8 / 40
7-忘却薬
しおりを挟む
王子エリンギルとリリアーデ伯爵令嬢の真実の愛は、学園入学と共に瞬く間に広がった。
同時に、幼い頃に婚約者として番として王宮に上がり、二人を引き裂いた悪女としてエデュラの噂もまた広がったのである。
良識ある生徒や幼い頃からの友人達は、それでも不遜な態度を取ることはしなかったのだが、大多数はその噂に惑わされた。
相手が侯爵令嬢なので、嫌がらせなどはなくても、陰口や嘲笑は止まることを知らない。
言い返したところで、王子へと伝わればエデュラの瑕疵になるだろう。
入学時に帝国から来た人間、焦げ茶色の髪に琥珀色の瞳の眼鏡の男爵令息ランベルトは、同級生のエデュラを気遣うように幾度となく声をかけてきた。
「大丈夫ですか?」
「……何が、でございましょう?」
エデュラの毅然とした態度と気丈な返事に、ランベルトは苦笑を浮かべる。
「いいえ、ただの噂話です」
「そうでございますわね。……わたくしから身を退ければ宜しいのですけれど」
俯いて言った一言に、ランベルトは目を見張った。
「いけないのですか?」
「国王陛下と王妃殿下のお許しが出ません事には、仕方がありません。それに、わたくしにも思い切れない気持ちがまだございます。……他の方々から見れば、馬鹿みたいに思われるでしょうね」
自嘲の笑みと彼女の言葉を耳にすれば、良識ある者なら事情を察することは出来る。
彼女の数少ない友人も、護衛騎士も。
否定しようと口を開いたランベルトは、何か言いかけて口を噤んだ。
口にしても仕方ないこともある。
だが。
「番を勘違いするって嫌ですわね」
「身分を愛したのでしょうけど」
くすくすと笑いながら投げつけられる言葉は、誰が誰とは言わない以上、分かっていても咎める事も出来ない。
ランベルトは厳しい目線を向け、その視線に気づいた女性たちはびくりと肩を跳ねさせて足早に逃げていく。
羽虫を追い払う程度にしか力になれない事を歯噛みしながら、ランベルトは静かに聞いた。
「その、気持ちを忘れる事が出来るとしたら?」
「………え?」
エデュラがランベルトから聞いた話は、番への愛を忘れさせるという「忘却薬」の存在だ。
竜人族が治めるこの国には存在しないが、外界では流通が有る。
何故そんな物があるかといえば、獣人族の多い国で番を巡る争いが発端で、内乱にまで発展したせいらしい。
ある王国で、王妃の番が、国王から王妃を奪おうとして争いを仕掛けた。
王妃の家門も王妃本人ですら番の為に動いたのだから、国王の立場は無い。
内乱が続いたものの、最終的には王妃と番の処刑で事は収まった。
だが、そこまで戦が長引いた原因は、獣人達の考え方に根差した番の在り方にある。
運命で結ばれた恋人達を応援しようという、機運のようなものがあったのだ。
番と出会えるのは稀で、だからこそ尊いという一方で、愛する者に裏切られた人々の心の傷もまた深い。
そこで出来上がったのが「忘却薬」だ。
手に入れたら飲まないかと問われて、エデュラは答えに窮した。
もう、諦めているのに、それでも手放すのが怖いと感じてしまうのだ。
くだらない見栄だろうか?
それとも惰性だろうか?
優しい思い出に縋りながら、上から塗り重ねられた冷たい現実を思えば、心はどうしようもなく痛むのに。
「多分、わたくしは飲めません」
「何故」
「わたくしが、わたくしでなくなってしまいそうなのです。それが、怖い」
それは正直な気持ちだった。
自分の半生を形作ってきたものが、突然消えてしまうとしたら?
