竜の末裔と生贄の花嫁

砂月美乃

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10・出発 前

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 王宮で用意された馬車は、目立たない設えだが頑丈で乗り心地も良く、長時間乗っていても疲れにくい。

 出発の朝、カレンベルク邸にやってきた馬車は三台。
 一台がアメリア用、もう一台がギュンター子爵。子爵はこの件についての一切を取り仕切っていて、竜の館まで同行するのだという。最後の一台に、子爵の連れてきた使用人の男女と、何やら荷物が積まれていた。アメリアの身の回りの世話は、この女性がやってくれた。

 子爵と二人で、ずっと同じ馬車に乗ったままでは気詰まりだっただろう。アメリアは自分用に用意してもらったことに、心から感謝していた。




 アメリアを見送ったのは、荷物を運んできたラウラと母親だけだった。
 ラウラは奥様がいるので、荷物を積むと遠慮して少し離れた所へ下がった。母のエリーゼは涙を流していたが、ついに母親らしい言葉を口にすることはなかった。

 アメリアは複雑な気持ちだった。でも自分も、思い切って母に本心をぶつけたことはない。母親はこういう人なのだ、そう思ってそれ以上考えるのをやめた。

「お母様、今までありがとうございました」

 馬車の窓から一言挨拶をすると同時に、馬車は走り出していた。





「アメリア殿、お疲れではないですか」

「はい、良い馬車で楽なのですが。それでもこんなに長く乗ったのは初めてで……やはり少し疲れました」

 本当は口もききたくないくらいだが、父親に近い年齢の男性が相手では、失礼なことも出来ない。そうでなくても気分も沈みがちなアメリアは、気力を総動員して子爵と会話をし、ろくに味も感じられない夕食を、機械的に口に運んでいた。


 子爵もそれには気付いていた。
 もともと「竜の花嫁」を取り仕切る立場であり、このような機会は当然これが初めてではない。実は、彼が「竜の城」へ年に一度「花嫁」を送り込むのは、アメリアでもう十人目だった。

 アメリアには言っていないが、「竜の花嫁」は例の瞳を持っていれば誰でもいい……というわけではない。
 彼ら本人にも説明出来ないらしいが、とにかく一目見た瞬間に、自分の番(つがい)かどうかを見極めるらしかった。

 今「竜の城」にいる竜は二十八歳になるのだが、これまでに送り込んだ「花嫁」はことごとくお気に召さなかったらしい。すべて受け入れられず、いまだ独り身である。

 ―――そろそろ決まってくれないとまずいのだが、こればかりはな……。

 子爵はアメリアを眺めてそう思っていた。彼女は聡明な娘だ。もし本物の「花嫁」になれば、知っても良い部分もあるのだが、今はまだ、何も伝える訳にはいかなかった。

「明日も一日走ることになります。早めにお休みください」

 子爵はそう言って、アメリアを部屋に下がらせた。


 翌日、アメリアの表情は冴えなかった。おそらくあまり眠れなかったのだろう、ギュンター子爵はそう思った。だが昼過ぎに休憩をとった時には、さらに顔色が悪くなっていた。

「アメリア殿、大丈夫ですか」
「すみません、揺れが辛くて……」

 ―――いつものように、薬を使ったほうがいいだろうか。

 過去の娘たちのなかには、恐怖や絶望で泣きっぱなしになる者もいたし、体力的に旅が合わず、調子を崩す者もいた。子爵はその辺りを見極め、場合によっては薬を与え、眠らせて連れて行ったこともある。
 しかし、この娘の場合はどうだろうか。気丈な娘だ。今日のところは自分で決めさせてみよう。

「アメリア殿、あまり辛ければ眠り薬があります。眠っていた方が楽なら、用意させますが?」

 アメリアは迷っているようだ。やはり薬にはためらいがあるのだろう。

「それでは、次の休憩まで私の馬車に乗りますか? 一人でいるより気が紛れるということもありますが」

 また少し考えて、アメリアは頷いた。

「……ご迷惑でなければ、お願いします。少し、伺ってみたいこともありますので……」


 出発した馬車の中で、アメリアはしばらく黙っていたが、思い切ったように口を開いた。

「子爵様は、これから行くところへは……何度も行ってらっしゃるのですか?」
「ええ、行っています。毎年のように」
「では……」

 アメリアは言いかけて、聞いて良いのか躊躇う様子を見せる。

「言えないことはそう言いますから、何でもお聞きなさい」
「はい。なら、あちらの方に……お会いしたことがあるのですね?」

 あちらの方、とはもちろん「竜」のことだろう。花嫁になれと言われて、相手のことが気にならない娘などいる訳がない。

「もちろん、ありますよ。ですが、残念ながら詳しいことはお教えできません」
「……そうですか……」

 きゅっと顔を強張らせるその様子に、子爵は気がついた。この反応は少しおかしい。まるで怯えたような表情になっている。どんな相手か知りたかった、というのではないのか?

「何を恐れているのです?」

 はっきりと尋ねると、アメリアはびくりと肩を震わせ、顔を上げた。

「言ってみなさい」
「……はい」

 アメリアは膝の上で手を固く組んだ。先日送って行った時から、子爵はそれが感情を押さえつける時の癖だと分かっている。

「先日、子爵様は『竜の特徴しるしをもつ』と。そして母君様は『少しだけ人間ひとと違う』とおっしゃいました。それが、どのくらいのことなのか分からなくて……怖いのです」

「どのくらい、とは?」

するとアメリアは声を震わせた。

「……私は人間ひとならざるものに添わねばならないのですか? 鱗に覆われているとか、牙や角があるとか……もしそうだとしたら、私は……」

 ―――なるほど、それで。

「アメリア殿、安心なさい。そのような異形のものではありません」




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