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1・最強の愛人
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そろそろ日が暮れる。
街にぽつぽつと灯りが点りはじめ、一日の疲れを癒やしたい人々が、酒や女を求めて集まってくる。
原色のネオンに客引きの声、煙草の煙と香水の甘い香り。そぞろ歩く人々が、少しずつ吸い込まれてゆく。
騒めく声が、ふいに静まった。
「おい、ロドリゴだ」
「あれがコルデラーラのボスか?」
「しっ、聞こえるぞ」
遠巻きに噂する声などどこ吹く風と、黒い高級車から降り立つ男。
この辺りを仕切るコルデラーラ家のボス、ロドリゴだ。もう何十年も組織のトップに立ち続け、トレードマークの長い金髪には白髪が混じってきたが、眼光の鋭さは若い頃と変わらない。
周囲を手下に囲まれ、近くの酒場へ入って行く。むろん客としてきたのではない、見回りだ。いつもは手下に任せているが、たまには自ら足を運ぶことを、ロドリゴは心がけていた。
店主にぺこぺこと頭を下げられ、ロドリゴが店から出てくる。
その後ろから駆け寄る影があった。
「ボス……!」
手下がざわめく。が、何かがきらめいた次の瞬間には、曲者は悲鳴をあげて倒れこんでいた。手下に取り押さえられても、もはや抵抗もできないようだ。
「うわあああ!」
その手首には、細身のナイフが突き刺さっている。
「連れて行きな」
そう命じる涼やかな声は、ボスではない。ボスの前に立ってさらにナイフを構えているのは、黒いドレスに身を包んだ、長身の美女。深く切れ込んだスリットから覗く脚が艶かしい。
「……なあおい、あの美女はなんだい?」
野次馬が囁いた。
「知らねえのか、あれがパメラだよ。ナイフを使わせたら敵う者はいないって話だ」
「あれがパメラ? 噂の愛人だろ? ―――すんげえいい女じゃねえか」
「ただの愛人じゃねえ。コルデラーラが一目置く、凄腕の愛人さ」
均整の取れた体つきに、無駄のない鋼のようなしなやかな筋肉。きゅっとしまった足首と、ドレスから零れそうな胸が目をひく。高く結い上げてひと筋残した髪、切れ長の瞳にかかる重たげな睫毛と真っ赤な唇。東洋の血でも入っているのか、どことなくエキゾチックな顔立ちだ。
独身のロドリゴは、夫人同伴の場に出席するときには、パメラを連れて行くことも多い。老境に差し掛かったロドリゴと、女盛りのパメラ。この数年、常にロドリゴの横にいるパメラは、街の噂の的だった。
「ボス、車へ」
パメラが囁くとロドリゴは鷹揚に頷き、後部座席に乗り込んだ。自分を襲おうとした男になど関心を見せない。パメラが続いて隣に座る。
捕らえた曲者は他の者に任せ、車はコルデラーラの屋敷へ戻って行った。
「お帰りなさいませ、ボス」
コルデラーラ家は古くからこの辺りを縄張りにし、街の北側に大きな屋敷を構えている。治安も経済も、ロドリゴの意向を無視しては成り立たない。ある意味この街を育てたのはコルデラーラだ。
「エルヴィーノ、ボスが襲われた」
先に車を降りたパメラが、迎えに出た男に告げた。男はちょっと目を見開いたが、すぐに車内にちらりと目をやってボスの安全を確認する。
「パメラ、おまえか」
パメラは何でもないように頷いた。ロドリゴも続いて車を降りる。
「小物だ。あとはセナートに任せる。―――パメラ」
「イエス、ボス」
パメラを従えて階段を上がって行くボスを見送り、エルヴィーノは恭しく頭を下げた。彼はロドリゴと同年配だが、ここ数年、パメラによってボスの危機が救われたことは数えきれない。
