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#02.黒神

#02-01.無自覚な、おれのお姫様

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 鬼島佐織は、そこにいるだけで周囲の目線を集めまくる、そんな女だった。
 目鼻立ちがくっきりしており、あこの子美人だな、と見た瞬間相手の脳髄に叩きつける。――美貌を。ひとによっては敗北感を認めるかもしれない。いや同性ならきっとそうだろう。
 恵まれた女だな、と思うのだが、実は陰で苦悩している。その苦悩をおれが知るのはもうすこし先の話なのだが。
 初めて会ったのは、彼女が新人の頃、事業部内研修の成果を発表すべく、プレゼンをするときだった。
 うちの会社は、服装は自由だ。ま、流石にデニムやTシャツは許されないけれど、女は営業職でもない限り、スーツを着ない。
 スーツを着るのが、鬼島佐織という女だった。
 タイトにまとめた髪と、淡いグレーのスーツの組み合わせが、女教師みたいだ。
 正直に、こんな女の先生がいたら、調教されたい、とおれは思った。
 じっくりと周囲の反応を観察する余裕。淀みない口調。理知的な対応。――へえ、今年の新人はなかなか活きがいいのが来たなあ。とおれは感心した。
 プレゼンの後は飲み会だった。その飲み会で、鬼島佐織は、先ほどとはまた違った朗らかな口調で、みんなの前で、
「苗字呼びされるの苦手なんで。仲良くなったら『さおちゃん』って呼んでくださーい! えへへ」
 BPさんも入れると百五十人くらいいただろうか。瞬く間にその呼び名は浸透した。
 けれど、おれは。彼女を『さお』と呼ぶ。その理由は。
「プレゼンすげえ上手だったけど、鬼島さん、理系だっけ?」
 彼女が酌をして回るのが落ち着いた頃におれは話しかけた。座席の隅っこで彼女はきょとんした顔をして、
「えっと黒神さんさっきのわたしの自己紹介聞いてませんでした? わたしのことを『鬼島』と呼ぶのは敵だけですよ」
 西尾維新ヲタと来たか。やれやれ。この子はどうやら、読書も趣味なのか。
「褒め言葉は素直に受け取っておけ、と新人研修で習わなかったか?」
「褒めてます? えーでもわたし的に今日のプレゼンは70点程度だったかなあ。質疑応答でテンパっちゃったし。あーいうときに超然としてないとまじ、駄目ですよね」
 自己評価が低い。――見込みがある。
 残念ながら、おれは当時から基幹系Tのメンバーだったから、彼女を引き入れることは叶わなかったのだが。
「いつかきみと仕事がしてみたい」
「え?」おれの小さな声は、鶴間さんの馬鹿でかいくしゃみにかき消されてしまった。
 それから、おれは。彼女とは本社に帰社したときに顔を合わせる程度で。それ以上関係を深めることはなかった。
 それでも、顔を合わせる程度でも、幾分かの情報は読み取れる。
 本社でお尻に火のついた開発案件を担当してひーひー言ったり、柏谷さんの負荷を減らすべくてきぱきと業務をこなしたり。いろんな実践を積むきみは、日々成長していた。それは、パソコンに向かっているときの顔つきだけで分かる。――それから、いろんなひとたちがきみのことを評価していた。
 優秀で、有能で、華麗で。
 きみがただそこにいるだけで空間が華やいだ。
 いっそきみのことをさっさとチームリーダーなんかにして、客先で顔を売ればいいのに。そう思えるほどで。
 ただ、感情を表に出し過ぎるきらいはあるかな、という印象だった。新人の頃のあの口ぶりからすると。まあその喜怒哀楽を出す辺りも、彼女の個性とも言えようが。――可愛いからなにをやっても女は基本、許される。その格言を体現する存在だった。
 彼女がUAT(受入試験)プロジェクトに配属されたときは、いよいよこのときが来たのだな、とおれは柏谷さんたちの意図を悟った。外で充分に経験を積んだ彼女は、UATの即戦力となるだろう。
 予想通り、彼女は、一案件経験しただけで、次案件からは試験項目表を作成する立場となり。テスターとしてだけでなく、ドキュメント作成能力も一流であることも証明してみせた。
 しかし。
 気づいていないのか。同じフロアで背を向けて仕事をするおれは、仕事中、もどかしい気持ちになった。――早馬の野郎が気があることに気づいていない。早馬がおれの部下だったら、『公私混同するな!』と叱り飛ばしてやるところだ。BPであるゆえ、それが出来ないのが、もどかしい。
 一ヶ月ほどは耐えたおまえだったが、早馬が仕込んだ検証データをパーにしたところで、とうとうおまえの怒りは頂点に達した。
 真鍋がおまえの相談役になっていたのは知っている。あいつなら、分かってやれるだろう。おまえの、孤独を。
 ところがおれがおまえに声をかけたとき、おまえは明らかに知らないでいた。
 意外だった。
 てっきり、真鍋のやつ辺りが示唆していそうなものなのに。
 おれは、真鍋の気持ちを知っていた。
 あいつがおれに対し、なにやら敵愾心を抱いているのは知っている。
 けども、言葉を、止められなかった。

