44 / 50
44・訪問者たち 前
しおりを挟む
翌日の昼頃、見知らぬ男が門のベルを鳴らした。この「竜の城」を訪れるのは、ギュンター子爵の使いの他は、麓の村の者が数人だけだ。むろん厳しく選ばれた信用のおける人間で、城の使用人にも顔が知られている。
「知らねえ顔だな……」
ちょうど門の近くで鋏を入れていた庭師の二コラは首をかしげた。身なりからみると王宮からきたらしいが、いつもの子爵の使いとは雰囲気も違う。
二コラの知らせで、家令のエクムントがやってきた。
もっともらしい口上を述べ始めた男を、エクムントは制した。
「わが主より、証拠の印をお持ちでない方は信用してはならぬと申しつかっております。印をお示しいただけないのなら、お引き取り下さい」
男は「途中で印を失くした」だのあれこれと言い訳をしていたが、エクムントはにべもなく言った。
「お気の毒ですが、一度お戻りになって出直されますよう。主の言いつけですから、決して咎められることはありますまい」
さすがに無理と覚ったのか、その男は諦めて引き下がった。エクムントはヴィルフリートに報告はしたが、ひとまずそのまま様子をみることに決めた。
それから十日ほど経ったある晩。ヴィルフリートはふと目を覚ました。彼が夜中に目を覚ますことは珍しい。隣を見ればアメリアが、彼の肩に額をつけるようにして眠っている。特に変わった様子もなかった。
「……?」
だが、何かが変だ。ヴィルフリートは起き上がり、アメリアを起こさぬように静かにガウンを羽織って立ち上がった。
二人の寝室は館の中心にあり、広い前庭が見渡せる。その夜は新月も近く、それほど明るくはなかった。だが彼は普通の人間よりも夜目がきく。何かを目にした彼は、急いで部屋を出た。
「エクムント」
静かに扉をたたくと、すぐに身動きする気配がして、まもなくエクムントが顔を覗かせた。ヴィルフリートは目顔で合図して囁く。
「門の西側から侵入したものがいる。おそらく三人」
エクムントははっと息を呑んだが、すぐに頷いた。
「ヴィルフリート様は奥方様を。あとは我々で」
そう言いながら、エクムントはすでに他の使用人の部屋へ歩き出していた。ヴィルフリートはそのまま踵をかえす。
アメリアは何も知らないまま、よく眠っていた。何事もなく済むならこのまま寝かせておいてやりたいが、そうも行かない。ヴィルフリートはアメリアをそっと揺り起こした。
「……静かに。敷地へ忍び込んだものがいる」
アメリアは小さく息を漏らしたが、それでもヴィルフリートの言う通りに、気丈にも靴を履き上着を羽織った。ヴィルフリートはそのまま長椅子にかけてアメリアを抱き、庭へ目を光らせる。エクムントらは間に合うだろうか。
恐らく侵入者は盗賊の類ではなく、ギュンター子爵の足取りを辿り、ここに「竜の末裔」絡みの秘密があると探りに来たものだろう。すぐに館へ入ろうとはせずに様子を伺っている。
人気のなさそうな図書室のほうから侵入することにしたのか、黒い影が窓に近寄った。
その時隣室の窓が空き、煌々と明かりが灯った。三人の侵入者たちがハッと立ちすくむ。
「こんな時間に、当家に何のご用ですかな」
低い声で問いかけたのはエクムントだった。その手にはボウガンが構えられている。中心にいた男が慌てたように言った。
「い、いや、お騒がせして申し訳ない。道に迷いましてな、一晩休ませていただけないかと……」
「ほう、道に迷われた。呼び鈴も鳴らさず、わざわざ生け垣を乗り越えてとはご苦労さまですな」
「……」
もう一人の男がひっと息を吸った。エクムントが注意を引いている間に、いつの間にかさらに二人の男が、後ろから武器を構えているではないか。彼らは知らないが、庭師のニコラと馭者のフーゴだった。
「言い訳は聞きません。お引き取り下さい」
中央の男はそっと振り返った。それぞれの武器が確実に狙いを定めている。
「くっ……」
それでもまだ何か言おうとしたが、それまで黙っていた男が首を振って止めた。
「さあ、帰ってもらおうか」
