魔導師ミアの憂鬱

砂月美乃

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86・秘薬精製 1

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 翌朝、体を清めた私は、このために作った、真っ白なローブを身につけた。とくに頼んで袖はぴったりと腕に沿うように作ってもらい、手に入る中で最も薄手の手袋をつけた。どちらにも封の術を施してあり、触れたものに不用意に魔力を通さないようにしてある。色が純白なのは、たとえ一滴でも、材料や薬がかかったら分かるようにだ。

 昨夜タソワの森から帰った後、5人で相談をした。
 下ごしらえが済んでいるので、ここから完成までは3日かかる。一度取り掛かったら、途中で簡単に手を止めるわけにはいかない。今までのように作業部屋から逃げ出して気持ちを立て直すことはできない。
「僕らの誰かが、作業部屋にいるよ」
エリスがそう言いだして、最初は無理だと言ったのだけれど。
「いよいよ完成近くなって、気絶でもしたらどうするんだ?」
そう言われてしまっては拒めなかった。絶対に気絶しない、という自信もなかったし……。
 その代わり、本当に倒れでもしない限り、絶対に話しかけないでくれるように約束してもらった。


 初日はグリフがついてくれることになったらしい。そっと作業部屋に入ってきて、隅に寄せた椅子にかけて頷く。
「今日は、材料を大鍋で煮詰めるの。レシピ通りの色と濃度になるまで、たぶん1日かかると思う。出来たら漉し器にかけて、今日はそれで終わり」
見ているだけのグリフにも、今日の作業を説明しておく。そうでないと、今どこまで出来ているのか分からないので余計に心配だと思うから。
「途中で手を離せるところはあるのか?」
「……煮詰まってくる前なら、火加減を気を付ければ、少しは手を離せる。あとは火を止めるまでは無理」
「分かった。あとは、ミアから話しかけるまでは何も言わねえ。だから、手を離せるときは無理すんな」
「……うん。じゃあ、始めるね」


 大鍋に、先に準備した植物を決められた順に入れていく。刻んだもの、磨り潰したもの、水から入れるもの、煮立ってきてから入れるもの。火魔法は持っていないので、部屋の真ん中に小さなかまどを組んである。
 大鍋いっぱいに入れた材料と水が、鍋のふちでくつくつと小さく煮立ってきた。この状態を保ちながらときどきかき混ぜ、まずはだいたい半分以下になるまで煮詰めなくてはならない。

 手順を追っているうちは何の問題もなかった。ところが、煮詰めるためにひたすら見守る段階になると、どういうわけか様子が変わってきた。
 大鍋からは、ごく薄く、気を付けなくては分からないくらいの湯気があがっている。なのにずっと見ていると、それが瘴気のような、黒い煙に見えてくる。それが鍋のふちを超え、私に迫ってくる。
「ひ……」
慌てて頭を振って、幻覚を追い払う。それでも白い湯気は、何度でも黒い瘴気に変わって私に襲い掛かろうとする。――――これではだめだ。加減を見誤ったら失敗してしまう。

 グリフに助けを求めようか、一瞬そう思った。でも、今手を離すわけにはいかない。湯気から目を離すことは出来ない。
 何度目か、黒い瘴気が鍋から這い出してきた。すると今度は、黒い煙は蛇に姿を変え、何匹も何匹も、次々と私に向かってくるではないか。

「嫌っ……!」
思わず一歩後ろへ後ずさる私を、明らかに不審に思ったに違いない。視界の端で、グリフが立ち上がるのが見えた。
 でも、もう蛇たちは私の足元まで迫って来ていた。
「いやぁっ! 来ないで!」
「ミア!?」
グリフの声がする。――――もう遅い。鎌首をもたげ、床から跳ね上がり、牙を剥き出して蛇が襲いかかる。

「ミアっ!?」
私の意識は、そこで途切れた。





 私は、知らない森の中を逃げまどっていた。走っても、走っても、蛇たちが追ってくるのだ。シューッ、という威嚇音と、鱗が地面に擦れる音が、静かな森に響き渡る。
 ――――助けて、誰か!? ――――カイン、どこ?

 行く手には誰もいない。それどころか、左右の木立の向こうから、真っ黒な霧が滲み出して広がってくる。
 ――――嫌だ、怖い! 助けて、エリス!
黒い霧が私を包み込み、私は声にならない悲鳴をあげる。

 次の瞬間、はっ、と回りを見回すと、そこは王宮だった。あまり入ったことのない、魔導師たちの一角。
 ――――助かった。
 そう思ったのも束の間、暗い廊下の向こうに光る目がいくつも見えるではないか。そして聞こえてくる、恐ろしい唸り声。光る沢山の目が、じりじりとこちらへ近寄ってきた。
  
 ―――――あれは何!? グリフ、助けて!!
よろり、と後退り、後ろを振り返った私は、目の前の扉が開くのに気づいた。
 あの部屋へ入ったら、逃げられる? しかし僅かな期待は、最悪の形で裏切られる。

『さあ、いらっしゃい。お話があるのよ』
伸ばされた白い手に、がっちりと手首を掴まれる。血のように紅く塗られた爪が、きりきりと食い込んで、ワイン色の髪が絡みつく……。
 の、サラ様……ソフィア。
「いやあああぁ――――っ!!」





「ミアっ! 気がついたか」
「……あ」
明るい光の中で、3人がほっと息をついていた。
「大丈夫か? ずいぶんうなされてたぞ」
「……夢……?」
「覚えてる? ミア、途中で倒れたんだよ」
エリスが私の手を包んでさすってくれる。その手がすごく暖かくて、自分が冷えきっていることに気がつく。

 そう、大鍋から立ち上る黒い霧が蛇に変わって……、そのせいであんな恐ろしい夢をみたのか……。

「!! あれは!?」
慌てて起き上がり、グリフの制止を振り切って、転がるように隣の作業部屋へ向かう。
 もし本当に私が気を失った時は、鍋を火から外してくれるように、とは頼んであった。グリフはもちろんその通りにしてくれているだろう。暖かいうちなら、まだ続けて加熱すれば大丈夫なのだけど……?

「ああ……」
私はがっくりと膝をついて項垂れた。後からついてきたカイン達が、事情を覚って口をつぐむ。
 気を失っている時間が長すぎたのだろう。鍋は完全に冷えてしまっていた。


 王家の秘薬精製、初日。未だ形にもならないうちに、私は早くも失敗してしまった。



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