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09 「ふたり」の形

01 Vesta (研修)

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「カウンセリングの初歩は『傾聴』です。相手の話にまず耳を傾けるということ。自分の意見や質問を差し挟むことなく、相手の話すに任せ、真剣に聞いてください」

 スクリーンに映るスライドを眺めた。大きく「傾聴」の文字。そんなに簡単に聞けるものかな? 個人的な相談事って。まあ、普段話を聞く相手は被害者のレプリカントで、こっちから事実確認をするばかりだから、そこから話が広がるということはあまりない。

 対レプリカントのカウンセリング技術の初心者講習会だった。バルはまた別な研修を受けている。この講習は普通なら捜査官になって3年目くらいまでに受けてるんだって。

 俺が他の捜査官がやってきたことをちゃんとやりたいとバルに言ったら、バルは総務課に相談していろんな初級者講習に参加できるように話を付けてくれた。もちろん、インターンと違ってもう捜査官としての業務があるから、全部に参加できるわけじゃないけど。

「傾聴し、相手の話を簡潔にまとめてフィードバックし、問題を客観視させることで相談者の認知を促すことが重要です。
 カウンセラーの役割とは、正答を与えることではなく、相談者がその人に合った答えを見つける手伝いをすることです。
 レプリカントの人々は、オーナーに届けられてから差別に晒され、さまざまな心の傷を負わされることが多いので、カウンセリングも慎重に行う必要があります。時にはオーナーの方と二人で参加してもらうこともあります」

 レプリカントに対してのカウンセリングの講習なんて参加者は少ないだろうと思っていたけど、意外なほどに多かった。レプリカント人権保護局の関係者だけじゃなくて、産業医や一般の臨床心理士、教育機関の人なんかも参加している。どこにでもレプリカントは紛れ込んでいる社会になってきているということ。俺が捜査官をしているみたいに。

「カウンセリングで重要なことは、自分の意見を押し付けないこと。例としてあげるくらいなら構いませんが、相手の意思を誘導するようなことは避けましょう。あくまで相手の選択肢や視野を広げることが目的です。では、午前の部はここまで。午後には受講者同士で組んで頂いて、ロールプレイを行います。一時までにこの教室に戻って下さい」

 こんな風に、デスクで勉強するタイプの講義を受けたことがなかった。まだまだやったことがないことがたくさんある。半年後には司法試験も受ける。エア・ランナーの試験の時以来。

 ブリングからショートコメントを送る。「疲れた。ずっと同じ席に座って人の話を聞くのって大変だね」すぐに返信が来る。「寝てな」。

「ふふ」

 思わず笑ってしまう。バルはこんなレスポンスばっかりだ。それじゃ身に付かないんじゃない? でも資料はブリングに落とせるので、スライドをなぞったような説明なら、そんなに真剣に聞かなくても良いのかもしれない。力の入れどころがわからない。

 セミナーの会場は駅前のレンタルスペースの一室だった。10階の部屋からはオートキャリアたちが道路をネズミのように走り回っているのがよく見える。こざっぱりした、デスクが並んだ部屋。

 一階のレストランで適当にランチを取って、やることもなくてデスクに戻る。資料を眺めるとレプリカントのケーススタディが目に止まった。「デートDVの例」「周囲の差別から抑うつ状態になった例」。
 それぞれに目を通す。特にデートDVの方は、人権保護局によく通報がある。オーナーから殴られて。

 レプリカント本人は何も言わない。その状況を知った誰かヒューマンからの告発。そして大抵、本人からの話はほとんど聞けない。オーナーを庇ってしまうから。庇いたくて庇ってるんじゃない人もいる。誰にも言うなと命令されて、言いたくても言えなくなっている人……。そういう人たちからちゃんと話が聞けるようになれればいいのにな。

 午前中の講義のスライドを見返していると、ぞろぞろと参加者が戻ってきて席に着いた。講師が改めてスライドをスクリーンに映す。後半はロールプレイ? 何をするのかなあ。

「はい。それでは午後の部を開始しますね。二人組を作ってください。できるだけ知り合いとは分かれて。交代でカウンセラーと相談者の役割をして頂きます」

 ロールプレイってそういうことなんだ。演じるも何も、俺はレプリカントなんだけど……。誰と組めば?

 あたりを見回してみる。隣同士で組んでいる人が多いみたい。ぱっと右隣を見ると、一つ空いた席の向こうの人と目が合った。ブラウンの髪でグリーンの瞳の、整った顔立ちの男性。にこっと微笑まれて、反射的に俺も微笑んだ。少し印象がアラスターに似ている。

「相手決まりました? まだなら……」
「まだです。いいですか?」

 男性は自分の荷物を持って俺の隣に座り直し、エミール・ボネットと名乗った。

「はい。皆さん二人組になったようですね。では、午前中の講義を活かして、実際にカウンセリングしてみましょう。役割分担して下さい。クライアント役の人は打ち明ける悩みを考えてください、5分取ります。ケース・スタディの資料や、事例を検索して参考にして頂いて構いません」
「急に言われても思いつかないなあ」
「じゃ、私が先にクライアント役になりますか?」

 俺がそう言うと、エミール氏はお願いしますと言ってまたにこっと笑った。とても感じがいい。俺は制服で来ているけど、彼は私服だ。何をしている人なんだろうか。

「はい、ではカウンセリングを始めてください。15分取りますね」

 いざ向き合うと何を話したらいいかわからなくなる。レプリカントが持つ悩み……

 エミールさんがやわらかな雰囲気のまま話しかけてきた。

「今日のご気分はどうですか?」

 気分⁉︎  気分……

「あ、ふつう、です」
「そう。良かった。落ち込んだりとかしてませんか? 嫌なことはない?」
「落ち込んだり……はしてないです」
「でも少し表情が暗く見える。何か悩みがあるんじゃないですか? 話してみてください」

 悩み。どこかのレプリカントの、ありがちな悩み? いくらでも知ってるはずなのに、頭が真っ白になる。何か、話さないと。

「……あ、の……実は、結婚したい人がいて……でも俺、レプリカントだから……そんなこと……」

 つい、自分の本当の悩みを口にしてしまった。バルに何回も結婚しようって言ってもらったのに、どうしても踏ん切りがつかない。バルにはしばらく考えさせて欲しいと言ってある。俺が結婚したいって言い出したのに……。

「そんなこと、って?」
「だって……みんなバカにするだろ……相手が、レプリカントだと。俺、俺の好きな人が俺のせいで、なんだかんだ言われるのが嫌だ……」
「相手の人はヒューマンなのかな?」
「そう、です。俺の」

 恋人でバディでオーナー。指導者で同居人。俺の、世界の全て。

「一番大事な人」
「そうなんだね。あなたは、大好きな人が、あなたと結婚することで他人から見下されるのが嫌で、結婚できないと思ってるんだね」
「そうです」
「うーん、でもあなたの純粋な気持ちはどうかな?」
「結婚したい……バルと、家族になりたい。ちゃんと」

 ……バルが簡単には俺から離れられないように。

「結婚して家族になりたいんだね、本当は。そうするにはどうしたらいいと思う?」
「……わからない……。俺、レプリカントには変わりないもの……。レプリカントじゃなくなりたい……」

 エミールさんの左手の薬指に指輪が見えた。結婚してるんだな。いいな……ヒューマンの人は……。

 バルがドミのパーティで結婚しようって言ってくれて死ぬほど嬉しかった。でも頭が冷えてから見えてきた。何が起きるのか。俺がバルと結婚したら。俺が安易に結婚したいんだよって言った時の何倍もリアルに。そしたら、バルにとってマイナスしか無かった。俺がレプリカントじゃなかったら。俺が……

「はい、15分経ちました」

 講師がパチンと手を鳴らした。はっとする。俺、研修のロールプレイで、なんでほんとの悩みなんて話してるんだろう。恥ずかしくて顔が熱くなる。

「では、立場を逆にしてください。クライアント役の人は悩みを考えて。5分取ります」





「すごくリアルでしたね」
 研修が終わって外に出ると、エミールさんが話しかけた。まだバルは来ていなくて、冬の街はもうかなり暗くなっている。オフィス街のビルには煌々とあかりがついて、二人の影を長く歩道に落とした。息が白い。

「え?」
「あなたの悩み」
「ああ……」

 恥ずかしい。また顔が赤くなりそう。

「歩きですか? オートキャリアステーションまでかな?」
「いや、あの……迎えが来てくれるので」

 ぱっとエミールさんを見た。目が合う。暗がりに彼の両目が薄青く光っている……。

「あ? え?」
「こりゃ驚いた。あなた、本当にレプリカント?」
「エミールさんも?」
「そう! へえ……じゃ、もしかしてあの悩み……」
「恥ずかしいな。思いつかなくて……」

 ふとエミールさんの手に結婚指輪があったことを思い出した。この人はレプリカントなのに結婚しているんだ?

「……エミールさんは、ご結婚は?」
「あ。してます。ヒューマンの人と。だからね、気持ち、少しわかりましたよ。ぼく、ほんとにカウンセラーなんです。名刺を送ってもいいですか?」

 エミールさんは手にしていたブリングから俺のブリングに名刺を飛ばした。どこかのクリニック名と、エミールさんの名前がわかる。臨床心理士となっている。慌てて自分の名刺を送り返す。

「ヴェスタさんか。捜査官なんですね」
「すみません、ちゃんと名乗りもしないで」
「いや。こちらこそ突然話しかけてしまって。良かったら、相談して下さい。お気軽に。今日の相談の続きでもなんでもいいので。レプリカント同士しかわからないこともあるでしょう」

 またにこりと微笑む。プロの人だったんだ。でも、プロの人に話を聞いてもらった方がいいのかも。マリーンさんばかり付き合わせるわけにいかない。困っちゃうだろうし。ザムザはあんな感じだし。少し頭の中を整理するために。

「ヴェスタ」

 歩道の向こうに停まったオートキャリアからバルが顔を出した。

「あ。来たみたい。それじゃ」
「はい。また」

 手を振ってバルのオートキャリアに乗り込む。暖かい。

「誰? あれ」
「今日の講習会で、二人組作ってって言われた時ペアになってくれた人。カウンセラーなんだって」
「ふーん。また友達になったのか」
「や、そんなでもないよ。名刺交換したくらい」
「どうだった?」
「うーん……」

 うっかり本当の悩みを話してしまった印象が強くて、あんまり内容が入って来なかった。とっさのこととは言え……。まあいいや。改めてエミールさんからもらった名刺を見た。ログバートクリニック、臨床心理士。平日9時から18時まで、お気軽にご相談下さい……。何が専門の医院なのか書いていない。心療内科? 精神科?

「俺もカウンセリング受けてみようかなって」
する・・方の研修受けたんだろ?」
「そうだけど、どんな感じなのかなと思って」

 バルはじっと俺の目を覗き込んだ。何か言われるかなと思ったけど、何も言わなかった。
 



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