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「そうなん、良かったやーん」
バイトの話をすると、彩夏は喜んだ。
店長は、厳しいけどジェントルマン。
ホールの平子さんは、線が細くて女の子っぽい。
調理の二人は白髪混じりのおじいさん。性的なものを感じない。「よー食べえや」といつも美味しいまかないを作ってくれる。
時折現れる店のオーナー、ママさんは呼び名のとおり、ママさん。昼ドラに出て来そうな風情で、子どもが見たら泣きだしそうな色の服を着こなしている。
とはいえ、彼女以外には極力寄らない。一メートル空けるのはデフォルト。触るなど、もってのほか。
「でも、握手は嫌じゃなかったなぁ。なんでだろう」
「一歩前進やん」と彩夏はにかっと笑う。
だが、良くしてくれる人たちは別として、ある思考からは抜け切れない。
男とは、人の面を被った獣。
無抵抗な人間に対し、暴力的になりうる。からだを突き刺す刃を持った、猛悪なる存在。
人前ではにこやかにしていても、裏ではあんな風になるのだ、結局。
力が、圧倒的に及ばない。
手首を掴まれて、びくともしなかった。
肩を抑えられて、動けなかった。
あの時、いやだと何度もこころは悲鳴をあげたのに、なにも出来やしなかった。言えやしなかった。
喉元から出かかる『助けて』が意味をなさず、屈服させられるあの汚辱。
男には絶対、分かるまい。
セカンドレイプを引き起こす、無神経な性別には到底想像出来まい。
また同じ目に遭ったら、やっぱり無抵抗に終わるのだろう。
そもそも、男という醜悪な鬼畜と付き合うことすら、考えられない。
女とは、悪趣味な生き物だ。
花も恥じらう年頃というのに、アップルティーの朱を見つめながら考えるのが、これか。
「……彩夏は凄いと思うよ」
「なんでやね」ストローくるくる回して、首をかしげる。行きつけのジョナサン。
「それでも、男が好き、と思えるんだし」
「ほんまに好きな人と出会っとらんだけなんよ、香枝は。むつかしく考えんでええ」
積極的に人と関わる彩夏という人間を羨ましく思う。あたしと違い、友達は多い。男女問わず。
「なんかもう、気持ち悪いんだよね。汚いし、不潔」自分含め。
こんなことを本心で思っているから、本音で人と向き合えない。
「人間みーんな汚いんよ。あたしやってそーやし。あー、そや、香枝ちゃん」
おもむろにメニューを手に取ったと思えば、
「チョコバナナパフェ、食べへん?」
にっこりと笑うものだから、彼女の友達は辞められない。
春にはまだ遠く、風は身を切る冷たさ。いかにも一月らしい日だった。
「野間清司(のま せいじ)といいます」
新人に、言葉を失った。
でかい。身長180はあるだろうか。
涼しげな目元、さっぱりした顔立ち。
どこからどう見ても彼は『男』だった。
いやな汗が出る。
背は低めで、おちゃらけた冗談も言う重野さん。中性的な平子さんとだからこそ、今までやってこれたというのに。
当然、教育係は下っ端のあたしとなる。
「地ビールはこんな感じで、袋に氷入れて冷やすんです。溶けてたら適宜、取り替えて下さい」
「氷って」
「あっちに」
狭いカウンター内、触れそうな距離に続く彼。
嘔吐物のかけらが喉元から出かかっているが、なんとか飲み込んだ。
「この、筋多いのはカルビ。赤いのはロース、色濃いのがハラミ」
誰もが通る道のり。今となっては早押しクイズ並みに即答可能。おじさんたちから指導を受ける彼は昔の自分を見ているようで、ふと懐かしさを覚える。
根をあげて、三日で辞めた人も出た。予想より厳しかったのか。
だがあたしには、居心地が良かった。
自分に出来ることが増えていく。
レジ打ちも、一万円分だろうがぱぱっと終えられる。今どき商品を全て番号で打ち込むアナログさ。86番は上タン、なんてのもインプット済み。
机上の空論かじるのも面白いが、こうしてからだを動かす方が良いのかもしれない。
人間は、健全な精神状態に無いと、喜怒哀楽を感じられない。
外で浅い喜びや楽しみを味わってはいても、あたしがアパートに持ち帰るのは、違った感情。
あまり、帰りたくはなかった。けれど、外も怖かった。
ひとり、部屋に戻る憂鬱。
忍び寄る、恐怖。
片時も忘れ得ぬ、不快感。
絡みつく蛇のように離れない、記憶。
怒りや悲しみなどではない、無気力さ。
あの一件以来、あたしは涙を流せない。
喜怒哀楽。いずれの感情も欠いた、平坦さを見据えている。
「へえ、平子さんもバンドやってんすか」
バイト帰り、駅までの道を三人歩く。
「まーね。野間くんは、どういう系ですか」
「ラルク、GLAYとか」
「凄いっすね」
正確には、平子さんと野間さんの後ろに続く。
歩道橋を上ると、彼らの腰の高さの違いに、こっそり驚く。
「重山さんは、何聴くんすか」
いきなり話を振られた。
瞳の黒い人だな、と思いつつ、FOO FIGHTERSと答えた。
「洋楽派ですか。Nirvanaは、好きっすか」
「ニルヴァーナって?」
初耳だが、
「まじっすかっ」
改札前で叫びが響き渡る。絶叫に近しい。何事か、そこらじゅうの視線をかっさらう。
「の、野間さん、声でか……」
「フーファイ知っててNirvana知らねえ人初めて見た。俺、今度CD持って来ます」
軽くラリってる人みたく、まくしたてる。
「上り来るけど野間くん、どこ住んでんだっけ」と親指で電光掲示板を指す平子さんに対し、
「俺、あっちです。それじゃ、お疲れ様した」
あっさりとした口調。平然さを取り戻し、駅の反対側に惑うこと無く進む。
視線を奪われる。
人込みに溶けて行く白い影。
残像はくっきりと浮かんで見えた。
「変わった人ですね」
あたしの呟きに対し、Suicaをタッチしながら平子さんは微笑交じりで頷いた。
バイトの話をすると、彩夏は喜んだ。
店長は、厳しいけどジェントルマン。
ホールの平子さんは、線が細くて女の子っぽい。
調理の二人は白髪混じりのおじいさん。性的なものを感じない。「よー食べえや」といつも美味しいまかないを作ってくれる。
時折現れる店のオーナー、ママさんは呼び名のとおり、ママさん。昼ドラに出て来そうな風情で、子どもが見たら泣きだしそうな色の服を着こなしている。
とはいえ、彼女以外には極力寄らない。一メートル空けるのはデフォルト。触るなど、もってのほか。
「でも、握手は嫌じゃなかったなぁ。なんでだろう」
「一歩前進やん」と彩夏はにかっと笑う。
だが、良くしてくれる人たちは別として、ある思考からは抜け切れない。
男とは、人の面を被った獣。
無抵抗な人間に対し、暴力的になりうる。からだを突き刺す刃を持った、猛悪なる存在。
人前ではにこやかにしていても、裏ではあんな風になるのだ、結局。
力が、圧倒的に及ばない。
手首を掴まれて、びくともしなかった。
肩を抑えられて、動けなかった。
あの時、いやだと何度もこころは悲鳴をあげたのに、なにも出来やしなかった。言えやしなかった。
喉元から出かかる『助けて』が意味をなさず、屈服させられるあの汚辱。
男には絶対、分かるまい。
セカンドレイプを引き起こす、無神経な性別には到底想像出来まい。
また同じ目に遭ったら、やっぱり無抵抗に終わるのだろう。
そもそも、男という醜悪な鬼畜と付き合うことすら、考えられない。
女とは、悪趣味な生き物だ。
花も恥じらう年頃というのに、アップルティーの朱を見つめながら考えるのが、これか。
「……彩夏は凄いと思うよ」
「なんでやね」ストローくるくる回して、首をかしげる。行きつけのジョナサン。
「それでも、男が好き、と思えるんだし」
「ほんまに好きな人と出会っとらんだけなんよ、香枝は。むつかしく考えんでええ」
積極的に人と関わる彩夏という人間を羨ましく思う。あたしと違い、友達は多い。男女問わず。
「なんかもう、気持ち悪いんだよね。汚いし、不潔」自分含め。
こんなことを本心で思っているから、本音で人と向き合えない。
「人間みーんな汚いんよ。あたしやってそーやし。あー、そや、香枝ちゃん」
おもむろにメニューを手に取ったと思えば、
「チョコバナナパフェ、食べへん?」
にっこりと笑うものだから、彼女の友達は辞められない。
春にはまだ遠く、風は身を切る冷たさ。いかにも一月らしい日だった。
「野間清司(のま せいじ)といいます」
新人に、言葉を失った。
でかい。身長180はあるだろうか。
涼しげな目元、さっぱりした顔立ち。
どこからどう見ても彼は『男』だった。
いやな汗が出る。
背は低めで、おちゃらけた冗談も言う重野さん。中性的な平子さんとだからこそ、今までやってこれたというのに。
当然、教育係は下っ端のあたしとなる。
「地ビールはこんな感じで、袋に氷入れて冷やすんです。溶けてたら適宜、取り替えて下さい」
「氷って」
「あっちに」
狭いカウンター内、触れそうな距離に続く彼。
嘔吐物のかけらが喉元から出かかっているが、なんとか飲み込んだ。
「この、筋多いのはカルビ。赤いのはロース、色濃いのがハラミ」
誰もが通る道のり。今となっては早押しクイズ並みに即答可能。おじさんたちから指導を受ける彼は昔の自分を見ているようで、ふと懐かしさを覚える。
根をあげて、三日で辞めた人も出た。予想より厳しかったのか。
だがあたしには、居心地が良かった。
自分に出来ることが増えていく。
レジ打ちも、一万円分だろうがぱぱっと終えられる。今どき商品を全て番号で打ち込むアナログさ。86番は上タン、なんてのもインプット済み。
机上の空論かじるのも面白いが、こうしてからだを動かす方が良いのかもしれない。
人間は、健全な精神状態に無いと、喜怒哀楽を感じられない。
外で浅い喜びや楽しみを味わってはいても、あたしがアパートに持ち帰るのは、違った感情。
あまり、帰りたくはなかった。けれど、外も怖かった。
ひとり、部屋に戻る憂鬱。
忍び寄る、恐怖。
片時も忘れ得ぬ、不快感。
絡みつく蛇のように離れない、記憶。
怒りや悲しみなどではない、無気力さ。
あの一件以来、あたしは涙を流せない。
喜怒哀楽。いずれの感情も欠いた、平坦さを見据えている。
「へえ、平子さんもバンドやってんすか」
バイト帰り、駅までの道を三人歩く。
「まーね。野間くんは、どういう系ですか」
「ラルク、GLAYとか」
「凄いっすね」
正確には、平子さんと野間さんの後ろに続く。
歩道橋を上ると、彼らの腰の高さの違いに、こっそり驚く。
「重山さんは、何聴くんすか」
いきなり話を振られた。
瞳の黒い人だな、と思いつつ、FOO FIGHTERSと答えた。
「洋楽派ですか。Nirvanaは、好きっすか」
「ニルヴァーナって?」
初耳だが、
「まじっすかっ」
改札前で叫びが響き渡る。絶叫に近しい。何事か、そこらじゅうの視線をかっさらう。
「の、野間さん、声でか……」
「フーファイ知っててNirvana知らねえ人初めて見た。俺、今度CD持って来ます」
軽くラリってる人みたく、まくしたてる。
「上り来るけど野間くん、どこ住んでんだっけ」と親指で電光掲示板を指す平子さんに対し、
「俺、あっちです。それじゃ、お疲れ様した」
あっさりとした口調。平然さを取り戻し、駅の反対側に惑うこと無く進む。
視線を奪われる。
人込みに溶けて行く白い影。
残像はくっきりと浮かんで見えた。
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あたしの呟きに対し、Suicaをタッチしながら平子さんは微笑交じりで頷いた。
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