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26・竜のしるし 前
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激しい雨音も、時折吹き抜ける冷たい風も忘れた。
「竜の特徴」を目にしたとき、自分は取り乱さずにいられるだろうか―――ここへ来るまでの馬車の中で、アメリアはそれを案じてきた。そして今、時間すらとまったかのように、アメリアは息を詰めてそれを凝視していた。
二の腕の外側に、白く輝く鱗―――ヴィルフリートの「竜の特徴」。数は十枚ほどか、ひとつひとつが銀貨ほどの大きさのそれは、形こそ魚の鱗と同じだけれど、まるで……違う。月長石に、虹を映したら……こんなふうに煌めくかもしれない。
「……怖いか」
頭の上から声がした。見上げると、ヴィルフリートの金色の瞳が揺れている。あまり長いこと黙って見つめていたせいか、その目には不安げな光も見えた。
アメリアはこれまで、「竜の特徴」とはどんなものなのか、人ならざる証を気にして恐れてきた。
確かにその身に鱗をもつ人間などいない。初対面でこれを見せられたら、間違いなく震えあがっただろう。
それでも、今はもうヴィルフリートの為人を知っている。決して異形のものなどではない。
「……触れてみても、いいですか」
アメリアの言葉にヴィルフリートは目をまるくしたが、黙ってゆっくりと頷いた。そっと伸ばした指が、鱗の一枚に触れる。宝石のような硬い輝きを放っているけれど、その下の血の流れを映してか、冷たくはない。アメリアの指が一度離れ、柔らかい掌がそっと当てられた。
「暖かい……」
「……怖くないのか?」
「はい」
「―――!」
ヴィルフリートが、信じられないという顔でアメリアを見つめる。その顔を見てアメリアは思った。
―――自分は何をあんなに恐れていたのだろう? 生まれつきの痣や黒子と、何が違うというのか。
「ごめんなさい、ヴィルフリート様。怖がったりして……。ヴィルフリート様は、ヴィルフリート様でしたのに」
ヴィルフリートは両手でアメリアの肩を掴んだ。
「アメリア、それは……この私を恐れないということか」
金の瞳が煌めき、アメリアをひたと見据えている。アメリアも目を逸らさずに頷いた。
「はい、ヴィルフリート様」
「ならば、竜の私を……受け入れてくれるのだな」
「あ……」
言外の意味を読み取って、アメリアは頬を染めた。
「それで良いのか?」
ヴィルフリートの目が真剣すぎて、まるで射抜かれてしまいそうだ。答えようと口を開いたけれど、声が出せない。どうしよう、どうしたら……。
「頼む、答えてくれ。アメリ……!」
思い余って、アメリアはヴィルフリートの胸に飛び込んだ。
ヴィルフリートは驚きに一瞬身を強張らせた。自分からしたこととはいえ、アメリアは今さら恥ずかしくなってシャツに顔を埋める。その身体を、ゆっくりと回した腕が抱きしめた。
「アメリア、ありがとう」
その声にも答えられず、アメリアはシャツを掴んだまま俯いていた。
雨は一向に止む気配を見せない。ヴィルフリートの上着を羽織らせて抱いていても、雨粒交じりの風がドレスをはためかせる。腕の中の身体が細かく震え出すのを感じ、ヴィルフリートは決断した。
「アメリア、少しだけ我慢してくれ」
「えっ……」
上着を頭から被せなおし、ヴィルフリートはアメリアを抱きかかえる。そしてやにわに雨の中を走り出した。
「まあ、ヴィルフリート様、アメリア様!」
突然の雨に二人を心配してホールで待っていたレオノーラは、濡れ鼠になって駈け込んで来た主たちに思わず声をあげた。ヴィルフリートはアメリアを抱いたまま、二階へ駆け上がろうとする。ついて来ようとするレオノーラに、振り返って言った。
「私がするから、来なくていい」
