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1・懐かしい来客
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海の向こうの国では二度目の革命が起こり、ついに王家が途絶えたと聞く。
私のような娘には詳しいことは分からないけれど、この国も近年、(まだ王様はいるけれど)政治や経済がいろいろと様変わりしているそうだ。
いろいろと新しい機械や技術が生まれ、海外への投資や起業に成功したブルジョワ階級が台頭してきた。社交界でもそういう新しい人達が増え、貴族というものはさほど有り難がられなくなってきたらしい。領地から上がる税金に頼って贅沢に暮らしてきた貴族たちは、一部の敏い者たちを残し、次第に没落してきている。
私の父も他の貴族の例に漏れず、まったく世渡りが出来なかった。本さえあれば幸せで、貴重な古書や活字印刷の初版などを買いあさり、世間の流れから完全に取り残されてしまっていた。
もともと父が伯爵の位を継いだ時点で、我がトウシャール家は既にかなり傾いていたらしい。おかげで私は二十六歳、もう結婚適齢期が終わろうとしているけれど、未だ結婚どころか社交界にデビューさえできない有様だった。
いいえ、もうはっきりと言ってしまおう。もはやトウシャール伯爵家は、代々受け継いできた宝飾品や絵画を売り払い、使用人を減らさなければやっていけないほど追い詰められている。
私も社交界どころか足りない使用人の分も家事をこなし、無駄を省くため邸の半分以上の部屋を閉め切り、果ては得意の刺繍で内職までこなしていた。
そんなある日、お父様のところへ来客があった。たまたま手の空いている召使いがいなかったので、私は自分でお茶を用意して応接間に運んでいった。ところが廊下で、思いがけない大声を耳にした。
「この痴れ者がっ!」
お父様の怒鳴り声など、生まれて初めて聞いた。私はノックしようと手を伸ばしたドアの前で、思わず立ちすくんでしまう。
相手の声は分からない。お父様はしばらく、時々声を荒らげるようにして何か話し続けていたが、さすがにもう話の内容までは聞こえなかった。
初めて聞くお父様の剣幕に驚いていた私は、しばらくして、自分がお茶を持ったまま立ち聞きをしているのだということに気がついた。少し迷ったが部屋の中は静かになったようなので、思い切ってドアを叩いた。
「お父様、リゼットです」
すると中でまたひとくさり言い争うような声があった。でもいつものお父さまの声で入るように言われ、私はおそるおそるドアを開けた。
「いらっしゃいませ、お茶をお持ちしました」
中へ入ってみると、お父様は椅子に深く凭れ、うつむいていた。訝しく思いながら、私は向かいに座っているお客様を失礼にならないようそっと伺う。四十歳前後の、裕福そうな服をきた男性だ。
―――あら、どこかでお会いしたかしら。
内心で首をかしげながら、私がカップを置いてそっとお茶を注ぐと、その男が言った。
「伯爵様、やはりトウシャール伯爵家は、お嬢様が自らお茶を淹れねばならぬほど困窮しているのですね」
私は驚いてはっと顔を上げた。お父さまはガバッと身を起こし、ギリギリと歯ぎしりをするような顔でその男を睨みつけている。
「うるさい、無礼な。お前のような奴に……」
「では、どうなさるおつもりなのです?」
冷たく切りつけるようなその男の言い方に、お父さまは顔が蒼白になった。だが何も言い返せないのか、ぶるぶると身体を震わせて……そのままがっくりと頭を落とし、またしても椅子に深く身体を沈めてしまう。
私には何のことやら訳が分からない。部屋を出て行った方がいいのかしら? でもお父さまの様子も心配だし、とオロオロしていると、客が初めて私の方を向いて、声をかけた。
「まだ、私が分かりませんか?」
「え……?」
やはり私はこの人を知っている、そう思ったのは間違いではなかった。誰だろう、遠い昔……。
「大きくなられましたね、もうすっかり大人の女性だ。―――お久しぶりです、リゼお嬢様」
