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03 トライアル (3)Vesta & Baltroy

26 Vesta (俺にだけできること)

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「あーあ。やっぱりなあ」

 バルがチェス盤をざっと押したので、クイーンとナイトの駒がカランと転がった。

「お前こういうの得意だと思ったんだよ」
「へへ」

 手解きを受けて二回目のチェスだった。面白いくらいバルは弱い。どうして? 不思議。

「普段はすごいのにどうしてゲームは弱いの?」
「すごくねーよ。次の手なんて考えてないだけ」

 待ちに待った当直の日だ。バルの女性化した体にも慣れた。ブルーの髪と膨らんだ胸。

「その体型にも慣れちゃったんじゃない?」
「もう一ヶ月だからな。でも慣れねえな。疲れやすいし、体力ないし」

 たしかにバルの手首が驚くくらい細くなった。それでも俺のより太いけど……。

「お前にならまだ腕相撲で勝てるかな?」
「やってみる? 俺だって男だよ?」
「よし。やってみな」

 バルが手を差し出した。大きな手と長い指。手を重ねて握る。

「レディ」
「ゴー!」

 ぐぐっと腕が動く。でも耐えられる。びっくり。バルがもとのバルだったら、なんの抵抗もなく負けていたと思う。

「……ま…じか」

 ………でも耐えるのがやっと。じりじり押されて、へたっと崩れた。

「痛い!」
「ごめん。ついむきになっちまった」
「違う。腕の筋肉が」

 二の腕が痛い。それにしても……。

「お前にこんなに苦戦するなんて」

 バルがこんなに弱くなるなんて。やっぱり薬の影響なのかな。

「腕、半分くらいになったもんね」
「半分はねーよ! でもやばいな。戻るといいけど」

 戻らなくてもいい。そしたら俺がバルを守ることもできるかもしれない。でも今の俺じゃ不釣り合いだな。余裕で勝てるようにならないと。

「ニヤニヤすんな」
「だって……」

 ブリングが鳴った。時間をちらっと見る。八時半。たぶんアラスター。

「ほら。定時連絡だろ。出ろよ」
「…………」

 出たくない。せっかく楽しかったのに。なんだか一気に疲れてしまった。

「出ろ」
「……だって」
「なんだよ。喧嘩でもしてんのか?」

 ブリングの音が止まる。でもきっとまたかかってくるんだ。十分後? 二十分後?

「喧嘩にはならないんだ。アラスターとは」

 そうだった。バルとは家でもここ職場でも怒鳴り合って喧嘩したのにな。懐かしい。最初の頃は酷かった。俺も本気でバルに腹を立ててたからな。何でこの人はわかってくれないんだろうって。

「でも……だからなのかな? わかんないんだよね。どうしてほしいのか」

 バルは黙ってチェス盤に駒をしまった。

「アラスターとお前は、俺とお前とは違うから。ゆっくりやりあってくしかないんじゃないか」

 段ボールのおもちゃ箱の中からチェス盤と入れ違いにトランプを取り出す。長い指がかしゃかしゃとカードを切る。とんとんと角を揃えて、親指が横腹をびっと撫でた。擦り切れたカードが波打つ。

「そうだな……お前を発注する時、一つだけ特別に頼んだ事があったな」

 バルのその指がこちらに伸ばされる。耳の横の髪を少しだけ持ち上げる。

「AIを入れないことだよ」

 何色?

「緑?」
「うん」
「AIが入ってないのが俺?」
「そう」

 どういう意味?

「反抗も喧嘩もできる」
「ふふっ」
「ほら。折り返しな。アラスターがエアランナーで乗り込んでくるぞ」

 少し勇気が出た。反抗も喧嘩もできる。コールする。ワンコールもしないうちにアラスターが出た。

「アラスター。どうかした?」
『顔が見たくなった』

 こういうことを言われると反応に困るのは相変わらず。バルなら死んでも言わない。

「バルにチェスを教えてもらったよ。二戦目で勝っちゃった」
『ついにチェスできるようになったか。じゃあ今度対戦しないとね』
「今やれば? お前のターン、俺が動かしてやるよ」

 余計なこと言わないで! と思ったけど、バルは一度片付けたチェス盤をさっさと出し直してしまった。

「アラスターの方が俺より全然強いよ」
「えー! いきなり……」
『手加減なしでいいかな? 白をどうぞ』

 先手をもらってもすぐに詰められる。何度やってもだめ。もう……

「全然だめ」
『ふふ。家でもやろうか。筋はいいと思う』
「アラスターは局内チャンピオンなんだ」
「先に言ってよ!」

 バルが楽しそうに笑った。こんなのは三人でゲームしに行って以来だった。

『じゃ、またね。当直がんばって』
「ちょっと寝ていいか? 眠くて」

 珍しくバルが言った。初めてだった。本当に疲れやすいんだ。女の人ってみんなこうなの? 薬のせい? いつのまにか十一時になっていた。

「いいよ」

 ベッドで眠れないバルはデスクに突っ伏して目を閉じた。明かりを消す。ブリングの光だけ。でも俺には全部見える。バルに少しでもちゃんと眠ってほしい。毛布は掛けても大丈夫なのかな。わからない。俺の上着を肩に掛ける。

「……アラスターの匂いがする」

 バルが目を瞑ったまま言った。

「あ……ごめん。掛けない方がいい?」
「いや。ありがとう。こんな暗闇でも見えるのか」
「見えるよ。もっと光源がなくても見えるかな。本当の暗闇だとだめだけど……眠って」

 いつもと立場が逆だね。バルが寝ろって言って、俺がなかなか寝なくて。バルもこんな気持ちで寝ろって言ってたのかな。

「休んで」

 バルの肩が規則的に上下を始めた。サーモで見ると普段は人より高い体温が少し下がっている。眠ったみたい。

 しばらく黙って隣でバルを見ていた。そして気がついた。

 俺はただバルがそこにいてくれればそれでいいんだ。

 バルに願うことは何もない。俺のことを好きになるかどうかさえも、バルの好きにしてくれたらいいと思う。バルには何も求めない。どんな姿でもいい。オーナーじゃなくてもいい。その姿を見、声を聞くことさえできれば。



 バルは俺の、世界そのもの。
 







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