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スイーツ2
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東校舎と西校舎を繋ぐ渡り廊下が翳ってきた。蜜柑色の床が色味を増した夕陽で、炒めたタマネギのような色になっていく。
床と天井を支えるために廊下の両端に整然と並ぶ、細目の六角形の柱。その一つに、桃華はぐったりと背中をつけて座り込んだ。彼女のすぐ隣に、鍛吾も屈みこむ。渡り廊下は、左右窓張りの構造である。彼の背後では、鏡のように磨かれた透明な窓にシャツと黒髪がぼやけて映っていた。
「どこか悪いんですか?」
鍛吾が桃華の頭を撫でてやると、まっすぐに伸び揃っている横髪が幽かに揺れる。その大きな手に包み込まれて、桃華は伏せていた顔を緩慢に少し上げた。
「なんか……あたま、痛いの」
垂れ下がった目尻と細い眉。小さな口から漏れる深いため息。蟀谷を覆う手は、いつもの賑やかさをもっていない。鍛吾はそれ以上聞かず、よしよしとそのまま頭を撫でる。傍から見れば、二人の姿はまるで親がぐずりかけている子供をあやしているようなものだった。その証拠に、廊下を通り過ぎる数人が、クスクス笑いながら二人を視界に入れていく。
「桃華。目をつぶって、あーんってしてみて下さい」
鍛吾の唐突な指示に、桃華は大きく瞬きして訝しそうに首をかしげた。数秒間じっと隣の恋人をみつめていたが、首肯すると同時に碧眼を伏せる。顎と頭を動かした振動でまた鈍い痛みがやってきたのか、口を開けたまま眉をひそめていた。
桃華が瞼を閉じたを確認して、鍛吾は胸ポケットから細長い包みを取り出した。それは、キャンディのように両端がねじられたオレンジ色のセロファン。セロファンの擦れる音が響き、桃華はその反応してまた眉間に皺を寄せた。さっきより深い刻みは、眉間にうっすらと影を落とす。その上から、鍛吾の手が影を作る。
「はい、どーぞ」
桃華の小さな口の中に、鍛吾は何かを放り入れた。錠剤のような形をしたそれは、桃色の舌の上に置かれ、次第に溶けはじめる。桃華がこくんと咽喉を鳴らす。
「あまずっぱい……オレンジ?」
口内とこめかみのこわばりがとれたような感覚に、思わず桃華はパチリと目を見開いた。
「痛いの、スーッと消えていくでしょう?」
まだ視界が定まらない桃華の前で、鍛吾は嬉しそうに微笑んでいた。
ラムネが完全に溶けてから、桃華はこめかみに手を添えて人差し指と中指に力を込めてみる。
「……あ、ほんとだ」
オレンジの吐息が吐き出され、明るい緑がようやく輝き出す。朝から続いていた嫌な痛みは、すっかり消えうせたようだ。
「ねえねえ! 今のなあに?」
「それは秘密です……なんて、これですよこれ」
軽く握った左手を差し出して、細長い指を順に開いた。
現われたのは、オレンジと白の横じまのセロファン紙。更にその上には、ごく薄いオレンジのラムネ菓子が横一列に置かれていた。開いた時の衝撃のせいか、ラムネの細やかな欠片がところどころ鍛吾の掌にくっついている。
「昔懐かし、セロ巻きラムネでーす」
「せろまき? なあにそれ」
「あぁ、この辺りに駄菓子屋ありませんからね」
そう言って、鍛吾はラムネを一つつまんだ。だが、さっきまで手の中に隠されていたせいなのか。つまんだラムネは鍛吾の指の間でぼろぼろと崩れて、膝の上に落ちてしまう。粉になってしまったラムネを床に払って、橙色の床に同化させた。
セロ巻きラムネは、鍛吾の実家から大量に送られてきたものらしい。何でも、親戚の駄菓子屋の主人が店を閉めるそうで、店の商品を子どもが居る家庭に配っているのだとか。
そんな彼の話を聞いている間も、桃華は一つずつラムネを口に含んでは、その甘酸っぱさを堪能していた。
「小さい頃にね……私が頭が痛いと言ったら、母さんがよくこれを私の口に放りこんでくたんですよね」
「へえ……」
いつしか桃華はラムネを全て食べ切って、鍛吾の掌には横じまのセロファンだけが残った。桃華はそれも手にとって、窓に押し付けるように透かしてみる。すると、廊下のうっすらと縞模様の影が映し出される。
