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#Job02.婚約者
#J02-01.美女と旅情【最終話】
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「そうそう、この辺りで坂滑りをしたの……電車をこう、眺めながら」恋奈の指示で八幡坂を右に曲がるとタイミングよく、電車が走るところであった。末広町電停を降り、八幡坂から函館湾及び路面電車を眺める。坂のうえから地上を俯瞰している感覚――に美山は酔いしれる。「ああすごい……絶景だね。あなたはぼくに、これが見せたかったんだね……」
「そ」と美山の腕を取り寄り添う恋奈が、「あなたと一緒に、これを見たかったの……いくら言葉で説明しても伝わらないから、こういうのは」
涼やかな六月の空気に抱かれ、幸せと孤独を感じる。何故だろう、このひとといると、愛おしい気持ちが湧き上がってくると同時に、狂おしさに包まれる。死ぬときはどうせひとり。ならば、一緒にいることにどんな意味があるのだろう。――いや、あるのだ。
函館に来ている。恋奈の両親に挨拶するために。挨拶を済ませるとふたりは観光に出かけた。恋奈の生まれ育った街が美山は見たかった。美しい。という一言で片づけられないくらいに美しい。街の中心を路面電車が走っており、白い数々の優雅な建物が旅情をより高めてくれる。気持ちのいい場所だと美山は思った。
五稜郭に移動し、タワーで星形の五角形の五稜郭を眺めてから、公園を散策する。「懐かしいわ……小さい頃よく来たの。北海道って意外と遠いから……それに、上京してからは都会で過ごすのが楽しくって……あまりね。実家には帰らなかったから……離れてみて初めてその土地の価値って分かるのね。当時、こんなにも恵まれていたことに気づかず……ね。千六百本の桜が植えられた公園なんて世界有数だと知らず……箱館戦争で使われた大砲だなんて知らずにまたがってたわ……子どもって怖いわね」
「遺跡に来たみたいで楽しいね」と恋奈の手を握る美山は、「十六世紀のヨーロッパの城塞都市をモデルにしたってか……ふむふむ。ねえ。あなたの小さな頃のお話を、もっと聞かせて?」
熱心にガイドブックを読む美山に恋奈は笑いかけ、「すごーい。頑固者だったわ……。こうと決めたらてこでも動かない。ほらうちお客さんが来るって言ってたじゃない……同年代の子たちとも比較的うまくやっていけてたとは思うんだけど。でも、こう、したい! と思ったことにはもうまっしぐらで、誰にどういわれようとも譲れない変に頑固なところがあったの……。いまではもう、信じらんないくらいだけれど……」
「恋奈さん意外と譲らないところあるもんねえ」と美山は笑いかけ、「ゆるふわなフェミニン系の割りにはなんかね、ぶっとい骨が一本通ってるようなとこ、あんもんねえ……」
「姉と勝手に出かけてね。ほら昔は携帯電話なんかないからすごく……心配するじゃない? でうちの叔母がこの五稜郭の近くに住んでて。行きは電車で。で突然子どもたちがいなくなるから親、心配するじゃない? で叔母の家に電話が来て『来てるよー』なんて言うと、あったしだけ怒られて。意味分かんなくて。そーゆーとき、姉はね。うまく言い逃れをするのよ。だって恋奈がどうしても的な。んであたしは悔しくって毎回親に反抗してひとりで歩いて……帰ったの。一時間くらいかかったかな? 叔母が送っててあげるって言っても一切聞かずに。んで帰宅したら親に怒られる……の繰り返しで。
だから。東京が憧れだった……。別に親や環境を恨んでいるとまではいかないけれど、でもここを出て行ったらあたしどんなになるだろう……テレビや漫画で新宿や渋谷の存在を知ってね。ずっと……憧れだった。自分を知らない誰かに会いたかった。求めて欲しかった。自分という人間を認めて欲しかった。子どもだったのねわたし……。いま思えば幼かったと本当に、思うわ。
