碧の青春【改訂版】

美凪ましろ

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第三十一章 時として人と人の心を繋ぐ存在となり得ますから

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「あっ、タスク受かったって!」
「ほんと? よかったぁ……」
「マキのプレッシャーが効いたんやない」
「和貴のおじいさんが菅原道真公にお願いしたのが効いたんだよ」
 彼の努力の成果と知りつつも、紗優と顔を見合わせて、笑った。
「タスクな。畑中行ったりせなならんから、集まれんの十一日以降でも大丈夫やろかって。真咲はへーき?」
「十二日か十三日なら」
「したら十三にしよっか。――ちょーど和貴んとこじーちゃん出かけるしその日がいいって言うとった。――待ってな。すぐみんなにメールする」送信して飲み物に口をつける。

 飲み物片手に操作できるのだから便利なものだ。
 近くに電話がなくとも――互いに離れていても、気軽に連絡が取れる。

 ――卒業を機に卒業生のだいたい半数が携帯電話を購入した。カラーは男の子ならシルバーの、女の子ならホワイトをチョイス。ストレートタイプよりも、半分に折り畳めるものや、ボタン部分がカバーされているものが俄然人気。紗優も後者の、白のd501iを持っている。私も触ってみて、フタ部分の薄さになかなか感動した。
「あっ返事はやっ」ぴりぴりと着信音が響く。――聞きなれない私には、ちょっと耳障りな音だった。
 紗優はしきりにボタンを連打し、
「おっけー。十三日で決まりぃ。十四時に和貴んちにしゅーごー」
「了解」
 私は手帳を広げ、予定を書き足す。

 ――既に、十四日の欄に『十四時 二五六便』と書き込んである。

 和貴たちと最後に会って二十四時間後に、私は緑川を旅立つ。

 ――感傷的な気持ちが生まれる前に手帳を閉じ、かばんにしまった。
 と、紗優が、俯いた私の顔を覗き込み、
「なあな、明日にでも学校行かん? 合格した子いっぱいおるし、結構みんな来とるみたいやよ」
「うん。なに着てく。制服?」
「最後やしそーしよっか。……急に私服着てくんもなぁんかおかしない」
「そうだね」――最後だろうから。

 からからと氷をかき回し、レモネードに口づける。

 甘くて酸っぱい、あの日和貴が美味しいと言っていた味が口内に広がる。

 あのときと同じカフェに来て、同じ席に座っている。

「引越しの準備てもう終わったん」と紗優が二個目のチョコマフィンに手をつける。
 プラス、手をつけていないケーキが一つ。
 どう見ても頼み過ぎだ。
 食べれるのかな、と思いつつ私は頷いた。「あとは荷造りした荷物を業者さんに取りに来て貰うだけ。……東京石川間って送料が高いんだけどね……だから、あまり荷物は持ち込まないで、向こうで家具や電化製品を買うつもり」
「十四日ってのは、ずらせんの?」
「ん? 確かに他の子よりも早いけどね……」――こと国公立合格の子なら下旬に地元を離れるのも珍しくない。入学式が四月の中旬に行われる大学もあるから。「ずらせないな。予定ぎっちりだし。――うちのおじいちゃんが仕事休めるのが十三日から三日間。……十五日は柏木さんに母と会いに行くし、十六日は田中さん一家とお食事会」予定を暗記している私はすらすらと答えた。「――そ、あの不動産屋さんの田中さんね、奥さんと真知子ちゃん戻ってきたんだよ。で、うちの母だけ十七日に帰るんだけどね。……そのまま下旬に大学の事前合宿があるから、慣れるためにも早めに入っておくのがちょうどいいんだよ」
「忙しいんやなあ」
「……入学後も予定ぎっしりだよ。結構スパルタな学校かも。でも、それがいいみたい。私は臨床心理士になりたいから」

