碧の青春【改訂版】

美凪ましろ

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第二十二章 おまえがそうするように、俺も選んでいるだけだ

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 インターホンを押してすぐには出ない。約一分。脳裏にふと……坂田くんたちの騒ぎを廊下で待っていた宮本先生が思い浮かんだ。
 来るのが分かっていれば、待つ行為は、マドレーヌが焼き上がるまでに似た楽しみと化す。
 それまでの時間を、相手のことだけ思い巡らせ過ごせる。

「待たせてすまんのう」
「いえ」
 許可を得ているので外から手を入れて簡単に開ける門扉だけは開き、そこから玄関扉まで私はゆっくり歩くが、おじいさんが内側から鍵を開けて合流するタイミングは私の到着よりも遅れる。
 最初の頃はもっと時間がかかった。
 脱いだローファーを揃え、来客用のスリッパに履き替える。ピンクのチェックの可愛らしい趣味は……女の子の来客を意識したものだろうか。
 和貴のガールフレンド、とか。
 おじいさんはスリッパを片方しか履けない。
「まだ、……痛そうですね」
 緑高の内履きがズックでなくスリッパだったら、マキの歩き方に視覚でなく聴覚で気づけたと思う。
 床をスリッパで歩くと思いのほか響く。
 そして、痛ましい。
「だいぶよくなったげ。杖ものうなっとるし。ほれ」
「……あんまり無茶しないでくださいね」
 ダイニングテーブルに風呂敷包みを置き、このダイニングと二間続きの和室に、スリッパを脱いであがった。
 湿ったような、ほんのちょっとかび臭い畳の独特の匂いに、お線香の煙が混ざる。
 電気は点いていない。
 死者を悼む、静謐な空間だった。
 こちらに開かれたお仏壇に向かい、手を合わせる。

 和貴の、……お祖母さん。お父さん。お母さん。

 お邪魔します。

 風が、段々冷たくなってきましたが、いい天気でした。

 今日も、緑川の町も緑高も平穏そのもので……さっき、交番の前通ったら、今月の死亡事故は0件だそうですよ。私の前に住んでいたところじゃ考えられません。名古屋のほうも車の運転は荒いと聞きます。
 ……あんまり、触れるべき話題じゃなかったですね。失礼しました。
 和貴くんは、一番に教室をあとにしました。坂田くんが、ちょっつおまえ聞けいや、と言うのも無視して……。

 さて、と私は膝に手をつき、おじいさんを振り返った。「お腹すきません? すぐご飯にしますね」
「いぃつもすまんのう」
 シンクにて手を洗い、やかんに水を多めに注ぎ火をかけた。熱い、お茶とお味噌汁にしよう。ご近所さんからの戴き物の、しじみのインスタントのお味噌汁が残っていたはず。
 食器棚からお椀を二つ取り出す。傍で椅子を引いておじいさんが座ろうとしていた。その動作は、ぎこちない。身を引いて私が手伝いましょうかと目で訊くも、大丈夫なげと首を振る。
「このくらいのこたぁ自分でできなぁ、わしゃあ一人で暮らしてけんげな」
 彼が、この地を離れない理由がひとつ掴めた。

 気丈に振る舞うおじいさんを置いてどこかへ旅立とうとは、私なら思わない。

『こーゆー前向きな気持ちに、我慢なんかしたくないんだ』

 彼は、月明かりの夜に、夢と共に思い入れを語った。

 おじいさんはいつも、私の知らないいろんな話をしてくれる。将棋仲間が緑川のあちこちにいて、おじいさんはわざわざカモられに行く。時代劇の悪役みたいに必要役割だと思っているし、負けるのが分かっていても楽しい趣味だから辞められないんだとか。賭け事はしない。戦争に行っていたときにも指した。うちの祖父と、一度手合わせをした。……実は相当強い。
 おじいさんの方言は緑川のひとのなかでもかなり強いほうだ。というのを自覚してか、分かるようにゆっくりと発音してくれる。私も多少ながら方言を織り交ぜて答える。

