タダで済むと思うな

美凪ましろ

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第二部 恋愛編

#02-11.願望

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「そうそ。で、それが春限定の、塩大福。お塩がちょっぴり効いてて、超絶的に美味しいのぉーっ」
 この分だと夕食は控えめにしたほうがよさそうだ。――せっかくなのでと、張り切ってカレーを作ったのに。
 弟に紹介しながらも、いかにも食べたそうに目をきらきらさせる晴子に、智樹は笑った。「晴ちゃん。食べたいんなら、我慢せずに食べなよ……。そんな目をされたら、食べるこっちが気を遣うって」
「えーでも」
「……カレーの匂いがするわね」鼻をひくつかせる母が、「智樹。あなたカレー、作ったの?」
「やーでも『葉桜』の和菓子のほうが大事だし」笑顔で、智樹は、母をいなす。「せっかくこんなに頂いたんだし、先ずは、みんなで食べようか……」
「じゃあ、母さん、お茶を淹れてくるわね」
「はぁーい」
 素知らぬ顔をして、好物の和菓子を手に取り、智樹は、姉の様子を見守った。――なにかが、違う。無邪気で明るいその瞳のなかに、憂い気を帯びたなにかが存在するような――。
 逸る気持ちを押さえつつ、智樹は、疑問をぶつけた。
「……石田さん、どんなひとだった?」
 ぷぅと頬を膨らませた姉が、
「……会ってるんでしょ? 智ちゃん?」
「おれは――実際晴ちゃんが会ってみて、どんな印象を抱いたのかを聞いているんだよ」
「すごく――いいひとだったよ。『あのひと』とは大違い……。誠実で、相手の目を見てちゃんと話すひとで、共感力が高いひとだね。石田さんだったら、きっと、お母さんを幸せにしてくれると思う……」
「そっか。分かった」
「石田さんのお兄さんが『葉桜』を経営してるんだよね」と、桜餅の葉を剥き、智樹は、「おれ、あそこ行っても菓子に気を取られるだけで、従業員さんの顔とかあんま見てないんだけど、パートさんが多いんだよね」
「あー石田さんのお兄さんが経営もされてるけど。職人なの。和菓子作ってる。でお母さまが接客もされてて……、ばりばり元気なかただよ」
「――石田さんのお兄さんのお子さんが、確か、晴子と同い年なのよねー」
 カウンターキッチン内にいる母が、なにげなく紡いだ一言に、晴子の表情が動いた。その瞬間を、智樹は見逃さなかった。そして――理解した。
 母が急須をカウンターに置く。と、晴子が腰を浮かせ、「お母さんわたし手伝う」
 いまのは、『逃げ』にしか思えなかった。明らかに、晴子は、この話題への言及を避けた。
 未知なる男への野望を馳せる。――そうか、おまえが、晴ちゃんを虜にしたというのなら、おれたちは、ライバルだ。
 母の淹れた茶をすすり、智樹は考える。
 罪を犯した自分は。罪を犯し続ける自分は、黙って身を引くべきだというのは分かっている。
 けれど、せめて。
 愛する者の幸せを願い、あがくことくらいは、許されるのではないか。
 智樹は、なるだけ自然なかたちで、その男――石田圭三郎の情報を聞き出す。そして、熟考した。自分に、なにが出来るのかを。なにをすべきなのかを。

「……あんたが、石田圭三郎?」
 鉄は熱いうちに打て。
 それが、祖父母から受け継いだ西河家の家訓であり、どんなときも智樹は実行してきた。
「そうだけど、……誰?」
「おれは、西河智樹。昨日そちらにお世話になった、西河虹子の息子だ」
「ああ……」読んでいた本を閉じ、目をあげる。我が姉はなかなかお目が高い、と智樹は思う。石田にしろ、甥である圭三郎にしろ、ルックスのよさは天下一品だ。母も自分もそこそこ綺麗な顔立ちをしており、綺麗な人間ばかりに囲まれ、姉の感覚は麻痺しているのかもしれない。
「よく――分かったね」
「あなたの叔父さんに会ったことがあるので。目が、同じです」
「ぼくが言っているのは、よく――この場所が分かったね、という意味だ……」
「神がもたらした偶然なのかもしれないです」言って智樹は、ぐるりと図書館内を見回す。「……というのは冗談で。先生に聞きました。――で、あなたが、普段から放課後はここにいると……聞いて」
「誰先生から」
 周囲に気を遣い、椅子から立つ圭三郎を見て、智樹がからだを引く。「知りませんが、白衣を着た先生でした」
「……種岡(たねおか)先生だね。間違いない……」
 圭三郎は腰を屈め、本を学生かばんに仕舞うと、かばんを持ち、
「ここじゃあなんだから。中庭で話そう」

 人間関係の構築は、デバッグに似ている。
 不確定要素を確かめ、危険因子を排除する――その繰り返しだ。
 緑豊かな中庭を眺め、智樹は、白い息を吐く。
 見れば、圭三郎が、自動販売機で購入しただろう、缶コーヒーを手に、戻ってくるところだった。
 手渡されるそれをありがたく受け取る。「……ありがとうございます」
「きょうだいなのに、あまり、似ていないんだなあ……」智樹に並んでベンチに座ると、小気味よい音を立てて、プルタブを引く。口をつけ、「あっち。きみ、まだ、飲まないほうがいいよ……」
「信頼出来る人間が、あなたには、いますか」
「うん?」智樹の意図するところが分からずでか、圭三郎が顔を智樹のほうへと向ける。「どういう意味? 家族とか?」
「……自分の命と引き換えにしてもいいくらいに、大切で、愛おしい存在が、です」
 すると、圭三郎が突然、爆笑した。持っていた缶が揺れ、こぼれるのを恐れてか、ベンチに置く。
 智樹には、意味が分からない。「……どうしたんですか」
「いや、なに……。きみたちって、本当、『家族』なんだね……。顔立ちは違くても、きみたちは、そっくりなんだよ……智樹くん。
 考えていることが、まんま、顔に出るところなんか、そっくりだ……。
 質問に答えよう。――大切な存在? いて、たまるかよそんなの。
 この世で一番大切なのは、自分だ。自分以外の、何者でもない。
 もし、仮に――自分か、愛する者のどちらか一方だけが助かるのか、究極の選択を迫られたとて、ぼくの答えは決まっている。
 自分以外に、ない」
 文章をよく読む智樹には、相手の台詞が音楽に聞こえることがある。波長が合わない人間の声を聞けば、吐きそうになることさえある。――圭三郎は、声こそ、とっくに変声期を迎え、美麗と言えるものであるが――内容が。何故か、声の調子が、智樹に、吐き気を覚えさせた。
「……晴子ちゃんは、分かりやすい子だよねえ? ――あの子、ぼくの顔を見ると真っ赤っ赤になっちゃってさ。可愛い赤ずきんちゃんみたいだねえあの子。
 あの子のこころの内側でなにが起きてるのかを見抜けぬほど、ぼくが、鈍感な人間だと思うかい――? 智樹くん?」
「――貴様」
 缶を、地面に、叩きつけた。中身がこぼれようが、この際どうだっていい。
「学校までわざわざやってくるとは、きみ、重度のシスコンかなにかぁ? ……面白いねえきみ。勿体つけないで、言いたいことがあるんならサクッと言いなよー。
 それとも、あれか。不倫をやらかしたきみのお父さんみたいに、ぼくの欠点でも探して、ネットで晒して袋叩きにでもするつもりぃー? ……残念。ぼくは、そんなヘマなんかやらかさない。ごくごく普通の中学生なんだよー。あもうすぐ高校生だけどねー?」
「いったいどこで、……父のことを」
 思わぬ事実に言及され、智樹の脳がすこし冷静さを取り戻す。そんな智樹に、圭三郎が、
「ネット社会を甘く見んなよー。一日の猶予があった。きみのご家族のことを調べ上げるには、充分過ぎる時間だったよ……」
 ひらひらとスマホを見せつける圭三郎が、悪魔のように笑う。その様に、智樹は、脳が沸騰するかと思った。
「――まぁ。まさか、こんなにも早くきみが来るだなんて思いもしなかったけどー。母親が再婚考えててお相手の実家来るってのに、顔出さない息子なんて相当だろ、って思ってたけど、相当だったねー。母親の嫁ぎ先で印象悪くするってきみ、馬鹿なの。んで馬鹿なきみは、こう言いたいわけだ。
『姉ちゃんには手を出すな!』って」
 笑いながら圭三郎が、腰を浮かせる。「ざぁんねん」――と。
「ぼくね。他人の大切にしているものをぶっ壊すのがだぁいすき。きみみたいないたいけな子が執着しているのを見ると益々ね、――破壊欲が増す」
 自分の行動は逆効果だったと悟るのだが、時すでに遅し。むしろ――来ないほうがよかった。
 いや、と智樹は、思い直す。母が、石田との交際を真剣に考える以上、いずれ『このとき』は訪れていた。圭三郎に本音をぶつけ、本当の圭三郎と対峙する瞬間が。むしろ、早いうちに彼の本性を知れたことを好機ととらえ、手を打つべきだと、智樹は分析する。――本当の敵は、ここに、いたのだ。敵は本能寺ではない、圭三郎のほうだった。
 立ち向かえないほどの敵が現れたことに、ふるえるほどの興奮を感じる。――いま、守るべきものがなんなのかを、智樹は実感した。
 この男の毒牙に、姉をかけるわけには、いかない。母も、どうやら好感を抱いている――この少年の端正なる仮面の裏に隠されている悪魔の正体に気づいたのは、自分だけなのだ。
 智樹は、立ち上がり、目前の敵に、告げた。
「あんたに、晴ちゃんは、渡さない。おれが、守り抜いて見せる」

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