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outsider

第四話(1)諦観する男

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「……落ち込むことでもありましたか」
 やさしく声をかけると男は「まーね」とまるで大したことのないように言う。
「別れってやっぱ、堪えるね。しんどい。カウンセリングとおんなじで、ぼくから離れることが成長の第一歩。ぼくなしで人生を生きていけるこそが目的……、なんだけどね」
 キンと冷やされたジンライムを口に含み、男は、
「今回ばかりは、しんどかったよ。割りとぼく、本気だったからさあ」
「それ、前も言ってませんでした?」
 カウンター内で、苦笑い混じりに彼が突っ込んでみると、「そうだっけ?」と男。どうやら空とぼけているようで、口許に笑みを漏らしている。
「ぼく、毎回毎回、本気なんだよ……よく誤解されるんだけど。
 本気で、彼女たちのことを、愛している」
 ――いけいけしゃあしゃあと、よくもそんなことを。
 もし、男がこの店の常連でなければ。男が彼の友達であれば指摘してやるのだが、残念ながら男はそうではないため、よって彼がそれをすることは出来ない。――客を楽しませるのが、客商売の常識である。
「……今回の方は、どんな方だったんです?」グラスを拭きながら彼が問うてみると「ああ」と男は遠い目をする。
「……そうだな。母性が強いひとだったな。イマジネーションが豊かで、創作かなんか向いていると思う。
 言葉がぽんぽん出てきて、瞬発力は弱いけれど、柔軟性が高いひとだと思ったよ。
 あーいうひとと一生を過ごせたらきっと、楽しかったんだろうねえ」
「そんなに好きであれば、仕事もなにもかも放り出して、その方と一緒になることを選んだでしょうに。もし、友哉さんが本気で彼女のことを愛しているのなら」
「……うん」友哉はグラスを傾け、「……なんだよね。結局ぼくは、どんな場面においても自分を選んできた。究極のナルシストだよ。自分しか愛せない。……ひょっとしたら、ぼくは、彼女たちを救っているように見えて、救われているのは自分のほうかもしれない。むしろぼくのほうが、頼られることで救われているのかもしれない」
「――ただのナルシストが、究極の奉仕なんか出来ませんよ友哉さん。……あなたのその場面をぼくは目撃したわけではありませんが、なんとなく想像がつきます」
「雄基(ゆうき)くんはやさしいねえ……。励ましてくれてるの?」
「違います。ぼくの主観に基づく事実を述べているだけです」
「……彼女。おそらく最初はぼくに好意を抱いていなかったんだ。きゃんきゃんしている感じが、可愛くってさあ……年上とは思えないほどに。
 反応もいいし、なんたって声がいい。顔もいい。
 なーんであんないい女を捨てるのか、意味が分からないくらいだよ……彼女の元旦那」
「結婚生活に向き不向きはありますからねえ。……次はロックにします?」
「ああ頼む」
「友哉さんが病的にあのサービスに向いているように」と棚から友哉のキープしたボトルを出すと雄基は、迷いなき手つきで焼酎のロックを作っていく。「病的なほどに結婚生活に向かない人間もいるんですよ。友哉さんが恋したその女性も、そうだったということでしょうね。……どうぞ」
「ありがと」すぐさま友哉はロックに口をつけ、「……確かに、ぼくと彼女が仮に一緒になったとしても、幸せな未来なんか描けないんだ。あくまであーいう特殊な状況下だからこそ恋に落ちれたっていうわけで。『タイタニック』と同じで……」
「ぼくが生まれる前の映画ですよねそれ」
「ええ?」カウンターから雄基へと目線を移した友哉が、「嘘でしょ? んなに若かったっけ? 雄基くん? ……調べてみるね」
 ポケットから取り出したスマホを操作すると友哉は、
「1997年。ちっさい頃散々テレビでやってた記憶があんだけど。えー、雄基くんまじかよ。ぼくもっと雄基くん、おない年くらいだと思ってたぜ」
「と言ってこれ、フェイク発言かもしれませんよ」
 企んだように笑う雄基に、「ないねー」と友哉は、
「……つき合い長いんだから、んなことする必要ないでしょー。……そっか。雄基くん、二十二歳ぽっちでこんな素敵なバーを開いて流行らせてんだから、すごいよねー」
 雄基が意識するのは、ここが誰にとっても居心地のよい空間であるということ。
 シングル。既婚者。友達連れ。どんな顧客をも包み込む、あたたかく、孤独を許すドライな空気感。それを、雄基は大切にしている。
「友哉さんのほうこそ、すごいじゃないですか。どんな女性をも虜にするんですから。……素晴らしいですよ」
「賛否両論あるけどねー。裏ですっげー、叩かれてるよおれ。一生独身確定だねこりゃ。娘でも産まれた日にゃあ、あっちゅう間に拡散されるよ……」
「オランダだと売春は合法化されているというのに、日本はなにかと遅れていますよね。性教育といい、政府の法の整備といい、一般的な性の認知度。レイプ対策に被害者への対応……」
「まーねー」と友哉はグラスを傾け、「こないだ、レイプ被害者の本読んだときに、二冊とも、女性の被害者でね、通報でやってきた警察が男だったの。レイプキットの用意もなし。精液採取すりゃあ、加害者特定出来るっつうのに。なにかと日本の警察の対応は後手後手だよね。性的には、恐ろしいほどに、後進国だ」
「……但し、日本が性的な発展途上国だからこそ、友哉さんの提供するサービスが受けているのかもしれませんが」
「でもないと思うよ」涼しい顔で友哉はグラスに口をつけ、「ぼくと類似のサービスを提供する人間はごろごろいるしさぁ。料金とシステムの違い。そして、IT系って実はアメリカと日本とで全然違うんだって。アメリカだとパッケージシステムが主流なのに、日本だと企業はオーダーメイドのシステムを発注する。その企業の特性にあったシステムのカスタマイズが必要とされている。
 ……面白いよねそーゆー国民性の違いって。
 SNSなんか見る限り、世界に瞬く間に広がってるからさー。あの手のサービスは。
 リプにGIF動画つけるやり方は、日本とアメリカとでまったくおんなじ。興味深いねえ」
 カウンターに座るのは友哉ひとりだけだ。毎月、この時間、と決めて彼はこのバーにやってくる。雄基は他のテーブル席の客がお喋りに夢中なのを目で確かめ、
「日本は、超少子化高齢化社会が進んでいますから。近い将来、外国人のかたからの依頼も増えることでしょうね」
「……ぽつぽつ、来てるよ?」
「そうなんですか?」
「まーでも国民性の違いって大きいねえ。……こないだ、ベトナム人だったけどメールで前日キャンセルされて。『叔母が帰国するから会社辞めて行ってきます』とかなんとか書いてあって。びっくりしたねえ。向こうだと、親戚になにかあったら、外国からでも駆け付けるのが普通みたいでさあ。びっくりだねえ。……その後音信不通だけど、伯母さんの無事を願うばかりだよ……」
「そういうやさしい面を持つのが友哉さんらしいですね」
「やーでも普通じゃない? 誰にも不幸になんかなって欲しくないよぼかぁ……。雄基くんもなんか飲もうよ」
「……では、一杯だけ」
 友哉は、以前、雄基が店を開く前にバーテンダーをしていた頃からの顧客だ。
 雄基の仕事ぶりを見るなり、友哉は、
『――きみ、独立すればいいのに。しなよ』
 あの後押しがなければ、彼の独立はもっと先だったかもしれない。
 雄基にとって、友哉は、大切な人間のひとりである。
 その人間が傷つくのを黙って見ていられるほど、雄基は、大人ではない。
 ――大人とは、なんだろう、と雄基は思う。
 誰の人生にも干渉しないと決めた覚悟。
 誰かの人生に深入りし、過ちを矯正しようとする意識の塊。
 そんなものを、友哉に対して、持ち合わせてなどいないと、雄基は思うのだが――。
 触れるたび、雄基のなかで、覚悟が、揺れる。
 すべてを投げ捨てて、愛する女と一緒になればいいのに、と言ってやりたくなる。
 けども、この、情報化が進んだ社会では、それをすれば友哉は、たちまち特定されてしまうだろう。
 それこそ、某国に逃げ出したあのひとのように、然るべきルートを使い、莫大な金を持って逃げるしか。
 友哉のすることを、間違っているものとして、糾弾するのは簡単だ。
 が、雄基は、基本的に友哉を支持するスタンスでいる。それはなにも、友哉が大事な顧客である以前に、彼の思想に共鳴するからだ。
 一度、店で、酒に薬を持った男を通報したことがある。レイプ目的だった。阻止出来てよかったと雄基はこころから思う。自分の店を経由して、女性が痛めつけられる場面など、雄基は想像だにしたくない。
 それに比べれば、友哉は、然るべきやりかたで女性を導いているだけのことだ。糾弾される理由などどこにもないと、雄基は考えている。
 ただし、雄基がこの思想を表明することは滅多にない。友哉は、孤独を望む人間だ。五年程度のつき合いであれ、そのことはよく分かっている。――きっと誰にも友哉はこの悩みを打ち明けずに、溜め込んでいる。……いや、彼はカウンセリングに通っていると聞く。そこですこしでも悩みが解消されているといいのだが。愛する女と巡り合えても、思いのままに動くことの出来ない現実との葛藤が。
 雄基は、友哉を、変えるつもりはない。彼は、傍観者だ。
 誰に対しても同じだ。よっぽど相手が誰かを傷つけている場合を除き、雄基は口を出さぬ主義だ。それはなにも、彼がこの仕事をしているせいではなく、彼という人間の在り方がそうだからである。
 めそめそと泣き言を言うのは一瞬で、結局現状分析、そしてこうあるべきだ理想論へと辿り着く。――本気で自分の手で、思い悩む女性を幸せに導こうと、友哉は考えている。
 ここに来たときにはちょっぴり泣きそうだったのが、引き締まった表情で帰っていく。毎度、友哉は、こうだ。外で自分がなにを要求されているのかを知っている。苦しみに耐える彼のオアシスでありたいと雄基は思う。
 友哉の帰り際に、こっそり、雄基は打ち明けた。「実は、ぼく、授かり婚をしまして。昨日、入籍したばかりなんです……」
「――ば」大きく友哉は口を開いた。「そんなことならさっさと言えよー。水臭いなあ。おい、ドンペリ!」
「……うちにご用意はありません」
「なら来月、用意しといて。まじで飲むから。飲ませるから。……相手、どんな子? 可愛い子?」
「……友哉さんの毒牙にはかかったことがないと申しております」
「へーえ。……幸せ?」
「幸せです」
「性別とか決まってんの?」
「まだ分からないです。三ヶ月なので」
「そっかあ……幸せになりなよ。まーぼくが言えたこっちゃないかもだけど。幸せになりなよ」
「ありがとうございます」
 このタイミングでこれを告白するのは躊躇われたが、友哉には出来るだけ早く知らせたかった。苦しいことも楽しいことも分かち合った仲間だからこそ。
 友哉を見送り、空を見上げると、ぽっかり丸い月が空に浮かんでいた。また雄基の知らない世界へと歩いていくその背中が、小さく、消えていった。

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