 立場と年齢と言葉が違うものが二人。
 けれども、こころさえあれば通じるものだ。

 この世は、そうした歩み寄りによって成り立っている。

 風呂敷の中身は私の夕食よりも気合が入っている。おせちのときしか出さない三段のお重に、俵型のおにぎりに、ブリの照り焼き。鶏肉の野菜巻き、出し巻き玉子、筑前煮などなど……豪華だなあといつも思う。
 これを頂けるのだから役得です。
 そう伝えると、すまなそうなおじいさんの表情が和らいだ。

 そんな彼の孫の姿は、ここには無い。

 合格するのがゴールではない、通過点なのだ。
 ……とはよく言われる。
 就職と受験において。
 それを体現する多忙な日々を過ごすのが、和貴だ。
 彼は、放課後と土日にホームヘルパー三級の講座を受講している。以外の日には就職先の老人ホームに顔を出し、畑中市のボランティアに行っていた先まで彼は出かける。個人的に仲良くなったひとが何人もいて、……特に体調の優れない方のことが気がかりらしい。
 そんな矢先に、和貴のおじいさんは足を骨折した。
 幸いにして大事は無かったのだが、和貴は、予定の一切をキャンセルし、始終おじいさんについていようかと伝えた。孫としては自然な判断だったと思う。しかし、おじいさんは頑として聞き入れない。
「わしゃあ戦争を知っとる人間なやさけ、骨の一本二本折れたってたいしたこたあらせん。ほんで、おまえにうろうろされたら落ち着かんもんでわしゃあ治るもんも治らんわ」

「……一郎のやつ。家のこたぁどうするつもりなげ」
 和貴がそんな日々を過ごすことになるのを、私は彼からではなく祖父の口から聞いて知った。正確には、心配した祖母が相談しているのを盗み聞きしたのだった。
「男の子と二人だけやからねえ、なにかと不自由なこともあるやろ。ご飯だけでも持ってかんか」
「ほんやてばーさんやて店があるっちゅうに」
「じゃあ、私が行く」
 よほど心配事で頭を支配されていたのか。私が台所に入っても祖父は注意をしなかった。もしくは、買い物から母が帰ってきたと思ったのかもしれない。
「具合悪うなって早引けしたもんが、ぬわーにを言うとる」
「みんなは仕事で忙しいんでしょう。私だってご飯は食べる。受験生はからだが資本だもん。ついでに届けるくらいの、小一時間のあいだだったら平気だよ」

 ――折しもマキから告白され、和貴からよかったねと告げられた日に、

 私は祖父母を説き伏せて和貴の家に通うことに決めた。

 週に三回程度。
 おじいさんと二人でお重の夕飯を食べ、日持ちするおかずを冷蔵庫に入れ、台所周りを片付け……取り立てて特別なことはしていない。一時間内には去る。万一、鉢合わせでもしたら大変だし。
 土日はもう少し長居をし、全体に掃除をしている。手の届きにくい水まわり……トイレにお風呂などを重点的に。階段に掃除機をかけたり、固く絞った雑巾で畳を水拭きしたり。

「和貴くんには私が来てること、内緒にして頂けますか」
「どしたげ」
「秘密にしたほうが楽しいからですよ。おじいさんが全部している振りをして、――和貴くんを驚かせちゃいましょうよ」

 私が人差し指を口に当てると、おじいさんの笑みが花をつけた。

 ああ、私の大好きな。

 こんな私を愚かと言うなら言えばいい。

「ほんっと馬鹿やよあんたっ!」

 推薦入試の終わった十一月を見計らい、紗優に打ち明けたところ、……案の定。馬鹿という単語が待っていた。

「和貴のおじいちゃんは知っとるが? 真咲がむつかしい大学受けるて」
「言ってない。でも、それ以外の時間はちゃんと勉強してるよ」
「そやなくて、あんた。……隠すっつうがは、自分でも後ろめたい気持ちがあるがやろ」

