ちょっと待ってくれ」
 突如ドースンは、焦った声を上げて、マウスを握るハロルドの腕を掴んだ。
「な、なんだよ! 驚かすな」
 ネット上のことはやたら度胸のいいハロルドも、直接の刺激には弱気なところを見せる。ドースンは、そんなハロルドの不平もお構いなしに、食い入るように画面を見つめていた。 
「ここ・・・。この部分、拡大できるか?」
 ニールソンの背後に写る若い男の横顔を指差してドースンは言った。
 「まったく、何だってんだよ、もう・・・」と悪態をつきながらも、ハロルドは領域指定をして、どんどんその部分を拡大し、さらにモザイクになった写真の粒子を細かく再生させることができるオリジナルのフィルターをかけた。
 またもやハードディスクが忙しく働き出す音がして、画面上のモザイクが鮮明に表示されていく。
 ドースンは息をすることも忘れ、ただ画面を見続けた。
 先日の衝撃的な目撃よりも、ある意味今日の発見の方が驚愕に値するものなのだろうが、あまりにもショックが大き過ぎて、声も出なかった。
 画面に現れた男の横顔。
 高い鼻梁。思慮深い瞳。世の中を愁うような寂しげな表情。
 容姿は少年といっていい部類なのに、端正に整ったその横顔は、大人の世界の悲しみを知っているが如く、成熟している。
 間違いない。
 その写真の少年は、紛れもなく、若き日のジム・ウォレス、その人だった。
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