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22・謙斗の真実 上

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「あ、あんなの本気じゃないんだから!」

 またもグチャグチャのどろどろ、しかもボロボロにされた私は、お姫様抱っこで浴室へ連れて行かれながら、必死で訴えていた。

「し、してる時に無理やり言わされただけなんだから、無効よ、あんなのっ!?」
「ふうん、俺が好きってのは嘘だってか」
「決まってるじゃない! だいたいあの時だって、謙斗は―――」

 勢い良くお湯をかけられ、半ば怒鳴りかけていた私は慌てて口を閉ざした。

「ちょっと、何で……」
「いいから黙ってろ」

 ドスの聞いた声で言われたことより、その謙斗の表情に驚いて私は黙った。
 眉間にほんの少し皺を寄せた顔は、召喚されて以来、初めて見る。苦いものに耐えるような、苦しそうな顔。

 ―――謙斗が、こんな顔をするなんて。

 そのままほとんど口をきかず、謙斗は私を洗い流し、またベッドに戻ってきた。出来る侍女のエリーが、いない間にシーツを替えて、きっちり整えてくれている。毎回ベッドがあんなになるなんて、さぞや仲が良いと思われているかも……と複雑な気持ちだ。


「あの時は悪かった」

 突然謙斗が口を開き、私は咄嗟に何のことか分からなかった。でもいつになく真剣な目の謙斗を見て、私が死んだ日のことを言っているのだと気がついた。

「……落ちたのは、謙斗が悪かったわけじゃないわ」

 いろいろ思うところはあるけれど、事実だし、そう言うしかない。謙斗は相槌のように軽く頷いた。

「でも、もっとちゃんと話し合っていれば、あんなことにはならなかった」
「……それは、どうかしら」

 あの時の私は浮気に怒っていたのだから、話し合ってどうにかなったとは思えない。


 すると謙斗が、ほんの少しだけ声を強めた。

「おい、ちょっと待ってくれ。今ならもう信じてくれてもいいだろう? 俺はあの時、本当に浮気なんかしちゃいなかったんだぞ」

「……え?」

 この3年半をひっくり返す発言に、私は固まった。言われてみれば確かに、もう嘘などつく必要はない。お互いこちらの世界に転生しているし、謙斗は私を(強引ではあるけど)手に入れているのだから。それでも、昨夜からあんな目に遭わされているというのに、なぜか謙斗の言葉を疑う気にはならなかった。

「どういうこと……?」
「俺はあの日も、同じことを言ったんだ。おまえは完全に信じ込んで、俺が何を言っても聞いてくれなかったがな」

 確かにあの日は何を言われても、私には言い訳だとしか思えなかった。そして店を飛び出して、私は……。そんな、それが私の勘違いだったっていうの……?

「じゃあ、私……まるで馬鹿じゃないの」
「だから、悪かった」
「馬鹿……っ! 謙斗は悪くないんでしょ!?」


 思わず怒鳴ってしまったせいか、謙斗が歪んで見える。

「おい、泣くな。……魔王のくせに」

 謙斗の困ったような声に、私は初めて自分が泣いているのだと知った。

「泣いてない、怒ってるの!」

 あの時の自分に。どうしようもない思い込みに。そしてその結果起きた、取り返しのつかない過ちに。
 謙斗があの時止めてくれたら良かったのに。ううん違う、謙斗は悪くない。でも、あの時……。
 ああ、もうぐちゃぐちゃだ。

「もうやだ、謙斗の馬鹿ぁ!」

 謙斗の胸を拳でどかどか叩く。分かってる、完全な八つ当たりだ。ううん、それどころか怒られるべきは私、謝るのは私のほうだ。
 なのに、謙斗は黙って私に叩かれている。こんなのは攻撃にならないのか、それとも謙斗があえて許してくれたのか分からない。しゃくり上げ、腕が上がらなくなっても、思い出したように拳を握る私を、謙斗は止めようともせずにただ受け止めてくれた。

「ごめん、なさい……」

 意識が落ちる寸前にやっと言えた。でもその言葉が謙斗の耳に届いたのかどうか……私にはもう分からなかった。



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