渚のデリカッセン(5/26更新)

狂言巡

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カレーライス【準備中】

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おにぃさんは包丁を使うん苦手ですねぇ」

 渚が鬼無の手元を覗き込んで言った。洗い終わったジャガ芋の一つを剥いたところだった。形の不揃いな芋だったので皮が剥き辛く、確かに分厚く切り落としてしまった部分がある事は否めない。

「全然ピーラー使って下さい。野菜が可哀想ですわ」
「へぇい」

 抽斗から取り出したセラミック製のピーラーを手渡され、またシンクに向き直る。皮がシンクにポトポト落ちていく。皮もそうだが、芽を取るのが苦手だ。だが念入りにしないと地獄とコンニチハ不可避である。隣では渚が玉葱をしっかり炒めている。
 引っ越しの荷解きが粗方終わり、さて夕飯はどうしようかとなった時「まあ簡単に作れるのはカレーだよな」と呟いたのは扇だ。「そーですね」と渚も同意して、まだ開けていなかった段ボールからジャガ芋を取り出した。箱で実家から届いていたのをそのまま運んできたらしい。玉葱と人参も出てきた。ただし結局カレールーと肉だけを買いに出かける事になった。それだったらついでに総菜を買っても良かったと思わないでもなかったが、同居して初めての食事が協力して作った献立メニューだなんて、いかにもらしくて黙っていた。

「あ、」

 扇が人参を手に取った時、渚が何かに気付いて声を上げた。

「鬼ぃさんって、左利きなんですね」

 右手に人参を、左手にピーラーを持っている。何か考え事をしていたり、無意識だとこうなるのだ。

「そうだよ」
「お箸は右手で持ってはるさけ、今気付きましたわ」
「箸と文房具と包丁は右手だな。矯正したんだよ」

 させられたという方が正しいか。口酸っぱく注意してきた母親の声を思い出す。

「ふうん」

 渚は再び玉葱を炒める作業に戻った。あまり興味は続かなかったらしい。悪い人ではないが、とかく厳しい人だった。少しでも左手を使おうとすると「こら」と咎め、左手の甲をぴしゃりと叩いた。息子が小学生になる前にシングルマザーとなり実家を頼れない生真面目な母は常に気を張っていたのだろう「扇、扇」とよく叱った。

「渚ちゃ~ん」
「はぁい」
「俺の名前、扇って言うんだけど」
「知ってますけど」

 渚は指先で空中に『扇』と書いた。羽の部分が豪快に跳ねている。

「何ですか急に」
「いんや、何でも」

 どんどん茶色になっていく玉葱の匂いが濃くなっていく。背伸びして換気扇のボタンを押した渚は少し笑って、「人参切って下さいね、鬼ぃさん」と止まっていた手を咎めた。
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