1 / 3
弟、を彩る男
しおりを挟む
紙面上でそのモデルを見た瞬間、
(ああ、人形だ)
と思った。ガキの頃に夢中になった着せ替え人形。どんな衣装を纏わせても、表情一つ変えない。その孤高の姿に惹かれもしながら、子ども心にもどかしくも感じて、空っぽの容れ物に生が宿ったように見えるかもしれないと、色々な服を作った。もちろんヘタクソの極みだったが、あの頃小さな衣装を朝昼晩問わず何百回も作ったおかげで、デザイナーとして自分でブランドを立ち上げた今、俺の作る服は「圧倒的な黒の強さをもってして、どこまでも繊細」という評価を概ね得ている。『黒の逆襲』。『黒の衝撃』に続く次世代ブランドとしてそう謳われたときは、正直サムいな、と思ったけど。
「人形みたいなモデル」それをそのまま言ったら大概の人間には揶揄と受け取られるかもしれない。でも、俺は興奮した。あの頃手の中にあったそれよりもずっと精度の高いドールが、人間のサイズ感、実物大で存在している、だなんて。
顔も、首も、手足も、透き通るように白い。色素の薄い、けれど見ているとどこまでも吸い込まれていきそうな瞳の色は、人工的なカラーコンタクトじゃ出せない。もちろんメイクもしているが、おそらくほぼリップメイクなしのカットでも唇も嘘みたいな薄桃色をしていた。クオーターか何かか?と思ったが、プロフィールには幼少期以降高校の途中までアメリカで育った、としか書かれていなかった。変な言い方だが、モデルにするには不相応な美しい男だ。モデル、とりわけショーモデルは顔自体が美しい必要はない。身長と等身、手足の長さ、天性の勘と――、まあ最近では容姿にもどこか浮世離れしたようなアクを個性と呼んで重宝する向きも多いが、正直顔なんてもんは服の邪魔をしない骨格があれば十分で。モデル、IOはもう少し身長が低ければ俳優やアイドルにしても良かったのではないか、という容姿をしていた。
(まぁ、ムリか)
喜怒哀楽を適切に出力して親しみを感じさせることで人から愛される俳優やアイドルタレントと、紙面に写る人形は対極にあるような気さえして苦笑する。
「興味ある?その子ウチの一押し」
モデル事務所の女社長、MARIさんとはあるブランドの新作ショーの打ち上げで知り合った。多忙でいつも携帯片手に小柄な体で走り回っているイメージの彼女に駅でバッタリ会って、「お茶でもしない?」とナンパされ都内マンションの一室にある事務所に連れて来られたというワケだ。数度軽く挨拶をした程度で親しいとは言い難い女社長と、さてビジネスの話をするにしてもどこから――、と思った時に手持無沙汰に見ていた雑誌にその〝人形〟がいた。
コーヒーを受け取って、ソファで脚を組む、少数精鋭の事務所をほとんど一人で切り盛りするタフな50代女性の、魔女のような微笑みに笑みを返す。
「ありますね」
「そう言ってくれると思ってた。コンポジも見る?」
「動画はないんですか」
「レッスンのならあるよ。ウォーキングはまだ全然未熟だけ、ど」
はいどうぞ、テーブルの上のMacを手早く操作して俺の方に向ける。俺がこの雑誌を手にしたときから、この流れになるのは分かってたって訳だ。話が早いなと口笛を吹いて、スタジオをウォークするIOを見つめる。
「もう1回いいすか」
「何回でも?」
しばらくの間、PCから流れるレッスン用の音源と講師の声、PCを操作する音だけが部屋を充たした。
顎に手を付き唇に触れると、そこは案外カサついていた。リップを塗らないとな、と頭の片隅で思いながら、じっと画面を見つめる。
「……どう?」
「随分印象が違いますね、スチールと」
「面白いでしょ?」
「まあ確かに」
「ご興味があればぜひ。そろそろショーデビューさせたいなとは思ってるのよ」
「考えときます」