外では愛人と思われているが、実際のところ、二人には男女の関係などない。だがそれすらもボスは、擬態として利用しているようだ。
もっとも組織の連中は、最初から誰一人疑いもしない。あれだけの美女でありながら、荒くれ男どもと腕っぷしで渡り合ってきたパメラだ。下っ端の頃から誰に媚びることなく、溢れる色香を仲間に向けたこともない。彼女を甘く見て手を出そうとした者は皆、ナイフの洗礼を受けていた。
「あのパメラに、そんな甘ったるい感情などあるものか」
コルデラーラの面々は、皆そう思っていた。
ロドリゴの部屋は三部屋続きになっていて、一番手前が書斎。ロドリゴはここを執務室のように使っていた。次の間は居間で、ロドリゴは何も言わず入って行った。パメラも当然のように従う。
ここへ入れるのは部下の中でもごく限られた人物だけだ。盟友ともいうべきエルヴィーノ、部下を取りまとめるセナート。そしてパメラだ。
「ご苦労だった」
「当然のことです、ボス」
ロドリゴは部屋の隅に設えられたバーカウンターに近寄り、グラスを出した。
「私が」
近寄るパメラを手をあげて軽く制し、酒を注ぐ。
「飲むか」
「ありがとうございます」
ロドリゴが一息に呷るのを見て、パメラは酒に口をつけた。ロドリゴは故郷で親しんだ火のような強い酒を好む。パメラも決して弱くはないが、ボスに最後まで付き合えるのはエルヴィーノくらいのものだ。それに、嗜む程度に留めておかないと、いざと言う時にボスの盾になれない。
「ああそうだ」
ロドリゴが長い脚を組んだ。
「明日の夜、鉱山王のメルヴィル氏のパーティーに呼ばれている。またよろしく頼む」
「かしこまりました」
裏社会を牛耳るコルデラーラ家でも、ロドリゴくらいになれば表の社交の場へ呼ばれることもある。いかにロドリゴと言えど、そのような場で護衛に囲まれている訳にはいかない。
「愛人」パメラの役割は重要なのだった。
街にぽつぽつと灯りが点りはじめ、一日の疲れを癒やしたい人々が、酒や女を求めて集まってくる。
原色のネオンに客引きの声、煙草の煙と香水の甘い香り。そぞろ歩く人々が、少しずつ吸い込まれてゆく。
騒めく声が、ふいに静まった。
「おい、ロドリゴだ」
「あれがコルデラーラのボスか?」
「しっ、聞こえるぞ」
遠巻きに噂する声などどこ吹く風と、黒い高級車から降り立つ男。
この辺りを仕切るコルデラーラ家のボス、ロドリゴだ。もう何十年も組織のトップに立ち続け、トレードマークの長い金髪には白髪が混じってきたが、眼光の鋭さは若い頃と変わらない。
周囲を手下に囲まれ、近くの酒場へ入って行く。むろん客としてきたのではない、見回りだ。いつもは手下に任せているが、たまには自ら足を運ぶことを、ロドリゴは心がけていた。
店主にぺこぺこと頭を下げられ、ロドリゴが店から出てくる。
その後ろから駆け寄る影があった。
「ボス……!」
手下がざわめく。が、何かがきらめいた次の瞬間には、曲者は悲鳴をあげて倒れこんでいた。手下に取り押さえられても、もはや抵抗もできないようだ。
「うわあああ!」
その手首には、細身のナイフが突き刺さっている。
「連れて行きな」
そう命じる涼やかな声は、ボスではない。ボスの前に立ってさらにナイフを構えているのは、黒いドレスに身を包んだ、長身の美女。深く切れ込んだスリットから覗く脚が艶かしい。
「……なあおい、あの美女はなんだい?」
野次馬が囁いた。
「知らねえのか、あれがパメラだよ。ナイフを使わせたら敵う者はいないって話だ」
「あれがパメラ? 噂の愛人だろ? ―――すんげえいい女じゃねえか」
「ただの愛人じゃねえ。コルデラーラが一目置く、凄腕の愛人さ」
均整の取れた体つきに、無駄のない鋼のようなしなやかな筋肉。きゅっとしまった足首と、ドレスから零れそうな胸が目をひく。高く結い上げてひと筋残した髪、切れ長の瞳にかかる重たげな睫毛と真っ赤な唇。東洋の血でも入っているのか、どことなくエキゾチックな顔立ちだ。
独身のロドリゴは、夫人同伴の場に出席するときには、パメラを連れて行くことも多い。老境に差し掛かったロドリゴと、女盛りのパメラ。この数年、常にロドリゴの横にいるパメラは、街の噂の的だった。
「ボス、車へ」
パメラが囁くとロドリゴは鷹揚に頷き、後部座席に乗り込んだ。自分を襲おうとした男になど関心を見せない。パメラが続いて隣に座る。
捕らえた曲者は他の者に任せ、車はコルデラーラの屋敷へ戻って行った。
「お帰りなさいませ、ボス」
コルデラーラ家は古くからこの辺りを縄張りにし、街の北側に大きな屋敷を構えている。治安も経済も、ロドリゴの意向を無視しては成り立たない。ある意味この街を育てたのはコルデラーラだ。
「エルヴィーノ、ボスが襲われた」
先に車を降りたパメラが、迎えに出た男に告げた。男はちょっと目を見開いたが、すぐに車内にちらりと目をやってボスの安全を確認する。
「パメラ、おまえか」
パメラは何でもないように頷いた。ロドリゴも続いて車を降りる。
「小物だ。あとはセナートに任せる。―――パメラ」
「イエス、ボス」
パメラを従えて階段を上がって行くボスを見送り、エルヴィーノは恭しく頭を下げた。彼はロドリゴと同年配だが、ここ数年、パメラによってボスの危機が救われたことは数えきれない。
外では愛人と思われているが、実際のところ、二人には男女の関係などない。だがそれすらもボスは、擬態として利用しているようだ。
もっとも組織の連中は、最初から誰一人疑いもしない。あれだけの美女でありながら、荒くれ男どもと腕っぷしで渡り合ってきたパメラだ。下っ端の頃から誰に媚びることなく、溢れる色香を仲間に向けたこともない。彼女を甘く見て手を出そうとした者は皆、ナイフの洗礼を受けていた。
「あのパメラに、そんな甘ったるい感情などあるものか」
コルデラーラの面々は、皆そう思っていた。
ロドリゴの部屋は三部屋続きになっていて、一番手前が書斎。ロドリゴはここを執務室のように使っていた。次の間は居間で、ロドリゴは何も言わず入って行った。パメラも当然のように従う。
ここへ入れるのは部下の中でもごく限られた人物だけだ。盟友ともいうべきエルヴィーノ、部下を取りまとめるセナート。そしてパメラだ。
「ご苦労だった」
「当然のことです、ボス」
ロドリゴは部屋の隅に設えられたバーカウンターに近寄り、グラスを出した。
「私が」
近寄るパメラを手をあげて軽く制し、酒を注ぐ。
「飲むか」
「ありがとうございます」
ロドリゴが一息に呷るのを見て、パメラは酒に口をつけた。ロドリゴは故郷で親しんだ火のような強い酒を好む。パメラも決して弱くはないが、ボスに最後まで付き合えるのはエルヴィーノくらいのものだ。それに、嗜む程度に留めておかないと、いざと言う時にボスの盾になれない。
「ああそうだ」
ロドリゴが長い脚を組んだ。
「明日の夜、鉱山王のメルヴィル氏のパーティーに呼ばれている。またよろしく頼む」
「かしこまりました」
裏社会を牛耳るコルデラーラ家でも、ロドリゴくらいになれば表の社交の場へ呼ばれることもある。いかにロドリゴと言えど、そのような場で護衛に囲まれている訳にはいかない。
「愛人」パメラの役割は重要なのだった。
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