少年人魚の海の空

藍栖 萌菜香

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53-少年人魚の友達ルシナ

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「え、ルシナ?」

 船の縁に駆け寄った僕は、舞いあがったイルカが沈んでいった海を覗き込んで、友人の名前を呼んだ。

 すぐに海面から顔を出したイルカは、やっぱり僕の友人、ルシナだった。

「ルシナ、どうしたの?」
 「キュイキュイ」と僕に向かってなにかを訴えているが、ルシナが慌てていることしかわからない。
 海底でなにか起こったんだろうか?


「ルシナ、落ち着いて……いったいなにが」
「ベリル。このイルカと知り合いなのか?」
 僕の背後からルシナを覗き込んだキングが聞いてきた。

「うん、僕の友達なんだ……どうしたんだろう」

 いつもなら、ルシナが伝えようとしてることは自然とわかるんだけど、いまはどうしてだか、言ってる意味がわからない。

「海の中じゃないからかな……それとも……」
 僕が人間になっちゃったから……?
 もしそうだったらちょっと寂しい。


 僕が考え込んでいるあいだも、船の周りを飛び跳ねながらルシナはなにかを訴えている。
 わかってあげられないことをもどかしく思っていると、そのルシナの訴えに応える意外な者がいた。

「え、ジャック?」
 ジャックが「バウバウ」と、ルシナに向かって吠えている。

 でも、いつもの危機を知らせたり、人に呼びかけたりするときとは様子が違った。まるでルシナの話に『ふむふむ』と相槌を打っているみたいだ。

 ルシナはルシナで、僕があてにならないと思ったのか、ジャックが見えやすい船尾に回ってきて、さらに「ウーウー」と鳴きだした。


 ルシナとジャックは、向かい合って明らかに会話している。二人とも、互いの言葉がわかっているとしか思えない様子だった。

「ジャック、ルシナの言葉がわかるの?」
 ジャックのそばにしゃがんで問いかけてみると、彼はなにを思ったのか、僕の背後に回り込んで、いきなり鼻先を押しつけはじめた。

「やだ、ジャックやめて。海に落ちちゃうよ!」

 海に落ちれば人魚になってしまう。
 キングはすでに僕が人魚だと確信してるみたいだけど、できれば人魚の姿は見られたくなかった。

 オスの人魚だなんて、いかにも役立たずでみっともない。
 里のみんなから不用者と蔑まれ続けた姿を、大好きなキングに見られるのは嫌だった。


「こら、ジャック。ベリルが困ってるだろ?」
 キングもジャックをとめに入ってくれたけど、今度はルシナがブシャブシャと口に含んだ海水をかけてきた。

「え、ちょっと、待って、やだ!」

 ルシナの様子をしっかり見たくて、船尾に回ってきてたのが災いした。
 その一辺すべてが、海へおりるためのステップになっているせいで、ルシナの水攻撃を避けるものがなにもない。


 咄嗟に立ちあがってメインデッキの奥に逃れようと後ろへ足を引いたら、いきなりグラリと視界が揺れた。
 見れば、僕の足元にはジャックが知らん顔で伏せている。

 ジャックの身体に後ろ向きで躓いた僕は、見事にバランスを崩し、身体を変に捻った勢いもあって、腰の丈しかない手すりを越えてしまった。


「ズルいよっ! 二人で連携だなん……」
「ベリルッ!」

 ルシナとジャックに文句を言いつつ海へと落下した僕は、着水する直前に、僕を追って海へ飛び込むキングの姿を目にした。

 ……こんなことを考えてる場合じゃないってわかってる。
 わかってるけど、つい…………必死な顔で僕を求めてくれるキングを、カッコイイと思ってしまった。


 でも、そんなことを考えていられたのなんて、ほんの一瞬で……僕はあっという間に海に呑み込まれた。

 ぼこぼこと泡が千切れる音に、ぱちぱちと海の底で小石の鳴る音……。懐かしくも心地よい圧迫感の中で、僕は、足が尻尾になるのを感じていた。

 ああ、また服をダメにしてしまった。せっかくキングに買ってもらった服なのに。


 海中での落下感が消える頃、ルシナがそばへ滑り込んできた。

 《魔女がキケン》

 ルシナの言いたいことがはっきりとわかる。やっぱり海の中じゃないと、もしくは僕が人魚になっていないとダメなんだ。

「おばあさまが? キケンってどういうこと?」
 もっと詳しく話を聞こうとしたら、ルシナの少し先に、目を見開いて驚いているキングが見えた。


 そうだった。いまの僕は、人魚の姿をしてるんだ。
 とうとうキングに見られてしまった。

 キングは僕の人魚姿をどう思っただろう……。
 海に入って解けてしまった金髪を思わず握りしめたけど、いつもみたいにホッとすることはできない。

 そうこうしているうちに、キングがゴボリと大きな空気の塊を噴き出した。どうやら驚きすぎて呼吸の限界を忘れていたらしい。

 慌ててキングを抱き寄せて、海面へと引きあげた。


 咽て咳き込むキングを助けながら、船尾のステップから船の上へとあがる。
 人魚の尻尾のままではデッキを移動できないから、ステップに尾びれを残したまま人の足に戻るのを待った。

 銀色の鱗が薄くなり、白い素肌が現れ、二本の足がゆっくりと形を現していく。
 その様子を、そばでキングが凝視していた。


「……ベリル、やっぱりきみは……」

「……うん。僕……人魚なんだ」
 呆然と呟くキングに、ついに自分の正体を明かしてしまった。

 こんなことになるってわかってたら、クルージングデートは断ればよかったかな……。
 以前から遠目に眺めるだけだった船に、一度でいいから乗ってみたかっただけなのに。

 いや、これでよかったんだ。
 すでに僕が人魚だということはバレてるんだし、たとえバレていなくても、キングには話さなきゃいけないと思っていた。


 キングは、僕を人魚かもしれないと疑いながら、『いなくなったらだめだ』と言ってくれた。
 それが、どれだけうれしかったか……。

 言われたそのときはニーナたちの歓声に驚いて実感できなかったけど、あの言葉は思い出すたびに、僕を幸せにしてくれる。

 実際とは違うけど、まるでキングが、『人魚でもいいよ』って……不用品でも、出来損ないでも……『そのままのベリルでいいんだよ』って言ってくれたような気がして、すごくすごくうれしくなってしまうんだ。


 恋しい人からの『ここに居てもいい』という許可は、僕の宝物になった。
 僕の居場所は、キングのそばにしかない。
 正体を隠し通すことなんて、できっこないんだから。

「黙ってて、ごめんね」
 僕が小さく謝ると、キングが急に僕の手首を掴んだ。なぜか、焦ったような顔をしている。

「ベリルにはベリルの事情があったんだよな。だから謝らなくていいんだ。それよりも、もう一度、」

 キングが真剣な顔をして、なにかを言いかけたときだった。

 海面に頭を出していたルシナの周りに、クリスたちが現れたのは。
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