「!?」
―――その言い方は。私をそう呼ぶのは……一人しかいない。
「ジル!? ―――貴方、ジルなの?」
思い出すのは、幼い日々。我がトウシャール伯爵家に、まだたくさんの人がいた頃。
私を産んだあと病気がちだったお母様に代わり、私には年老いた婆やが付けられていた。そして私が庭で遊べる年頃になると、婆やだけでは見きれなくなる。そのため、当時我が家にいた家令の息子が、私のお守り係としてつけられた。それがジルだ。
確か私より、十五歳くらい上だったと思う。子供の頃の私は、いつも彼の後を追いかけて庭を駆け回っていたように覚えている。使用人の息子ながら頭の良かった彼は、私に最低限の読み書きや礼儀作法も教えてくれた。
病弱な母と、本を読むことにしか興味の持てない父に代わり、ジルは私にとって、親のような兄のような……大好きな人だった。
「わたし、大きくなったらジルのお嫁さんになってあげる」
「おや本当ですか、リゼお嬢様。なら楽しみにお待ち致しますね」
よくある子供の言葉に笑って頭を撫でてくれたのは、私が八歳くらいの時だったかしら……。
ところが、私が十三歳になる前のある日、ジルは突然姿を消した。お父様に聞いても「あれは我が家で働くに相応しくなかった」と言うだけで、決して理由を教えてくれなかった。私はとても納得することは出来なくて、しばらく泣いて暮らしたものだったけれど……。
それにしても、目の前の男は……。
言われてみれば確かにジルの面影がある。けれど、私の記憶にあるような……常に優しく微笑んで私を見ていてくれた、あの温かい表情はない。何かの決意と強い意志を秘めた、冷たく理知的な瞳がじっと私を見据えている。
ふわふわと明るく輝いていた癖のある金髪はいくらか色が抜け、今はオールバックにされたこめかみには、白いものも混じっている。少なくとも四十歳にはなっているはずだ。十三年という月日は、ジルのことも私のことも、見た目も環境も、さまざまなものを変えてしまっていた。
―――言われるまで気づかなかったのも、無理ないわ。雰囲気がまるで別人なんですもの。
「良い機会です、リゼット様。あなたも話を聞いてください」
ジルにそう言われ、私は戸惑いながらも父の隣に腰を下ろした。
私のような娘には詳しいことは分からないけれど、この国も近年、(まだ王様はいるけれど)政治や経済がいろいろと様変わりしているそうだ。
いろいろと新しい機械や技術が生まれ、海外への投資や起業に成功したブルジョワ階級が台頭してきた。社交界でもそういう新しい人達が増え、貴族というものはさほど有り難がられなくなってきたらしい。領地から上がる税金に頼って贅沢に暮らしてきた貴族たちは、一部の敏い者たちを残し、次第に没落してきている。
私の父も他の貴族の例に漏れず、まったく世渡りが出来なかった。本さえあれば幸せで、貴重な古書や活字印刷の初版などを買いあさり、世間の流れから完全に取り残されてしまっていた。
もともと父が伯爵の位を継いだ時点で、我がトウシャール家は既にかなり傾いていたらしい。おかげで私は二十六歳、もう結婚適齢期が終わろうとしているけれど、未だ結婚どころか社交界にデビューさえできない有様だった。
いいえ、もうはっきりと言ってしまおう。もはやトウシャール伯爵家は、代々受け継いできた宝飾品や絵画を売り払い、使用人を減らさなければやっていけないほど追い詰められている。
私も社交界どころか足りない使用人の分も家事をこなし、無駄を省くため邸の半分以上の部屋を閉め切り、果ては得意の刺繍で内職までこなしていた。
そんなある日、お父様のところへ来客があった。たまたま手の空いている召使いがいなかったので、私は自分でお茶を用意して応接間に運んでいった。ところが廊下で、思いがけない大声を耳にした。
「この痴れ者がっ!」
お父様の怒鳴り声など、生まれて初めて聞いた。私はノックしようと手を伸ばしたドアの前で、思わず立ちすくんでしまう。
相手の声は分からない。お父様はしばらく、時々声を荒らげるようにして何か話し続けていたが、さすがにもう話の内容までは聞こえなかった。
