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2.来訪
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その夜、画家はひどく弱って自室の椅子に腰かけていた。
絵で喰っていける程度の収入は得ている。絵具を買う金に困ることもなくなった。
だが、芸術の意味は日に日に分からなくなっていく。
アカデミーでは古典主義と印象派が火花を散らし、貴族たちは絵画を権力を示すための帽子か何かだと思っている。
芸術の女神は画家に微笑むどころか、アトリエの前を通りすぎる足音すら聞こえないありさまだった。
このところ、習慣になっている睡眠薬を胃に流し込んだものの、眠りは一向に訪れない。
むしゃくしゃして、もう何もかも忘れてしまいたくなった画家は、夕食前から飲んでいたウイスキーをあおると、瓶から取り出した睡眠薬をガリガリと噛み砕いた。
うとうとしかけた時、ふとうなじの産毛がぞわりと逆立った。まるで、雪の夜に、暖炉で暖められた部屋の窓を開けたような寒気が心臓の裏を撫でていく。生命あるものが持つ根本的な違和感とでも言ったらいいのだろうか。画家の身体が感じ取ったのは、人ならざる者の来訪だったのだから。
その一種独特な感覚は二十年以上前からたびたび訪れるという意味では、画家にとってある意味馴染みのものだった。
画家が絵を描いているとき、たびたび現れては、画家の努力がいかに無駄な行為かを語る骸骨を、画家は死神と呼んでいた。
絵を書いているとき以外で、死神を見るのは初めてだった。何度体験しても、この薄ら寒い死の気配に慣れはしない。
だが、泥のような身体と疲弊した精神の只中にあっては、その死の気配すらもどこか慕わしく思われた。もう、絵筆を握る気は起こらない。人と会って話すことも、明日の朝食に何を食べるか考えることもしたくない。画家は微笑んで呟く。
「久しいな、我が友よ」
画家の寝室に姿を現した骸骨は、書きかけのペンに視線を注ぐ。すると、画家のペンは羽が生えたように宙に浮びあがり、骸骨の手に収まった。
画家が驚いて黙りこむと、そうして骨の手が握った羽ペンは、さらさらと見覚えのある文字を綴る。
[アルノルト、我が友よ]
これは悪魔の誘惑だ。そう思っても、画家はその言葉に問い返さずにはいられなかった。
「まさか……君なのか、ステファノ」
絵で喰っていける程度の収入は得ている。絵具を買う金に困ることもなくなった。
だが、芸術の意味は日に日に分からなくなっていく。
アカデミーでは古典主義と印象派が火花を散らし、貴族たちは絵画を権力を示すための帽子か何かだと思っている。
芸術の女神は画家に微笑むどころか、アトリエの前を通りすぎる足音すら聞こえないありさまだった。
このところ、習慣になっている睡眠薬を胃に流し込んだものの、眠りは一向に訪れない。
むしゃくしゃして、もう何もかも忘れてしまいたくなった画家は、夕食前から飲んでいたウイスキーをあおると、瓶から取り出した睡眠薬をガリガリと噛み砕いた。
うとうとしかけた時、ふとうなじの産毛がぞわりと逆立った。まるで、雪の夜に、暖炉で暖められた部屋の窓を開けたような寒気が心臓の裏を撫でていく。生命あるものが持つ根本的な違和感とでも言ったらいいのだろうか。画家の身体が感じ取ったのは、人ならざる者の来訪だったのだから。
その一種独特な感覚は二十年以上前からたびたび訪れるという意味では、画家にとってある意味馴染みのものだった。
画家が絵を描いているとき、たびたび現れては、画家の努力がいかに無駄な行為かを語る骸骨を、画家は死神と呼んでいた。
絵を書いているとき以外で、死神を見るのは初めてだった。何度体験しても、この薄ら寒い死の気配に慣れはしない。
だが、泥のような身体と疲弊した精神の只中にあっては、その死の気配すらもどこか慕わしく思われた。もう、絵筆を握る気は起こらない。人と会って話すことも、明日の朝食に何を食べるか考えることもしたくない。画家は微笑んで呟く。
「久しいな、我が友よ」
画家の寝室に姿を現した骸骨は、書きかけのペンに視線を注ぐ。すると、画家のペンは羽が生えたように宙に浮びあがり、骸骨の手に収まった。
画家が驚いて黙りこむと、そうして骨の手が握った羽ペンは、さらさらと見覚えのある文字を綴る。
[アルノルト、我が友よ]
これは悪魔の誘惑だ。そう思っても、画家はその言葉に問い返さずにはいられなかった。
「まさか……君なのか、ステファノ」
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