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#Job01.婚活潰し
#J01-03.美女と接吻
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「ここ……ぼくのお気に入りなんだよね……知ってる?」
「知ってる」と彼女。「ごめん……本当なら知らないっていうのがセオリーなんだけど、なんだか……あなたには嘘をつきたくないの」
「ぼくに対して正直でありたいってことだね」と美山は恋奈の手を握り、「うん……その気持ちはすごく嬉しいと、思っている……」
「でもこんなふうにふらつくのは初めてよ。いつもはね、ここ来る途中の公園で……ほら途中で遊具がいっぱいの公園があったでしょう? うちのクラスの子はあそこがお気に入りで……年中さんに上がった頃からよく行くようになったわ」
彼らはウッドデッキを進む。厳密には、床部分が木で作られただけ。両脇に池があり、緑豊かな散歩道もありと、ひとびとのこころを和ませてくれる。この場所でいいのが高層ビルがあるということだ。ビルのなかには飲食店のみならず、ホテルや会社などが入っている。ビルの裏手にある、犬の散歩やランニングなどにふさわしいスペースにて、やや強いビル風に吹かれ、目的もなく歩き、或いはベンチに座り、朝方もしくは夜更けなんかに頭をぼうっとさせていると、自分の抱える悩みなんかちっぽけだと、そう思えてくる。
その彼の気持ちを表明した相手は恋奈が初めてだ。思いのほか彼女が好意的な反応を示してくれ、美山は嬉しいと感じている。ビル内のドトールで買ったあたたかなコーヒーを飲み、テーブルつきの円形のベンチに並んで座る。
「……T図書館あるでしょう? あそこで予約した本借りて、ここでコーヒー読みながら本、読むことも多いよ……子ども連れで近くの公園で遊ぶ人や、犬の散歩で来るひとが多いから、そのひとたちから見たら完全、ぼく不審者なんだろうけれどね……。ビルの風に吹かれ、頭ぼうっとさせるのが至福のひとときなんだ……」
「子どもたち公園連れてくから。いるよ。そういう男の人……」と恋奈。「わたしは別に、そういうひとたちに抵抗ないな。まあ煙草吸われたらちょっと迷惑だけど……基本、どこでなにするも自由だし。他人に迷惑をかけない場合限定で」
「……怪しいやつに見られるから、男性ってのはなかなか厄介だよ。女性はいいよね。突然子どもに話しかけても不審がられないし……それもあって、ぼくは、自分の子どもが欲しいのかもしれない」
「きっかけとかなにか――あったの?」
「朝、鏡のなかの自分見たときにさぁ。髭に、白髪が混ざってた。老化のサインだよね。それ見て急に、……ああ自分はこのまま家族以外から向けられる愛を知らずに、主体的に誰のことも真に愛することなどなしに死んでいくのかと思ったら急に……怖くなってきてさ。些細なことだけどそれがきっかけ。まあこの年になると周りの皆も誰もなんも言わなくなるしさぁ。ただ、家族ぐるみのおつき合いをする人間との交流は勿論減り、んで独身野郎と飲んだりしてね。あーちきしょー結婚の馬鹿やろーって。なんだかそれ、……傷の舐め合いのように思えてきたんだ。
結婚は人生の墓場、って言うじゃない……したひと曰く、したことのない人間が思うほどに幸せなもんじゃない、とさ。でも……子どもは。ほらここら辺子どもが多いじゃない。さっきのグランツリーもさ、フードコートも屋上も少子化はどこへやら? わんさか子どもだらけで……あれ見てると本当にね、自分の子孫を残さずに生きていくことが本当に正しいのか、分からなくなってきた……みんな普通に結婚して子ども生まれてるし、それに比べたら自分てなんて負け組なのかなあって思ってさぁ」
