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5・リュシアン、暴走する 前
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私が頭のなかで自分から逃げようなどと考えているとは、もちろんリュシアンは思ってもいない。
「だがフェリシア、今日のところは心配いらないよ。ここには誰も来ないよう命じてあるからね」
私は脱力しそうになるのを全力でこらえた。
「殿下、そうではなくて……! ここで2人きりで……殿下にこんなふうにされることに、私が恥ずかしくて、居たたまれないのです」
リュシアンがまじまじと私を見る。……今度こそ分かってくれただろうか。フェリシアは奥手だから、迫っちゃダメなのよ、ということにしたかったんだけど。
密かな期待を胸に様子を窺っていると、リュシアンの頬がぶわっと赤くなった。
「フェリシア、何て可愛いんだ!」
―――はあぁ!?
リュシアンは私の両手を握りしめてまた指先に口づけ、そのまま頬擦りせんばかりに話し続けた。
「そんなことを恥ずかしがるなんて、なんて純真なんだ……! 可憐だ! 天使だ! こんな娘を私の色に染めていけるなんて、私は何て幸運なんだろう!?」
―――ひいいいい! 違う、リュシアン! どんなフィルターかかってるの!? しかも後半、怖いですから!
知らなかった……、本当に知らなかったんです。キラキラ王子様のリュシアンが、こんなに痛い人だったなんて。それともここ、本当はゲームとは別の世界なんでしょうか。
異様な盛り上がりをみせていたリュシアンが、ようやく静かになった。もっとも、私の手は未だリュシアンにしっかりと握られている。
「あ、あの……殿下……」
「なんだい、フェリシア?」
リュシアンは何とも幸せそうに、うっとりと私を見つめる。
「お願いですから、そろそろお手を……」
言いながら手を引っこ抜こうとしてみたけれど、恐ろしいことにびくともしない。するとリュシアンの眉が寄った。
「そんなことより、フェリシア?」
「……はい、殿下」
そんなことじゃないんですけど、という言葉は心の中だけにして答えた。若干棒読みになったのは仕方ないと思う。
「この前言っただろう、『リュシアンで良い』と。どうして聞いてくれないんだ?」
―――どうして聞いてくれない、は私のセリフですが。
「でも殿下……」
「リュシアン」
「畏れ多いです」
「リュシアン」
「……リュシアン殿下」
「『殿下』はいらない。リュシアン」
すみません、ちょっと鬱陶し……というか疲れてきたんですが。もう、この世界に来てからの衝撃と緊張で、私だっていっぱいいっぱいなんですよ、本当は。
だから、私もすっかり頑なになってしまった。たぶんもう少し落ち着いていれば、名前の1回くらいは呼んであげて、後はなだめるとかごまかすとか、とにかくうまくこの場を収めることができたはずだ。
ところが、もうその時の私は、リュシアンなんか放っておいて帰りたいくらいだった。でもこの世界では、彼はゲームの登場人物なんかじゃなくて、本物の王子様だ。どうやらしっかり「身分」というものがあるらしいこの世界で、王子様の機嫌をそこねるわけにはいかない。私の中のフェリシア脳には、その辺がしっかり書き込まれている。
下を向いて黙り込んだ私の表情に、リュシアンはまだ気づかない。
―――ああ、もう嫌だ。私、なんでこんな世界に来ちゃったんだろう……?
やっぱり限界だったのだろう、そう思ったら泣けてきてしまった。
「え、……フェリシア? そんな、なぜ泣くんだ?」
―――おまえのせいだ!!
……まさかそう叫ぶ訳にはいかないので、私の涙はおさまらない。でも、あたふたするリュシアンを見たら、少しだけすっきりした。そうだ、リュシアンだってちょっとくらい困ればいいんだ。
「殿下が、困らせるから……」
溢れる涙をぬぐいもせず上目遣いに見上げると、リュシアンは面白いほどに狼狽した。せっかく涙が出たんだから、この際最大限利用してやる。……後から考えると、私もかなりおかしいけど、この時は本当に限界を超えていたと思うので……大目に見てほしい。
「困らせた? 私が? そんなに嫌だったのか?」
分かりやすすぎるくらい、リュシアンはへにゃりと萎れた。
私はこくりと頷く。……「絶対に言質はとらせない!」とか、ヒロインらしからぬことを考えていたけど。
「……私のことが嫌いなのか?」
「いいえ、殿下」
途端にリュシアンの顔がぱあっと明るくなる。だからって、好きとは言ってないですが。
「殿下はご立派な方だと伺っております。でも1度お会いしただけで、私は殿下のことをほとんど存じません」
真剣な顔で私の言葉に耳を傾けてくれている、そういうリュシアンは本当に恰好いいのに。
「それなのに、このような特別扱いをしていただいては……困ります。殿下のお立場にも障ります」
「だが、フェリシア……」
「お願いです、殿下。どうか、他のご令嬢方と同じにしてください。―――せめて、私が予定通り社交界に出てからに」
そうすれば、少なくとも私には2ヵ月の猶予ができる。その間に、落ち着いてどうしたらいいか考えるのだ。
「……わかった」
しばらく考えていたリュシアンが、私を見て頷いた。
「ありがとうございます、殿下」
ほっとした私は、思わず微笑んでしまった。
「く、可愛い……!」
また崩れてしまったリュシアンに一瞬どきっとしたものの、リュシアンはすぐに立て直し、くっつくように並んでいた椅子を、少し(だけ)離してくれて向かい合った。
「約束しよう、フェリシア。君がデビューするまで、2人きりにはならない。噂になるような真似もしない。それでいいね?」
本当はそれまで会わないでほしいけれど、さすがにこれ以上を望むのは無理だろう。
「はい、殿下。ご理解いただけて嬉しいです」
―――よし、これで何とか時間を稼いで……。
できることなら、逃げ出したい。
「だがフェリシア、今日のところは心配いらないよ。ここには誰も来ないよう命じてあるからね」
私は脱力しそうになるのを全力でこらえた。
「殿下、そうではなくて……! ここで2人きりで……殿下にこんなふうにされることに、私が恥ずかしくて、居たたまれないのです」
リュシアンがまじまじと私を見る。……今度こそ分かってくれただろうか。フェリシアは奥手だから、迫っちゃダメなのよ、ということにしたかったんだけど。
密かな期待を胸に様子を窺っていると、リュシアンの頬がぶわっと赤くなった。
「フェリシア、何て可愛いんだ!」
―――はあぁ!?