五稜郭には思い出が詰まっている。飽きるほど歩いたし、お祭りのときにはサイダー一気飲みなんかして。いっぱい遊んでいっぱい騒いだ……ほんのすこしの寂しみと楽しさが詰まった場所なの……」
せっかくなのでと、恋奈宅で一泊、そしてホテルでもう一泊することにしていた。函館が初めての美山にたっぷり恋奈は思い出を話して聞かせ、魅惑的な旅を楽しんだ。
「……あっという間だったね……」
「うん」飛行機のなかで、恋奈に窓際の席を譲り、その手をうえからそっと握る。彼の気持ちは余韻に包まれていた。愛する人と求めあい、愛するひとの軌跡を辿った軌跡に満たされた余韻が。けれども隣の恋奈の顔に浮かび上がるのは幸福、のみならず、……
「……明海ちゃんのこと考えてる?」
「んー」と打ち明ける恋奈。「正直、東京に戻るってなったらやっぱりね……あの子のことが気がかりで。自分の子どもが子ども産むなんて本当、……はらはらするものね。大丈夫なのかな? てつい、心配になっちゃって……」
「大丈夫だよ」気休めでしかないと知りつつも美山はその言葉を選ぶ。「大丈夫だよ。きっとうまくいく。明海ちゃんと耕平はあんなにもお互いを思いやっているんだから……うまくいくさ絶対に」
「ありがと。美山……」
東京に降り立つと違う匂いがすると思う。なにがどう違うのかは具体的には言えないけれど、たっぷり、旅の情緒と恋奈の感触を刻み込んだこの肉体は欲している。確かめたことのない未来へと思いを馳せ、このひとと歩んでいく。唯一無二の女神である恋奈と。
キャリーケースを引いていると空くのは片手だけだ。それでもこの手は恋奈を求める。いまだから。いましか出来ないこと――仮に明日突然死したといっても後悔の残らない人生を歩みたいと美山は思う。親や、恋奈の両親と会って改めて感じた。死は遠い国の出来事ではなく、もはや、身近なのだと。気が付かないうちに両親は老けていき、自分も年を取る。
愛する恋奈と手を繋ぎ、まだ知らぬ道を歩んでいく。この鼓動も肌も、正直に恋奈を求めていた。そんな素直な感情を確かめながら、恋奈のぬくもりを味わい、幸福に包まれた未来を美山は進んだ。
―了―
「そ」と美山の腕を取り寄り添う恋奈が、「あなたと一緒に、これを見たかったの……いくら言葉で説明しても伝わらないから、こういうのは」
涼やかな六月の空気に抱かれ、幸せと孤独を感じる。何故だろう、このひとといると、愛おしい気持ちが湧き上がってくると同時に、狂おしさに包まれる。死ぬときはどうせひとり。ならば、一緒にいることにどんな意味があるのだろう。――いや、あるのだ。
函館に来ている。恋奈の両親に挨拶するために。挨拶を済ませるとふたりは観光に出かけた。恋奈の生まれ育った街が美山は見たかった。美しい。という一言で片づけられないくらいに美しい。街の中心を路面電車が走っており、白い数々の優雅な建物が旅情をより高めてくれる。気持ちのいい場所だと美山は思った。
五稜郭に移動し、タワーで星形の五角形の五稜郭を眺めてから、公園を散策する。「懐かしいわ……小さい頃よく来たの。北海道って意外と遠いから……それに、上京してからは都会で過ごすのが楽しくって……あまりね。実家には帰らなかったから……離れてみて初めてその土地の価値って分かるのね。当時、こんなにも恵まれていたことに気づかず……ね。千六百本の桜が植えられた公園なんて世界有数だと知らず……箱館戦争で使われた大砲だなんて知らずにまたがってたわ……子どもって怖いわね」
「遺跡に来たみたいで楽しいね」と恋奈の手を握る美山は、「十六世紀のヨーロッパの城塞都市をモデルにしたってか……ふむふむ。ねえ。あなたの小さな頃のお話を、もっと聞かせて?」
熱心にガイドブックを読む美山に恋奈は笑いかけ、「すごーい。頑固者だったわ……。こうと決めたらてこでも動かない。ほらうちお客さんが来るって言ってたじゃない……同年代の子たちとも比較的うまくやっていけてたとは思うんだけど。でも、こう、したい! と思ったことにはもうまっしぐらで、誰にどういわれようとも譲れない変に頑固なところがあったの……。いまではもう、信じらんないくらいだけれど……」
「恋奈さん意外と譲らないところあるもんねえ」と美山は笑いかけ、「ゆるふわなフェミニン系の割りにはなんかね、ぶっとい骨が一本通ってるようなとこ、あんもんねえ……」
「姉と勝手に出かけてね。ほら昔は携帯電話なんかないからすごく……心配するじゃない? でうちの叔母がこの五稜郭の近くに住んでて。行きは電車で。で突然子どもたちがいなくなるから親、心配するじゃない? で叔母の家に電話が来て『来てるよー』なんて言うと、あったしだけ怒られて。意味分かんなくて。そーゆーとき、姉はね。うまく言い逃れをするのよ。だって恋奈がどうしても的な。んであたしは悔しくって毎回親に反抗してひとりで歩いて……帰ったの。一時間くらいかかったかな? 叔母が送っててあげるって言っても一切聞かずに。んで帰宅したら親に怒られる……の繰り返しで。
だから。東京が憧れだった……。別に親や環境を恨んでいるとまではいかないけれど、でもここを出て行ったらあたしどんなになるだろう……テレビや漫画で新宿や渋谷の存在を知ってね。ずっと……憧れだった。自分を知らない誰かに会いたかった。求めて欲しかった。自分という人間を認めて欲しかった。子どもだったのねわたし……。いま思えば幼かったと本当に、思うわ。
五稜郭には思い出が詰まっている。飽きるほど歩いたし、お祭りのときにはサイダー一気飲みなんかして。いっぱい遊んでいっぱい騒いだ……ほんのすこしの寂しみと楽しさが詰まった場所なの……」
せっかくなのでと、恋奈宅で一泊、そしてホテルでもう一泊することにしていた。函館が初めての美山にたっぷり恋奈は思い出を話して聞かせ、魅惑的な旅を楽しんだ。
「……あっという間だったね……」
「うん」飛行機のなかで、恋奈に窓際の席を譲り、その手をうえからそっと握る。彼の気持ちは余韻に包まれていた。愛する人と求めあい、愛するひとの軌跡を辿った軌跡に満たされた余韻が。けれども隣の恋奈の顔に浮かび上がるのは幸福、のみならず、……
「……明海ちゃんのこと考えてる?」
「んー」と打ち明ける恋奈。「正直、東京に戻るってなったらやっぱりね……あの子のことが気がかりで。自分の子どもが子ども産むなんて本当、……はらはらするものね。大丈夫なのかな? てつい、心配になっちゃって……」
「大丈夫だよ」気休めでしかないと知りつつも美山はその言葉を選ぶ。「大丈夫だよ。きっとうまくいく。明海ちゃんと耕平はあんなにもお互いを思いやっているんだから……うまくいくさ絶対に」
「ありがと。美山……」
東京に降り立つと違う匂いがすると思う。なにがどう違うのかは具体的には言えないけれど、たっぷり、旅の情緒と恋奈の感触を刻み込んだこの肉体は欲している。確かめたことのない未来へと思いを馳せ、このひとと歩んでいく。唯一無二の女神である恋奈と。
キャリーケースを引いていると空くのは片手だけだ。それでもこの手は恋奈を求める。いまだから。いましか出来ないこと――仮に明日突然死したといっても後悔の残らない人生を歩みたいと美山は思う。親や、恋奈の両親と会って改めて感じた。死は遠い国の出来事ではなく、もはや、身近なのだと。気が付かないうちに両親は老けていき、自分も年を取る。
愛する恋奈と手を繋ぎ、まだ知らぬ道を歩んでいく。この鼓動も肌も、正直に恋奈を求めていた。そんな素直な感情を確かめながら、恋奈のぬくもりを味わい、幸福に包まれた未来を美山は進んだ。
―了―
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