そう言って、コーヒーを飲み干してコートを持って立ち上がる。考えときます、は白々しすぎたか。俺の頭の中には既に、彼――IOというモデル名は本名の庵からとったらしい。イオリ、という音の響きを口に乗せて、いい名前だなと俺は思う――、新作を着てランウェイを歩くイメージが生まれ始めている。戦闘着ともいえる黒のセットアップ、ラップタイプのベルトを腰横で巻いた魔女は、「ご依頼お待ちしてます」と名刺のように1枚のスチールを渡して俺にぴょこりと頭を下げた。
てっきりスタジオで撮影したスチールかと思ったら、それはプライベート寄りな一枚だった。
海をバックに背の高い男の横で笑っている、今より幼いIO。
心を許しきって飼い主に腹を見せて眠る猫のような、ある意味弛緩した表情は、雑誌のスチールとも動画とも全く違っていて。
(ニンゲン、だな)
当たり前のことを、思う。自分ががっかりしているのかホッとしているのか判別がつかないままに。
隣に立つこの男は誰なんだろう。同業者だろうか。いやコイツはモデルじゃないだろうな、と漠然と思う。カメラの前で生きるタイプには見えない。どちらかというともっと動物的な――。
目鼻立ちはかなり整っている。どちらかというと中性的なIOより精悍な顔立ちだ。写真では目尻を下げて穏やかに笑っていて甘さもある雰囲気だが、真顔になればかなり凛々しいビジュアルだ。スポーツを、かなり本格的にやっている。そんな印象を受ける。細身だがIOと違って筋肉はしっかりついていて、長い手足も含めていかにも女が放っておかないタイプ、という感じ。
そんな男の顔を覗き込むようにして、大口を開けて笑うIOは見れば見るほど飼い猫のようだ。
「飼い、主……?」
数か月後、俺はモデルのIOと、その飼い主――兄、に会うことになる。
本格的にショーへの出演依頼をするために招待した姉妹ブランドのショーの打ち上げの席で、IOと隣になった。急な仕事で帰ってしまったマリさんの言いつけ通り、まだ未成年のIOを小一時間で帰さないといけない。
黙っていれば神様が特注のピンセットで毛1本1本から丹念に作り上げたような容姿をしている男は、大勢の席があまり得意ではないのか、オレンジジュースを手に最初は居心地悪そうにしていた。
けれど俺が幼少期の話や同じデザイナーで本日のショーの主催者でもある双子の兄・レイとの折り合いの悪さについて等々、あることないこと次々軽口を叩いているうちに、緊張がほぐれたのか少しずつ警戒を解いたように自分のことを話してくれた。
「おれにも兄がいて」
「そうなの?何歳差?」
「学年は一個。けどこっち戻ってきたときにおれ高二からになっちゃったから今は二学年差です」
「お兄ちゃんはモデルやってないの?」
「ごうは、や、兄は大学でバスケやってて」
「へぇ、」
「多分プロになる」
「凄いじゃん」
「……うん、すごいんです。ごうは」
そう言って眩しそうに目を細められた瞬間ピンときた。
(ああ)
(あの男が〝ごう〟だったのか)
「送るよ」
マリさんから言い渡されていた猶予の一時間はあっという間に過ぎた。IOはとっつきやすいとはいえないビジュアルに加えてかなりの人見知りのように見えたが、兄のレイにもちゃんと挨拶をして、ショーの感想をわざとらしくない等身大な感想を交えて本音で話していて好感が持てた。出演モデルの話にも耳を傾け、テキセツな質問やそれなりにくだけた返答をしていた。外国モデル相手に英語になると多少饒舌になり、その発音はネイティブと遜色なかった。マリさんの教育がいいのか。案外育ちもいいのかもな、と思いながら、言いつけ通りに席を立ったIOの後を追う。
「ちゃんと帰すようマリさんに言われてるからね」その言葉に下心がなかったかと言ったら、嘘になる。どこの分野に属する下心か、なんてのは定義があいまいだけど。
