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4・そろそろ退場を考えています 後

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 ◆◇◆

 あの夜会の夜から、ひと月が経っていた。
 私はあれ以来社交の場へ出ることなく、部屋に籠っている。

 お母さまがまた手配したらしいシャルルのエスコートも、お断りしてもらった。その後シャルルが訪ねてきたらしいけど、体調が悪いからと会っていない。
 新しいドレスも、もう必要ない。
 だって、シャルルにはちゃんとしたヒロインが現れたんだもの。

 あの晩倒れた女の子は、隣国の大使の娘でアイリーンと言うらしい。きっと今頃、シャルルとアイリーンは仲良くなっている。そろそろ二人で夜会に出たりしたかもしれない。
 だから、私はもうシャルルとは会わない。これ以上一緒にいたら、私は完全に邪魔者……本物の悪役令嬢になってしまうから。ゲームではここからこそが悪役令嬢わたしの出番だ。でも結末を知っている私は、そこまでしたくない。そろそろ退場させてもらおうと思う。

 ほんの少しだけ胸が痛むのは、仕方ない。私にとってシャルルは、今や一番気兼ねなく話せる相手だったのだもの。もう私と本の話ができる人はいない。淋しいけれど、仕方ないよね……。

 私はそんな気持ちをぶつけるように、ひたすら小説を書いていた。
 シャルルはきっと、アイリーンに優しく微笑むだろう。彼にとっては初恋の相手だ。照れるとぶっきらぼうになるシャルルだけれど、アイリーンはちゃんと分かるだろうか。ううん、きっとうまく行く。シャルルが意を決したようにアイリーンの手をとって、それから……。

 没頭すると周りの音が聞こえなくなるのは、私の悪い癖だ。小説の中で、シャルルは今まさにアイリーンの前に跪いたところだった。

『アイリーン、僕と結婚してくれ』

 果たしてアイリーンは、どうするだろう? 微笑むか、泣くか、それとも……。私は少し考え、頷いた。たぶんヒロインは、花が開くように笑うだろう。ヒロインの台詞はこうだ。

『……嬉しいです、シャルルさま』

「――ふうん、今度は僕の話なの?」

 抑えた低い声と同時に、ノートが宙に浮いた。

「!?」

 誰か……は、言うまでもない。
 前にも同じように、シャルルに小説を見られたことがある。でも今日のシャルルは、あの時とは違う。その声も眼差しも凍てついたみたいに冷たくて、触れたら私まで凍り付きそうだ。

「……ちょっと、返してよ」
「黙れ。そこから動くな」

 シャルルはこれまで見たこともない怖い顔で、後ろの椅子に腰を下ろした。そしてノートをぱらぱらとめくりながら、私を睨みつける。

「君はどうして、僕に会おうとしないんだ?」
「え……、だって」

 どうして? シャルルはいったいなぜ、あんな怖い顔をしてるんだろう。
 いや、今はそんなことを考えている場合じゃない。読書家のシャルルは、読むスピードも速い。それほど読みやすいとは言えない私の殴り書きをサラサラ読んでゆく。その顔色がわずかに赤くなり、そして青くなった。最後まで読んでノートを閉じた頃には、血の気が引いて白っぽくなっていた。

 ――やっぱり実名は、まずかった? そういやリュシアン王子の話を書いた時に、実名はやめろって言われたっけ。

 謝るべきかと思いながら、そっとシャルルの顔色を伺う。シャルルはずいぶん長いこと無言で本を睨みつけていたけれど、やがて顔を上げると言った。

「……これが君の本心なのか」
「え」

 その無表情な顔に、私はなぜかうろたえた。こちらの世界にはないけれど、「能面のような顏」。あれがぴったりだと思う。

 でも……。本心って、どういうことだろう。
 だってここは「ヒミツの恋愛遊戯」の世界。ヒーローのシャルルがいて、悪役令嬢の私ミレーヌがいるならば、当然ヒロインもいるはずだ。確かにプレイヤーのデフォルト名は「アイリーン」じゃなかったけれど、それだってもしかしたら、今誰かがプレイしてる名前って可能性もあるじゃない?

 私はあくまでも、ストーリーをすすめる上での、ほんのスパイス。ちょっと出番が多いだけの、モブに毛が生えたくらいの悪役令嬢。だから、シャルルは私なんかと会ってる暇はない。早くヒロインに返してあげなくちゃ。
 だって……シャルルは、ヒロインを選ぶんだもの。

 私はつとめて何でもないように頷いた。シャルルはもしかしたら、仲が良かった私に悪いと思っているのかもしれない。

「そうよ、それがどうしたの? だってシャルル、貴方に幸せになって欲しいもの。あなたもアイリーンが好きなんでしょう?」
「僕が? アイリーン嬢を……?」
「そうよ。貴方とアイリーン、お似合いだわ。……お幸せに、ね」
「……そうか」

 腹の底から絞り出したようなその声は、なぜか私の心の奥に響いた。

「よく分かったよ」

 シャルルは立ち上がり、忌々しげにノートを投げ捨てた。そのままひと言も口をきくこともなく、部屋を出て行く。私のほうを振り向こうともしなかった。

 私はしばらく呆然として、シャルルの出て行ったドアを眺めていた。それから自分でもひどくぎこちない動きで、ノートを拾い上げる。ノートは床に落ちたせいで、ページが折れてしまっていた。

 怒ってる。
 めちゃくちゃ怒ってる。

 折れたページを直しながら、私は思いきり顔をしかめた。どうしてシャルルがあんなに怒るのか、分からない。

 ――なんで? なんで怒るの? ヒロインが登場したんだから、ミレーヌわたしなんかどうでもいいんじゃないの? ヒロインをエスコートして一緒に踊ったり、中庭でイチャイチャしたりして……さっさとプロポーズしたらいいじゃない。ミレーヌモブはこれにて退場しますから、どうぞお幸せに……。

「あれ……?」

 急に視界がぼやけ、ノートにぽたぽたと雫が落ちる。数舜遅れて、それが涙だと理解した。

 ――私、泣いてるの……?

 そう、泣いているのだ。
 だって、シャルルがあんなに怒るなんて、思わなかったんだもの。嫌われた、きっと。もう会えない。大事な友人を、私は……。

「あ」

 ――馬鹿だ。

 本当に、馬鹿だ。ここまでやらかした今になって、初めて分かった。

「あはは……。そこまでテンプレとか、まじで私って……」

 そう、ここにきてやっと気づくなんて。
 私の涙の理由。こんなにも、辛い理由。
 この世界はもう、ゲームじゃない。今の私にとっての現実だ。ならば、シャルルはただの推しじゃない。

「好きとか、馬鹿じゃん……」

 またしても滴る涙でインクが滲んでゆく。昨日までの私なら、きっと悲鳴をあげて拭いていただろう。でももう構わない。どうせもともと読む人なんかいないし、アイリーンとのシーンなんて書けないもの。
 それでも私はノートを閉じた。これ以上見ていたくなかったから。

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