「――偽装、職場恋愛しないか。おれと」
 おれの提案を受けたおまえは目を白黒させる。――へえ、こんな顔もするんだと。おまえの新たな一面を見つけたおれは嬉しくて仕方がない。だが表情には出さず、
「おれは、この見た目だからな。それなりに苦労している。つまり、特別な行為を抱かない相手である女性から、好意を抱かれるという現象だ。特にBPさんが相手なら、深刻な問題に発展しかねない。だから、基幹系Tはムサい男ばっかなんだ。――意図的に、くそ真面目そうな連中を入れている」
 彼女の、表情が、動く。――それといまの提案とどう繋がっていくんですかと。
 おれは頭のなかで理論を組み立てる。――すべて、アドリブだ。
「きみが、悩んでいるのを、おれは、知っている」
 彼女の、表情が、動いた。――共感されることへの喜びがたっぷりとその麗しい目に満ちていく。このひとは、理解者なんだと。
 おれはもう一歩踏み込む。
「――おれも、同じなんだ。さお。
 おれたちは、利害が一致している。ともに、誤解されやすい同士なんだ。なら。互いのために、恋人を演じ切るのも手ではないか? 早馬の野郎は、相手がおれなら、すっこんでくれるさ。なんせおれは、人望が厚く、容姿に恵まれた、たぐいまれなるプロジェクトリーダー、なんだからな」
 彼女は鼻を膨らませた。あ、これ、笑いをこらえてるときの顔だな。略して笑コラ。
「きみが彼氏持ちだと知れば、大概の男は諦める。きみのような美しい女の子が、心底惚れ込んだ男なら無理だと思うだろうな。しかも、相手がおれと来た。
 どうだろう。さお。
 乗るか? そるか」
 彼女の決断は早かった。が、
「痛いこととか怖いこととか、しませんよね?」
 信用がないなあ。
 ま、おれは会社じゃ強面の面作ってるし、誤解されてもま、仕方ないんだけどな。
「約束する」とおれは彼女を見据え、「きみの嫌がることだとか、怖がることなんかは、絶対に、しない。仮に今後きみにそんなことをする輩が現れたら、おれが、ぶっ叩いてやる」
「頼もしいですね。黒神さんって。ま、いまあたしフリーですし。特に好きな相手もいませんから、魅力的な話ではあるんですけど。
 職場恋愛するメリットってどこにあるんでしょう?」
「会社で、おまえのことを、守ってやれる。
 おれという彼氏が傍にいることが分かれば、早馬の野郎も、大人しくはなるさ。効果、絶大だ」
「うーん」と顎を摘まみ考える彼女におれは、
「手始めに、水曜日に、指輪を買いに行こう。揃いの指輪をつけているのを見れば、奴ら、諦めるさ」
「奴らって」
 ――どれだけ多くの人間が慕っているのかに、気づいていないのな。
 そーゆー疎いところも含めてきみは愛されている。無自覚な、おれのお姫様。
「黒神さんはいいんですか?」おれが頭をそっと押さえるのをいやがるそぶりもなく彼女は、「黒神さんだって、相手はより取り見取りじゃないですか。なんで、よりによって、わたしなんかを」
 ――きみだからいいんだ。
 きみが、いい。
 とは言えず、
「ちっこくって丸っこいからなーんか放っておけねーんだ。それに。近くできゃんきゃん吠えられてたら気になるだろ普通」
「あ……ですね」
 逆効果だったか。おれは素直に反省する。「とにかく、交渉成立ってことで、いいんだな?」
「ただ、黒神さん……」
「うん」
「もし、他に、好きなひとが出来たときは、遠慮なく、言ってくださいね? 黒神さんとわたし、別Tだから、別れても気まずくなることなんかないと思いますけど」
「分かった。必ず言う」
 その彼女の発言におれは悟る。――あーおれの気持ちなんか全然伝わってねえんだな、と。
 ともあれ、こうしておれたちの偽装職場恋愛はスタートした。

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