「――分かるわ」と頷く恋奈。「わたしの場合は、姉の結婚がきっかけね。姉もこっちに上京していて……因みにわたしの出身は函館なんだけど。姉ね、当時四十二歳、東京でバリキャリやってるのにいっきなしフィンランド人と国際結婚よ。んで彼の親御さんの状況が心配なもんであっという間にフィンランド。しかも出来婚だから向こうで出産……なんか呆然としたわ。
シンママとしてね、それは、辛いこともあったわ……世間の冷たい目に曝され、泣いたこともいやほどあるし、それから娘も……婚外子ってことで辛い目に遭わせたと思う。でもね、あの子、幸いにして、……将来を共に生きていきたいってひとが見つかっていて……まあわたし的には仕事してから見つければいいんじゃない? って考えの持ち主だけど……でもそれって本人が決めることだから。子どもが道を切り開くのを親は黙って見守らなきゃならないのよね。ともかくそれで、すこし肩の荷が下りた感じもあって。本当に好きなひとが出来てから、明海(あけみ)はやっぱり……変わったし。お母さんの気持ちが分かる、とまで言ってくれてるの。嬉しいわよね……散々差別されただろうに、母親の気持ちに共感してくれるなんて。涙が出ちゃう、だって女の子だもの……。
ええいーああきーみにももーらーい泣ぁき? ……案外、エモーショナルなひとなのね……。使う?」
恋奈の差し出すポケットティッシュを素直に受け取り、勢いよく美山は鼻をかんだ。その音の大きさに恋奈がちょっと笑う。「……それでね。河合先生の本に、『子どもが本当の愛を見つけたときが子離れの時』……て書いてあって。わたし、それに共感したの。反抗期のときはそれなりに大変だったけど、あの子基本的にはママっ子だから。母親に懐いてるの。一卵性母娘とまでは言わないけれど、繋がりは深いわ。でも愛するひとが出来てから……そうね、ママファーストじゃなくなったのが分かったの。寂しいけども嬉しかったわ。ちゃんと成長してくれてるのがね。成人式とか今からもう……楽しみよ」
「振袖とか着せるの?」
「そうね。函館のおじいちゃんおばあちゃんにも写真を見せたい……自慢の孫だから」
「それであなたはもうひとり孫を増やそうとしていると……」
「ひ孫のほうが先かもしれないけれどね。それは分からない。なるようにしかならないから……出会わないことにはどうにもならない。そもそもうちの職場、既婚者が九割だからね。子持ちの主婦ばかり。出会いが、皆無なのよ……悲しいことに。んで保護者さんはみぃんな結婚してるんでしょう? 次々赤ちゃんが生まれていく状況に……わたし、人生でまだやり残したことはないのかな? って思い始めて。例えば、明海に父親を作ってあげるべきかとか……考えたことはあるの。でもわたし、母親業で精いっぱいで……男って基本、父親役も演じる母親とは相性が合わないのよね。何度かトライはしたけど結果は見えていて……まあ明海が独り立ちするまでは無理かなぁ、って思っていた。それが、ここにきて婚約宣言、でしょう? で娘も言ってくれるの。――お母さんも、そろそろ自分のこと優先していいんだよ? あたしファーストじゃなくていい。お母さんが主役の人生をちゃんと、選んで……て。いつも本当にありがとう。毎日頑張ってるんだからもう、無理しないで。自分が幸せになることだけを考えて……って。
ティッシュね。ああはい。予備二個ありますんでご存分にお使いくださいませ……」
目も鼻も真っ赤にする美山を恋奈は穏やかな眼差しで見守り、――にしても不思議ね? と呟き、