雑居ビルの狭くて油や酒の匂いに満ちたエレベーターの中でも、人形の美しさは変わらない。狭い密室でさほど身長の変わらない相手の顔を見ればどこか甘酸っぱい柑橘の匂いもして、そういえばジュースを飲んでいたな、と相好が崩れる。圧倒的な美しさゆえの気高さと年相応の幼さ。危ういな、とも思う。あらゆる欲に塗れたこの業界だ。最後まで店を出るのを躊躇い口すっぱく「早く帰せ」と言っていたマリさんの言葉も当然だな、とも。
「店、戻らなくていいんですか」
「レイいるし大丈夫。顔一緒だしね、どっちかいればOKってことで」
「適当すぎない?」
次々流れる街の灯りを背負って呆れたようにたどたどしい敬語を脱がれたとき、年甲斐もなく悦びで胸が騒ぐのを感じた。人形の表皮を、一枚剥いだような気になって。単純すぎるだろ、自分に苦笑しながら「イオはさ、たぶんショー向いてるよ」と言うと、神様に特注のピンセットで創られた顔は疑うような視線を向ける。口調はさっきまでと変わらないはずだ。けれど俺は、人形の「IO」ではない「庵」、の顔ももっと見てみたい、と思うようになっていた。ステージの上でそのどちらもが奇跡的な配分で混じった瞬間、この男は一番輝くのではないか、という確信とともに。
「スチールも悪くないよ、儚くて冷たい人形みたいで。でも、たぶん君はときどきはランウェイを歩いたほうがいい。人形に生気が宿る瞬間って見てて最高にエクスタシーを感じるし」
「ちょっと言ってることがわかんないけど」
「はは、俺も」
饒舌になってるな、あれだけの酒で酔うわけがないのに。そんな自分を半ば呆れながら愉しむみたいに、浮世離れした容姿とは裏腹に打てば響く勢いで言葉を返してくる相手との話題を探す。
けれど職務意識の高い誠実なドライバーのお陰で車は寄り道することなく進み、20分もかからずに兄と住んでいるというマンションに着いた。名残惜しさを愉しみながら一旦タクシーを降りる。
エントランスの入り口までついてくる俺を訝し気に見るイオに、「だってマンション入るまで責任もって見届けないと」と言うと納得したように表情を和らげる。案外ちょろいな、だってまだ高校生だもんな、と思いながら怖がられない速度で距離を詰めた。
「……じゃあ」
街灯の下、白く透き通るような肌にこみ上げる衝動を抑えきれずに手を伸ばす。
「あ、やっぱ白いから映えるね、黒」
指に嵌めた黒いリングすら、肌の内側から発光するようなイオの透明感を受けて妖しく輝く。
この白を圧倒的な黒の美しさで彩りたい。
新作のイメージにピッタリだ、とはマリさんに尤もらしい口説き文句として伝えたが、実際はテーマくらいしか決まっていない。
どんなシルエットがいいだろう。素材は。黒と言っても重すぎない方がいい。細くしなやかな身体を、まるで何も着ていないかのような軽やかさで歩かせたい。
「髪も黒くしたいなぁ……」
それは自分でも笑ってしまうほどうっとりとした声で、イオは固まったように俺を見つめる。
風を受けてサラサラと頬を撫でる、シルバーに近いアッシュヘアーに手を伸ばしたとき、横から伸びてきた手にいきなり手首を掴まれた。
「触らないでもらえますか」
「ごう……あ、おにーちゃん!」
さっきまで話に聞いていた人物の登場に、場違いともいえる陽気な声を出しながら、写真と随分印象が違うな、と思う。
見るからに人当たりの良さそうな眼差しは茶色い瞳の奥底に沈み、射抜くような目で俺を見つめる。ゾク、と腹の辺りが収縮して、ああ、ビビってんのか俺、と思うとおかしくて笑いそうになる。こんな、高校生に毛の生えたようなガキ相手に。ていうかコイツ、大丈夫かよ、弟の仕事相手に一々こんな目してたらキリがなくねぇか。有象無象のスタッフが動くステージ裏で、時にはほとんど裸にだってなる必要のある職業だって、わかってんのかね。
俺の思考をよそに、「ごう」はイオの腕を掴んで「行くよ、イオ」とさっさとマンションに入って行く。
もつれそうな足を動かしながら、兄についていくイオは一度も俺を見ず、振り返りもしない兄に何かを必死に訴えているようにも見えた。
「兄弟、ねぇ……」
1分にも満たない初対面の場でいきなり生まれた誤解を解消するのは諦め、タクシーに戻りながら呟く。
「渋谷まで」
そう言って頭の裏で手を組みながら閉じた瞼の裏には〝ごう〟を認めた瞬間、途端にしおらしい飼い猫になったイオの姿がある。
「やっぱ面白いな、アイツ」
精巧な人形は、人の目を惹くために創られたような恵まれた容れ物の中にどんな感情を隠し持っているのだろう。
「あ、俺、今大丈夫?今から言うことメモってもらっていい?」
頭の中に浮かび上がる、イオに纏わせる新作衣装のイメージを早口で喋りながら、何となく後ろを振り向く。
〝兄弟〟の住むマンションのある辺りを見ながら、さして広くもないマンションの一室で二人がこれから交わす感情を思うと、イメージは次々と生まれて言葉となり、やがて頭の中の人形は完璧に彩られた。
(ああ、人形だ)
と思った。ガキの頃に夢中になった着せ替え人形。どんな衣装を纏わせても、表情一つ変えない。その孤高の姿に惹かれもしながら、子ども心にもどかしくも感じて、空っぽの容れ物に生が宿ったように見えるかもしれないと、色々な服を作った。もちろんヘタクソの極みだったが、あの頃小さな衣装を朝昼晩問わず何百回も作ったおかげで、デザイナーとして自分でブランドを立ち上げた今、俺の作る服は「圧倒的な黒の強さをもってして、どこまでも繊細」という評価を概ね得ている。『黒の逆襲』。『黒の衝撃』に続く次世代ブランドとしてそう謳われたときは、正直サムいな、と思ったけど。
「人形みたいなモデル」それをそのまま言ったら大概の人間には揶揄と受け取られるかもしれない。でも、俺は興奮した。あの頃手の中にあったそれよりもずっと精度の高いドールが、人間のサイズ感、実物大で存在している、だなんて。
顔も、首も、手足も、透き通るように白い。色素の薄い、けれど見ているとどこまでも吸い込まれていきそうな瞳の色は、人工的なカラーコンタクトじゃ出せない。もちろんメイクもしているが、おそらくほぼリップメイクなしのカットでも唇も嘘みたいな薄桃色をしていた。クオーターか何かか?と思ったが、プロフィールには幼少期以降高校の途中までアメリカで育った、としか書かれていなかった。変な言い方だが、モデルにするには不相応な美しい男だ。モデル、とりわけショーモデルは顔自体が美しい必要はない。身長と等身、手足の長さ、天性の勘と――、まあ最近では容姿にもどこか浮世離れしたようなアクを個性と呼んで重宝する向きも多いが、正直顔なんてもんは服の邪魔をしない骨格があれば十分で。モデル、IOはもう少し身長が低ければ俳優やアイドルにしても良かったのではないか、という容姿をしていた。
(まぁ、ムリか)
喜怒哀楽を適切に出力して親しみを感じさせることで人から愛される俳優やアイドルタレントと、紙面に写る人形は対極にあるような気さえして苦笑する。
「興味ある?その子ウチの一押し」
モデル事務所の女社長、MARIさんとはあるブランドの新作ショーの打ち上げで知り合った。多忙でいつも携帯片手に小柄な体で走り回っているイメージの彼女に駅でバッタリ会って、「お茶でもしない?」とナンパされ都内マンションの一室にある事務所に連れて来られたというワケだ。数度軽く挨拶をした程度で親しいとは言い難い女社長と、さてビジネスの話をするにしてもどこから――、と思った時に手持無沙汰に見ていた雑誌にその〝人形〟がいた。
コーヒーを受け取って、ソファで脚を組む、少数精鋭の事務所をほとんど一人で切り盛りするタフな50代女性の、魔女のような微笑みに笑みを返す。
「ありますね」
「そう言ってくれると思ってた。コンポジも見る?」
「動画はないんですか」
「レッスンのならあるよ。ウォーキングはまだ全然未熟だけ、ど」
はいどうぞ、テーブルの上のMacを手早く操作して俺の方に向ける。俺がこの雑誌を手にしたときから、この流れになるのは分かってたって訳だ。話が早いなと口笛を吹いて、スタジオをウォークするIOを見つめる。
「もう1回いいすか」
「何回でも?」
しばらくの間、PCから流れるレッスン用の音源と講師の声、PCを操作する音だけが部屋を充たした。
顎に手を付き唇に触れると、そこは案外カサついていた。リップを塗らないとな、と頭の片隅で思いながら、じっと画面を見つめる。
「……どう?」
「随分印象が違いますね、スチールと」
「面白いでしょ?」
「まあ確かに」
「ご興味があればぜひ。そろそろショーデビューさせたいなとは思ってるのよ」
「考えときます」
そう言って、コーヒーを飲み干してコートを持って立ち上がる。考えときます、は白々しすぎたか。俺の頭の中には既に、彼――IOというモデル名は本名の庵からとったらしい。イオリ、という音の響きを口に乗せて、いい名前だなと俺は思う――、新作を着てランウェイを歩くイメージが生まれ始めている。戦闘着ともいえる黒のセットアップ、ラップタイプのベルトを腰横で巻いた魔女は、「ご依頼お待ちしてます」と名刺のように1枚のスチールを渡して俺にぴょこりと頭を下げた。
てっきりスタジオで撮影したスチールかと思ったら、それはプライベート寄りな一枚だった。
海をバックに背の高い男の横で笑っている、今より幼いIO。
心を許しきって飼い主に腹を見せて眠る猫のような、ある意味弛緩した表情は、雑誌のスチールとも動画とも全く違っていて。
(ニンゲン、だな)
当たり前のことを、思う。自分ががっかりしているのかホッとしているのか判別がつかないままに。
隣に立つこの男は誰なんだろう。同業者だろうか。いやコイツはモデルじゃないだろうな、と漠然と思う。カメラの前で生きるタイプには見えない。どちらかというともっと動物的な――。
目鼻立ちはかなり整っている。どちらかというと中性的なIOより精悍な顔立ちだ。写真では目尻を下げて穏やかに笑っていて甘さもある雰囲気だが、真顔になればかなり凛々しいビジュアルだ。スポーツを、かなり本格的にやっている。そんな印象を受ける。細身だがIOと違って筋肉はしっかりついていて、長い手足も含めていかにも女が放っておかないタイプ、という感じ。
そんな男の顔を覗き込むようにして、大口を開けて笑うIOは見れば見るほど飼い猫のようだ。
「飼い、主……?」
数か月後、俺はモデルのIOと、その飼い主――兄、に会うことになる。
本格的にショーへの出演依頼をするために招待した姉妹ブランドのショーの打ち上げの席で、IOと隣になった。急な仕事で帰ってしまったマリさんの言いつけ通り、まだ未成年のIOを小一時間で帰さないといけない。
黙っていれば神様が特注のピンセットで毛1本1本から丹念に作り上げたような容姿をしている男は、大勢の席があまり得意ではないのか、オレンジジュースを手に最初は居心地悪そうにしていた。
けれど俺が幼少期の話や同じデザイナーで本日のショーの主催者でもある双子の兄・レイとの折り合いの悪さについて等々、あることないこと次々軽口を叩いているうちに、緊張がほぐれたのか少しずつ警戒を解いたように自分のことを話してくれた。
「おれにも兄がいて」
「そうなの?何歳差?」
「学年は一個。けどこっち戻ってきたときにおれ高二からになっちゃったから今は二学年差です」
「お兄ちゃんはモデルやってないの?」
「ごうは、や、兄は大学でバスケやってて」
「へぇ、」
「多分プロになる」
「凄いじゃん」
「……うん、すごいんです。ごうは」
そう言って眩しそうに目を細められた瞬間ピンときた。
(ああ)
(あの男が〝ごう〟だったのか)
「送るよ」
マリさんから言い渡されていた猶予の一時間はあっという間に過ぎた。IOはとっつきやすいとはいえないビジュアルに加えてかなりの人見知りのように見えたが、兄のレイにもちゃんと挨拶をして、ショーの感想をわざとらしくない等身大な感想を交えて本音で話していて好感が持てた。出演モデルの話にも耳を傾け、テキセツな質問やそれなりにくだけた返答をしていた。外国モデル相手に英語になると多少饒舌になり、その発音はネイティブと遜色なかった。マリさんの教育がいいのか。案外育ちもいいのかもな、と思いながら、言いつけ通りに席を立ったIOの後を追う。
「ちゃんと帰すようマリさんに言われてるからね」その言葉に下心がなかったかと言ったら、嘘になる。どこの分野に属する下心か、なんてのは定義があいまいだけど。
雑居ビルの狭くて油や酒の匂いに満ちたエレベーターの中でも、人形の美しさは変わらない。狭い密室でさほど身長の変わらない相手の顔を見ればどこか甘酸っぱい柑橘の匂いもして、そういえばジュースを飲んでいたな、と相好が崩れる。圧倒的な美しさゆえの気高さと年相応の幼さ。危ういな、とも思う。あらゆる欲に塗れたこの業界だ。最後まで店を出るのを躊躇い口すっぱく「早く帰せ」と言っていたマリさんの言葉も当然だな、とも。
「店、戻らなくていいんですか」
「レイいるし大丈夫。顔一緒だしね、どっちかいればOKってことで」
「適当すぎない?」
次々流れる街の灯りを背負って呆れたようにたどたどしい敬語を脱がれたとき、年甲斐もなく悦びで胸が騒ぐのを感じた。人形の表皮を、一枚剥いだような気になって。単純すぎるだろ、自分に苦笑しながら「イオはさ、たぶんショー向いてるよ」と言うと、神様に特注のピンセットで創られた顔は疑うような視線を向ける。口調はさっきまでと変わらないはずだ。けれど俺は、人形の「IO」ではない「庵」、の顔ももっと見てみたい、と思うようになっていた。ステージの上でそのどちらもが奇跡的な配分で混じった瞬間、この男は一番輝くのではないか、という確信とともに。
「スチールも悪くないよ、儚くて冷たい人形みたいで。でも、たぶん君はときどきはランウェイを歩いたほうがいい。人形に生気が宿る瞬間って見てて最高にエクスタシーを感じるし」
「ちょっと言ってることがわかんないけど」
「はは、俺も」
饒舌になってるな、あれだけの酒で酔うわけがないのに。そんな自分を半ば呆れながら愉しむみたいに、浮世離れした容姿とは裏腹に打てば響く勢いで言葉を返してくる相手との話題を探す。
けれど職務意識の高い誠実なドライバーのお陰で車は寄り道することなく進み、20分もかからずに兄と住んでいるというマンションに着いた。名残惜しさを愉しみながら一旦タクシーを降りる。
エントランスの入り口までついてくる俺を訝し気に見るイオに、「だってマンション入るまで責任もって見届けないと」と言うと納得したように表情を和らげる。案外ちょろいな、だってまだ高校生だもんな、と思いながら怖がられない速度で距離を詰めた。
「……じゃあ」
街灯の下、白く透き通るような肌にこみ上げる衝動を抑えきれずに手を伸ばす。
「あ、やっぱ白いから映えるね、黒」
指に嵌めた黒いリングすら、肌の内側から発光するようなイオの透明感を受けて妖しく輝く。
この白を圧倒的な黒の美しさで彩りたい。
新作のイメージにピッタリだ、とはマリさんに尤もらしい口説き文句として伝えたが、実際はテーマくらいしか決まっていない。
どんなシルエットがいいだろう。素材は。黒と言っても重すぎない方がいい。細くしなやかな身体を、まるで何も着ていないかのような軽やかさで歩かせたい。
「髪も黒くしたいなぁ……」
それは自分でも笑ってしまうほどうっとりとした声で、イオは固まったように俺を見つめる。
風を受けてサラサラと頬を撫でる、シルバーに近いアッシュヘアーに手を伸ばしたとき、横から伸びてきた手にいきなり手首を掴まれた。
「触らないでもらえますか」
「ごう……あ、おにーちゃん!」
さっきまで話に聞いていた人物の登場に、場違いともいえる陽気な声を出しながら、写真と随分印象が違うな、と思う。
見るからに人当たりの良さそうな眼差しは茶色い瞳の奥底に沈み、射抜くような目で俺を見つめる。ゾク、と腹の辺りが収縮して、ああ、ビビってんのか俺、と思うとおかしくて笑いそうになる。こんな、高校生に毛の生えたようなガキ相手に。ていうかコイツ、大丈夫かよ、弟の仕事相手に一々こんな目してたらキリがなくねぇか。有象無象のスタッフが動くステージ裏で、時にはほとんど裸にだってなる必要のある職業だって、わかってんのかね。
俺の思考をよそに、「ごう」はイオの腕を掴んで「行くよ、イオ」とさっさとマンションに入って行く。
もつれそうな足を動かしながら、兄についていくイオは一度も俺を見ず、振り返りもしない兄に何かを必死に訴えているようにも見えた。
「兄弟、ねぇ……」
1分にも満たない初対面の場でいきなり生まれた誤解を解消するのは諦め、タクシーに戻りながら呟く。
「渋谷まで」
そう言って頭の裏で手を組みながら閉じた瞼の裏には〝ごう〟を認めた瞬間、途端にしおらしい飼い猫になったイオの姿がある。
「やっぱ面白いな、アイツ」
精巧な人形は、人の目を惹くために創られたような恵まれた容れ物の中にどんな感情を隠し持っているのだろう。
「あ、俺、今大丈夫?今から言うことメモってもらっていい?」
頭の中に浮かび上がる、イオに纏わせる新作衣装のイメージを早口で喋りながら、何となく後ろを振り向く。
〝兄弟〟の住むマンションのある辺りを見ながら、さして広くもないマンションの一室で二人がこれから交わす感情を思うと、イメージは次々と生まれて言葉となり、やがて頭の中の人形は完璧に彩られた。
2
お気に入りに追加
2
あなたにおすすめの小説
つないだその手をはなしてよ
しち
BL
兄×弟
年子のお兄ちゃんにひそかに想いを寄せる弟(24歳モデル)と弟が大切で大好きで大切な執着お兄ちゃん(25歳バスケ選手)の話。
兄(青田豪)…年上の彼氏がいます。彼氏のことを愛しているけど、また違った部分で弟を溺愛している。
弟(青田庵)…年上の男の愛人をしています。愛人としてうまくやってるけど、兄への想いを捨てきれない。
でも弟→兄です。
ベツヘレムの星
しち
BL
兄(青田豪、通称アオ・大1・バスケ選手)×弟(青田庵、通称イオ・高2・モデル)の両片思い?話。クリスマスの思い出。
兄(バイ)に彼女がいます。彼女との描写多め。
弟視点の話が本になりました。サンプルはこちらです。
https://www.pixiv.net/novel/show.php?id=23110003
ある日、人気俳優の弟になりました。
雪 いつき
BL
母の再婚を期に、立花優斗は人気若手俳優、橘直柾の弟になった。顔良し性格良し真面目で穏やかで王子様のような人。そんな評判だったはずが……。
「俺の命は、君のものだよ」
初顔合わせの日、兄になる人はそう言って綺麗に笑った。とんでもない人が兄になってしまった……と思ったら、何故か大学の先輩も優斗を可愛いと言い出して……?
平凡に生きたい19歳大学生と、24歳人気若手俳優、21歳文武両道大学生の三角関係のお話。
嫌われ者の長男
りんか
BL
学校ではいじめられ、家でも誰からも愛してもらえない少年 岬。彼の家族は弟達だけ母親は幼い時に他界。一つずつ離れた五人の弟がいる。だけど弟達は岬には無関心で岬もそれはわかってるけど弟達の役に立つために頑張ってるそんな時とある事件が起きて.....
転生したら弟がブラコン重傷者でした!!!
Lynne
BL
俺の名前は佐々木塁、元高校生だ。俺は、ある日学校に行く途中、トラックに轢かれて死んでしまった...。
pixivの方でも、作品投稿始めました!
名前やアイコンは変わりません
主にアルファポリスで投稿するため、更新はアルファポリスのほうが早いと思います!
振られた腹いせに別の男と付き合ったらそいつに本気になってしまった話
雨宮里玖
BL
「好きな人が出来たから別れたい」と恋人の翔に突然言われてしまった諒平。
諒平は別れたくないと引き止めようとするが翔は諒平に最初で最後のキスをした後、去ってしまった。
実は翔には諒平に隠している事実があり——。
諒平(20)攻め。大学生。
翔(20) 受け。大学生。
慶介(21)翔と同じサークルの友人。
愛され末っ子
西条ネア
BL
本サイトでの感想欄は感想のみでお願いします。全ての感想に返答します。
リクエストはTwitter(@NeaSaijou)にて受付中です。また、小説のストーリーに関するアンケートもTwitterにて行います。
(お知らせは本編で行います。)
********
上園琉架(うえぞの るか)四男 理斗の双子の弟 虚弱 前髪は後々左に流し始めます。髪の毛の色はご想像にお任せします。深い赤みたいなのアースアイ 後々髪の毛を肩口くらいまで伸ばしてゆるく結びます。アレルギー多め。その他の設定は各話で出てきます!
上園理斗(うえぞの りと)三男 琉架の双子の兄 琉架が心配 琉架第一&大好き 前髪は後々右に流します。髪の毛の色はご想像にお任せします。深い緑みたいなアースアイ 髪型はずっと短いままです。 琉架の元気もお母さんのお腹の中で取っちゃった、、、
上園静矢 (うえぞの せいや)長男 普通にサラッとイケメン。なんでもできちゃうマン。でも弟(特に琉架)絡むと残念。弟達溺愛。深い青色の瞳。髪の毛の色はご想像にお任せします。
上園竜葵(うえぞの りゅうき)次男 ツンデレみたいな、考えと行動が一致しないマン。でも弟達大好きで奮闘して玉砕する。弟達傷つけられたら、、、 深い青色の瞳。兄貴(静矢)と一個差 ケンカ強い でも勉強できる。料理は壊滅的
上園理玖斗(うえぞの りくと)父 息子達大好き 藍羅(あいら・妻)も愛してる 家族傷つけるやつ許さんマジ 琉架の身体が弱すぎて心配 深い緑の瞳。普通にイケメン
上園藍羅(うえぞの あいら) 母 子供達、夫大好き 母は強し、の具現化版 美人さん 息子達(特に琉架)傷つけるやつ許さんマジ。
てか普通に上園家の皆さんは顔面偏差値馬鹿高いです。
(特に琉架)の部分は家族の中で順列ができているわけではなく、特に琉架になる場面が多いという意味です。
琉架の従者
遼(はる)琉架の10歳上
理斗の従者
蘭(らん)理斗の10歳上
その他の従者は後々出します。
虚弱体質な末っ子・琉架が家族からの寵愛、溺愛を受ける物語です。
前半、BL要素少なめです。
この作品は作者の前作と違い毎日更新(予定)です。
できないな、と悟ったらこの文は消します。
※琉架はある一定の時期から体の成長(精神も若干)がなくなる設定です。詳しくはその時に補足します。
皆様にとって最高の作品になりますように。
※作者の近況状況欄は要チェックです!
西条ネア
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる