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第一部 予兆
#01-04.偽善
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「ええ、それでしたら、大吟醸がお勧めです。新潟はやはり、お酒が美味しいですから……日頃からお世話になっているお義母さんに贈られるということでしたら、やはり……大吟醸が一番いいですよ。辛口できゅっと甘みがあって。夏なんか、冷蔵庫できんきんに冷やしたお酒にお刺身に合わせるともう、……たまらないですよ」
わたしの勧めもあり、観光客である夫婦は、大吟醸を買っていった。地元の人間だけではない、観光客もたくさん訪れるここ佐渡島の酒屋では、勿論、配送も受け持っている。本土なら大体、二三日程度で、届くはずだ。その観光客を送り出すと、近所の、秋原(あきはら)さんがやってきた。
「……どう? お店のほうは……」
「ええ、まあまあ」やんわりとわたしは答える。旅館業を営む秋原さんは、他の店の様子がやたら気になるようだ。「トレッキングやツーリングのお客さんが来るもので、なんとか……なってます」
「さっき帰ったお客さん、不倫に違いないわ」年齢で刻まれた皺を更に深くして秋原さんは言う。「女がやたら派手で、女が金を出す場合は、大概不倫だわ。あーあ、こっちも客商売だからなにも言えないのよ、いやになる……」
嫌悪感を露にする秋原さんは、まだまだ喋り足らないらしい。店の椅子にどっかりと座り、お茶が出るのを待つ。気を利かせた夫が、お茶を運んできてくれた。「あらありがとう。富田さんもところも商売よくうまくいっておって……羨ましいわ」
「とんでもないです」とわたしは首を振る。「それでもまあ、ネットの力ってのはすごい……ですね。うちも娘に言われるがままに適当に写真なんかアップしたらすごい閲覧数で……わたしらがどうこうしているわけじゃない、単に、佐渡という場所が――凄いんです」
「本当にねえ」にこやかに秋原さんは笑う。「若いひとがよーぅ来てくれるもので、うちも、助かっておりますわ……」
うちが、積極的に、近所の旅館の写真をあげていることも示唆しているらしい。その感謝の気持ちが声音に現れている。
ひとしきり秋原さんと喋り、合間を縫って接客を終えると、瞬く間にお昼の時間となった。旅館もそうだが酒屋もなかなか――忙しい。客のない間を見計らい、発注をし、棚卸をし――最も、夫である昭彦(あきひこ)が殆どやってくれているので、わたしは店での仕事に集中出来るのだが。
わたしの両親は、既に他界している。婿養子としてこの富田酒店に入った昭彦は、当初、わたしの母とそりが合わず、怒鳴ってばかりいた。娘たちは学生時代なかなか彼氏が出来なかったが、あれは、父親の言動がトラウマになっているのだと思う。鳴海は無事嫁いだというのに、あの子……詩文といったら。まったく。
大きくため息を吐くと昭彦がこちらを見た。「どうした……正子(まさこ)。ため息なんかついて……」
「詩文のこと」わたしはお酒の箱を整えながら肩をすくめ、「詩文……あの子、三十を過ぎているのに、結婚しないで、仕事ばっかりで……本当、あの子はどれだけ親を悩ませれば気が済むのかしら……」
「詩文には詩文の人生があるからなあ」『分かったような』態度を取るこのひとが、嫌いだ。詩文が不登校だった頃は散々、怒鳴りつけておいて。「東京でうまくやっておるんやったら、わしらにはもう、言えることはなんもない」
渋い顔をする昭彦さんを無視して、わたしは帳簿をつける。夜、一気につけると、疲労を感じるようになった。還暦を過ぎた頃からいろいろと、辛くなった。
娘たちの連絡用にと、一応はと、らくらくホンではない、若い人向けの携帯を持っている。仕事の合間にわたしは、娘たちにメールを入れた。――銀婚式。
昭彦さんと結婚して二十五年が過ぎた。山あり谷あり……決して楽しいことばかりの結婚生活ではなかった。婿養子である昭彦さんは、四十代ぐらいまでは、毎日怒鳴りっぱなしで、わたしや娘たちに怖い思いをさせていたし、わたしの母は母で、そんな昭彦さんに面と向かってものは言わず、わたしや父を通して不満をぶちぶちこぼす……板挟みの毎日だった。
先ず、母が、認知症になった。ちょうどわたしくらいの年頃か。突然部屋を出たり、行き先も分からずと、目が離せなくなったので、ドアの上方に、簡単には外せない鍵をかけた。父の、苦労は、相当なものだったと思う。そもそもあんな高慢ちきの女を妻とした時点で――すごいと思う。
母は、いわゆる毒親だったのだと思う。誰に対してもなにに対しても常に不満を抱き、その負のエネルギーを周囲にまき散らしていた。わたしは自分でもよく、こんなに立派な大人に育ったものだと思う。あんな親に育てられて――。
酒屋は、祖父が始めた事業だ。父が、妻への不満を堪えて、懸命に娘たちを育て上げながらも守り抜いたこの酒屋は三代で、その歴史に幕を下ろそうとしている。
強制は、しなかった。娘たちには娘たちの人生があるのだから。それに、継がせるなら鳴海のほうだと――思い込んでいたのに。あの子は三十を過ぎた頃からこちらの意図を理解してか、あまり実家に寄り付かなくなった。婚活にも励んでいたようだ。無事、雅哉さんという立派なかたと結婚すると聞いたとき、わたしの胸のうちに去来したのは諦めと喜びと――悲しみだ。ああ、富田酒店もこれで終わりなのかと。薄々分かっていた現実であるが、改めて突きつけられると目の前が真っ暗になった。
夫の昭彦と細々と続ける商売。波のある仕事だ。震災などが起きると被害をもろに食らう――事業である。鳴海は、清廉潔白というか、曲がったことの許せない性格をしているから、性格上この仕事は合わないということは感じていた。詩文のほうは言わずもがな。あの子には、柔軟性が、足りない。
酒屋の仕事は、瞬発力と柔軟性が、求められる。表に立つのは女だ。やわらかく落ち着いた接客が、客のこころを、楽にさせる。――そこが、あの子たちには足らないのだと。
せっかくなのでと、銀婚式は、秋原さんのお部屋を借りて行うことにした。料理もサービスも、申し分ない。あの子たちも、来てくれるだろう。そうでもしないと、遠方に住むあの子たちと一度に会うチャンスなど、得られない。
年も年なのでと。純白のドレスなど着ず、無難に紺のワンピースでまとめるつもりだ。あの子たちからはすぐに返信が来た。『喜んで出席させて頂きます』――へえ。そのような言い回しも出来るようになったのか……詩文が。あの愚図な詩文が。
『ありがとうございます。遠いところを悪いけれど、当日、楽しみにしています』
返信は、早かった。『こちらこそ、楽しみにしています』――
鳴海のほうも、出席するという。夫婦で来るらしい。せっかくなのでと、秋原さんの旅館に、泊まらせていただくことになった。
娘たちに会えるのは楽しみだった。娘は二人とも東京にいるが、どうやらあの子たちはそりが合わず、関係は良好と言い難いようであった。なにかあれば話すが、でも積極的に連絡を取り合う間柄ではなさそうだ。この銀婚式を機に、あの子たちの間柄も改善してくれればいいと、わたしは願っていた。
――あの子たちが、どんな問題を抱え込んでいるかも知らずに。
*
わたしの勧めもあり、観光客である夫婦は、大吟醸を買っていった。地元の人間だけではない、観光客もたくさん訪れるここ佐渡島の酒屋では、勿論、配送も受け持っている。本土なら大体、二三日程度で、届くはずだ。その観光客を送り出すと、近所の、秋原(あきはら)さんがやってきた。
「……どう? お店のほうは……」
「ええ、まあまあ」やんわりとわたしは答える。旅館業を営む秋原さんは、他の店の様子がやたら気になるようだ。「トレッキングやツーリングのお客さんが来るもので、なんとか……なってます」
「さっき帰ったお客さん、不倫に違いないわ」年齢で刻まれた皺を更に深くして秋原さんは言う。「女がやたら派手で、女が金を出す場合は、大概不倫だわ。あーあ、こっちも客商売だからなにも言えないのよ、いやになる……」
嫌悪感を露にする秋原さんは、まだまだ喋り足らないらしい。店の椅子にどっかりと座り、お茶が出るのを待つ。気を利かせた夫が、お茶を運んできてくれた。「あらありがとう。富田さんもところも商売よくうまくいっておって……羨ましいわ」
「とんでもないです」とわたしは首を振る。「それでもまあ、ネットの力ってのはすごい……ですね。うちも娘に言われるがままに適当に写真なんかアップしたらすごい閲覧数で……わたしらがどうこうしているわけじゃない、単に、佐渡という場所が――凄いんです」
「本当にねえ」にこやかに秋原さんは笑う。「若いひとがよーぅ来てくれるもので、うちも、助かっておりますわ……」
うちが、積極的に、近所の旅館の写真をあげていることも示唆しているらしい。その感謝の気持ちが声音に現れている。
ひとしきり秋原さんと喋り、合間を縫って接客を終えると、瞬く間にお昼の時間となった。旅館もそうだが酒屋もなかなか――忙しい。客のない間を見計らい、発注をし、棚卸をし――最も、夫である昭彦(あきひこ)が殆どやってくれているので、わたしは店での仕事に集中出来るのだが。
わたしの両親は、既に他界している。婿養子としてこの富田酒店に入った昭彦は、当初、わたしの母とそりが合わず、怒鳴ってばかりいた。娘たちは学生時代なかなか彼氏が出来なかったが、あれは、父親の言動がトラウマになっているのだと思う。鳴海は無事嫁いだというのに、あの子……詩文といったら。まったく。
大きくため息を吐くと昭彦がこちらを見た。「どうした……正子(まさこ)。ため息なんかついて……」
「詩文のこと」わたしはお酒の箱を整えながら肩をすくめ、「詩文……あの子、三十を過ぎているのに、結婚しないで、仕事ばっかりで……本当、あの子はどれだけ親を悩ませれば気が済むのかしら……」
「詩文には詩文の人生があるからなあ」『分かったような』態度を取るこのひとが、嫌いだ。詩文が不登校だった頃は散々、怒鳴りつけておいて。「東京でうまくやっておるんやったら、わしらにはもう、言えることはなんもない」
渋い顔をする昭彦さんを無視して、わたしは帳簿をつける。夜、一気につけると、疲労を感じるようになった。還暦を過ぎた頃からいろいろと、辛くなった。
娘たちの連絡用にと、一応はと、らくらくホンではない、若い人向けの携帯を持っている。仕事の合間にわたしは、娘たちにメールを入れた。――銀婚式。
昭彦さんと結婚して二十五年が過ぎた。山あり谷あり……決して楽しいことばかりの結婚生活ではなかった。婿養子である昭彦さんは、四十代ぐらいまでは、毎日怒鳴りっぱなしで、わたしや娘たちに怖い思いをさせていたし、わたしの母は母で、そんな昭彦さんに面と向かってものは言わず、わたしや父を通して不満をぶちぶちこぼす……板挟みの毎日だった。
先ず、母が、認知症になった。ちょうどわたしくらいの年頃か。突然部屋を出たり、行き先も分からずと、目が離せなくなったので、ドアの上方に、簡単には外せない鍵をかけた。父の、苦労は、相当なものだったと思う。そもそもあんな高慢ちきの女を妻とした時点で――すごいと思う。
母は、いわゆる毒親だったのだと思う。誰に対してもなにに対しても常に不満を抱き、その負のエネルギーを周囲にまき散らしていた。わたしは自分でもよく、こんなに立派な大人に育ったものだと思う。あんな親に育てられて――。
酒屋は、祖父が始めた事業だ。父が、妻への不満を堪えて、懸命に娘たちを育て上げながらも守り抜いたこの酒屋は三代で、その歴史に幕を下ろそうとしている。
強制は、しなかった。娘たちには娘たちの人生があるのだから。それに、継がせるなら鳴海のほうだと――思い込んでいたのに。あの子は三十を過ぎた頃からこちらの意図を理解してか、あまり実家に寄り付かなくなった。婚活にも励んでいたようだ。無事、雅哉さんという立派なかたと結婚すると聞いたとき、わたしの胸のうちに去来したのは諦めと喜びと――悲しみだ。ああ、富田酒店もこれで終わりなのかと。薄々分かっていた現実であるが、改めて突きつけられると目の前が真っ暗になった。
夫の昭彦と細々と続ける商売。波のある仕事だ。震災などが起きると被害をもろに食らう――事業である。鳴海は、清廉潔白というか、曲がったことの許せない性格をしているから、性格上この仕事は合わないということは感じていた。詩文のほうは言わずもがな。あの子には、柔軟性が、足りない。
酒屋の仕事は、瞬発力と柔軟性が、求められる。表に立つのは女だ。やわらかく落ち着いた接客が、客のこころを、楽にさせる。――そこが、あの子たちには足らないのだと。
せっかくなのでと、銀婚式は、秋原さんのお部屋を借りて行うことにした。料理もサービスも、申し分ない。あの子たちも、来てくれるだろう。そうでもしないと、遠方に住むあの子たちと一度に会うチャンスなど、得られない。
年も年なのでと。純白のドレスなど着ず、無難に紺のワンピースでまとめるつもりだ。あの子たちからはすぐに返信が来た。『喜んで出席させて頂きます』――へえ。そのような言い回しも出来るようになったのか……詩文が。あの愚図な詩文が。
『ありがとうございます。遠いところを悪いけれど、当日、楽しみにしています』
返信は、早かった。『こちらこそ、楽しみにしています』――
鳴海のほうも、出席するという。夫婦で来るらしい。せっかくなのでと、秋原さんの旅館に、泊まらせていただくことになった。
娘たちに会えるのは楽しみだった。娘は二人とも東京にいるが、どうやらあの子たちはそりが合わず、関係は良好と言い難いようであった。なにかあれば話すが、でも積極的に連絡を取り合う間柄ではなさそうだ。この銀婚式を機に、あの子たちの間柄も改善してくれればいいと、わたしは願っていた。
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