「そうしたら、自然と頭痛がどっかに行っちゃったんですよねー。あと、ちょっと嫌なことがあってもこれで結構マシになりましたし」
鍛吾はそう言いながら、四角い影の辺りを人差し指でなぞる。裏返した指の腹は、埃で黒く煤けていた。
桃華は膝を押えていた両腕を込め、その反動で立ち上がって渡り廊下の窓に手をついた。
窓の下を見下ろすと、野球部員達がランニングしている姿が見えた。泥で汚れたユニフォムの背番号が見えなくなるまで見送って、桃華は鍛吾に話しかける。
「たっくんのママってどんな人?」
彼に関して、桃華の知らないことはまだまだあるのだ。『知らないこと』に対する焦燥を、少なからず感じたのだろう。好きな人のことなら何でも知っておきたいという固定概念に、桃華は時たま押し潰されそうになる。
うつむいてまた黙ってしまった桃華に、鍛吾は何か察したのか。微かに笑いながら立ち上がり、桃華の隣に立って彼女の頭に手を乗せた。
「今度紹介しますよ」
窓の外の景色にかじりつくように視線を向けていた桃華は、彼の言葉に条件反射のように振り返った。
「何たって、君のもう一人のママになる人かもしれませんからね?」
急に真面目な顔をして、突拍子もないことを言ってきた癖毛で長身の恋人。桃華は、丸く開いた口が閉まらないようだ。何度もまばたきして、真顔からしてやったりの表情になる鍛吾の顔を見つめていた。どれだけ見つめても何も言ってこない鍛吾に、桃華はふき出し、声を立てて笑った。
「ちょいと。笑うところではないでしょうに」
「あははは……ごめんっ……!」
桃華は鍛吾の肩を軽く叩いて、引っ張った。
「でも、あたしは……そういうことさらっと言っちゃうたっくんが大好きだよ?」
「私は、いつも隣でそうやって笑ってくれる桃華、君が好きですよ」
鍛吾は少し膝を折り曲げて、桃華の目線にあわせる。そして、彼女の髪の線に沿って掌を滑らせた。
「だから、ずっと私の隣で笑っていて欲しいんです」
「あたしも、ずっとたっくんの隣でお話したいよ」
触れた唇は、ラムネの味。いつまでも褪せることのない、甘酸っぱい恋の味。
床と天井を支えるために廊下の両端に整然と並ぶ、細目の六角形の柱。その一つに、桃華はぐったりと背中をつけて座り込んだ。彼女のすぐ隣に、鍛吾も屈みこむ。渡り廊下は、左右窓張りの構造である。彼の背後では、鏡のように磨かれた透明な窓にシャツと黒髪がぼやけて映っていた。
「どこか悪いんですか?」
鍛吾が桃華の頭を撫でてやると、まっすぐに伸び揃っている横髪が幽かに揺れる。その大きな手に包み込まれて、桃華は伏せていた顔を緩慢に少し上げた。
「なんか……あたま、痛いの」
垂れ下がった目尻と細い眉。小さな口から漏れる深いため息。蟀谷を覆う手は、いつもの賑やかさをもっていない。鍛吾はそれ以上聞かず、よしよしとそのまま頭を撫でる。傍から見れば、二人の姿はまるで親がぐずりかけている子供をあやしているようなものだった。その証拠に、廊下を通り過ぎる数人が、クスクス笑いながら二人を視界に入れていく。
「桃華。目をつぶって、あーんってしてみて下さい」
鍛吾の唐突な指示に、桃華は大きく瞬きして訝しそうに首をかしげた。数秒間じっと隣の恋人をみつめていたが、首肯すると同時に碧眼を伏せる。顎と頭を動かした振動でまた鈍い痛みがやってきたのか、口を開けたまま眉をひそめていた。
桃華が瞼を閉じたを確認して、鍛吾は胸ポケットから細長い包みを取り出した。それは、キャンディのように両端がねじられたオレンジ色のセロファン。セロファンの擦れる音が響き、桃華はその反応してまた眉間に皺を寄せた。さっきより深い刻みは、眉間にうっすらと影を落とす。その上から、鍛吾の手が影を作る。
「はい、どーぞ」
桃華の小さな口の中に、鍛吾は何かを放り入れた。錠剤のような形をしたそれは、桃色の舌の上に置かれ、次第に溶けはじめる。桃華がこくんと咽喉を鳴らす。
「あまずっぱい……オレンジ?」
口内とこめかみのこわばりがとれたような感覚に、思わず桃華はパチリと目を見開いた。
「痛いの、スーッと消えていくでしょう?」
まだ視界が定まらない桃華の前で、鍛吾は嬉しそうに微笑んでいた。
ラムネが完全に溶けてから、桃華はこめかみに手を添えて人差し指と中指に力を込めてみる。
「……あ、ほんとだ」
オレンジの吐息が吐き出され、明るい緑がようやく輝き出す。朝から続いていた嫌な痛みは、すっかり消えうせたようだ。
「ねえねえ! 今のなあに?」
「それは秘密です……なんて、これですよこれ」
軽く握った左手を差し出して、細長い指を順に開いた。
現われたのは、オレンジと白の横じまのセロファン紙。更にその上には、ごく薄いオレンジのラムネ菓子が横一列に置かれていた。開いた時の衝撃のせいか、ラムネの細やかな欠片がところどころ鍛吾の掌にくっついている。
「昔懐かし、セロ巻きラムネでーす」
「せろまき? なあにそれ」
「あぁ、この辺りに駄菓子屋ありませんからね」
そう言って、鍛吾はラムネを一つつまんだ。だが、さっきまで手の中に隠されていたせいなのか。つまんだラムネは鍛吾の指の間でぼろぼろと崩れて、膝の上に落ちてしまう。粉になってしまったラムネを床に払って、橙色の床に同化させた。
セロ巻きラムネは、鍛吾の実家から大量に送られてきたものらしい。何でも、親戚の駄菓子屋の主人が店を閉めるそうで、店の商品を子どもが居る家庭に配っているのだとか。
そんな彼の話を聞いている間も、桃華は一つずつラムネを口に含んでは、その甘酸っぱさを堪能していた。
「小さい頃にね……私が頭が痛いと言ったら、母さんがよくこれを私の口に放りこんでくたんですよね」
「へえ……」
いつしか桃華はラムネを全て食べ切って、鍛吾の掌には横じまのセロファンだけが残った。桃華はそれも手にとって、窓に押し付けるように透かしてみる。すると、廊下のうっすらと縞模様の影が映し出される。
「そうしたら、自然と頭痛がどっかに行っちゃったんですよねー。あと、ちょっと嫌なことがあってもこれで結構マシになりましたし」
鍛吾はそう言いながら、四角い影の辺りを人差し指でなぞる。裏返した指の腹は、埃で黒く煤けていた。
桃華は膝を押えていた両腕を込め、その反動で立ち上がって渡り廊下の窓に手をついた。
窓の下を見下ろすと、野球部員達がランニングしている姿が見えた。泥で汚れたユニフォムの背番号が見えなくなるまで見送って、桃華は鍛吾に話しかける。
「たっくんのママってどんな人?」
彼に関して、桃華の知らないことはまだまだあるのだ。『知らないこと』に対する焦燥を、少なからず感じたのだろう。好きな人のことなら何でも知っておきたいという固定概念に、桃華は時たま押し潰されそうになる。
うつむいてまた黙ってしまった桃華に、鍛吾は何か察したのか。微かに笑いながら立ち上がり、桃華の隣に立って彼女の頭に手を乗せた。
「今度紹介しますよ」
窓の外の景色にかじりつくように視線を向けていた桃華は、彼の言葉に条件反射のように振り返った。
「何たって、君のもう一人のママになる人かもしれませんからね?」
急に真面目な顔をして、突拍子もないことを言ってきた癖毛で長身の恋人。桃華は、丸く開いた口が閉まらないようだ。何度もまばたきして、真顔からしてやったりの表情になる鍛吾の顔を見つめていた。どれだけ見つめても何も言ってこない鍛吾に、桃華はふき出し、声を立てて笑った。
「ちょいと。笑うところではないでしょうに」
「あははは……ごめんっ……!」
桃華は鍛吾の肩を軽く叩いて、引っ張った。
「でも、あたしは……そういうことさらっと言っちゃうたっくんが大好きだよ?」
「私は、いつも隣でそうやって笑ってくれる桃華、君が好きですよ」
鍛吾は少し膝を折り曲げて、桃華の目線にあわせる。そして、彼女の髪の線に沿って掌を滑らせた。
「だから、ずっと私の隣で笑っていて欲しいんです」
「あたしも、ずっとたっくんの隣でお話したいよ」
触れた唇は、ラムネの味。いつまでも褪せることのない、甘酸っぱい恋の味。
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