痛みはなくなっても、喪失感は消えないだろう。
そして、根底から自分を揺るがされることは、耐えがたい恐怖だった。
同時に、幼い頃に婚約者として番として王宮に上がり、二人を引き裂いた悪女としてエデュラの噂もまた広がったのである。
良識ある生徒や幼い頃からの友人達は、それでも不遜な態度を取ることはしなかったのだが、大多数はその噂に惑わされた。
相手が侯爵令嬢なので、嫌がらせなどはなくても、陰口や嘲笑は止まることを知らない。
言い返したところで、王子へと伝わればエデュラの瑕疵になるだろう。
入学時に帝国から来た人間、焦げ茶色の髪に琥珀色の瞳の眼鏡の男爵令息ランベルトは、同級生のエデュラを気遣うように幾度となく声をかけてきた。
「大丈夫ですか?」
「……何が、でございましょう?」
エデュラの毅然とした態度と気丈な返事に、ランベルトは苦笑を浮かべる。
「いいえ、ただの噂話です」
「そうでございますわね。……わたくしから身を退ければ宜しいのですけれど」
俯いて言った一言に、ランベルトは目を見張った。
「いけないのですか?」
「国王陛下と王妃殿下のお許しが出ません事には、仕方がありません。それに、わたくしにも思い切れない気持ちがまだございます。……他の方々から見れば、馬鹿みたいに思われるでしょうね」
自嘲の笑みと彼女の言葉を耳にすれば、良識ある者なら事情を察することは出来る。
彼女の数少ない友人も、護衛騎士も。
否定しようと口を開いたランベルトは、何か言いかけて口を噤んだ。
口にしても仕方ないこともある。
だが。
「番を勘違いするって嫌ですわね」
「身分を愛したのでしょうけど」
くすくすと笑いながら投げつけられる言葉は、誰が誰とは言わない以上、分かっていても咎める事も出来ない。
ランベルトは厳しい目線を向け、その視線に気づいた女性たちはびくりと肩を跳ねさせて足早に逃げていく。
羽虫を追い払う程度にしか力になれない事を歯噛みしながら、ランベルトは静かに聞いた。
「その、気持ちを忘れる事が出来るとしたら?」
「………え?」
エデュラがランベルトから聞いた話は、番への愛を忘れさせるという「忘却薬」の存在だ。
竜人族が治めるこの国には存在しないが、外界では流通が有る。
何故そんな物があるかといえば、獣人族の多い国で番を巡る争いが発端で、内乱にまで発展したせいらしい。
ある王国で、王妃の番が、国王から王妃を奪おうとして争いを仕掛けた。
王妃の家門も王妃本人ですら番の為に動いたのだから、国王の立場は無い。
内乱が続いたものの、最終的には王妃と番の処刑で事は収まった。
だが、そこまで戦が長引いた原因は、獣人達の考え方に根差した番の在り方にある。
運命で結ばれた恋人達を応援しようという、機運のようなものがあったのだ。
番と出会えるのは稀で、だからこそ尊いという一方で、愛する者に裏切られた人々の心の傷もまた深い。
そこで出来上がったのが「忘却薬」だ。
手に入れたら飲まないかと問われて、エデュラは答えに窮した。
もう、諦めているのに、それでも手放すのが怖いと感じてしまうのだ。
くだらない見栄だろうか?
それとも惰性だろうか?
優しい思い出に縋りながら、上から塗り重ねられた冷たい現実を思えば、心はどうしようもなく痛むのに。
「多分、わたくしは飲めません」
「何故」
「わたくしが、わたくしでなくなってしまいそうなのです。それが、怖い」
それは正直な気持ちだった。
自分の半生を形作ってきたものが、突然消えてしまうとしたら?
痛みはなくなっても、喪失感は消えないだろう。
そして、根底から自分を揺るがされることは、耐えがたい恐怖だった。
1,126
お気に入りに追加
2,254
あなたにおすすめの小説
【完結】今世も裏切られるのはごめんなので、最愛のあなたはもう要らない
曽根原ツタ
恋愛
隣国との戦時中に国王が病死し、王位継承権を持つ男子がひとりもいなかったため、若い王女エトワールは女王となった。だが──
「俺は彼女を愛している。彼女は俺の子を身篭った」
戦場から帰還した愛する夫の隣には、別の女性が立っていた。さらに彼は、王座を奪うために女王暗殺を企てる。
そして。夫に剣で胸を貫かれて死んだエトワールが次に目が覚めたとき、彼と出会った日に戻っていて……?
──二度目の人生、私を裏切ったあなたを絶対に愛しません。
★小説家になろうさまでも公開中
忌むべき番
藍田ひびき
恋愛
「メルヴィ・ハハリ。お前との婚姻は無効とし、国外追放に処す。その忌まわしい姿を、二度と俺に見せるな」
メルヴィはザブァヒワ皇国の皇太子ヴァルラムの番だと告げられ、強引に彼の後宮へ入れられた。しかしヴァルラムは他の妃のもとへ通うばかり。さらに、真の番が見つかったからとメルヴィへ追放を言い渡す。
彼は知らなかった。それこそがメルヴィの望みだということを――。
※ 8/4 誤字修正しました。
※ なろうにも投稿しています。
愛することをやめたら、怒る必要もなくなりました。今さら私を愛する振りなんて、していただかなくても大丈夫です。
石河 翠
恋愛
貴族令嬢でありながら、家族に虐げられて育ったアイビー。彼女は社交界でも人気者の恋多き侯爵エリックに望まれて、彼の妻となった。
ひとなみに愛される生活を夢見たものの、彼が欲していたのは、夫に従順で、家の中を取り仕切る女主人のみ。先妻の子どもと仲良くできない彼女をエリックは疎み、なじる。
それでもエリックを愛し、結婚生活にしがみついていたアイビーだが、彼の子どもに言われたたった一言で心が折れてしまう。ところが、愛することを止めてしまえばその生活は以前よりも穏やかで心地いいものになっていて……。
愛することをやめた途端に愛を囁くようになったヒーローと、その愛をやんわりと拒むヒロインのお話。
この作品は他サイトにも投稿しております。
扉絵は、写真ACよりチョコラテさまの作品(写真ID 179331)をお借りしております。
【完結】え、別れましょう?
須木 水夏
恋愛
「実は他に好きな人が出来て」
「は?え?別れましょう?」
何言ってんだこいつ、とアリエットは目を瞬かせながらも。まあこちらも好きな訳では無いし都合がいいわ、と長年の婚約者(腐れ縁)だったディオルにお別れを申し出た。
ところがその出来事の裏側にはある双子が絡んでいて…?
だる絡みをしてくる美しい双子の兄妹(?)と、のんびりかつ冷静なアリエットのお話。
※毎度ですが空想であり、架空のお話です。史実に全く関係ありません。
ヨーロッパの雰囲気出してますが、別物です。
拝啓、許婚様。私は貴方のことが大嫌いでした
結城芙由奈@12/27電子書籍配信
恋愛
【ある日僕の元に許婚から恋文ではなく、婚約破棄の手紙が届けられた】
僕には子供の頃から決められている許婚がいた。けれどお互い特に相手のことが好きと言うわけでもなく、月に2度の『デート』と言う名目の顔合わせをするだけの間柄だった。そんなある日僕の元に許婚から手紙が届いた。そこに記されていた内容は婚約破棄を告げる内容だった。あまりにも理不尽な内容に不服を抱いた僕は、逆に彼女を遣り込める計画を立てて許婚の元へ向かった――。
※他サイトでも投稿中
寡黙な貴方は今も彼女を想う
MOMO-tank
恋愛
婚約者以外の女性に夢中になり、婚約者を蔑ろにしたうえ婚約破棄した。
ーーそんな過去を持つ私の旦那様は、今もなお後悔し続け、元婚約者を想っている。
シドニーは王宮で側妃付きの侍女として働く18歳の子爵令嬢。見た目が色っぽいシドニーは文官にしつこくされているところを眼光鋭い年上の騎士に助けられる。その男性とは辺境で騎士として12年、数々の武勲をあげ一代限りの男爵位を授かったクライブ・ノックスだった。二人はこの時を境に会えば挨拶を交わすようになり、いつしか婚約話が持ち上がり結婚する。
言葉少ないながらも彼の優しさに幸せを感じていたある日、クライブの元婚約者で現在は未亡人となった美しく儚げなステラ・コンウォール前伯爵夫人と夜会で再会する。
※設定はゆるいです。
※溺愛タグ追加しました。
結婚記念日をスルーされたので、離婚しても良いですか?
秋月一花
恋愛
本日、結婚記念日を迎えた。三周年のお祝いに、料理長が腕を振るってくれた。私は夫であるマハロを待っていた。……いつまで経っても帰ってこない、彼を。
……結婚記念日を過ぎてから帰って来た彼は、私との結婚記念日を覚えていないようだった。身体が弱いという幼馴染の見舞いに行って、そのまま食事をして戻って来たみたいだ。
彼と結婚してからずっとそう。私がデートをしてみたい、と言えば了承してくれるものの、当日幼馴染の女性が体調を崩して「後で埋め合わせするから」と彼女の元へ向かってしまう。埋め合わせなんて、この三年一度もされたことがありませんが?
もう我慢の限界というものです。
「離婚してください」
「一体何を言っているんだ、君は……そんなこと、出来るはずないだろう?」
白い結婚のため、可能ですよ? 知らないのですか?
あなたと離婚して、私は第二の人生を歩みます。
※カクヨム様にも投稿しています。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる