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桜の季節がやって来る。
例えば、この公園を彩る緑は見事なものだ。
青々とした芝生を走り回る子どもたち。
桜散る並木道を闊歩する人々。
ベビーカーを引いた仲睦まじき夫婦。
通りざま、母親が腕に抱く赤子を盗み見た。
紅葉の手のひら。人差し指を無邪気に掴む姿。
殺意を覚える自分は、病んでいる。
あんな風に、無償の、無作為に選び抜かれた愛を受けられたなら。
穢れの無いままでいられたら。
今の自分は醜く腐っていて、触れあうことすら許されない。
桜の季節がやって来る。
人々は華の歌に魅了されるだろうに、あたしを埋め尽くすのは、恐怖と凌辱の記憶だった。
「香枝」
呼びかける女性の声。現実に立ち戻すのは、
「彩夏(さやか)、凄い……偶然だね。図書館行ってたの?」
あたしの唯一ともいえる親友だった。
一年経つというのに、未だ記憶に蝕まれている。
季節は色を変えていくというのに、どうしたら抜けられるのだろうか。
現に今、通路を通るだけの男店員にさえ鳥肌が立つ。席はなるだけ四人掛け。人と接せぬよう、窓際ぎりぎりに座る。
この様子に気づいたのか、彩夏はコーラフロートを飲みながら眉を歪める。
「香枝ちーん。いまの子かっこよかったなぁ」
「興味無し。虫唾が走る」
「女やったらいいんね」
「うん、それでいい。あたし、彩夏と付き合おっかな」
「付きおうとるようなもんやないの、こーんな一緒におんねんから」
互いにそんな趣味などないのだが、互いに笑った。
彼女と出会ったのは、合コンの場だった。
花の、女子大生。それも、二年生への進級を間近に控えてようやく合コンデビュー。つまり大学に入ってほぼ一年間合コンに参加しなかったわけで。……さすがにこんな人間は世の中にあたしひとりだろう。
異性と接するのが目的とされる場において、何故だか彼女と意気投合して二人、フケた。カラ館で歌いまくった。音痴気味なあたしに比べ、びっくりするほど上手かった。
「声の出し方にコツあるんよ。あ、あたし、大島(おおしま)彩夏。よろしくなぁ」
苗字を知ったのは、入って二時間経ったのち。
聞けば彼女は同郷出身。大阪在住を経て、三年前から東京に住みついている。所謂フリーター。
自由人イコール夢追い人で無責任なモラトリアム、なんて偏見は、彼女と出会って完全に覆った。
歌うことも小説を書くことも、小難しい資格を取ることも目標だという。
超絶的リアリストのあたしにとっては失笑ものの話だが、彼女の瞳はどうにも輝いている。
『なーんでもやってみな、分からんよ』
からから笑って言われれば、なるほどそうかも、と思えてくる。
四六時中バイトまみれのくせに、浜崎あゆみを溺愛し、流行を追いかける。大学出でもないのに難解な本を読み漁る。
万物に対する情熱と情愛は、見るものを魅了する。
あたしと彼女の仲が良い理由にはおそらく、
『最後までされんかったんやから、まだええやん。きっついけど、ましやと思わな、あかんよ』
彼女が似た……いや、あたしよりも過酷な経験の持ち主、ということも含まれる。
『ほんまじょーずな人ってなぁ、女の腰、抜かす』
うっとりと接吻を語っていた。たまげたのはあたしだ。
“痛み”を知りながらも、どの芸能人がかっこいい、など無邪気な好意を語れる彼女に、救われた思いがする。
自分の分も恋をして欲しいと、願う。
そういう人に限って良縁は得てして巡らない。
いい男おらんかなぁ、は彼女の口癖だ。
「やからな、……香枝。聞いとんの?」
はっと我に返る。目の前のクリームソーダは水滴まみれだった。
「やーっぱ、聞いとらん」
頬をぷく、と膨らます彼女に、ああ、なになに、と答える構図。あたしは完全に男役だと思うが、これでも一応女子大に通っている。
「やからな、知り合いがバイト募集しとんねん」
「……バイト」背筋が寒くなる。
あたしがあんな目に遭ったのは、『わきあいあいとしたバイト』のせいだった。警戒心がことごとく欠如した愚かしさにもあったのだが。
一人暮らしでお金は必要。あれ以後、大学生が多そうな居酒屋飲食系は避け、女性のみのテレアポのバイトをしている。が、牛耳るお局に辟易して、一刻も早く辞めたい精神状況。
「店長さん、めっちゃかっこええんよ」
「かっこいいとか興味無し。美人を出せ、美人を」
「一生、このままでおるつもりなん?」
饒舌彩夏が身を乗りだした。
「香枝あんた、男嫌い嫌いっつーのも今はいいかもしらんけど、こっからどないすんの。社会出てけぇへんやないの」
「女百パーの職場で働く」
ありえへん、といつもの彼女なら首を振るのだが、
「お局みどり、嫌いやん」
うん、くそむかつく、と即答した時点で負けていた。
「大学の男教授も近寄れん。コンビニのにーちゃんもきしょくわる。電車もラッシュは乗れん……って、支障ありまくりやん。
やからなぁ、慣らしてかな。香枝やって、このままやとあかん思うとるんやろ?」
「そう、なんだけどね」駅員にーちゃんも怖いってどんだけよ。
「店長の重野(しげの)さんな、ほんまえー男やで。香枝ちん、意外と面食いやから、絶対気に入るわ」
その日のうちに履歴書と写真を準備させられ、気づけば面接の電話をしていた。
全く、彩夏の行動力といったら、恐れ入る。
例えば、この公園を彩る緑は見事なものだ。
青々とした芝生を走り回る子どもたち。
桜散る並木道を闊歩する人々。
ベビーカーを引いた仲睦まじき夫婦。
通りざま、母親が腕に抱く赤子を盗み見た。
紅葉の手のひら。人差し指を無邪気に掴む姿。
殺意を覚える自分は、病んでいる。
あんな風に、無償の、無作為に選び抜かれた愛を受けられたなら。
穢れの無いままでいられたら。
今の自分は醜く腐っていて、触れあうことすら許されない。
桜の季節がやって来る。
人々は華の歌に魅了されるだろうに、あたしを埋め尽くすのは、恐怖と凌辱の記憶だった。
「香枝」
呼びかける女性の声。現実に立ち戻すのは、
「彩夏(さやか)、凄い……偶然だね。図書館行ってたの?」
あたしの唯一ともいえる親友だった。
一年経つというのに、未だ記憶に蝕まれている。
季節は色を変えていくというのに、どうしたら抜けられるのだろうか。
現に今、通路を通るだけの男店員にさえ鳥肌が立つ。席はなるだけ四人掛け。人と接せぬよう、窓際ぎりぎりに座る。
この様子に気づいたのか、彩夏はコーラフロートを飲みながら眉を歪める。
「香枝ちーん。いまの子かっこよかったなぁ」
「興味無し。虫唾が走る」
「女やったらいいんね」
「うん、それでいい。あたし、彩夏と付き合おっかな」
「付きおうとるようなもんやないの、こーんな一緒におんねんから」
互いにそんな趣味などないのだが、互いに笑った。
彼女と出会ったのは、合コンの場だった。
花の、女子大生。それも、二年生への進級を間近に控えてようやく合コンデビュー。つまり大学に入ってほぼ一年間合コンに参加しなかったわけで。……さすがにこんな人間は世の中にあたしひとりだろう。
異性と接するのが目的とされる場において、何故だか彼女と意気投合して二人、フケた。カラ館で歌いまくった。音痴気味なあたしに比べ、びっくりするほど上手かった。
「声の出し方にコツあるんよ。あ、あたし、大島(おおしま)彩夏。よろしくなぁ」
苗字を知ったのは、入って二時間経ったのち。
聞けば彼女は同郷出身。大阪在住を経て、三年前から東京に住みついている。所謂フリーター。
自由人イコール夢追い人で無責任なモラトリアム、なんて偏見は、彼女と出会って完全に覆った。
歌うことも小説を書くことも、小難しい資格を取ることも目標だという。
超絶的リアリストのあたしにとっては失笑ものの話だが、彼女の瞳はどうにも輝いている。
『なーんでもやってみな、分からんよ』
からから笑って言われれば、なるほどそうかも、と思えてくる。
四六時中バイトまみれのくせに、浜崎あゆみを溺愛し、流行を追いかける。大学出でもないのに難解な本を読み漁る。
万物に対する情熱と情愛は、見るものを魅了する。
あたしと彼女の仲が良い理由にはおそらく、
『最後までされんかったんやから、まだええやん。きっついけど、ましやと思わな、あかんよ』
彼女が似た……いや、あたしよりも過酷な経験の持ち主、ということも含まれる。
『ほんまじょーずな人ってなぁ、女の腰、抜かす』
うっとりと接吻を語っていた。たまげたのはあたしだ。
“痛み”を知りながらも、どの芸能人がかっこいい、など無邪気な好意を語れる彼女に、救われた思いがする。
自分の分も恋をして欲しいと、願う。
そういう人に限って良縁は得てして巡らない。
いい男おらんかなぁ、は彼女の口癖だ。
「やからな、……香枝。聞いとんの?」
はっと我に返る。目の前のクリームソーダは水滴まみれだった。
「やーっぱ、聞いとらん」
頬をぷく、と膨らます彼女に、ああ、なになに、と答える構図。あたしは完全に男役だと思うが、これでも一応女子大に通っている。
「やからな、知り合いがバイト募集しとんねん」
「……バイト」背筋が寒くなる。
あたしがあんな目に遭ったのは、『わきあいあいとしたバイト』のせいだった。警戒心がことごとく欠如した愚かしさにもあったのだが。
一人暮らしでお金は必要。あれ以後、大学生が多そうな居酒屋飲食系は避け、女性のみのテレアポのバイトをしている。が、牛耳るお局に辟易して、一刻も早く辞めたい精神状況。
「店長さん、めっちゃかっこええんよ」
「かっこいいとか興味無し。美人を出せ、美人を」
「一生、このままでおるつもりなん?」
饒舌彩夏が身を乗りだした。
「香枝あんた、男嫌い嫌いっつーのも今はいいかもしらんけど、こっからどないすんの。社会出てけぇへんやないの」
「女百パーの職場で働く」
ありえへん、といつもの彼女なら首を振るのだが、
「お局みどり、嫌いやん」
うん、くそむかつく、と即答した時点で負けていた。
「大学の男教授も近寄れん。コンビニのにーちゃんもきしょくわる。電車もラッシュは乗れん……って、支障ありまくりやん。
やからなぁ、慣らしてかな。香枝やって、このままやとあかん思うとるんやろ?」
「そう、なんだけどね」駅員にーちゃんも怖いってどんだけよ。
「店長の重野(しげの)さんな、ほんまえー男やで。香枝ちん、意外と面食いやから、絶対気に入るわ」
その日のうちに履歴書と写真を準備させられ、気づけば面接の電話をしていた。
全く、彩夏の行動力といったら、恐れ入る。
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