 紗優のレモンティを混ぜる手が止まる。

 その爪に、綺麗なフレンチネイルが施されているのに私は気づいた。

「柏木さんとの出会いも大きかったけど、……やっぱり、好きなんだよね。臨床心理の世界が。私、……自分の家でいろいろあったから、一人で悩んでるひとがいたら、力になりたいって思うの。親の離婚問題で悩む子の立場だけじゃなくて、親の立場も知りたいって思うし、……例年ね、日本の自殺者が二万人を超えてるの。そのうちの、中高年の割合がどんどん増えてる。うつ病も珍しい病気じゃないし、……いろんな事情でカウンセリングを受けに来るひとがいる。治せる技術が欲しいなって私は思う。――私自身、田中先生や、紗優にも、話を聞いて貰うだけで気持ちが随分楽になったから……」
「偉いなあ真咲は」
「全然。理想ばっかで実践が伴ってないし、ようやくスタートラインに立てたとこだよ。当年の課題は体力をつけること」
「体力なんか要るん?」
「要るよ。カウンセリングって毎週決まった時間に行うものだし、クライエント、――あ、カウンセリングを受けるひとのことね。クライエントがきちんとその時間に遅れずに来ることも治療の一環なの。カウンセラーも体調を万全にしておかなきゃならない。元々精神分析を編み出したフロイトが始めたものだし、彼を慕うひとたちが定期的に水曜に集まる勉強会をしていたの。その影響で、日本でも、定期的に学会や研究会が催されるけど、休むひとは一人も居ないらしいよ。風邪を引かず常に体調を整えておくことが、心理学を志す者の絶対必要条件」
「あんた風邪ばっか引いとるやん」
「年明けから引いてないよ。毎日手洗いとうがいしてる。向こうでちゃんと自炊して、……体力作りにウォーキングかなにか始めようかなって思ってる」
「真咲はいつも心理学の話すっとき目ぇきらきらさせとんなあ」
 私は口を休め飲み物に手をつける。

「……なしてそれを恋愛に行かせんかね」

 と、紗優が語尾を下げ、視線も下げた。

 ――その行動が私の気に触った。

「だから、言ったじゃない」強い口調で私は言う。「伝えるつもりはないって。私は進みたい道が見えてるし、和貴は他に好きなひとがいる」

 ――和貴は、私にきっぱりと言い放った。

『応えられないんなら、最初っから変な期待させないほうが、あの子たちのためだよ』

「それに、私は緑川を出ていくのに、……最後にこれだけは言わせてって言うのも、なんだかなあ。ぴんと来ないよ」
「お互い逃げとるだけやが」
「逃げてるね。認める」
「ってあぁああそーやなくってぇ、もぉー、なんつったらいいか分からんっ」
「……坂田くんとはうまく言ってるの」

 ――露骨な話題転換だったのだが、

 意外にも、効果があった。「……うん」

 まっすぐ人の目を見据える紗優でも、うつむき、恥じらいがちとなる。
 視線をケーキに落とすのは、単に食べたいから。違う……
「なにか、――あった?」
「あのバカ。あたしの住むマンションの隣部屋に越してくることになってんよ」
「あれっ、彼、緑川に残るんじゃ、……ついてるよここ。右」
 ショートケーキのクリームがついているのでそこを指すと、紗優は紙ナプキンで拭った。それを待って、私は、
「――坂田くんてフリーターっていうか。バンド活動続けるんじゃなかったっけ」
「メンバーみんな畑中に住むことにしたんやて。――緑川でぎょうさんライブやるんは変わらんけど、以外んとこで路上ライブすんねやったら、結局、畑中のほうが交通の便がええやろ。……来栖たちとも話し合った結果、そーなったみたいやわ」
「よかったね」
「よくないっ」ぐずぐずとケーキをフォークで突いていた紗優が顔を起こす。「やって、居なくなるってあたし覚悟しとったんに、あいっつ、……なんやの。隠れて部屋探して、しっかもあたしにも宮本先生にもずぅっと黙っておって。ひとの気持ちをなんやと思っておるが……」

「バンドも紗優も、手放したくなかったんだよ。坂田くんは……」

 私にはできない英断だ。

 内心で拍手を送りつつ、ストローでレモネードを飲み干す。

 照れ隠しだと思うけど、とうにお腹がいっぱいだったろうに、紗優はショートケーキをがっつき始めた。

 私は空を見あげる。
 和貴と訪れたときも、空がこんないろをしていた。

 真向かいのパワーストーンのお店の店員さんは暇そうで、カウンター内で外国雑誌をめくっている。――以前もああいうバンダナを頭に巻いていた。――足元を見ても周囲を見回しても、この白木のウッドデッキと、似た色合いの丸テーブルと椅子のセットも変化がなく、窓越しに見る光景――女性客が喋っており、店員さんがお向かいと対照的な多忙さで働くのも変わらず。ピンストライプの外国っぽい服装も変わらず。

 一年前とほぼおんなじ光景。
 ただ私の気持ちが変わっただけだ。

 表面上には同質に見えても、ここに生きるひとのすべてが、変化を遂げている。どんなものであっても、程度が違えど。

 変わるものもあれば、変わらないものもある。

 それが例えばプライドだったり、夢だったり、願いだったり、誰かに対する想いだったりする。
 命はやがては消えてしまうが、その想いこそが永続的に続き、また違う誰かが継承する。

 だからこそ私は東京へと向かう。
 地元ではできないことを、するために。

 ――夢に向かって。

 決意を新たにし、紗優からケーキの最後の一欠片を頂くことにした。

 ――そして、三月十三日という日は間もなくしてやってきた。
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