「だって……あなた程度に、他人にシンパシーを寄せられる人間なら、ちゃんと探せば見つかるんじゃないかしら……このひとっていう相手が。女は、共感に飢えているから。常に。ほら女って子どもの有無、結婚しているか否か、仕事しているか否か、それで……人生が完全別れちゃうから。同じ属性のひととじゃないと話が合わない、場がしらけちゃうのよね。だからわたしの友達もシンママばっか。てか二人しかいないんだけどね。保育園絡み以外だとね。でも保育園関係は、パパがどうのとかやっぱり愚痴言いたいみたいで……保育士同士で集まろうってときに、うーん、ついていけないなぁ、って思うことがある……わたしには『いない』のが愚痴だから。
話を戻すとね。確かに、あなたの外見や態度についてわたしはどうこう言ったけれど……でも世の中にはそれだからこそ癒されるってひとがいるわけで……これまでの婚活ではそういうひとに巡り合えなかったの? それとも、自分の感情を打ち明けるのはこれが初めて……?」
「恋奈先生は鋭いですね」ティッシュをバッグにしまうと美山は、「……後者です。相手の話を聞き出すことに一生懸命で、自分を理解してもらうことに目が行きませんでした。アピることもあるにはありましたがポイントがずれていたんだと思います。ある意味、最初に恋奈先生に叱られたことで、失うものがなくなったぼくは――話しやすくなったんです。婚活相手だと結局ぼく、メールでも直接対面でも、着飾ってばかりでなかなか本当の自分出せずじまいで。なんせ打率一割ですから」
「リクルートスーツはないよ」と彼女は首を振り、「たぶん、あの服装ってだけでいけなかったんだと思う。せっかく勝ち抜いた精鋭にあれを見せつけたのは勿体なかったねえ。うん。あれはねえ、確かに戦闘服なんだけど、就活っていうバトルを勝ち抜くための戦闘服。婚活にはそれ用のドレスコードがあるのよ。むしろ初めて見知らぬ男に会う相手の緊張感を和らげるための、やわらかい雰囲気の、カジュアルで品のある服装がいいくらいよ……そうね、嵐の解散会見の服装みたいな。時代を読む能力も大事だよ? 女は、伴侶に、そういうの、求めてるからさあ……」
「静かな環境で語り合うとなんだか頭が冴えますね。――うん。気持ちがいい」
春の名残を残し、健やかな五月の気配を感じられる澄み渡った空気のなか、幸せだと美山は感じていた。何故だろう。理解しようと努めてくれる女がいるから。そうだろう、と彼は思った。
「服の基準は分かったでしょう? やや細身のあなたには、あの手のちょっとダブッとしたくらいの服が合うからさ。あまり細身のパンツとか履くと薬漬けのロックバンドのボーカルみたくなるからさぁ、鶏がらみたいな……鶏がらに女は欲情しない。あなたが歌を売りにするならともかくね。秋冬になって困ったときはジャケット二三枚買っておくといいよ。下がカジュアルでもきれいにまとまるからさぁ。色合わせも大事。あなたの白い肌には濃い色も薄い色もすごく映えるけれど、今日買ったスニーカーと組み合わせて強弱を考えるの。濃い色のトップスには薄い色のボトムスで引き算。……んでまた来月買い物に行こう。今度は夏物を。――聞くけどあなた、経済的には余裕あるわよね?」
「実家暮らしで、一応経営者なので」
「聞くのも野暮な質問だったかしら」
「いえいえ恋奈先生にならなにをされても歓迎ですよ」
「――例えば」
「今夜、妄想のおかずにぼくを使ってもらう」美山は強い視線を感じながら優美に目を細め、「ぼくが、あなたのいろんなところをめっちゃくちゃに愛しこむ……とんだボーナスステージですよ」
「ああ楽しみ」と恋奈が豊かな胸に手を添える。「そっかあ……わたし、とうとうあなたに、いっろんなところをエロエロされちゃうのね……困ったなあ? わたし、生理前なのよ? 生理前は敏感なの……えっちな声、出ちゃうかも……」
「手を握っても?」
「――勿論」
恭しく手を持ち上げるとその手の甲にそっと口づけた。その効果がどれほどの感動を恋奈の胸にもたらすのかを美山は知らない。
