魔導師ミアの憂鬱

砂月美乃

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5・ルカ様に 上

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 ルカ様はほんの少し驚いた顔をしたが、すぐに納得したように微笑んだ。
「そうか、大変な決心をしてきたのだからね」
 やっぱりルカ様にはお見通しのようだ。

「……ではおいで」
 ルカ様に手を差しのべられ、もう私の心臓は痛いほどだ。出された手を取ることすらできない。
 ルカ様は困ったようにくすりと笑うと、私の背中に手を添えて、隣の部屋へ導いていった。


「ミア、湯を使いたいか?」
 ルカ様に聞かれて初めて気がついた。夕食も食べずに部屋に籠っていたので、当然お風呂にも入っていなかった。いくら私がうといと言っても、それはあまりに失礼だったと思う。
「あ、はい。……ルカ様、すみません、私……何も考えてなくて……」
「そんなことを謝る必要はないよ、おまえが気にするんじゃないかと思ってね」

 そう言って、さらに隣の小部屋へ入っていく。そこはルカ様が浴室として使っているようで、大きな盥(たらい)と桶が置いてあった。ルカ様が盥に手をかざし、口の中で何か呪文を唱えると、盥はお湯で満たされる。
「石鹸はそこに」
 それから戸棚を開け、中からタオルと白い服を出して置いた。
「着替えはこれを使うといい」
 それはルカ様の、魔導師のローブの下に着るシャツだった。私にはそれだけでローブくらいの丈になる。

 そして、
「慌てることはない。ゆっくりしておいで」
そう言い置いて、浴室を出ていった。





 あまり長居しては、また余計なことを考えてしまうし、ルカ様をお待たせしてもいけない。なるべく何も考えないようにして身体を清め、ルカ様のシャツを借りた。浴室を出なくてはならないけれど、扉の前で躊躇ってしまう。

 ルカ様はさっきからすべて私に、自分で決めて動けるようにして下さっている。それは私に後悔させないためとは分かっているけれど、物凄く精神を消耗する。いっそルカ様が、強引に進めてくれたら楽なのに。
 でもそれでは、すべてをルカ様のせいにすることになる。私は私のこれからを、自分で手に入れなくてはならない……。

 私は一度だけぎゅっと目を閉じて、扉に手をかけた。


「―――ルカ様、お待たせしました」
 扉をそっと開けて声をかける。ルカ様は寝室のテーブルで、何か薬草を煎じていた。
「お湯を、ありがとうございます」
 そう言いながら近寄っていくと、私をちらりと見て微笑んだ。
「少しは寛げたのか?」
 そんな余裕など、もちろん今もない。私は気のきいた返事もできないので、黙って首をふる。

「そこへ座りなさい」
 テーブルの横に1脚だけある椅子を勧められ、腰をおろそうとする私の手が震えているのを、ルカ様が見逃す筈はなかった。
「やはり怖いか」
 いつもの、優しく教えて下さるときの口調で言われ、私は返事をする分だけ余裕ができた。
「……はい。ルカ様のことは信頼しています。……でも、私にとっては初めてのことですから……」

「そうだな。……飲みなさい」
 そう言ってルカ様が注いで下さったのは、今煎じたばかりの薬湯だ。
「ミア、ここへ来てから、おまえには薬草の知識をほぼすべて教えた。おまえなら、これが何だかわかるだろう?」
 薬草の話題は予想外だったけれど、これなら安心して答えられる。
「セレンの実とクジャク草……、あとは紫菜の根に……白蝶花の花弁で……あ、これ……!」
「分かったか」
「……はい。以前教えていただいた、心身の緊張を取る……ルカ様……私のために?」

「初めての娘が、緊張しない訳がないからな。だが、ただの娘ならそれでもいいが……、おまえの場合は、それでは顕現できないかもしれない。もっと強い薬を使うこともできるが、それでは後でおまえがつらいだろうから……」
「強い薬、ですか?」
「安心しろ、黙って使ったりしない。これだけはおまえにも教えていない。……媚薬のようなものだ」
「……ああ……、はい……」
 良かった、私にはルカ様の薬湯だけで……。媚薬だなんて、考えるのも怖いから。


 薬湯を飲み終えると、完全に緊張が取れる訳はなかったけれど、手の震えはどうにか治まった。
「ミア」
「……はい、ルカ様」
 ルカ様は座る私の前に膝をついて、目の高さを合わせてくれた。
「おまえは私を信頼していると言ってくれた。私も言っておく。おまえはここに一番長くいて、私の指導を最も多く受けた。おまえがどれだけ悩み、努力したか、私が一番よく知っている。男として、愛している、と言うことはできないが、……私はおまえがいとおしい。今はおまえのために、できる限り辛くないようにするから……信じて、任せてほしい」
「……ルカ様。はい―――お任せします」

 薬湯よりも、ルカ様の言葉のほうが私を安心させてくれた。


 ルカ様は頷いて、私の頬に触れる。いつもの優しい瞳のようで何かが違う、そんなルカ様に私の鼓動がまた跳ね上がるけど、何を思う間もなく、―――私はルカ様に口づけられていた。

 ルカ様の唇が私の唇をとらえ、少しずつ角度を変えるように、何度も口づけられる。唇の合わせ目を舌がくすぐり、ときには啄むようにそっと吸われて……。自分の心臓の音が響き、何も考えられなくなっていた。

 気がついたらルカ様が唇を離して私を見ていた。目許を笑わせ、頬の手を滑らせて親指で私の唇を割る。そして再び唇が触れて……、ルカ様の舌が入ってきた。
「ん……!」
 ルカ様の舌が私の歯をなぞり、私の舌に絡みつく。本当の大人の口づけに、くらくらする頭のどこかで、ティモとのそれなど子供の遊びのようなものだったのだという思いが浮かび……すぐに消えていった。


「あ……」
 ルカ様が立ち上がって唇が離れ、私はいつの間にかルカ様のローブにしがみついていたことに気がついた。
「きゃっ!?」
 いきなり椅子から抱き上げられ、私は声をあげてしまった。
「る、ルカ様。重いです」
 慌てる私をルカ様は笑った。
「重くなどない、あまり馬鹿にするな」
 そして私はベッドに運ばれ、そっと横たえられた。

 ルカ様は灯りをいくつか消して、私の横に座った。私を見下ろすルカ様の顔は微笑んでいるものの、いつもの優しい顔ではなくて、見つめられると何故か体の奥が落ち着かない気持ちになってくる。たぶんこれが、男の人の顔、なんだろう。
「ルカ様……」
 少し、声が震えてしまった。怖いからなのか、それともルカ様の雰囲気のせいなのか、自分でもわからない。
「心配するな」
 ルカ様は私の髪を撫で、囁くように言った。
「おまえはもう19、身体は既に大人になっている。何も恐れる必要はない」
「はい、でも……」
「大丈夫だ」
 そしてまた、ルカ様の唇が降りてきた。

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