初めて聞くお父様の剣幕に驚いていた私は、しばらくして、自分がお茶を持ったまま立ち聞きをしているのだということに気がついた。少し迷ったが部屋の中は静かになったようなので、思い切ってドアを叩いた。
「お父様、リゼットです」
すると中でまたひとくさり言い争うような声があった。でもいつものお父さまの声で入るように言われ、私はおそるおそるドアを開けた。
「いらっしゃいませ、お茶をお持ちしました」
中へ入ってみると、お父様は椅子に深く凭れ、うつむいていた。訝しく思いながら、私は向かいに座っているお客様を失礼にならないようそっと伺う。四十歳前後の、裕福そうな服をきた男性だ。
―――あら、どこかでお会いしたかしら。
内心で首をかしげながら、私がカップを置いてそっとお茶を注ぐと、その男が言った。
「伯爵様、やはりトウシャール伯爵家は、お嬢様が自らお茶を淹れねばならぬほど困窮しているのですね」
私は驚いてはっと顔を上げた。お父さまはガバッと身を起こし、ギリギリと歯ぎしりをするような顔でその男を睨みつけている。
「うるさい、無礼な。お前のような奴に……」
「では、どうなさるおつもりなのです?」
冷たく切りつけるようなその男の言い方に、お父さまは顔が蒼白になった。だが何も言い返せないのか、ぶるぶると身体を震わせて……そのままがっくりと頭を落とし、またしても椅子に深く身体を沈めてしまう。
私には何のことやら訳が分からない。部屋を出て行った方がいいのかしら? でもお父さまの様子も心配だし、とオロオロしていると、客が初めて私の方を向いて、声をかけた。
「まだ、私が分かりませんか?」
「え……?」
やはり私はこの人を知っている、そう思ったのは間違いではなかった。誰だろう、遠い昔……。
「大きくなられましたね、もうすっかり大人の女性だ。―――お久しぶりです、リゼお嬢様」
「!?」
―――その言い方は。私をそう呼ぶのは……一人しかいない。
「ジル!? ―――貴方、ジルなの?」
思い出すのは、幼い日々。我がトウシャール伯爵家に、まだたくさんの人がいた頃。
私を産んだあと病気がちだったお母様に代わり、私には年老いた婆やが付けられていた。そして私が庭で遊べる年頃になると、婆やだけでは見きれなくなる。そのため、当時我が家にいた家令の息子が、私のお守り係としてつけられた。それがジルだ。
確か私より、十五歳くらい上だったと思う。子供の頃の私は、いつも彼の後を追いかけて庭を駆け回っていたように覚えている。使用人の息子ながら頭の良かった彼は、私に最低限の読み書きや礼儀作法も教えてくれた。
病弱な母と、本を読むことにしか興味の持てない父に代わり、ジルは私にとって、親のような兄のような……大好きな人だった。
「わたし、大きくなったらジルのお嫁さんになってあげる」
「おや本当ですか、リゼお嬢様。なら楽しみにお待ち致しますね」
よくある子供の言葉に笑って頭を撫でてくれたのは、私が八歳くらいの時だったかしら……。
ところが、私が十三歳になる前のある日、ジルは突然姿を消した。お父様に聞いても「あれは我が家で働くに相応しくなかった」と言うだけで、決して理由を教えてくれなかった。私はとても納得することは出来なくて、しばらく泣いて暮らしたものだったけれど……。
それにしても、目の前の男は……。
言われてみれば確かにジルの面影がある。けれど、私の記憶にあるような……常に優しく微笑んで私を見ていてくれた、あの温かい表情はない。何かの決意と強い意志を秘めた、冷たく理知的な瞳がじっと私を見据えている。
ふわふわと明るく輝いていた癖のある金髪はいくらか色が抜け、今はオールバックにされたこめかみには、白いものも混じっている。少なくとも四十歳にはなっているはずだ。十三年という月日は、ジルのことも私のことも、見た目も環境も、さまざまなものを変えてしまっていた。
―――言われるまで気づかなかったのも、無理ないわ。雰囲気がまるで別人なんですもの。
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