リュシアンは私の両手を握りしめてまた指先に口づけ、そのまま頬擦りせんばかりに話し続けた。
「そんなことを恥ずかしがるなんて、なんて純真なんだ……! 可憐だ! 天使だ! こんな娘を私の色に染めていけるなんて、私は何て幸運なんだろう!?」
―――ひいいいい! 違う、リュシアン! どんなフィルターかかってるの!? しかも後半、怖いですから!
知らなかった……、本当に知らなかったんです。キラキラ王子様のリュシアンが、こんなに痛い人だったなんて。それともここ、本当はゲームとは別の世界なんでしょうか。
異様な盛り上がりをみせていたリュシアンが、ようやく静かになった。もっとも、私の手は未だリュシアンにしっかりと握られている。
「あ、あの……殿下……」
「なんだい、フェリシア?」
リュシアンは何とも幸せそうに、うっとりと私を見つめる。
「お願いですから、そろそろお手を……」
言いながら手を引っこ抜こうとしてみたけれど、恐ろしいことにびくともしない。するとリュシアンの眉が寄った。
「そんなことより、フェリシア?」
「……はい、殿下」
そんなことじゃないんですけど、という言葉は心の中だけにして答えた。若干棒読みになったのは仕方ないと思う。
「この前言っただろう、『リュシアンで良い』と。どうして聞いてくれないんだ?」
―――どうして聞いてくれない、は私のセリフですが。
「でも殿下……」
「リュシアン」
「畏れ多いです」
「リュシアン」
「……リュシアン殿下」
「『殿下』はいらない。リュシアン」
すみません、ちょっと鬱陶し……というか疲れてきたんですが。もう、この世界に来てからの衝撃と緊張で、私だっていっぱいいっぱいなんですよ、本当は。
だから、私もすっかり頑なになってしまった。たぶんもう少し落ち着いていれば、名前の1回くらいは呼んであげて、後はなだめるとかごまかすとか、とにかくうまくこの場を収めることができたはずだ。
ところが、もうその時の私は、リュシアンなんか放っておいて帰りたいくらいだった。でもこの世界では、彼はゲームの登場人物なんかじゃなくて、本物の王子様だ。どうやらしっかり「身分」というものがあるらしいこの世界で、王子様の機嫌をそこねるわけにはいかない。私の中のフェリシア脳には、その辺がしっかり書き込まれている。
下を向いて黙り込んだ私の表情に、リュシアンはまだ気づかない。
―――ああ、もう嫌だ。私、なんでこんな世界に来ちゃったんだろう……?
やっぱり限界だったのだろう、そう思ったら泣けてきてしまった。
「え、……フェリシア? そんな、なぜ泣くんだ?」
―――おまえのせいだ!!
……まさかそう叫ぶ訳にはいかないので、私の涙はおさまらない。でも、あたふたするリュシアンを見たら、少しだけすっきりした。そうだ、リュシアンだってちょっとくらい困ればいいんだ。
「殿下が、困らせるから……」
溢れる涙をぬぐいもせず上目遣いに見上げると、リュシアンは面白いほどに狼狽した。せっかく涙が出たんだから、この際最大限利用してやる。……後から考えると、私もかなりおかしいけど、この時は本当に限界を超えていたと思うので……大目に見てほしい。
「困らせた? 私が? そんなに嫌だったのか?」
分かりやすすぎるくらい、リュシアンはへにゃりと萎れた。
私はこくりと頷く。……「絶対に言質はとらせない!」とか、ヒロインらしからぬことを考えていたけど。
「……私のことが嫌いなのか?」
「いいえ、殿下」
途端にリュシアンの顔がぱあっと明るくなる。だからって、好きとは言ってないですが。
「殿下はご立派な方だと伺っております。でも1度お会いしただけで、私は殿下のことをほとんど存じません」
真剣な顔で私の言葉に耳を傾けてくれている、そういうリュシアンは本当に恰好いいのに。
「それなのに、このような特別扱いをしていただいては……困ります。殿下のお立場にも障ります」
「だが、フェリシア……」
「お願いです、殿下。どうか、他のご令嬢方と同じにしてください。―――せめて、私が予定通り社交界に出てからに」
そうすれば、少なくとも私には2ヵ月の猶予ができる。その間に、落ち着いてどうしたらいいか考えるのだ。
「……わかった」
しばらく考えていたリュシアンが、私を見て頷いた。
「ありがとうございます、殿下」
ほっとした私は、思わず微笑んでしまった。
「く、可愛い……!」
また崩れてしまったリュシアンに一瞬どきっとしたものの、リュシアンはすぐに立て直し、くっつくように並んでいた椅子を、少し(だけ)離してくれて向かい合った。
「約束しよう、フェリシア。君がデビューするまで、2人きりにはならない。噂になるような真似もしない。それでいいね?」
本当はそれまで会わないでほしいけれど、さすがにこれ以上を望むのは無理だろう。
「はい、殿下。ご理解いただけて嬉しいです」
―――よし、これで何とか時間を稼いで……。
できることなら、逃げ出したい。
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