 うっ。

 たまらず私はいちごミルクのストローをすすりにかかる。
 一つの困難を乗り越え、こころもち大人に見える紗優は、大声から一転、諭すように言って聞かせる。

「おじいちゃんは、……あたしらよりも一回りも二回りも長く生きとんの。あんたが思うとるよりもずぅっと大人なげよ。そら……和貴やて昔はいろいろあったけど、そんでもあのおじいちゃんはいっぺん足りともキレんかった。仏の一郎ってうちのじーちゃんがゆうとるくらいがなよ。その、おじいちゃんが」
 息を詰まらせる彼女に、逃げようとしていた私の意識が向かう。
 涙を浮かべる、切迫した表情を捉えた。
「おじいちゃんが、あんたに気ぃ遣われて喜ぶと思うか? 隠し事されて嬉しがると思う? どーせ……孫みたく可愛がられとんのやろ? ……それにな。あんたがそんな大変なことなっとるんやったらあたしに相談してくれたかて……」
「自分でしたいって、思ったの。これは、私のわがままなの」
 裾を掴む自分の手に力がこもった。
「……真咲のおじいちゃんおばあちゃんも、あんたの気持ち汲んどるんやろなあ。おばさんも……」
 紙パックの角を折り紗優は結論した。
 私は喉元を過ぎる、紗優とは違ういちごの甘酸っぱい風味に甘えた。紗優はピクニックのヨーグルト味が好物だ。
 かさつく、葉ずれの音を聞いた。
 風のせいでなく、中庭を突っ切る、……一年生か二年生の女子で、トータル三名。

 差し向けられる感情というものに過敏で無ければ、もっと、世の中は楽に生きられると思う。

「あのひとやよ、……蒔田先輩が別れた原因作ったん」
「ふっつーじゃん」
「あんなブスのどこがいいがやろね」

 いつも思うのだが。
 女の子の、聞かせる目的と、肝心なところを聞かせない、でも刺激する塩梅を心得たひそひそ話のバランス感覚は見事だと思う。
 私の聴覚は目論見通りに引きつけられる。
 こちらを睨み、ちょうど、円卓の近くを通り過ぎるとき、

 はっきりとした声で、告げられた。

「和貴先輩にまで手ぇ出して、図々しい」

 卓上に何気なく出されていたマニキュアの綺麗に施された指先が、飲み物のパックを雑巾でも捻るごとく捻り潰した。
 ゆらり、影絵のように揺らめき、彼女は、立ち上がった。

「あんたら全員、……一年、やよなあ?」怖い。口許が笑っているのが逆に怖い。「……喧嘩売っとんのかコラ……出るとこ出て、あたしは構わんがよ。んなアホな口、二度と叩けんように、成敗したるわっ! そこへ! 一人ずつなおれぇっ!」

 最初は抑えた声量だったのが、すごい勢いで叩きつけた。紙パックをだ。
 飛沫もろとも浴びた彼女たちは、小さく悲鳴をあげ、命からがらといった様相で逃げていくのだが、待ていや、と紗優が追いかけにかかる。
 私は後ろから抱きついて止めにかかった。
「んもっ、邪魔せんといて! あんなん言われてあたし黙っておれんわ!」
「いいの。ああいうの気にしてたらきりがない、」

 しまった。

 咄嗟に彼女を離して後ずさった。
 この行動が不自然だった。
 今度は逆に、肩を、掴まれた。
 深刻な目が私の隠しごとを覗きこむ。

「……どういうことやの」

 問うに落ちず語るに落ちるとはまさにこのことだ。

「……あの子たちの名札見とけばよかった」紗優は理解した。芝生に落ちたパックを拾い、「……いつからあんなふうに言われとるん」
 お互い、冷静になり元の椅子に戻った。
「学園祭のあとだね」

 机に突っ伏して深々と長い、うめきに似た溜め息を漏らした。
 彼女は動かなくなる。
「紗……」
「なっして気づかんかってんろーあーっもぉーっ!」
 びくっと触れかけた手が動いた。
 セットの整ったロングヘアをわさわさとかき乱し、唐突にわめき始める。
 気でも触れたのかと私は思った。

