碧の青春【改訂版】

美凪ましろ

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第七章 選べません……全部嫌です

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「あーんーたーはーっ」
 般若だ。フライ返し両手に持って仁王立ちする、般若だ。
 こんな彼女をかつていじめてた子がいただなんて信じ難い。
「いったいいぃーつまで油売っとるつもりなんやねあんた、ホールやねんからきっちりホールで働きいやっあんたがおらんとホール回らんがよっ」
 いやいやいや。
 私おじいさんと喋ってたの一分足らずだよそれより田代くんそれ三番テーブル。指三本立てた、そ、三本。違う三番。
 引き止められてるこの時間も惜しいのだが主張すべきところは主張せねば。謙虚を美徳とする日本の国民性は時に自らの首を締める。学園祭は明日もあるのだ。
「回んないのって私のせいじゃないし。それとね、和貴だって喋ってばっかじゃ」
「あいつは客寄せパンダ。分かっとるやろがっ」フライ返し。人に向けては大変危険です。ええパンケーキ焼き続ける胸中お察しします。「あいつがきっしょい笑顔振りまけば女がわんっさか群がんの。じーさんや宮沢のおかんに優しゅうしとったら尚更いけすかんあいつの好感度あがるっ」なんか聞いちゃいけない形容詞も混ざってた。
 小澤さん、指揮棒だか凶器だかにしてたフライ返しをやっとカウンターに置くと、「……お陰で馬鹿忙しいから買い出し行って。紙コップ。百個でも二百個でもなんぼでも買うてきたらええわ。職員室前に売っとるさけ」
 いいけど。「ホール一人足りないと思う。どうするの」
「貸しな。あんたのそれ」財布を私に渡すとエプロンの後ろ紐を解き、「あたしが着て出る」
 え!? 「でもこれ、かなり小さいけどサイズだいじょ」
 ……
 脱いで逃れる。
 だってだって私のXSなんだよ小澤さんに合わないじゃん体格じゃなくて身長の問題だよねえなんで本当のこと言おうとするとあんなに睨むのっ。
 ああ……
 走りすぎて突き当たりまで来ちゃった。あっちから回ったほうが近道だったのに。午後働くスタミナも残ってないよ戻るのもめんどいもういい、急がば回れだ回ってしまえ。
 さて。
 ここで一つ。
 問題です。
 喧騒から離れたこちらの狭い階段にて。
 踊り場の小窓からぼんやりと遠方を眺め、お一人様を満喫する後ろ姿は、
 いったい。
 誰でしょう。
 さーみんなで考えよーう。
 ……
 考えるまでもありませんねウルトラクイズだったら一秒足らずで即答ピコーンて優勝しちゃってるよ、
 あの。
 サボり魔っ。
 必死こいてみんな働いてんのにあんなとこで煙草吸わないでなに中途にぬぼーっとしてんの? ちょっと「マ――」
「まっきたぁああああ!」
 びくっとして私固まった。
 赤い髪が怒涛の勢いで駆け上がってきてしかも後ろっからぐわしっと抱きついた。
 ま。
 マキに。
「ずーっと探しとってんでーあっちこっちかけずり回ってんでーおっまえ、四組にもおれへんかったのにこんなとこでなにしとんのや」
「離せ。気色悪い」
「いけずなこと言うなやーオレとおまえずびずびの仲やんか? なーなずーっとゆえへんかったがやけどオレな。蒔田のことごっつ好っきやねん!」
「いいから離れろ。三度目はねえぞ」
 すごい。
 なんかいろいろと……凄い。
 凄まれても動じるどころかあの冷気漂う背中に顔埋めて顔こすってるこすりつけてる。赤い髪が乱れる。
 そのひと。
 ちら、とこっち見たと思ったから私慌てて屈んだ。
 あれ。
 ていうか私別に隠れる必要なくない?
 一旦引っ込むと引っ込むことに引っ込みがつかなくなる。階段の手すりに手をかけて目まで出して確かめてみる。
 やっぱり、男の子だ。ペンキみたいな赤、髪スプレーで染めてるのかな。……この秋口にやや寒い半袖のTシャツ。あんなラフな服装は外部にしか見ない。顔は知らない、どのみち分からない。
 マキが小窓から手を離す気配があったので私再び引っ込む。
「知っとっかーオレら今年もトリやんねぞ。見に来て見に来てー」
「行かね」
「あれつこうたゆうてもか?」
「あれとはなんだ」
「ノートにちゃっかり書いてくれとったやろ。やらね、ってゆうたんになーオレのために詩ぃ作ったんさっすがオレの友達やわ持つべきもんはデキる友達やなー。もろうたもんは大切にせな音楽の神様に怒られてまうがな。知っとるでー宿題やとちゃーんとちごうの出しとってんなおまえ。……オレにだけゆうてもええで?」
 一息置くと、明るい調子を取り外し、深い部分に踏み入る重たさで彼は言う。

「稜子のことやろ、あれ」

「ふざっ、けんな」マキが語気乱すの珍しい。「てめ。勝手に曲にしたってのか? 著作権はどうなってやがる」
「なーなーオレ英語やっぱできひんし蒔田にこれからも書いてって欲しいねん。うち専属でやる気あらへん? まじで」
「やらへん」
 マキ釣られてる。
「うおっ。あかん一時回っとるやんかもーオレ行かな。学祭満喫するヒマちぃともないねやこっからウチ帰ってれんしゅれんしゅ。あーこっそりフケるさけ誰に訊かれてもゆわんといてなー? したらオレ、蒔田のこと待っとるからなーっぜってーこいやーっオレおまえきぃひんと歌わんからなーっ」
 なんぼでも女なかす羽目になっぞーっ。
 わめいて慌ただしく駆け足が階下へ消えていく。
 火の玉だった。
 存在といい色といい。
 残されたマキ、小さく嘆息。
 私。
 出てくタイミング見失った。
 四つん這いにて段をそろそろと上がるところを。

「まさきぃーっまさきやろぉーっ」

 めんたま飛び出るかと思った。
 怜生くんだ。
 んなとこでなにしとーんってええもうもう立ち聞きもとい座り聞きですよ見て分かりませんかねこの隠れてる様子が!
 腕広げられれば飛び込むべしとインプリンティングでもされてるのか。
 がっぷり。
 山下真司みたく熱く抱擁もうやけくそだ。
 いーにおいーって顔遠慮なく埋めてくるしもう受け止めるしかないじゃんこんなの頭なでこなでこしたげる。
 しながら、
 恐る恐る斜め後ろの踊り場に目を走らす。

 長身に阻まれないひかりだけが取り残されていた。

 * * *

「都倉。休憩入りな。長谷川あんたも」
 ……二時を回っていた。お腹空いたを通りこして胃が変な感じ。
 タスクは縦に長いカクテルグラスにチョコを搾り出していた。器用なひとだ。

「皆さんに差し入れを買って行きましょうか。都倉さん、お腹は空いていませんか?」
「タスクは?」
「あまり。甘いものばかり作っていますから、暫く甘いものは避けたい所です」
「あはは。……ねえ、外の屋台行ってみてもいいかな。すごくいい天気」
「ええ、気持ちのいい日ですね」
 インディアンサマーの陽気に誘われ、生徒玄関から履き替えずローファーのまま屋外へ。……学祭終わったら廊下教室ぜんぶ拭き掃除するんだろうな。ちょっと憂鬱。
 ところでもしそこの、お嬢さん。
 ちょいと私の見間違えでなければ。
「……紗優?」
「ん。あっ、まっさきぃーっ」
 うそ。やっぱり紗優だった。振り向いた紗優見て正直仰天。
 ふりっふりのワンピ着てるもん。ピンクのミニ。フリルいっぱいのブラウス。レースのカチューシャ。髪宝塚みたく縦ロール……胸の前に『二年一組メイド喫茶』って書かれた段ボール持ってる。
「一組って……そういう趣向なんだ」
 ビジュアルで商戦に走るのは二年四組に限られない。
 呆れつつも紗優すごく似合う。紗優じゃないと着こなせない。下品になるか色気不足で終わるかだ。
「そのタキシードよう似合っとんなあ。なんやろう、ピアノの発表会出とる少年ぽい」
 褒められてんだかどうだか。「紗優すごい可愛い。ねえ紗優が立ってたら一組すごく混んでるんじゃない? 声かけられたりするでしょ」
「どーやろなあ」髪をかき上げる。ぞんざいとも言える仕草がいやに色っぽく見えた。「やっけに見られとる感じすんねや。落ち着かん。……なあ明日。時間あったら一緒回らんか? あたしなー当番いっぱい入っておっていま離れられんの」
 私も同じ。なんせ誰かさんがサボってるから働き詰めだもん。「うん。一緒にいっぱい回ろうね」
「よかったぁー」
 胸押さえる紗優、いじらしい。本当に可愛い。こんな子が女の子の友達できないって嘘みたい。

「紗優じゃねえかおい」

 私すっかりタスクのことを忘れていた。
 わけではなかった。
 他校の制服だ。
 思いきし着崩してる。ズボンの腰の位置下げてチェーンじゃらじゃら。トランクス見えないのは単に、シャツの裾を出してるからだ、緑高生なら先ず先生に注意される。
 その男子、口閉じずガム噛みながらこちらに近づく。
 香水、きつい。これエゴイストだきっと。
「けんちゃん……」
「知り合い?」目と声が訝しげなものになるのが分かる。
「元カレだよなあ?」けたけたと笑う。気持ち悪い笑い方をする。上から下までを舐め回すような目付きといい。「んなガラでもねえかっこしやがって。誰に色目使ってるつもりなんや、ああ?」
「……やめてよ」
 びっくりした。
 紗優が怒りに声押し殺すのを初めて見た。
 にも関わらず、彼は紗優の肩を荒っぽく抱き寄せる。
 嫌がっている空気、眉をひそめかけたのが、
「もーけんちゃあーん、きゅーにおらんくならんといてよっアサミどーしたらいーんか分か……あっ」
 ギャル男の次はギャルがやってきた。
 人工的な金髪。超ミニ。太い太もも、でルーズソックス引きずりながらえらい内股の小走りで。ローファーのかかと踏みつけて、ぱたぱた鳴らしてる。
「……なにしとんがけんちゃん。つーかなんやこの女。誰ぇ?」
「なんっでもねえ」乱暴に払い、紗優がすこしよろめく。「おまえに関係ねーよ。つか誰にでも股開くあばずれなんかどーだっていいだろ」
 怒りを、覚えた。
 こちらに目を向けず。
 アイラインぶっといギャルの子の背中に手を回し、どっちが支えられてるか分かんないべたつき度合いで去る。
 つもりが。
「……んだよ」
 ついさっき掴んでいたはずの彼が。
 今度は掴まれる側に回っている。
 ――タスク。
 引き止められて意外そうに開いた目が、紗優とタスクを交互に見比べ、澱んでそして、「おっまえなあ」笑った。「もー乗り換えたんか。相っ変わらず手ぇはええやつだなー? おいあんた気を付けろよ。こいつ誰にでも、」
 消えた。
 嘲笑っていた、彼が。
 一瞬だった。
 片手一本でタスクがなぎ倒していた。
 引越しの荷物落とす、どすん、と耳慣れぬ奇妙な音が響く。
 玄関のすのこの上に蟹みたくひっくり返っていた。
 私、こわごわ、近づく。
 だってタスク彼に、近すぎ。
 周囲の注目が集まるのをびしびし背中で感じるし。
 すのこ板の彼、頭を押さえ、視界にタスクが入ると、
 ――やっぱり、
 顔を憤怒に染めて、
「よっくもてめえっ」
 身を起こすときに既に拳は固めていた。群集の誰もギャルも構わない、タスクという一点の暴力を与えるべき対象しかその目に映らない。やめてっ! と紗優が叫んで走り出る。
 私、
 信じられないものを見た。

 タスクが微笑んでいた。

 罠にかかる獲物を捉え。
 瞳だけであざ笑うかの調子。
 からだはそのゆったりとした調子とはまるで違う、俊敏さを選ぶ。
 ふりかかる分かりやすい右ストレート。
 余裕を持って躱す。数歩後ろに引く最小限の動きで。分かりやすいといっても動体視力が悪くても反射神経が鈍くともあんな動きはできない。無論私は避けられない。
 前につんのめった彼は隙があった。
 ぶつける対象を失った右の腕、逃さずタスクは掴む。腹に押し付ける右の肘を支点にして、ぐん、とからだを背負い、上体を屈める。
 地にたたき落とす。
 一本。
 白旗を挙げない審判員はいないだろう、見事な一本背負いだった。
 ぐあ、と蛙の潰れたのに似た響きでまたも仰向けにすのこの上へ。
 こちらの心得もあるのか、剣道の素早いすり足で蟹みたいな彼の元へ。
 痛みで動けないのか、顔をしかめながらも、や、ろ、……となにかつぶやいてる。
 タスク。
 おもむろに屈んで、耳元でなにか言う。
 と。
 蒼白に変わる人間の顔色。
 膝に手を添えてゆっくりと立つと、タスクは聴衆の誰ともなく声をかける。「すみません。彼、少し具合が悪いようですので、どなたか保健室に、」
「いいいらんいらんっ!」バネみたく跳ねて彼。いらんいらんと何度もわめきながら、ちょっと足を引きずりつつ、ギャルの女の子の腕掴んで去っていった。
 逃げたというべきか。
 というわけでことの成り行きを見守ってた野次馬も散り散りに。私それを見ながら、
「タスク……柔道の心得あるだなんて意外だよ。正直パソコンオタクなだけだと思ってた。……見直した」
「心得があるなどとは到底言えません」失礼なこと言われても微笑絶やさず。でもこの微笑の種がさっきとは違うことを私分かっていた。「体育の授業で習った程度です」
「でも。すごかった」
 私は。
 突っ立ってるだけで。
 タスクのために叫ぶことも。
 紗優のためにもなんにもできなかった。
「まぐれですよ」ふふ、と顎に指を添えて笑う。「彼、頭に血が上ってました。右利きでしたので最初の一撃さえ避けられればなんとかなると思いまして」
「なんとかなるじゃないよっ!」
 のんびりした会話に紗優が声を荒らげた。
「あいつが誰か分かっとるん? 東工んなかでもいっちゃんガラ悪いやつらのアタマなんよ。もし一人んとこ狙われてフクロにされたら」
「大丈夫です」
 ふ、フクロって。そんなにやばい男の子だったんだ。
 もどかしげに拳を握る紗優。「タスクはなんも分かっとらん! あいつが、」
「東工の香川の上の上にいる、柏原(かしはら)という男。現、永迂光(とうこう)愚蓮会(ぐれんかい)の総長である彼は、古くからの僕の友人でしてね。兄はもう抜けましたが、その縁で何度か掲示板を作ったことがあります」

『……どこがよかったん。東工の香川。手癖悪いって有名やったがいねあいつ』

 あまりに冷静に語るタスクに驚く前に。
 私はさっきの彼が小澤さんの語っていた人だということを、今頃になって理解した。

「ここまで言えばお分かりですね。香川が僕たちに手を出すことはありません」
 前半部分は紗優に、後半部分は私に向けて言った。
 複数形だった。
「タスクっていったい、何者なの」
「ただのしがない高校生です」肩をすくめる仕草、和貴でなくとも様になってる。
「もう、いい。分かったから。分かったけどあたしなんかのためにこれ以上危ないことしないで」
「貴女なんかのためだからです。あんな顔をされていては、止めるのが道理というものでしょう」
 でもタスク。
 もっと泣きそうに歪ませちゃってるよ。
 私が知る限り、タスクと紗優が二人で会話を持つのはこれが初めてだ。
「タスクっていぃつも上からもの言っとる。はっきりゆえばいいやろ。あんなやつとつきおうてアホな女やって思っとるって」
「そんなことはありません。誰しも。人には色んな過去がありますから」
「ほらやっぱり……」
「色んなことがあったからこそ、今の貴女があるのです」
 ……どっかで聞いた台詞なのは気のせいか。
 おおっと。
 さっきからこの雰囲気、はよ気づけって話ですね。
 見つめ合うお二方。
 明らかにお邪魔虫じゃないですか私。
 背を向けて退散退散。
「今の、魅力的な貴女が」
 本気で思考も足も停止した。
「彼を見て貴女を見ていたら、体が勝手に動いてしまいました。無意識下の言動ですので責任は僕の負う所です。何が言いたいかと言うと。……つまりは。僕は仲間として貴女のことを大切に思います」
 最後に聞いたのはタスクのキザったらしい台詞。
 お陰で差し入れ買い忘れて小澤さんに怒られてしまったではないか。
 どうしてくれる。
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