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19・「竜の城」の生活 後
しおりを挟む「ヴィルフリート様」
アメリアの声に、ヴィルフリートは読んでいた本から顔をあげた。今日は風が強いので、二人は図書室で過ごすことにしたのだった。
「お邪魔をして申し訳ありません。あの、この本の続きを……」
「ああ、もう読んだのか。アメリアは読むのが早いんだね」
そう言って立ち上がり、奥の書棚へ向かう。壁際の書棚は背が高く、アメリアの読んでいる本は数時間前にヴィルフリートが取ってやったものだった。ヴィルフリートでさえ、梯子状の踏み台を使わないと届かない高さだ。アメリアになど、危なくてとても上らせられない。
踏み台に上り、まずアメリアの読み終えた方を棚に戻し、すぐ隣の本を引き抜く。するときつく詰め込まれていたせいか、さらに隣の本が引っ張られて飛び出した。
「きゃっ!」
バタバタっと音をたてて、数冊の本が落ちた。幸いアメリアのいるのとは反対側だったので、びっくりしただけで済んだのだが。
「アメリア、大丈夫か?」
「すみません。驚いただけです、当たっていません。今、拾いますね」
アメリアは一冊ずつ拾っては、ヴィルフリートに手渡した。
「これで最後です。これ、ずいぶん小さなご本ですね」
最後の本を手に取って、アメリアは首をかしげた。革装の大きな本が多いなかで、アメリアの両手の上に収まる程度の大きさの本は珍しい。ヴィルフリートが受け取って棚に収めるのを見ながら、アメリアはやっと思い出した。
「あ……」
「ん? どうした、アメリア」
「いえ、何でもありません、ヴィルフリート様」
―――あの小さな本と同じようなものを、前に見た。そう、いつか王宮でギュンター子爵とお会いした部屋で見たんだった。同じ本かしら、それとも……。
考えている間に、ヴィルフリートが踏み台を降りた。手にアメリアの頼んだ本を持っている。
「怖かったか? ……本が当たらなくて良かった」
「え……? そんな、大丈夫です。何ともなかったのですから」
微笑んでヴィルフリートが歩きだし、アメリアはさっき見た小さな本を、ひとまずは忘れることにした。
そのころレオノーラは、家令のエクムントの使う事務室を訪れていた。
「エクムントさん、お茶をお持ちしました。―――少し、お時間を頂きたいのですけど」
親子ほどの歳の開きはあれど、二人はヴィルフリートが赤子のころからの付き合いだ。エクムントは重要な話だろうと察し、仕事の手を止めてテーブルで向かい合った。
「どうした、レオノーラ。あんたにしては珍しく思い悩んでおるようだが」
「……実は、あのお二人のことなんですけど」
レオノーラは思い切って、この数日のことを打ち明けた。アメリアがこの館へきて今日で四日目、未だに夫婦のことが行われた気配がない、と。
「お二人はゆっくりと打ち解けて来られているとは思います。ですが、老婆心とは分かっていますが今後のことが心配で……」
「まさか花嫁殿が、ヴィルフリート様を拒んでいるのではあるまいな」
エクムントの額に青筋がたつ。彼はヴィルフリートを思うあまり、やや狭量になることがある。
「爺や様、それはないと思います」
エクムントの剣幕に慌てたレオノーラは、思わず昔のように呼んでしまった。
赤子のヴィルフリートが王都から連れて来られたとき、乳母として付いてきたレオノーラは当時十九歳になったばかりだった。
下級貴族の娘だったレオノーラは、ある伯爵家の次男に見初められ、妻として迎えられた。ところが赤子を産んでまもなく、流行り風邪で夫と子供を一気に亡くしてしまう。当然婚家からは邪魔にされ、新たな「竜」の乳母を求める噂を聞きつけるや否や、レオノーラはヴィルフリートを抱いて馬車に乗せられていた。
辛い思い出ではあるけれど、今のレオノーラには後悔はない。「竜の特徴しるし」こそあれど、ヴィルフリートは美しく聡明に育ってくれ、今は立派な主として仕えている。
そのヴィルフリートの幸せこそが、今のレオノーラの喜びだった。
「レオノーラ、何故そう言い切れる」
エクムントが苛立たしげに聞いた。
彼はこの「竜の城」で先代の家令を務めていた父の跡を継いで、家令になったと同時にヴィルフリートを迎えた。父親代わりというには歳がいっていたので、エクムントは喜んで「爺や」の役割を受け入れた。父と違い、彼は生涯独り身を通してしまったが、ヴィルフリートさえ幸せならば何の文句もありはしない。
しかしそのヴィルフリートになかなか「番《つがい》」が現れないのは、正直言って見ていられなかった。王宮の人選が間違っているのではないかと、ギュンター子爵を問い詰めてみたことさえある。
本来「竜」は長命だが、三十歳くらいまでに番つがいが見つけられなかった竜は、その寿命を全う出来ないとも聞く。エクムントは自分の寿命を差し出せるものなら、ぜひそうしたいほどだったのだが。
「あの花嫁殿は、父親の評判があまりにも悪かった。娘の躾がなっておらんのではないか?」
「爺や様、それはギュンター子爵様がしっかり見極められているはず。それに、わたくしから見ても、決してそのような質たちの方には……」
「うむ、それにヴィルフリート様も、心から慈しんでおられるようだしな……」
二人は紅茶に手をつけることなく話し合い、結局もう少し見守るということで収めるしかなかった。
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