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#04.真鍋
#04-02.深々と巣くう情愛
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「ぼく、実はゲイなんだ」
さおちゃん――鬼島佐織は一瞬、本気でなにを言われたのか分からない顔をした。人間の本気で驚いたときの反応は面白い。
誰にも言わないで、という枕詞が効いたのか、彼女の驚きっぷりは本物だった。彼女は口を押さえたまま、
「えと正直、そういうかたがいらっしゃる、というのは、聞いたことはあるんですけど。実際に会うのは初めてです。……疑問がいろいろとあるんですけど、お聞きしてもいいですか?」
「なんでもどうぞ」
ぼくが促すとさおちゃんは、「……女性を、好きになったことはあるんですか?」
「あるよ。けど、結局、本気になれない。なんというか、魂が結びつかない感じ。しっくりこないんだよ。女のひとって一緒にいると『女性らしさ』を振りまくじゃない。それが苦手で。まあ職場だとなるだけ意識しないようにしているけど」
「だから拠点T女性いないんですか」
「それはまあ、偶然。ただ、ここだけの話、ぼくは女性に誤解されやすいキャラみたいでさあ。そんで、極力男性を採用するようにしている」
「確かに真鍋さん、綺麗ですもんねえ」改めてまじまじと見てくるさおちゃんの視線が刺さる。「男のひとに『綺麗』って表現はおかしいかもしれないですが、真鍋さんお化粧とか似合いそうですもん。肌綺麗だし、目鼻立ちくっきりしてるし、映える顔してますもん」
納得の面持ちでビールを口につけるさおちゃん。――騙されやすい女、とぼくは内心で毒づく。
さおちゃんがUATに来てから、ぼくは、彼女を飲みに誘うようになった。
理由。自分でもよく分からない。さおちゃんは、しっかりしているように見えて、案外抜けているところがあるし、あと、彼女の所属する料金Tは、年上はBPさんしかいない。頼れるプロパーの先輩がいないことからして、相談相手のひとりでもいたほうがいいとの判断だ。
ぼくは、彼女に、嘘をついた。自分がゲイだと偽った。
理由。牽制目的。――黒神に対し、ひどいことをしていないという、自己防衛。防波堤を作っておきたかったのだ。これを言えば彼女も本気になることはないだろう。
性別を超えた友情をぼくは信じている。もし、可能ならソウルメイトになれるかもしれない。このときのぼくは本気で信じていたのだ。
彼女と話していると楽しい。ぽんぽん、と質問とレスポンスのやり取りを繰り返し、話が弾む。こういうのはフィーリングなんだ。会話をいくら重ねてもつまらない相手はいる。それと比べると彼女は極上、だった。
ぼくの嘘を信じながらきみはトムヤムクンを口に運ぶ。かっら、と言いながらビール瓶を呷る。思いのほか豪快な一面を見せつけられ、ぼくのなかに沸々となにかが湧いてくる。――抱いてやれば、どんな反応をするのか。男は、その気になればどんな女でも抱ける。最悪顔さえ見なければ。
例えば、職場は、そうした性的なフィルターを一切取り除いた、社会人としての仮面を身につけるべき場所である。勿論会社では、ぼくはさおちゃんを、ただの後輩として認識しているのだが、場所が外ならば別だ。彼女を誘い、一緒に食事をするたび、ぼくの自意識は揺らぐ。――もし、彼女と『そう』なったら、ぼくは果たして同じ仮面を身につけられるのだろうか、と。
黒神は行動に出なかった。それが、かえって、もどかしかった。あいつに糾弾でもされれば――『こいつはおれのものだ』宣言でもされれば、こうした愚行に手を染めることなどないのに。
さおちゃんは、素直な女の子だった。いまどき珍しいくらいにいい子だった。傷つきやすく、繊細で、でもそんな内面を見せぬように、懸命に振る舞う頑張り屋さんの女の子。黒神の件さえなければ、彼女にしていたかもしれない。
UATは、利益率の高い案件であるが、その理由のひとつが、技術力の高いBPを雇う点にある。プロパーの力の底上げのために、毎年、毎年、UATには新人が配属されるのだが、辞めていく人間も多い。離職率の高さは、なにも、システムアイのみならず、業界全体として、問題になっていた。
話し合い、理解し合えたと思っていた若手が辞めていく。という現象ほど悲しい現実をぼくは知らない。好きな子に振られた気分だ。
ぼくが、さおちゃんを誘ったのは、なにも、黒神に対する当てつけなのではなく、業界のため。ひとりでも多く、UATに根付く人間を育て上げるため。――というのは名目であり。
鬼島佐織は、正直に、可愛い女の子だった。普通にしてれば愛らしい女子なのに。それこそ女の子らしいガーリーなファッションに身を包めば映える童顔ロリ隠れ巨乳のくせして、着るのはスーツ。無機質なスーツ。
喋れば喋るほどぼくは、さおちゃんが武装で固めるスーツのなかに潜むのは、どこまでも無邪気で、愛くるしい少女――その事実を確信するようになった。
――あまおう。あまおうが、驚愕の680円で売っていて。わたしもう、我慢できなくて。名前、つけたんです。一番おっきいこがあーたんで、二番目がうーたん。可愛すぎてもう、食べれないんです。どうしたらいいんでしょう?
女教師みたく硬派なスーツで固めている割りに、中身は子どもで。その、アンバランスな彼女の魅力に取りつかれる男は多い。飲み会のたびに、彼女に露骨な視線を注ぐ男の多いこと。まるで、真夏の海岸でビキニの女の子に向ける目線のような、熱っぽさ。
ぼくが、さおちゃんを誘ったのは、そんな男たちの羨望や視線から彼女を守るためでもあった。実際、彼女は、こぼしていた。友達として接する男の子から、モーションをかけられ、困っている。学生時代からだそうだ。無理もない。彼女のビジュアルなら。
ぼくがゲイだと告白した夜、いつも通り彼女はよく食べた。その細いからだのどこにそんな大量の食べ物が消えていくのかと思うくらいに。
アルコールに関しては、三杯までと決めているらしい。セーブしていた。
その後も、変わりなく、彼女との関係は続いた。――そう、黒神が動くあのときまで。
その日は、曇り空だった。なんとなく雨でも降りそうな嫌な天気の日だった。
嫌な日に嫌なことは重なるものだ。背後で感じる、UATのチームメンバーの空気が、浮足立っているような、そんな感覚が感じられた。
昼休み明けに、ぼくは噂を聞き、定時後に、松井くんが皆の前でさおちゃんに質問をしたのが決定打だった。
ぼくは、とうとう覚悟していた瞬間が訪れたことを悟った。
職場を出入りする際、ぼくは盗み見た。きみのことを。きみの、左手の薬指に嵌められた指輪――その意味を分からぬほどぼくは子どもではない。
とうとう、鬼島佐織を諦めるべき瞬間が、来てしまった。ぼくは――部外者だった。
部屋を出ると笑いだしそうになった。とんだ、ピエロだ。いったいいまのいままでなにをしていたのか? 結局きみが好きなのはぼくではない、黒神だった。――運命の神も、きみも、結局黒神を選ぶんだ。仕事でも負けて、恋愛でも負ける――。
吐きそうなほどの敗北感に、押しつぶされようになっていた。苦しい。わけが、分からない。自分の存在意義が。なんのために――いったいいままでなんのために頑張っていたのか。
不覚にもぼくは、さおちゃんに裏切られた気分になっていた。いままで、真鍋さん真鍋さん、と真摯に話に耳を傾けてくれていたときのきみの瞳の輝き。あれは、嘘だったのか?
なにを信じていいのか、分からなくなっていた。ぼくの知らないところできみは、きっと、あの男に抱かれている。
腹の底が焦げそうだった。こんな感覚を味わうのは生まれて初めてだった。そう、黒神にプレゼンで負けたときよりも更に強烈な、台風のような敗北感に襲われる。
惨めだった。特に、さおちゃんは、早馬さんが来てから、苦悩していた。一般に、テスターというのは単価が低い。単価の低いBPを雇うのは、テスター業務を請け負うUATの宿命のようなものなのだが、現場の人間としてはたまったものではないだろう。ぼくは損得勘定も担い、見積もりを作るリーダーだから、雇う側の論理も分かるけれども。単価が安いうえに、スキルも高い人間など、先ず、いない。そんな優秀な人間がいるのなら、もっと高値でとっくに別のプロジェクトに売られている。
さおちゃんの苦悩を聞き出せたのはこの世でぼくだけだと思い込んでいたのに。自分のなかを巣くう、まさに被害者の感情。その鬱屈した感情が爆発するまで間もなくと、迫っていた。
*
さおちゃん――鬼島佐織は一瞬、本気でなにを言われたのか分からない顔をした。人間の本気で驚いたときの反応は面白い。
誰にも言わないで、という枕詞が効いたのか、彼女の驚きっぷりは本物だった。彼女は口を押さえたまま、
「えと正直、そういうかたがいらっしゃる、というのは、聞いたことはあるんですけど。実際に会うのは初めてです。……疑問がいろいろとあるんですけど、お聞きしてもいいですか?」
「なんでもどうぞ」
ぼくが促すとさおちゃんは、「……女性を、好きになったことはあるんですか?」
「あるよ。けど、結局、本気になれない。なんというか、魂が結びつかない感じ。しっくりこないんだよ。女のひとって一緒にいると『女性らしさ』を振りまくじゃない。それが苦手で。まあ職場だとなるだけ意識しないようにしているけど」
「だから拠点T女性いないんですか」
「それはまあ、偶然。ただ、ここだけの話、ぼくは女性に誤解されやすいキャラみたいでさあ。そんで、極力男性を採用するようにしている」
「確かに真鍋さん、綺麗ですもんねえ」改めてまじまじと見てくるさおちゃんの視線が刺さる。「男のひとに『綺麗』って表現はおかしいかもしれないですが、真鍋さんお化粧とか似合いそうですもん。肌綺麗だし、目鼻立ちくっきりしてるし、映える顔してますもん」
納得の面持ちでビールを口につけるさおちゃん。――騙されやすい女、とぼくは内心で毒づく。
さおちゃんがUATに来てから、ぼくは、彼女を飲みに誘うようになった。
理由。自分でもよく分からない。さおちゃんは、しっかりしているように見えて、案外抜けているところがあるし、あと、彼女の所属する料金Tは、年上はBPさんしかいない。頼れるプロパーの先輩がいないことからして、相談相手のひとりでもいたほうがいいとの判断だ。
ぼくは、彼女に、嘘をついた。自分がゲイだと偽った。
理由。牽制目的。――黒神に対し、ひどいことをしていないという、自己防衛。防波堤を作っておきたかったのだ。これを言えば彼女も本気になることはないだろう。
性別を超えた友情をぼくは信じている。もし、可能ならソウルメイトになれるかもしれない。このときのぼくは本気で信じていたのだ。
彼女と話していると楽しい。ぽんぽん、と質問とレスポンスのやり取りを繰り返し、話が弾む。こういうのはフィーリングなんだ。会話をいくら重ねてもつまらない相手はいる。それと比べると彼女は極上、だった。
ぼくの嘘を信じながらきみはトムヤムクンを口に運ぶ。かっら、と言いながらビール瓶を呷る。思いのほか豪快な一面を見せつけられ、ぼくのなかに沸々となにかが湧いてくる。――抱いてやれば、どんな反応をするのか。男は、その気になればどんな女でも抱ける。最悪顔さえ見なければ。
例えば、職場は、そうした性的なフィルターを一切取り除いた、社会人としての仮面を身につけるべき場所である。勿論会社では、ぼくはさおちゃんを、ただの後輩として認識しているのだが、場所が外ならば別だ。彼女を誘い、一緒に食事をするたび、ぼくの自意識は揺らぐ。――もし、彼女と『そう』なったら、ぼくは果たして同じ仮面を身につけられるのだろうか、と。
黒神は行動に出なかった。それが、かえって、もどかしかった。あいつに糾弾でもされれば――『こいつはおれのものだ』宣言でもされれば、こうした愚行に手を染めることなどないのに。
さおちゃんは、素直な女の子だった。いまどき珍しいくらいにいい子だった。傷つきやすく、繊細で、でもそんな内面を見せぬように、懸命に振る舞う頑張り屋さんの女の子。黒神の件さえなければ、彼女にしていたかもしれない。
UATは、利益率の高い案件であるが、その理由のひとつが、技術力の高いBPを雇う点にある。プロパーの力の底上げのために、毎年、毎年、UATには新人が配属されるのだが、辞めていく人間も多い。離職率の高さは、なにも、システムアイのみならず、業界全体として、問題になっていた。
話し合い、理解し合えたと思っていた若手が辞めていく。という現象ほど悲しい現実をぼくは知らない。好きな子に振られた気分だ。
ぼくが、さおちゃんを誘ったのは、なにも、黒神に対する当てつけなのではなく、業界のため。ひとりでも多く、UATに根付く人間を育て上げるため。――というのは名目であり。
鬼島佐織は、正直に、可愛い女の子だった。普通にしてれば愛らしい女子なのに。それこそ女の子らしいガーリーなファッションに身を包めば映える童顔ロリ隠れ巨乳のくせして、着るのはスーツ。無機質なスーツ。
喋れば喋るほどぼくは、さおちゃんが武装で固めるスーツのなかに潜むのは、どこまでも無邪気で、愛くるしい少女――その事実を確信するようになった。
――あまおう。あまおうが、驚愕の680円で売っていて。わたしもう、我慢できなくて。名前、つけたんです。一番おっきいこがあーたんで、二番目がうーたん。可愛すぎてもう、食べれないんです。どうしたらいいんでしょう?
女教師みたく硬派なスーツで固めている割りに、中身は子どもで。その、アンバランスな彼女の魅力に取りつかれる男は多い。飲み会のたびに、彼女に露骨な視線を注ぐ男の多いこと。まるで、真夏の海岸でビキニの女の子に向ける目線のような、熱っぽさ。
ぼくが、さおちゃんを誘ったのは、そんな男たちの羨望や視線から彼女を守るためでもあった。実際、彼女は、こぼしていた。友達として接する男の子から、モーションをかけられ、困っている。学生時代からだそうだ。無理もない。彼女のビジュアルなら。
ぼくがゲイだと告白した夜、いつも通り彼女はよく食べた。その細いからだのどこにそんな大量の食べ物が消えていくのかと思うくらいに。
アルコールに関しては、三杯までと決めているらしい。セーブしていた。
その後も、変わりなく、彼女との関係は続いた。――そう、黒神が動くあのときまで。
その日は、曇り空だった。なんとなく雨でも降りそうな嫌な天気の日だった。
嫌な日に嫌なことは重なるものだ。背後で感じる、UATのチームメンバーの空気が、浮足立っているような、そんな感覚が感じられた。
昼休み明けに、ぼくは噂を聞き、定時後に、松井くんが皆の前でさおちゃんに質問をしたのが決定打だった。
ぼくは、とうとう覚悟していた瞬間が訪れたことを悟った。
職場を出入りする際、ぼくは盗み見た。きみのことを。きみの、左手の薬指に嵌められた指輪――その意味を分からぬほどぼくは子どもではない。
とうとう、鬼島佐織を諦めるべき瞬間が、来てしまった。ぼくは――部外者だった。
部屋を出ると笑いだしそうになった。とんだ、ピエロだ。いったいいまのいままでなにをしていたのか? 結局きみが好きなのはぼくではない、黒神だった。――運命の神も、きみも、結局黒神を選ぶんだ。仕事でも負けて、恋愛でも負ける――。
吐きそうなほどの敗北感に、押しつぶされようになっていた。苦しい。わけが、分からない。自分の存在意義が。なんのために――いったいいままでなんのために頑張っていたのか。
不覚にもぼくは、さおちゃんに裏切られた気分になっていた。いままで、真鍋さん真鍋さん、と真摯に話に耳を傾けてくれていたときのきみの瞳の輝き。あれは、嘘だったのか?
なにを信じていいのか、分からなくなっていた。ぼくの知らないところできみは、きっと、あの男に抱かれている。
腹の底が焦げそうだった。こんな感覚を味わうのは生まれて初めてだった。そう、黒神にプレゼンで負けたときよりも更に強烈な、台風のような敗北感に襲われる。
惨めだった。特に、さおちゃんは、早馬さんが来てから、苦悩していた。一般に、テスターというのは単価が低い。単価の低いBPを雇うのは、テスター業務を請け負うUATの宿命のようなものなのだが、現場の人間としてはたまったものではないだろう。ぼくは損得勘定も担い、見積もりを作るリーダーだから、雇う側の論理も分かるけれども。単価が安いうえに、スキルも高い人間など、先ず、いない。そんな優秀な人間がいるのなら、もっと高値でとっくに別のプロジェクトに売られている。
さおちゃんの苦悩を聞き出せたのはこの世でぼくだけだと思い込んでいたのに。自分のなかを巣くう、まさに被害者の感情。その鬱屈した感情が爆発するまで間もなくと、迫っていた。
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