「なして笑うとんの。あたし本気でムカついとるがよ。あんたかて、」
 机を叩いた紗優に同意を求められたが、「ぜんぜん」私は笑いを噛み殺しながら答える。
「あたしは許せんよ。真咲があんなん言われたら悔しくてたまらん。今晩眠れるかも分からんわ」
「……ありがとう。その気持ちだけで充分に嬉しい」

 私は、握り締めている彼女の拳に触れた。

 和貴は、……こういう優しさをもって私に触れてくれた。

 マキに、彼女が居るのだと知って衝撃を受けたときも。
 砂浜で恐怖に陥った私が彼を見つけたときも。

「誰がなんと言おうとも、私はしたいことをするって決めたの。それにね、和貴のことが好きだってはっきり分かったから、この気持ちを曲げるつもりは無い」
「ま、さきぃ……」

 固い拳が解け、私の手を握り返すものに、変わる。
 春が訪れる前の雪解けに似た、こころのほぐれる瞬間を目の当たりにしている。
 力は、――誰かを征服するためではなく、守るために扱う。
 机を叩くことでぶつけるのでなく、この手は――紗優のこの手は、誰かの髪を素敵に整え、幸せな気持ちにさせるためにあるのかもしれない。
 その紗優の瞳に、じんわりと涙が浮かんだ。
 ただの中庭が、美しい彼女に焦点に当てれば、まるで薔薇園に変えてしまう。
 胸が熱くなるのを感じながら、私は、両の手で包み込んだ。

 その潤んだ、宝石のかがやきが。

 大きく、見開いた。

 振り返って驚愕した、あまりの近さに。
「タ、スク、いつ、いつからそこに……」
 座ったまま私は腰を抜かしそうになった。
「たった今です」私に寸時微笑む。微笑みを消すと紗優に向け、「宮沢さん。上田先生が呼ばれていましたよ。パソコン検定を受けられるとかで……」
「あ! 申込書やよな、忘れとったっ」
 じゃあなぁーと乱れたセットを手で整え、紗優はさきほどの女の子たちと同じ道を元気に駆け戻っていく。
 残された私は、パックのいちご牛乳の残りを飲み干した。ストローの口を親指で押さえつつ畳む。ごぱっと音を立てるのは恥ずかしいので若干余らせてしまった。
 待つタスクからびしびしと伝わる。

 絶対、聞いてた。

「お久しぶりですね、都倉さん。元気そうで安心しました」
「タスクこそ」
 恥ずかしい顔を隠すようにし、置いていた学生かばんを膝に乗せた。私が立ち上がるとタスクは身を引き、自分のお腹の辺りのブレザーのボタンを摘まんでおどけた。「猛勉強がたたって五キロも痩せちゃいました。もうすこし落ちるくらいが丁度いいのかもしれませんが」
「……ごめん。あんまし違いが分かんない」
 その手で肉付きのいい頬を擦りタスクは笑った。
「全部、聞いてた?」
「ええまあ。……すみません。中庭におられる貴女がたの姿が見えまして。すぐにお声がけしなかったのは、僕の不徳と、好奇心に依るものです」
 突然の質問に、彼は今度は困り笑いをした。
 でもこの彼が出遅れたからこそ、私は、私の本音を紗優に伝えることができた。
 自分の気持ちも、改めて確認した。
 タスクは、中庭を出入りするためのガラス扉を紳士的に押さえてくれた。……このようにタスクと二人過ごす姿を誰かに見られれば、またあらぬ噂を立てられるかもしれない。
 ちょっと鬱な気持ちになる。
 自分の気持ちさえしっかりしていればいいんだけれども。
 外からなかに入るときの明度の差に、いつも、立ちくらみに似たものを覚える。逆の場合は顔をしかめるだけで済むのに。タスクも玄関のほうに行くみたいだ。すこし落ち着いてから私は口を開いた。
「……好奇心なんてタスクに、あるんだ」
「どうも、僕をサイボーグかアンドロイドのようにお思いですよね都倉さんは」話を引き戻す発言にタスクは微苦笑をする。中指で眼鏡の縁を押し上げ、「感情を持たぬ人間なんておりませんよ」
 私は通りざまにパックのごみをごみ箱に捨てた。「機械人間も感情を持つんじゃなかったかな。ほらターミネーターのシュワちゃんは親指立ててたじゃない。溶岩、……」じゃないやなんだっけあれ。「溶かされる前にさ。グッドラックって」
「映画ですよね。僕は観ていません」
「え!」あの名作を観ていないひとがいるなんて。「じゃ。サラ・コナーもエドワード・ファーロングも知らないの?」
「耳馴染みのないラストネームですね。アメリカの方でしょうか」
「一人は役名だけれど……彼のほうはテレビCMにも出てたよ。カップラーメンの。すごくかっこいいんだよ」
「貴女の好奇心のほどを知れて僕は安心しました。……実を言うとですね。彼以外に異性として関心を持つ相手は居ないのかと懸念をしていたのですよ」
「えっ、と」
 言葉に詰まる。
 俳優にミーハーな自分をほくそ笑むタスクに。
 しかも、