ニコラが大きな鎌を構え、三人の男を歩かせる。フーゴが手にしているのは馭者らしからぬ長剣だ。エクムントは侵入者が敷地の外へ出るまで、矢をつがえて見送った。
「失礼、ヴィルフリート様」
男たちが門の外へ出ると、エクムントはすぐに主の寝室へ向かった。もちろんヴィルフリートは起きていて、その腕に妻を抱いている。
「エクムント、ご苦労だった。……追い返したのか?」
「はい、あとはニコラとフーゴに任せてあります。お騒がせを致しました。奥方様はどうか安心してお休み下さい」
アメリアの不安を煽らぬよう、そう報告するにとどめた。あとはヴィルフリートが何とか宥めてくれるだろう。
エクムントは自分の仕事部屋へ入り、ギュンター子爵へ手紙を書き始めた。
手紙を書き終えてしばらくした頃、静かに扉が空いて、ニコラとフーゴが入ってきた。
「エクムントさん、戻りました」
「ご苦労ですな、お二人とも」
エクムントの言葉は、庭師と馭者に対するものより丁寧だ。実は二人とも、もとはギュンター子爵の部下だった。「竜の城」の警護役としてここに暮らすようになって長い。普段は庭師と馭者としての暮らしがすっかり板についているが、決して訓練を怠ることはなかった。
「……で?」
「ええ、ご安心を」
それ以上は口に出さずとも分かる。ただ追い返しただけでは安心など出来ない。森の中で、 密かに始末してきたのだろう。エクムントは頷いた。
「とは言え、これ以上人数を増やされでもしたら困りますな。やはり子爵様にお知らせしたほうが……」
「ええ、今書いておきました」
「なら明日、私が村へ行きましょう。ちょうど買い出しに行く日ですからね」
ついでに果物を買ってくるくらいの気安さで、フーゴが言った。だが彼が実は先代子爵の護衛を任される程の腕前だったことを、エクムントは知っていた。
「知らねえ顔だな……」
ちょうど門の近くで鋏を入れていた庭師の二コラは首をかしげた。身なりからみると王宮からきたらしいが、いつもの子爵の使いとは雰囲気も違う。
二コラの知らせで、家令のエクムントがやってきた。
もっともらしい口上を述べ始めた男を、エクムントは制した。
「わが主より、証拠の印をお持ちでない方は信用してはならぬと申しつかっております。印をお示しいただけないのなら、お引き取り下さい」
男は「途中で印を失くした」だのあれこれと言い訳をしていたが、エクムントはにべもなく言った。
「お気の毒ですが、一度お戻りになって出直されますよう。主の言いつけですから、決して咎められることはありますまい」
さすがに無理と覚ったのか、その男は諦めて引き下がった。エクムントはヴィルフリートに報告はしたが、ひとまずそのまま様子をみることに決めた。
それから十日ほど経ったある晩。ヴィルフリートはふと目を覚ました。彼が夜中に目を覚ますことは珍しい。隣を見ればアメリアが、彼の肩に額をつけるようにして眠っている。特に変わった様子もなかった。
「……?」
だが、何かが変だ。ヴィルフリートは起き上がり、アメリアを起こさぬように静かにガウンを羽織って立ち上がった。
二人の寝室は館の中心にあり、広い前庭が見渡せる。その夜は新月も近く、それほど明るくはなかった。だが彼は普通の人間よりも夜目がきく。何かを目にした彼は、急いで部屋を出た。
「エクムント」
静かに扉をたたくと、すぐに身動きする気配がして、まもなくエクムントが顔を覗かせた。ヴィルフリートは目顔で合図して囁く。
「門の西側から侵入したものがいる。おそらく三人」
エクムントははっと息を呑んだが、すぐに頷いた。
「ヴィルフリート様は奥方様を。あとは我々で」
そう言いながら、エクムントはすでに他の使用人の部屋へ歩き出していた。ヴィルフリートはそのまま踵をかえす。
アメリアは何も知らないまま、よく眠っていた。何事もなく済むならこのまま寝かせておいてやりたいが、そうも行かない。ヴィルフリートはアメリアをそっと揺り起こした。
「……静かに。敷地へ忍び込んだものがいる」
アメリアは小さく息を漏らしたが、それでもヴィルフリートの言う通りに、気丈にも靴を履き上着を羽織った。ヴィルフリートはそのまま長椅子にかけてアメリアを抱き、庭へ目を光らせる。エクムントらは間に合うだろうか。
