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2・支援の条件

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「先程父君の伯爵様にも申し上げましたが、残念ながらご当家の財政状態は……もう限界に来ているようですね。ああ、申し遅れましたが私は今、貿易に関わる会社を持っております。つきましては、大恩ある伯爵家のために、僅かながらご支援をさせていただきたい」
「……それは、どういうことですか?」

 するとジルは、私の方を向いて言った。

「ああ、貴女はご存じないのですね。―――このままでは、トウシャール伯爵家は……来月には破産・差し押さえに遭うのですよ」

 私は驚いて、お父様を振り返った。

「お父様、本当ですか!?」

 お父様はうつむいたまま何も言わない。私はまたジルに向き直った。

「本当、なのですね……? でも、もしそれが本当なら。貴方の言う支援というのは、どういうことなのですか?」

 するとそれまで黙って下を向いていたお父様が、突然顔をあげて叫んだ。

「お前の世話になどなりたくない! あのような条件、呑めるはずがなかろう!」

 ―――条件?

 私は不思議に思ってお父様を見たが、お父様はゼイゼイと肩で息をしながらジルを睨むばかりで、何も言おうとはしない。

「お断りになるなら、それでも結構です。ですが、それでは破産は免れませんよ。支援をさせて頂ければ、この屋敷を残すことだって出来ますがね」

 私はジルを正面から見て聞いた。

「あなたのお申し出は、大変ありがたい事だと思います。ですが、ご存知なのでしょう? トウシャール伯爵家には、もうほとんど財産も、領地も残っていません。ですからあなたのご支援に対して、返済していく術などありません。それなのに、何故そのような……?」

 ジルはうっそりと微笑んだ。

「私のお願いというのは……」
「それ以上言うな! 汚らわしい!」

 突然、お父様が顔を上げて叫んだ。そしてテーブルの上のカップを掴み、ジルに投げつける。

「お父様っ!?」

 幸い狙いはそれ、カップはジルの足元、絨毯の上に転がった。それでも、半分ほど入っていた紅茶がジルのスーツの胸元にかかってしまった。私は慌ててハンカチを取り出してジルに差し出そうとしたけれど、ジルはもうその頃には、悠々と自分で胸元を拭き取っていた。


 いくら元は使用人だったと言え、もちろん来客に許される振る舞いではない。私はお父様を振り返ったが、その時、お父様は突然胸元を押さえ、呻き声をあげた。

「ああ、いけない! お父様!」

 私の悲鳴に、ジルはただ事ではないと分かったらしい。

「お嬢様、これは!?」
「父は……、父は心臓が悪いのです」
「薬はないのですか?」

 私は慌てて隣の父の書斎に走り、小さな丸薬を持って戻ってきた。無理やり押し込むようにして、どうにか口に含ませる。お父様はしばらく脂汗を流し、荒い息をついていたが、ようやく落ち着いてきた。
 私は安堵の息をついた。これなら、いつもの発作の後と同じで安静にしていれば問題ない。

「ジル、少し待っていてください。お父様を休ませてきますから」

 薬を飲んだお父様は、そのまま眠ってしまった。私は父を任せて応接間に戻り、再びジルと向かい合った。


「伯爵様は、以前から悪いのですか」
「いいえ。ここ数年です。―――母も亡くなって、心労がたたったのだと思います。ご存じのように、父は全く生活能力のない人ですから」

 ジルは静かに頷いた。

「失礼ですが、伯爵家の財政状態は調べさせていただきました。先程言ったことは本当です。この屋敷もわずかに残った領地も、全て抵当に入っています」
「そんな……!」

 私は言葉を失った。お母様が亡くなってからこの数年、私はお父様を手伝い、必死でトウシャール家をまわすために努力してきた。それなのに、そこまで酷いことになっているとは知らなかったのだ。
 どう考えても、お父様が隠していたとしか思えない。私は両手を膝の上で、ぎゅっと握りしめた。

「それに、お父君の病気もある。心臓の薬は高価だ。相当な負担になっているでしょう?」
「……はい」

 ジルの言う通りだった。昔から懇意にしてくれている先生に甘え、とても少ないとは言えない額の薬代が未払いになってしまっている。


 さっき「リゼお嬢様」と言ってくれた時に、ほんの一瞬見えた微笑み。あれは間違いなく、あの頃のままのジルだった。でも、今目の前にいる男は別人だ。冷たい目をした、理知的な印象の実業家。
 彼はあくまでもビジネスライクに続ける。

「あなたには不快かもしれませんが、私はこの屋敷を入手するよう手配しました。名義上は私個人ではなく、私の会社の持ち物になりますが。もしお父君さえよろしければ、このままここへ住んでいただくことが出来ます」

 私は首をかしげた。いくら私が世間知らずな娘でも、そのような甘い話が通る道理がない事くらいは分かる。なのになぜジルがそんなことを言うのか、訝しく思ったのだ。

「それからお父君の病気のことも。取引先にフランソワ病院があります。必要ならそこで診てもらい、治療を受けさせることも出来る。どうですか」

 フランソワ病院は心臓病の権威で、父も一度そこで診てもらうよう、先生に勧められたのだ。でも家からも遠く、治療代も到底工面できるものではなく、諦めるしかなかった。
 それが受けられるという。でも……。

「もちろん治療費は私が持ちます」
「待ってください、ジル」

 私は慌てて遮った。

「ありがたいお話ですけど、そんなことが通るとは思えません。さっき仰っていた、条件というのを教えてください」

 お父様は何故かひどく嫌がっていた。そんなに厳しい条件なのだろうか? それでもお父様を治せるなら……。
 こくりと息をひとつ飲み込んで、ジルを見つめた。そんな私に、ジルは私の知らない顔で笑いかける。


「私が伯爵様に願った条件はたった一つ。リゼット、貴女が私の妻になることです」




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