 想いをとっくに、看破されている。

「そ、んなに分かりやすいかな、私……」
「大丈夫ですよ。その角度で持って物事を見なければ案外、気づかないものです。カメラのアングルを作るのと同じですね。……彼が気づく心配もありません。彼は、あなたが自分を好いてくれているという角度で物事を見ようとはしていませんから。この観点で、あなたと彼は、非常に似ています。自分に対して向けられる好意にだけは、鈍い」
 ……困ったもんだ。
「悪い意味ではありませんよ」とタスクはフォローする。「愛情の形、表現は人それぞれです。……同じでは何も面白くありませんから。どう表現するかでそのひとの個性が現れますね」
「タスクはどういうタイプ?」
 和貴が、秀吉タイプと形容したのを思い出しながら私は訊く。

「傍観者です」

 瞬時に彼は答えた。術者や魔術師などと形容するのが的確に思えたのだが。やっぱり、……他者からの評価と自己分析には微妙に食い違いが生じる。「輪のなかには参加せず、あたたかな人の輪を外側から傍観する……基本的にはそちらのほうが合っています。我を忘れ、身を焦がす恋に溺れるのはどうも苦手というか」

 寝ぐせでハネた髪を撫でる行動には、なんだか、抑制したいという欲望がかいま見えるような。
 私は率直に口にする。

「タスクって、好きな人が、いるの?」
「いますよ」

 初耳だ。

「私の知ってるひと?」
「よくよくご存知のお相手です」

 それってひょっとして、

 紗優!

 喜びに満ちた顔をあげると、彼は、静かに、首を振る。

「……貴女の思い浮かべる方ではありませんよ」
「そっか……」

 思うようにいかない。
 紗優とタスクが相思相愛になってくれればいいのにと思うことがある。
 勿論、気持ちがどうにもなるものではないし、そのひとの想いこそが一番大切なのだと分かっている。
 紗優を好きだという坂田くんの気持ちも。
 けどもときどき。

 あまりにすれ違う恋の行方に、叫びたくなることがある。

「どうやら、お迎えのようですね」タスクが足を止める。下駄箱の傍に彼の姿を見つけた。「あれもまた、彼の愛情表現の一つですね。都倉さんを目立たせるのも構わずに動く……身を焼かれるイカロスの翼が肉眼に見えるようです」
 比喩を用いるタスクは、男子に手厳しい。特に、マキには。
「僕が、彼に言ってきましょうか」
「平気だよ」
 膝に手を添えてやや屈んだ彼は、まぶたを動かし上品に微笑んだ。
 牛乳瓶の底みたいな黒縁眼鏡と、寝グセの目立つ髪型がセットでなければ、気品すら漂う仕草だった。
「……僕はですね、都倉さん。貴女の幸せを願っています。……ごきげんよう」
 大袈裟な。
 と思いつつ別れの手を振り、マキの元へ駆け出した。

 そして、桜井くんの幸せも。

 タスクの小さなつぶやきは、おせーぞと呼ぶマキの大声に、そして周囲の雑踏へと吸い込まれていった。
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