「――美しいぼくのお姫様。夢でまた――会いましょう」
「……!」
「――キスしたい。駄目……?」
「いっ……やっ、でも。でもでも。わたしあなたの先生なのよ。だからあなたとは距離を置かなきゃ――んっ」言葉はここで途切れ、恋奈は熱い美山の手で頬を包まれていた。――あまい。
あまいあまい感情が強く胸になだれこんでくる。――なにこれ、と恋奈は当惑した。舌をゆっくりと動かされ、自分のなかを探られている感覚……男の愛欲で口内をかき回され、どっと自分の中心からなにかがあふれでるのが分かった。あまりにも久々に味わう男の感触、それだけで正直に彼女の隠し持つ女がどろどろに濡れた。……欲しい。感性も理性も溶岩のように溶かされていく。美山の織り成す繊細なタッチのひとつひとつで。いままでに抑えに抑え込んだ究極の炎が恋奈の胸のなかで燃え盛る。いよいよ欲しい……めちゃくちゃにわたしの中心を掻きまわして欲しい……男の象徴で。欲望が爆ぜたそのとき。恋奈が美山の提供する恍惚を味わい尽くす前にじゅるりと彼の舌が逃げていき、
「今日は、ここまで」
いたずらに下唇を舐める余裕が憎らしい。かっと彼女の頬が熱くなる。「――馬鹿っ。美山のくせして、……ディープキスが上手ってどんな設定よ。あなた、童貞なんだから、めちゃめちゃ下手くそなキスをしてわたしにそしられるってのがお約束なのよ。んもう。馬鹿ぁっ……」
「――本当はあなたを強く抱きしめたいんだけど、それは……またのお楽しみにとっておくよ」
美山が立ち上がる。離れる男のフェロモンに、正直に恋奈は欲情した。この男になら抱かれてもいい――そう思ったくらいだ。だが振り返る美山に彼女は笑顔を取り繕い、「分かった」と告げた。
「……娘。どーせ彼氏んところで遅くなるから帰っても寂しいだけなのよ。一人分の夕食を作る寂しさが待ってるの……」
すると恋奈の背に手を添えた美山が、長身を屈めて彼女の目を覗き込み、
「――なら、ぼくんちで夕飯食べてく?」
思わぬ提案に彼女は頓狂な声をあげた。
「……えっ?」
*
「知ってる」と彼女。「ごめん……本当なら知らないっていうのがセオリーなんだけど、なんだか……あなたには嘘をつきたくないの」
「ぼくに対して正直でありたいってことだね」と美山は恋奈の手を握り、「うん……その気持ちはすごく嬉しいと、思っている……」
「でもこんなふうにふらつくのは初めてよ。いつもはね、ここ来る途中の公園で……ほら途中で遊具がいっぱいの公園があったでしょう? うちのクラスの子はあそこがお気に入りで……年中さんに上がった頃からよく行くようになったわ」
彼らはウッドデッキを進む。厳密には、床部分が木で作られただけ。両脇に池があり、緑豊かな散歩道もありと、ひとびとのこころを和ませてくれる。この場所でいいのが高層ビルがあるということだ。ビルのなかには飲食店のみならず、ホテルや会社などが入っている。ビルの裏手にある、犬の散歩やランニングなどにふさわしいスペースにて、やや強いビル風に吹かれ、目的もなく歩き、或いはベンチに座り、朝方もしくは夜更けなんかに頭をぼうっとさせていると、自分の抱える悩みなんかちっぽけだと、そう思えてくる。
その彼の気持ちを表明した相手は恋奈が初めてだ。思いのほか彼女が好意的な反応を示してくれ、美山は嬉しいと感じている。ビル内のドトールで買ったあたたかなコーヒーを飲み、テーブルつきの円形のベンチに並んで座る。
「……T図書館あるでしょう? あそこで予約した本借りて、ここでコーヒー読みながら本、読むことも多いよ……子ども連れで近くの公園で遊ぶ人や、犬の散歩で来るひとが多いから、そのひとたちから見たら完全、ぼく不審者なんだろうけれどね……。ビルの風に吹かれ、頭ぼうっとさせるのが至福のひとときなんだ……」
「子どもたち公園連れてくから。いるよ。そういう男の人……」と恋奈。「わたしは別に、そういうひとたちに抵抗ないな。まあ煙草吸われたらちょっと迷惑だけど……基本、どこでなにするも自由だし。他人に迷惑をかけない場合限定で」
「……怪しいやつに見られるから、男性ってのはなかなか厄介だよ。女性はいいよね。突然子どもに話しかけても不審がられないし……それもあって、ぼくは、自分の子どもが欲しいのかもしれない」
「きっかけとかなにか――あったの?」
「朝、鏡のなかの自分見たときにさぁ。髭に、白髪が混ざってた。老化のサインだよね。それ見て急に、……ああ自分はこのまま家族以外から向けられる愛を知らずに、主体的に誰のことも真に愛することなどなしに死んでいくのかと思ったら急に……怖くなってきてさ。些細なことだけどそれがきっかけ。まあこの年になると周りの皆も誰もなんも言わなくなるしさぁ。ただ、家族ぐるみのおつき合いをする人間との交流は勿論減り、んで独身野郎と飲んだりしてね。あーちきしょー結婚の馬鹿やろーって。なんだかそれ、……傷の舐め合いのように思えてきたんだ。
結婚は人生の墓場、って言うじゃない……したひと曰く、したことのない人間が思うほどに幸せなもんじゃない、とさ。でも……子どもは。ほらここら辺子どもが多いじゃない。さっきのグランツリーもさ、フードコートも屋上も少子化はどこへやら? わんさか子どもだらけで……あれ見てると本当にね、自分の子孫を残さずに生きていくことが本当に正しいのか、分からなくなってきた……みんな普通に結婚して子ども生まれてるし、それに比べたら自分てなんて負け組なのかなあって思ってさぁ」
「――分かるわ」と頷く恋奈。「わたしの場合は、姉の結婚がきっかけね。姉もこっちに上京していて……因みにわたしの出身は函館なんだけど。姉ね、当時四十二歳、東京でバリキャリやってるのにいっきなしフィンランド人と国際結婚よ。んで彼の親御さんの状況が心配なもんであっという間にフィンランド。しかも出来婚だから向こうで出産……なんか呆然としたわ。
シンママとしてね、それは、辛いこともあったわ……世間の冷たい目に曝され、泣いたこともいやほどあるし、それから娘も……婚外子ってことで辛い目に遭わせたと思う。でもね、あの子、幸いにして、……将来を共に生きていきたいってひとが見つかっていて……まあわたし的には仕事してから見つければいいんじゃない? って考えの持ち主だけど……でもそれって本人が決めることだから。子どもが道を切り開くのを親は黙って見守らなきゃならないのよね。ともかくそれで、すこし肩の荷が下りた感じもあって。本当に好きなひとが出来てから、明海(あけみ)はやっぱり……変わったし。お母さんの気持ちが分かる、とまで言ってくれてるの。嬉しいわよね……散々差別されただろうに、母親の気持ちに共感してくれるなんて。涙が出ちゃう、だって女の子だもの……。
ええいーああきーみにももーらーい泣ぁき? ……案外、エモーショナルなひとなのね……。使う?」
恋奈の差し出すポケットティッシュを素直に受け取り、勢いよく美山は鼻をかんだ。その音の大きさに恋奈がちょっと笑う。「……それでね。河合先生の本に、『子どもが本当の愛を見つけたときが子離れの時』……て書いてあって。わたし、それに共感したの。反抗期のときはそれなりに大変だったけど、あの子基本的にはママっ子だから。母親に懐いてるの。一卵性母娘とまでは言わないけれど、繋がりは深いわ。でも愛するひとが出来てから……そうね、ママファーストじゃなくなったのが分かったの。寂しいけども嬉しかったわ。ちゃんと成長してくれてるのがね。成人式とか今からもう……楽しみよ」
「振袖とか着せるの?」
「そうね。函館のおじいちゃんおばあちゃんにも写真を見せたい……自慢の孫だから」
「それであなたはもうひとり孫を増やそうとしていると……」
「ひ孫のほうが先かもしれないけれどね。それは分からない。なるようにしかならないから……出会わないことにはどうにもならない。そもそもうちの職場、既婚者が九割だからね。子持ちの主婦ばかり。出会いが、皆無なのよ……悲しいことに。んで保護者さんはみぃんな結婚してるんでしょう? 次々赤ちゃんが生まれていく状況に……わたし、人生でまだやり残したことはないのかな? って思い始めて。例えば、明海に父親を作ってあげるべきかとか……考えたことはあるの。でもわたし、母親業で精いっぱいで……男って基本、父親役も演じる母親とは相性が合わないのよね。何度かトライはしたけど結果は見えていて……まあ明海が独り立ちするまでは無理かなぁ、って思っていた。それが、ここにきて婚約宣言、でしょう? で娘も言ってくれるの。――お母さんも、そろそろ自分のこと優先していいんだよ? あたしファーストじゃなくていい。お母さんが主役の人生をちゃんと、選んで……て。いつも本当にありがとう。毎日頑張ってるんだからもう、無理しないで。自分が幸せになることだけを考えて……って。
ティッシュね。ああはい。予備二個ありますんでご存分にお使いくださいませ……」
目も鼻も真っ赤にする美山を恋奈は穏やかな眼差しで見守り、――にしても不思議ね? と呟き、
「だって……あなた程度に、他人にシンパシーを寄せられる人間なら、ちゃんと探せば見つかるんじゃないかしら……このひとっていう相手が。女は、共感に飢えているから。常に。ほら女って子どもの有無、結婚しているか否か、仕事しているか否か、それで……人生が完全別れちゃうから。同じ属性のひととじゃないと話が合わない、場がしらけちゃうのよね。だからわたしの友達もシンママばっか。てか二人しかいないんだけどね。保育園絡み以外だとね。でも保育園関係は、パパがどうのとかやっぱり愚痴言いたいみたいで……保育士同士で集まろうってときに、うーん、ついていけないなぁ、って思うことがある……わたしには『いない』のが愚痴だから。
話を戻すとね。確かに、あなたの外見や態度についてわたしはどうこう言ったけれど……でも世の中にはそれだからこそ癒されるってひとがいるわけで……これまでの婚活ではそういうひとに巡り合えなかったの? それとも、自分の感情を打ち明けるのはこれが初めて……?」
「恋奈先生は鋭いですね」ティッシュをバッグにしまうと美山は、「……後者です。相手の話を聞き出すことに一生懸命で、自分を理解してもらうことに目が行きませんでした。アピることもあるにはありましたがポイントがずれていたんだと思います。ある意味、最初に恋奈先生に叱られたことで、失うものがなくなったぼくは――話しやすくなったんです。婚活相手だと結局ぼく、メールでも直接対面でも、着飾ってばかりでなかなか本当の自分出せずじまいで。なんせ打率一割ですから」
「リクルートスーツはないよ」と彼女は首を振り、「たぶん、あの服装ってだけでいけなかったんだと思う。せっかく勝ち抜いた精鋭にあれを見せつけたのは勿体なかったねえ。うん。あれはねえ、確かに戦闘服なんだけど、就活っていうバトルを勝ち抜くための戦闘服。婚活にはそれ用のドレスコードがあるのよ。むしろ初めて見知らぬ男に会う相手の緊張感を和らげるための、やわらかい雰囲気の、カジュアルで品のある服装がいいくらいよ……そうね、嵐の解散会見の服装みたいな。時代を読む能力も大事だよ? 女は、伴侶に、そういうの、求めてるからさあ……」
「静かな環境で語り合うとなんだか頭が冴えますね。――うん。気持ちがいい」
春の名残を残し、健やかな五月の気配を感じられる澄み渡った空気のなか、幸せだと美山は感じていた。何故だろう。理解しようと努めてくれる女がいるから。そうだろう、と彼は思った。
「服の基準は分かったでしょう? やや細身のあなたには、あの手のちょっとダブッとしたくらいの服が合うからさ。あまり細身のパンツとか履くと薬漬けのロックバンドのボーカルみたくなるからさぁ、鶏がらみたいな……鶏がらに女は欲情しない。あなたが歌を売りにするならともかくね。秋冬になって困ったときはジャケット二三枚買っておくといいよ。下がカジュアルでもきれいにまとまるからさぁ。色合わせも大事。あなたの白い肌には濃い色も薄い色もすごく映えるけれど、今日買ったスニーカーと組み合わせて強弱を考えるの。濃い色のトップスには薄い色のボトムスで引き算。……んでまた来月買い物に行こう。今度は夏物を。――聞くけどあなた、経済的には余裕あるわよね?」
「実家暮らしで、一応経営者なので」
「聞くのも野暮な質問だったかしら」
「いえいえ恋奈先生にならなにをされても歓迎ですよ」
「――例えば」
「今夜、妄想のおかずにぼくを使ってもらう」美山は強い視線を感じながら優美に目を細め、「ぼくが、あなたのいろんなところをめっちゃくちゃに愛しこむ……とんだボーナスステージですよ」
「ああ楽しみ」と恋奈が豊かな胸に手を添える。「そっかあ……わたし、とうとうあなたに、いっろんなところをエロエロされちゃうのね……困ったなあ? わたし、生理前なのよ? 生理前は敏感なの……えっちな声、出ちゃうかも……」
「手を握っても?」
「――勿論」
恭しく手を持ち上げるとその手の甲にそっと口づけた。その効果がどれほどの感動を恋奈の胸にもたらすのかを美山は知らない。
「――美しいぼくのお姫様。夢でまた――会いましょう」
「……!」
「――キスしたい。駄目……?」
「いっ……やっ、でも。でもでも。わたしあなたの先生なのよ。だからあなたとは距離を置かなきゃ――んっ」言葉はここで途切れ、恋奈は熱い美山の手で頬を包まれていた。――あまい。
あまいあまい感情が強く胸になだれこんでくる。――なにこれ、と恋奈は当惑した。舌をゆっくりと動かされ、自分のなかを探られている感覚……男の愛欲で口内をかき回され、どっと自分の中心からなにかがあふれでるのが分かった。あまりにも久々に味わう男の感触、それだけで正直に彼女の隠し持つ女がどろどろに濡れた。……欲しい。感性も理性も溶岩のように溶かされていく。美山の織り成す繊細なタッチのひとつひとつで。いままでに抑えに抑え込んだ究極の炎が恋奈の胸のなかで燃え盛る。いよいよ欲しい……めちゃくちゃにわたしの中心を掻きまわして欲しい……男の象徴で。欲望が爆ぜたそのとき。恋奈が美山の提供する恍惚を味わい尽くす前にじゅるりと彼の舌が逃げていき、
「今日は、ここまで」
いたずらに下唇を舐める余裕が憎らしい。かっと彼女の頬が熱くなる。「――馬鹿っ。美山のくせして、……ディープキスが上手ってどんな設定よ。あなた、童貞なんだから、めちゃめちゃ下手くそなキスをしてわたしにそしられるってのがお約束なのよ。んもう。馬鹿ぁっ……」
「――本当はあなたを強く抱きしめたいんだけど、それは……またのお楽しみにとっておくよ」
美山が立ち上がる。離れる男のフェロモンに、正直に恋奈は欲情した。この男になら抱かれてもいい――そう思ったくらいだ。だが振り返る美山に彼女は笑顔を取り繕い、「分かった」と告げた。
「……娘。どーせ彼氏んところで遅くなるから帰っても寂しいだけなのよ。一人分の夕食を作る寂しさが待ってるの……」
すると恋奈の背に手を添えた美山が、長身を屈めて彼女の目を覗き込み、
「――なら、ぼくんちで夕飯食べてく?」
思わぬ提案に彼女は頓狂な声をあげた。
「……えっ?」
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