恐らく侵入者は盗賊の類ではなく、ギュンター子爵の足取りを辿り、ここに「竜の末裔」絡みの秘密があると探りに来たものだろう。すぐに館へ入ろうとはせずに様子を伺っている。
人気のなさそうな図書室のほうから侵入することにしたのか、黒い影が窓に近寄った。
その時隣室の窓が空き、煌々と明かりが灯った。三人の侵入者たちがハッと立ちすくむ。
「こんな時間に、当家に何のご用ですかな」
低い声で問いかけたのはエクムントだった。その手にはボウガンが構えられている。中心にいた男が慌てたように言った。
「い、いや、お騒がせして申し訳ない。道に迷いましてな、一晩休ませていただけないかと……」
「ほう、道に迷われた。呼び鈴も鳴らさず、わざわざ生け垣を乗り越えてとはご苦労さまですな」
「……」
もう一人の男がひっと息を吸った。エクムントが注意を引いている間に、いつの間にかさらに二人の男が、後ろから武器を構えているではないか。彼らは知らないが、庭師のニコラと馭者のフーゴだった。
「言い訳は聞きません。お引き取り下さい」
中央の男はそっと振り返った。それぞれの武器が確実に狙いを定めている。
「くっ……」
それでもまだ何か言おうとしたが、それまで黙っていた男が首を振って止めた。
「さあ、帰ってもらおうか」
ニコラが大きな鎌を構え、三人の男を歩かせる。フーゴが手にしているのは馭者らしからぬ長剣だ。エクムントは侵入者が敷地の外へ出るまで、矢をつがえて見送った。
「失礼、ヴィルフリート様」
男たちが門の外へ出ると、エクムントはすぐに主の寝室へ向かった。もちろんヴィルフリートは起きていて、その腕に妻を抱いている。
「エクムント、ご苦労だった。……追い返したのか?」
「はい、あとはニコラとフーゴに任せてあります。お騒がせを致しました。奥方様はどうか安心してお休み下さい」
アメリアの不安を煽らぬよう、そう報告するにとどめた。あとはヴィルフリートが何とか宥めてくれるだろう。
エクムントは自分の仕事部屋へ入り、ギュンター子爵へ手紙を書き始めた。
手紙を書き終えてしばらくした頃、静かに扉が空いて、ニコラとフーゴが入ってきた。
「エクムントさん、戻りました」
「ご苦労ですな、お二人とも」
エクムントの言葉は、庭師と馭者に対するものより丁寧だ。実は二人とも、もとはギュンター子爵の部下だった。「竜の城」の警護役としてここに暮らすようになって長い。普段は庭師と馭者としての暮らしがすっかり板についているが、決して訓練を怠ることはなかった。
「……で?」
「ええ、ご安心を」
それ以上は口に出さずとも分かる。ただ追い返しただけでは安心など出来ない。森の中で、 密かに始末してきたのだろう。エクムントは頷いた。
「とは言え、これ以上人数を増やされでもしたら困りますな。やはり子爵様にお知らせしたほうが……」
「ええ、今書いておきました」
「なら明日、私が村へ行きましょう。ちょうど買い出しに行く日ですからね」
ついでに果物を買ってくるくらいの気安さで、フーゴが言った。だが彼が実は先代子爵の護衛を任される程の腕前だったことを、エクムントは知っていた。
0
お気に入りに追加
1,281
あなたにおすすめの小説
極悪家庭教師の溺愛レッスン~悪魔な彼はお隣さん~
恵喜 どうこ
恋愛
「高校合格のお礼をくれない?」
そう言っておねだりしてきたのはお隣の家庭教師のお兄ちゃん。
私よりも10歳上のお兄ちゃんはずっと憧れの人だったんだけど、好きだという告白もないままに男女の関係に発展してしまった私は苦しくて、どうしようもなくて、彼の一挙手一投足にただ振り回されてしまっていた。
葵は私のことを本当はどう思ってるの?
私は葵のことをどう思ってるの?
意地悪なカテキョに翻弄されっぱなし。
こうなったら確かめなくちゃ!
葵の気持ちも、自分の気持ちも!
だけど甘い誘惑が多すぎて――
ちょっぴりスパイスをきかせた大人の男と女子高生のラブストーリーです。
【完結】もう無理して私に笑いかけなくてもいいですよ?
冬馬亮
恋愛
公爵令嬢のエリーゼは、遅れて出席した夜会で、婚約者のオズワルドがエリーゼへの不満を口にするのを偶然耳にする。
オズワルドを愛していたエリーゼはひどくショックを受けるが、悩んだ末に婚約解消を決意する。だが、喜んで受け入れると思っていたオズワルドが、なぜか婚約解消を拒否。関係の再構築を提案する。その後、プレゼント攻撃や突撃訪問の日々が始まるが、オズワルドは別の令嬢をそばに置くようになり・・・
「彼女は友人の妹で、なんとも思ってない。オレが好きなのはエリーゼだ」
「私みたいな女に無理して笑いかけるのも限界だって夜会で愚痴をこぼしてたじゃないですか。よかったですね、これでもう、無理して私に笑いかけなくてよくなりましたよ」
嫌われ女騎士は塩対応だった堅物騎士様と蜜愛中! 愚者の花道
Canaan
恋愛
旧題:愚者の花道
周囲からの風当たりは強いが、逞しく生きている平民あがりの女騎士ヘザー。ある時、とんでもない痴態を高慢エリート男ヒューイに目撃されてしまう。しかも、新しい配属先には自分の上官としてそのヒューイがいた……。
女子力低い残念ヒロインが、超感じ悪い堅物男の調子をだんだん狂わせていくお話。
※シリーズ「愚者たちの物語 その2」※
淫らな蜜に狂わされ
歌龍吟伶
恋愛
普段と変わらない日々は思わぬ形で終わりを迎える…突然の出会い、そして体も心も開かれた少女の人生録。
全体的に性的表現・性行為あり。
他所で知人限定公開していましたが、こちらに移しました。
全3話完結済みです。
敗戦国の姫は、敵国将軍に掠奪される
clayclay
恋愛
架空の国アルバ国は、ブリタニア国に侵略され、国は壊滅状態となる。
状況を打破するため、アルバ国王は娘のソフィアに、ブリタニア国使者への「接待」を命じたが……。
隠れ御曹司の手加減なしの独占溺愛
冬野まゆ
恋愛
老舗ホテルのブライダル部門で、チーフとして働く二十七歳の香奈恵。ある日、仕事でピンチに陥った彼女は、一日だけ恋人のフリをするという条件で、有能な年上の部下・雅之に助けてもらう。ところが約束の日、香奈恵の前に現れたのは普段の冴えない彼とは似ても似つかない、甘く色気のある極上イケメン! 突如本性を露わにした彼は、なんと自分の両親の前で香奈恵にプロポーズした挙句、あれよあれよと結婚前提の恋人になってしまい――!? 「誰よりも大事にするから、俺と結婚してくれ」恋に不慣れな不器用OLと身分を隠したハイスペック御曹司の、問答無用な下克上ラブ!
イケメン社長と私が結婚!?初めての『気持ちイイ』を体に教え込まれる!?
すずなり。
恋愛
ある日、彼氏が自分の住んでるアパートを引き払い、勝手に『同棲』を求めてきた。
「お前が働いてるんだから俺は家にいる。」
家事をするわけでもなく、食費をくれるわけでもなく・・・デートもしない。
「私は母親じゃない・・・!」
そう言って家を飛び出した。
夜遅く、何も持たず、靴も履かず・・・一人で泣きながら歩いてるとこを保護してくれた一人の人。
「何があった?送ってく。」
それはいつも仕事場のカフェに来てくれる常連さんだった。
「俺と・・・結婚してほしい。」
「!?」
突然の結婚の申し込み。彼のことは何も知らなかったけど・・・惹かれるのに時間はかからない。
かっこよくて・・優しくて・・・紳士な彼は私を心から愛してくれる。
そんな彼に、私は想いを返したい。
「俺に・・・全てを見せて。」
苦手意識の強かった『営み』。
彼の手によって私の感じ方が変わっていく・・・。
「いあぁぁぁっ・・!!」
「感じやすいんだな・・・。」
※お話は全て想像の世界のものです。現実世界とはなんら関係ありません。
※お話の中に出てくる病気、治療法などは想像のものとしてご覧ください。
※誤字脱字、表現不足は重々承知しております。日々精進してまいりますので温かく見ていただけると嬉しいです。
※コメントや感想は受け付けることができません。メンタルが薄氷なもので・・すみません。
それではお楽しみください。すずなり。
とある高校の淫らで背徳的な日常
神谷 愛
恋愛
とある高校に在籍する少女の話。
クラスメイトに手を出し、教師に手を出し、あちこちで好き放題している彼女の日常。
後輩も先輩も、教師も彼女の前では一匹の雌に過ぎなかった。
ノクターンとかにもある
お気に入りをしてくれると喜ぶ。
感想を貰ったら踊り狂って喜ぶ。
してくれたら次の投稿が早くなるかも、しれない。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる