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第二部 恋愛編
#02-10.仮面
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――綺麗なものを見ると壊したくなるのは何故だろう、と石田|圭三郎(けいざぶろう)は思う。
タンポポを見れば、踏みつけたくなり。切子ガラスを見れば叩き割りたくなる。
愛くるしい女の子を見れば、その裏にどんな顔を隠し持つのか、俄然、興味が湧く。
いま、圭三郎が目にしているのは、まさに、圭三郎の内に秘めた破壊欲を駆り立てるタイプの女の子だった。
「ほんとに、可愛い……。ねえ、触ってもいい?」
石田家に遊びに来ていた晴子を自室に誘いだしたのは、興味が湧いたからだ。――どんなふうに泣くのか。どんなふうに、喘ぐのか。
人間は誰しも淫らな情欲を隠し持つ。この清楚で愛らしい少女が、己のリビドーとどのように相対しているのか。
『ハムスター見に来ない?』
と圭三郎が誘いだせば、『いいのっ!?』と目を輝かせる。どうやらこの子は、男絡みのトラウマとは無縁のようだ。痛い目に遭っていれば普通、もっと警戒するはず――。
かごのなかでくるくる回転する回し車のなかで遊んでいるハムスターの『メイ』が、闖入者に気づいた。目を丸くする。
「大丈夫だよ。おいでーメイ」
飼い主には従順だ。そっとメイを手のひらに乗せ、やがて、滑らせるように、晴子の肩に移すと、彼女は頬を緩ませた。「わぁ、可愛い……。あったかーい!」
両の手のひらのうえに乗せ、きゃっきゃと笑うその姿は、見ていてどちらが小動物か分からないほどだ。
「ありがとう。圭三郎くん。メーイ。可愛いねー」
無邪気に頬を寄せる辺りが心底お子様な印象だ。その姿を見て、圭三郎は、決めた。――この女の、隠し持つ花を、へし折ってやろう、と。
一階に降りると、一同が和やかに話をしているところだった。――どうせ、朝江さんの自慢話だろう。祖母のくせに、ばあばと呼ばれるのを嫌い、頑なに、『朝江さん』呼びを徹底させる、自意識の高い高慢ちきな女だ。こんな女と血が繋がっているということ自体に、反吐が出る。
「朝江さん、本当に、かりんとまんじゅう美味しかったですー! ご馳走様でした!」
晴子は、素直に礼を言っているのかそれとも媚を売っているのか? 毎回他人の言動の『裏』を読みたがる自分の習性に嫌気が差す。ところが、圭三郎の内的変化には気づかない様子で、朝江が、
「揚げたては、さっくさくでしょう……。家でトースターであっためてもね、あの味は――揚げたてのあの味は、出せないの」
「だよねえ」
輪のなかに、加わり、圭三郎は思う。――夫を亡くした朝江は、息子の泰隆に跡を継がせた。圭三郎が生まれる前の話だ。元々商店街のなかで愛されてきたこの和菓子屋『葉桜』は、亡き夫の形見だと、朝江は語る。なお、泰隆は圭三郎の父親である。
息子に店の経営、運営のかなりを任せ、悠々自適な生活を送る朝江は、還暦を過ぎているが、四十代と言われても疑わないほどの若々しさを保っている。客商売をしている限り、老け込むことはないのだろう、と圭三郎は分析する。――女は、誰かに見られることで美しさを保てるのだと。
晴子の隣に座り、朝江、叔父である石田清太郎、晴子の母親である虹子が仲良く談笑するさまを圭三郎は見守る。――嘘つきめが、とこころのなかで誰かが叫んでいる。この場で、にこやかに、和やかに話す世界観は、ハリボテだ。
せい叔父さんと、虹子さんは愛し合っている。ならば、こんなところをとっとと抜け出して、然るべき施設に行け。愛を確かめ合え。こんなところで親族と団欒するとは――馬鹿馬鹿しい。
だがそんな黒い感情をおくびにも出さず、圭三郎は微笑する。とりとめのない話に相槌を打つ、相槌製造機と化す。
話が切れた頃で、圭三郎は、ちゃぶ台の真ん中を占める、山盛りの和菓子に目を向ける。
「ところで、食べないんなら勿体ないね。持って帰って貰えば?」
「ああ……そうね」と腰を浮かせた朝江を圭三郎は目で制した。「いや、おれが台所持ってくよ。母さんに包んでもらう……」
「せっかくだから新しいのにしましょうよ。これは、あとでわたしたちで食べるから……」
「ところでなんでこんな山盛りなの朝江さん?」
「あーそれは……」バツの悪い顔で晴子が挙手する。「はい。すみません。わたしです……」
小さく圭三郎は吹き出す。「なにそれ。晴子ちゃん、うちの和菓子そんな好きなの?」
「二駅離れてるからなかなか行かないだけでほんとはすっごくファン! です! あぁあもぉうぅかりんとまんじゅうとか死ぬほど好きで! いえ死ぬわけには行かないんですけど! 外はかりっかりのなかはほっくほくで……こんな超絶的に美味しいおまんじゅう! 地球史上最大に美味っしぃいおまんじゅう、わたし! 食べたことないですぅうぅぅうぅ!! ああ、圭三郎くんが羨ましいですぅうぅ……! 毎日、毎日、こんな……きらっきらの、すんばらしぃいい和菓子ちゃんたちに囲まれてぇええ……!」
「おれだって毎日和菓子食い散らかしてるわけじゃないよ?」圭三郎の口許が笑いを抑えきれていない。「それに。毎日、毎日、食いまくってたら、だるまみたいに太っちまうよ。おれ、……正直、そんな晴子ちゃんは、見たくないなあ……」
何故か晴子が顔を覆う一方で、朝江はきつい目線をよこす。「圭ちゃん。それは、誰に対する当てつけなのかしらぁ?」
笑いながら怒るのが怖い。なんだか怖い。こちらの祖母は、最近少々胴回りが太くなったのを気にしている。大好きなビールも断っており、周囲がお菓子や酒を嗜もうものなら、たちまち注意をされるのだ。――あなたたち、わたしの前でそんなものを食べるのはおやめなさい――! 自分は、和菓子屋を経営しておいて、だ。
ただし、虹子一家については、特別枠らしい。晴子が団子を頬張るのを朝江は満面の笑みで見守り、
「可愛いわぁ……本当に、可愛いわ、晴ちゃん……。わたし、ずっとね、晴ちゃんみたいな女の子が欲しかったの……うちは、男ばっかりでむさくって! 来てくれて本当に嬉しい!」
「あいえ、わたしこそ、こんなご馳走になっちゃって。草団子もしぃーっかり草の味がして、あんこはもう、これ、アクを丁寧に取ってるんですね……このきれーいなあんこの色。がっつりアクを取らないとこの色は、出せません。職人さんたちの丁寧な仕事ぶりを、わたしは、心から尊敬します……」
「ああもう晴ちゃん今日からここに住みなさいよ!」相思相愛の二人は抱き締め合う。け、と内心で毒づき、圭三郎は茶の間を出た。――家族ごっこに付き合わされるこっちの身になってみろ。馬鹿馬鹿しい。
結局朝江のほうが晴子を手放そうとはせず、夕方まで、朝江は、虹子たちを相手に、喋り通しだった。独身貴族の息子の行方を案じているより、晴子を可愛がるほうに気が行くとは――つくづく、女とは、単純な生き物だと圭三郎は思う。
受験勉強を理由に、短時間で、圭三郎は、二階の自室に退出したのだが、その行動が、いったいその後どんな事態をもたらすのかを、彼は、知らない。
「本当、美味しかったね。お母さん。あー幸せだった!」
「そうね」
石田家を後にし、駅に向かう晴子の胸に訪れるのは春の予感――のみならず。
『――晴子ちゃん』
さっぱりとした顔立ちの、清潔感漂う少年だった。大人びた言動からするに、少年というより、青年と形容するほうがふさわしいように思えるが――あれで、同じ年なのだから驚きだ。なんだか、自分は、マチュアな男の子に恵まれている、と晴子は思う。
「――智ちゃんも、来ればよかったのに……」
言いながら晴子は、高鳴る胸を押さえる。これは、新たなる恋の予感。この身には、いまだ、弟を胎内に受け入れた余波が残っているというのに。それなのに、石田圭三郎への好奇心を抑えきれない。
いったいなにを考えているひとなのだろう。
晴子の前に現れる人間は、単純な人間が多かった。そう――例えば、母など分かりやすい。思ったことがすぐ顔に出る。母親に関しては、苛々していそうなときは、距離を置いたし、家のことも、手伝うようにした。家のことが滞ると母の機嫌はたちまち悪くなるのだ。弟の智樹も、その辺の察知能力は秀でていたように思う。マイペースに見えて、存外空気を読む子なのだ。あの子は。
なにか、普通の人間とは違う、気配を持つ。
仮に、圭三郎が、実は魔人だと言われても、晴子は、信じる。肌がやたら綺麗で眼光が鋭く、生身の人間という感覚がしないのだ。弟とはまた違ったタイプの、変わった人種だと思う。
この出会いが、いったい自分の運命を、どう動かしていくのか、晴子は知らない。
いまは、ただ、からだのなかに注ぎ込まれた永遠の愛と、それに派生する感情、及び愛の予感に、身をふるわせていた。
*
タンポポを見れば、踏みつけたくなり。切子ガラスを見れば叩き割りたくなる。
愛くるしい女の子を見れば、その裏にどんな顔を隠し持つのか、俄然、興味が湧く。
いま、圭三郎が目にしているのは、まさに、圭三郎の内に秘めた破壊欲を駆り立てるタイプの女の子だった。
「ほんとに、可愛い……。ねえ、触ってもいい?」
石田家に遊びに来ていた晴子を自室に誘いだしたのは、興味が湧いたからだ。――どんなふうに泣くのか。どんなふうに、喘ぐのか。
人間は誰しも淫らな情欲を隠し持つ。この清楚で愛らしい少女が、己のリビドーとどのように相対しているのか。
『ハムスター見に来ない?』
と圭三郎が誘いだせば、『いいのっ!?』と目を輝かせる。どうやらこの子は、男絡みのトラウマとは無縁のようだ。痛い目に遭っていれば普通、もっと警戒するはず――。
かごのなかでくるくる回転する回し車のなかで遊んでいるハムスターの『メイ』が、闖入者に気づいた。目を丸くする。
「大丈夫だよ。おいでーメイ」
飼い主には従順だ。そっとメイを手のひらに乗せ、やがて、滑らせるように、晴子の肩に移すと、彼女は頬を緩ませた。「わぁ、可愛い……。あったかーい!」
両の手のひらのうえに乗せ、きゃっきゃと笑うその姿は、見ていてどちらが小動物か分からないほどだ。
「ありがとう。圭三郎くん。メーイ。可愛いねー」
無邪気に頬を寄せる辺りが心底お子様な印象だ。その姿を見て、圭三郎は、決めた。――この女の、隠し持つ花を、へし折ってやろう、と。
一階に降りると、一同が和やかに話をしているところだった。――どうせ、朝江さんの自慢話だろう。祖母のくせに、ばあばと呼ばれるのを嫌い、頑なに、『朝江さん』呼びを徹底させる、自意識の高い高慢ちきな女だ。こんな女と血が繋がっているということ自体に、反吐が出る。
「朝江さん、本当に、かりんとまんじゅう美味しかったですー! ご馳走様でした!」
晴子は、素直に礼を言っているのかそれとも媚を売っているのか? 毎回他人の言動の『裏』を読みたがる自分の習性に嫌気が差す。ところが、圭三郎の内的変化には気づかない様子で、朝江が、
「揚げたては、さっくさくでしょう……。家でトースターであっためてもね、あの味は――揚げたてのあの味は、出せないの」
「だよねえ」
輪のなかに、加わり、圭三郎は思う。――夫を亡くした朝江は、息子の泰隆に跡を継がせた。圭三郎が生まれる前の話だ。元々商店街のなかで愛されてきたこの和菓子屋『葉桜』は、亡き夫の形見だと、朝江は語る。なお、泰隆は圭三郎の父親である。
息子に店の経営、運営のかなりを任せ、悠々自適な生活を送る朝江は、還暦を過ぎているが、四十代と言われても疑わないほどの若々しさを保っている。客商売をしている限り、老け込むことはないのだろう、と圭三郎は分析する。――女は、誰かに見られることで美しさを保てるのだと。
晴子の隣に座り、朝江、叔父である石田清太郎、晴子の母親である虹子が仲良く談笑するさまを圭三郎は見守る。――嘘つきめが、とこころのなかで誰かが叫んでいる。この場で、にこやかに、和やかに話す世界観は、ハリボテだ。
せい叔父さんと、虹子さんは愛し合っている。ならば、こんなところをとっとと抜け出して、然るべき施設に行け。愛を確かめ合え。こんなところで親族と団欒するとは――馬鹿馬鹿しい。
だがそんな黒い感情をおくびにも出さず、圭三郎は微笑する。とりとめのない話に相槌を打つ、相槌製造機と化す。
話が切れた頃で、圭三郎は、ちゃぶ台の真ん中を占める、山盛りの和菓子に目を向ける。
「ところで、食べないんなら勿体ないね。持って帰って貰えば?」
「ああ……そうね」と腰を浮かせた朝江を圭三郎は目で制した。「いや、おれが台所持ってくよ。母さんに包んでもらう……」
「せっかくだから新しいのにしましょうよ。これは、あとでわたしたちで食べるから……」
「ところでなんでこんな山盛りなの朝江さん?」
「あーそれは……」バツの悪い顔で晴子が挙手する。「はい。すみません。わたしです……」
小さく圭三郎は吹き出す。「なにそれ。晴子ちゃん、うちの和菓子そんな好きなの?」
「二駅離れてるからなかなか行かないだけでほんとはすっごくファン! です! あぁあもぉうぅかりんとまんじゅうとか死ぬほど好きで! いえ死ぬわけには行かないんですけど! 外はかりっかりのなかはほっくほくで……こんな超絶的に美味しいおまんじゅう! 地球史上最大に美味っしぃいおまんじゅう、わたし! 食べたことないですぅうぅぅうぅ!! ああ、圭三郎くんが羨ましいですぅうぅ……! 毎日、毎日、こんな……きらっきらの、すんばらしぃいい和菓子ちゃんたちに囲まれてぇええ……!」
「おれだって毎日和菓子食い散らかしてるわけじゃないよ?」圭三郎の口許が笑いを抑えきれていない。「それに。毎日、毎日、食いまくってたら、だるまみたいに太っちまうよ。おれ、……正直、そんな晴子ちゃんは、見たくないなあ……」
何故か晴子が顔を覆う一方で、朝江はきつい目線をよこす。「圭ちゃん。それは、誰に対する当てつけなのかしらぁ?」
笑いながら怒るのが怖い。なんだか怖い。こちらの祖母は、最近少々胴回りが太くなったのを気にしている。大好きなビールも断っており、周囲がお菓子や酒を嗜もうものなら、たちまち注意をされるのだ。――あなたたち、わたしの前でそんなものを食べるのはおやめなさい――! 自分は、和菓子屋を経営しておいて、だ。
ただし、虹子一家については、特別枠らしい。晴子が団子を頬張るのを朝江は満面の笑みで見守り、
「可愛いわぁ……本当に、可愛いわ、晴ちゃん……。わたし、ずっとね、晴ちゃんみたいな女の子が欲しかったの……うちは、男ばっかりでむさくって! 来てくれて本当に嬉しい!」
「あいえ、わたしこそ、こんなご馳走になっちゃって。草団子もしぃーっかり草の味がして、あんこはもう、これ、アクを丁寧に取ってるんですね……このきれーいなあんこの色。がっつりアクを取らないとこの色は、出せません。職人さんたちの丁寧な仕事ぶりを、わたしは、心から尊敬します……」
「ああもう晴ちゃん今日からここに住みなさいよ!」相思相愛の二人は抱き締め合う。け、と内心で毒づき、圭三郎は茶の間を出た。――家族ごっこに付き合わされるこっちの身になってみろ。馬鹿馬鹿しい。
結局朝江のほうが晴子を手放そうとはせず、夕方まで、朝江は、虹子たちを相手に、喋り通しだった。独身貴族の息子の行方を案じているより、晴子を可愛がるほうに気が行くとは――つくづく、女とは、単純な生き物だと圭三郎は思う。
受験勉強を理由に、短時間で、圭三郎は、二階の自室に退出したのだが、その行動が、いったいその後どんな事態をもたらすのかを、彼は、知らない。
「本当、美味しかったね。お母さん。あー幸せだった!」
「そうね」
石田家を後にし、駅に向かう晴子の胸に訪れるのは春の予感――のみならず。
『――晴子ちゃん』
さっぱりとした顔立ちの、清潔感漂う少年だった。大人びた言動からするに、少年というより、青年と形容するほうがふさわしいように思えるが――あれで、同じ年なのだから驚きだ。なんだか、自分は、マチュアな男の子に恵まれている、と晴子は思う。
「――智ちゃんも、来ればよかったのに……」
言いながら晴子は、高鳴る胸を押さえる。これは、新たなる恋の予感。この身には、いまだ、弟を胎内に受け入れた余波が残っているというのに。それなのに、石田圭三郎への好奇心を抑えきれない。
いったいなにを考えているひとなのだろう。
晴子の前に現れる人間は、単純な人間が多かった。そう――例えば、母など分かりやすい。思ったことがすぐ顔に出る。母親に関しては、苛々していそうなときは、距離を置いたし、家のことも、手伝うようにした。家のことが滞ると母の機嫌はたちまち悪くなるのだ。弟の智樹も、その辺の察知能力は秀でていたように思う。マイペースに見えて、存外空気を読む子なのだ。あの子は。
なにか、普通の人間とは違う、気配を持つ。
仮に、圭三郎が、実は魔人だと言われても、晴子は、信じる。肌がやたら綺麗で眼光が鋭く、生身の人間という感覚がしないのだ。弟とはまた違ったタイプの、変わった人種だと思う。
この出会いが、いったい自分の運命を、どう動かしていくのか、晴子は知らない。
いまは、ただ、からだのなかに注ぎ込まれた永遠の愛と、それに派生する感情、及び愛の予感に、身をふるわせていた。
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