レオノーラは階段の手すりを掴んだまま、あっけにとられて立ちつくした。
寝室へ入りアメリアを下ろすと、ヴィルフリートはまず羽織らせた上着をはいだ。その下のドレスももうほとんど冷たい雨に濡れて、アメリアの手足にまとわりついている。暖炉には火が入っていたが、このままでは冷え切ってしまうだろう。
胸元のリボンにかけたヴィルフリートの手を、アメリアが押しとどめた。
「ヴィ、ヴィルフリート様。自分で……!」
「駄目だ、風邪を引く」
「あっ……」
濡れた布は解きにくい。いささか乱暴に引いたリボンがきゅっと音をたて、その下のボタンまで外れてしまった。そのまま下まで続くボタンを、ヴィルフリートはもどかしい思いで外してゆく。
「う……」
アメリアが首まで赤く染めて俯いた。ただ濡れた服を着替えさせるわけではない。もうそれくらいは分かっている。
濡れて冷たいドレスが剥ぎ取られ、足元に落とされた。幸いコルセットまでは雨が通っていなかったので、ヴィルフリートは苦労することなくこれも外した。
シュミーズ姿になったアメリアをベッドに座らせ、ヴィルフリートは自分のシャツを脱ぐ。広い庭を横切ってきた彼のシャツは、絞れるほどに雨を吸っていた。びしゃりと重い水音をたててシャツが放り出される。
ヴィルフリートが半身を晒したのを見て、アメリアは思わず視線をそらした。
まるで突き動かされたように気持ちを伝えてしまった。それは良かったのだけれど、あれよあれよという間に……こんなことになってしまった。
ヴィルフリートはタオルを取って、雫の垂れる髪をかき上げた。そしてアメリアの額も濡れているのに気づいて手を伸ばした。
「あ、私が……」
タオルが触れて慌てて顔を上げると、金の瞳と目が合った。その淡い耀きに吸い込まれたように、アメリアは動けなくなってしまった。
ヴィルフリートは目を合わせたまま、タオルを傍らに置いた。そして両手でアメリアの頬を包む。濡れた金色の髪がぱらりと落ちてきたのを合図に、アメリアは目を閉じた。
「竜の特徴」を目にしたとき、自分は取り乱さずにいられるだろうか―――ここへ来るまでの馬車の中で、アメリアはそれを案じてきた。そして今、時間すらとまったかのように、アメリアは息を詰めてそれを凝視していた。
二の腕の外側に、白く輝く鱗―――ヴィルフリートの「竜の特徴」。数は十枚ほどか、ひとつひとつが銀貨ほどの大きさのそれは、形こそ魚の鱗と同じだけれど、まるで……違う。月長石に、虹を映したら……こんなふうに煌めくかもしれない。
「……怖いか」
頭の上から声がした。見上げると、ヴィルフリートの金色の瞳が揺れている。あまり長いこと黙って見つめていたせいか、その目には不安げな光も見えた。
アメリアはこれまで、「竜の特徴」とはどんなものなのか、人ならざる証を気にして恐れてきた。
確かにその身に鱗をもつ人間などいない。初対面でこれを見せられたら、間違いなく震えあがっただろう。
それでも、今はもうヴィルフリートの為人を知っている。決して異形のものなどではない。
「……触れてみても、いいですか」
アメリアの言葉にヴィルフリートは目をまるくしたが、黙ってゆっくりと頷いた。そっと伸ばした指が、鱗の一枚に触れる。宝石のような硬い輝きを放っているけれど、その下の血の流れを映してか、冷たくはない。アメリアの指が一度離れ、柔らかい掌がそっと当てられた。
「暖かい……」
「……怖くないのか?」
「はい」
「―――!」
ヴィルフリートが、信じられないという顔でアメリアを見つめる。その顔を見てアメリアは思った。
―――自分は何をあんなに恐れていたのだろう? 生まれつきの痣や黒子と、何が違うというのか。
「ごめんなさい、ヴィルフリート様。怖がったりして……。ヴィルフリート様は、ヴィルフリート様でしたのに」
ヴィルフリートは両手でアメリアの肩を掴んだ。
「アメリア、それは……この私を恐れないということか」
金の瞳が煌めき、アメリアをひたと見据えている。アメリアも目を逸らさずに頷いた。
「はい、ヴィルフリート様」
「ならば、竜の私を……受け入れてくれるのだな」
「あ……」
言外の意味を読み取って、アメリアは頬を染めた。
「それで良いのか?」
ヴィルフリートの目が真剣すぎて、まるで射抜かれてしまいそうだ。答えようと口を開いたけれど、声が出せない。どうしよう、どうしたら……。
「頼む、答えてくれ。アメリ……!」
思い余って、アメリアはヴィルフリートの胸に飛び込んだ。
ヴィルフリートは驚きに一瞬身を強張らせた。自分からしたこととはいえ、アメリアは今さら恥ずかしくなってシャツに顔を埋める。その身体を、ゆっくりと回した腕が抱きしめた。
「アメリア、ありがとう」
その声にも答えられず、アメリアはシャツを掴んだまま俯いていた。
雨は一向に止む気配を見せない。ヴィルフリートの上着を羽織らせて抱いていても、雨粒交じりの風がドレスをはためかせる。腕の中の身体が細かく震え出すのを感じ、ヴィルフリートは決断した。
「アメリア、少しだけ我慢してくれ」
「えっ……」
上着を頭から被せなおし、ヴィルフリートはアメリアを抱きかかえる。そしてやにわに雨の中を走り出した。
「まあ、ヴィルフリート様、アメリア様!」
突然の雨に二人を心配してホールで待っていたレオノーラは、濡れ鼠になって駈け込んで来た主たちに思わず声をあげた。ヴィルフリートはアメリアを抱いたまま、二階へ駆け上がろうとする。ついて来ようとするレオノーラに、振り返って言った。
「私がするから、来なくていい」
レオノーラは階段の手すりを掴んだまま、あっけにとられて立ちつくした。
寝室へ入りアメリアを下ろすと、ヴィルフリートはまず羽織らせた上着をはいだ。その下のドレスももうほとんど冷たい雨に濡れて、アメリアの手足にまとわりついている。暖炉には火が入っていたが、このままでは冷え切ってしまうだろう。
胸元のリボンにかけたヴィルフリートの手を、アメリアが押しとどめた。
「ヴィ、ヴィルフリート様。自分で……!」
「駄目だ、風邪を引く」
「あっ……」
濡れた布は解きにくい。いささか乱暴に引いたリボンがきゅっと音をたて、その下のボタンまで外れてしまった。そのまま下まで続くボタンを、ヴィルフリートはもどかしい思いで外してゆく。
「う……」
アメリアが首まで赤く染めて俯いた。ただ濡れた服を着替えさせるわけではない。もうそれくらいは分かっている。
濡れて冷たいドレスが剥ぎ取られ、足元に落とされた。幸いコルセットまでは雨が通っていなかったので、ヴィルフリートは苦労することなくこれも外した。
シュミーズ姿になったアメリアをベッドに座らせ、ヴィルフリートは自分のシャツを脱ぐ。広い庭を横切ってきた彼のシャツは、絞れるほどに雨を吸っていた。びしゃりと重い水音をたててシャツが放り出される。
ヴィルフリートが半身を晒したのを見て、アメリアは思わず視線をそらした。
まるで突き動かされたように気持ちを伝えてしまった。それは良かったのだけれど、あれよあれよという間に……こんなことになってしまった。
ヴィルフリートはタオルを取って、雫の垂れる髪をかき上げた。そしてアメリアの額も濡れているのに気づいて手を伸ばした。
「あ、私が……」
タオルが触れて慌てて顔を上げると、金の瞳と目が合った。その淡い耀きに吸い込まれたように、アメリアは動けなくなってしまった。
ヴィルフリートは目を合わせたまま、タオルを傍らに置いた。そして両手でアメリアの頬を包む。濡れた金色の髪がぱらりと落ちてきたのを合図に、アメリアは目を閉じた。
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