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10.宮廷魔術師長の息子、アンブロワーズの仕事
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宮廷魔術師長、バルテレミーは面倒臭そうに薬を調合する息子を眺めていた。
息子、アンブロワーズが調合し終えた薬を飲むと、赤かった髪が緑へと変化する。
「で?どうだった?」
「アリス・ピロウは魅了の魔法は使ってねえし、俺の事も認識できてねえ」
その答えを聞いて、バルテレミーはふむ、と頷いた。
ここは家であり、王城の庭の中にある建物だ。
有事の際に駆けつけられるよう、代々の宮廷魔術師は城に住まっているのである。
「認識阻害を使っていたのか?」
「いいや。取り巻きに扮するときは髪の色を青に変えて、眼鏡をかけていただけ。教室ではさっきみたいに赤い髪で過ごしてた。鋭い奴は取り巻きが居る時は俺がいない、って事に気づいたかもしれねえけど、適当に授業は抜けてたから、どうだろうな?二人とも居ないって時間もまあまあ多かったから」
ふああ、と欠伸をするアンブロワーズを見て、父は目を和ませた。
「よくやった。調査書は今日の分の報告を以って終了だ」
「へいへい。でも明日で。あの女に付きまとわれて疲れたからさぁ」
アンブロワーズは教室で、ねぇねぇと甘ったるい声で何度も縋りつくように声をかけて来た少女を思い出して、ぶるっと身震いした。
何故、あんな話の通じない女がいいのか、さっぱり分からん。
報告を明日に回そうとしたアンブロワーズに、父が溜息を吐く。
「いや、今日中に終わらせてしまえ。忘れぬ内に書いておかないと、何度もその嫌な思いを反芻する羽目になるぞ」
「うぇぇ」
言われてみれば、納得できる言葉で、アンブロワーズは渋々机に向かった。
アリス・ピロウは王太子レンダーと、その婚約者のオリゼーが入学した歳に学園に入った男爵令嬢だ。
一ヶ月もする頃には、王族のレンダーと大商会の息子マーティン、騎士団長の息子グラッドがその周囲に侍りだした。
その手際の良さに、一番初めに調査をし出したのはオリゼーだ。
他国の間者ではない、と確認すると、オリゼーは注意をする事も無くそれを放置したのである。
元々評判の悪い男爵が、使用人に手をつけて生まれた子供がアリスだ。
妻の悋気に触れて、市井へと追い出されたものの、男爵と妻の間に子供が生まれる事は無く、妻は事故で死んでしまった。
そこで男爵はアリスを男爵家に呼び戻し、アリスの母を後妻としたのである。
こういう話を聞くと、嫉妬深い妻が悪いかのように言われるが、悪いのは浮気をした男爵だ。
しかも誘ったのが使用人の方だったとすれば、余計に始末が悪い。
アリスの性質は、母から譲り受けたものだったのかもしれない。
貴族の女性は淑女としてあるべき姿や、己が使命をきちんと心得ている。
誰かに甘えてやってもらおう、という精神ではない。
品格を備え、教養高く、優雅に慎ましやかに振舞うのだ。
多くの貴族男性はそんな淑女を求めるし、大事に扱うだろう。
でも、稀にいる「褒められたい男」「頼りにされたい男」は自立した淑女を好まない。
妻としてはいいだろう。
色々な問題を自力で片付けるのだから、手間はかからない。
だが、矮小な人間ほど自分を褒め讃える相手に気分が良くなって、自分を価値ある人間のように思い込む。
そこで現実との齟齬が生まれると、負の連鎖の完成だ。
婚約者や親兄弟の言う正論は、自分を過小評価するもので、聞くに値しないとばかりに無視をする。
逆に甘言を捧げる人間に、依存して離れられなくなるのだ。
少なくとも、アリス・ピロウは甘く居心地の良くなる言葉を並べ、甘えているだけで、魔法や薬は使っていない。
中庭であった、ある日の茶番をアンブロワーズは思い出す。
「やだぁ……全然、開きません……」
「どれ、貸してご覧」
バスケットに詰めたパンと一緒に入っていたジャム瓶を開けようとしてぷるぷるしていたアリスから、レンダーは瓶を受け取るといとも簡単に開けてみせた。
「わ!すごぉい!レンダー様は力がお強いのですね。男らしくてかっこいいですぅ」
「いや、アリスがか弱いだけだろう。困った事があったら何でも言うがいい」
「はい、レンダー様。レンダー様はお強いだけじゃなく、お優しいですね」
何その茶番。
アンブロワーズは鼻高々なレンダーと持ち上げるアリスと、か弱くて可愛いアリスを褒め称える取り巻きを生温く見守っていた。
中庭ではこういうよく分からないけど、か弱い自分演出と強くてかっこいい皆様、という茶番が繰り返されていたのだ。
褒められた事がない、若しくは優秀な誰かと比べられている人間や、もっと褒められたいという承認欲求の強い人間は割りとあっさりとこの手の女に引っかかるのかもしれない。
この中庭茶番劇場が有名になり、人々の口に上り始めたのは半年ほど経ってからだろうか。
既にその頃には公爵家の令息カミーユと宰相の息子エルリックまでも仲間入りしていた。
同じ時期に、アンブロワーズもひっそりと仲間に入って、観察を続けていたのである。
魔法や薬が疑われるようになったので、派遣されたのだ。
正直、面倒臭かった。
だが、国の根幹を揺るがす大事件になりかねないこの事態に、国王と宰相と法務大臣のオルブライト公が動いたのだ。
そして、運命を分かつ中庭での婚約解消事件。
オリゼーの行動によって、アンブロワーズの調査もやっと、終わりを迎えた。
いつまでこれ続けなきゃならんの?
何でこんなくだらない見世物見てなきゃいけないの?
アンブロワーズは辟易していたのである。
しかし、明日からは自由だ。
大きく伸びをして、アンブロワーズは書き上げた報告の入った調査書を、父の机の上へと載せるのだった。
息子、アンブロワーズが調合し終えた薬を飲むと、赤かった髪が緑へと変化する。
「で?どうだった?」
「アリス・ピロウは魅了の魔法は使ってねえし、俺の事も認識できてねえ」
その答えを聞いて、バルテレミーはふむ、と頷いた。
ここは家であり、王城の庭の中にある建物だ。
有事の際に駆けつけられるよう、代々の宮廷魔術師は城に住まっているのである。
「認識阻害を使っていたのか?」
「いいや。取り巻きに扮するときは髪の色を青に変えて、眼鏡をかけていただけ。教室ではさっきみたいに赤い髪で過ごしてた。鋭い奴は取り巻きが居る時は俺がいない、って事に気づいたかもしれねえけど、適当に授業は抜けてたから、どうだろうな?二人とも居ないって時間もまあまあ多かったから」
ふああ、と欠伸をするアンブロワーズを見て、父は目を和ませた。
「よくやった。調査書は今日の分の報告を以って終了だ」
「へいへい。でも明日で。あの女に付きまとわれて疲れたからさぁ」
アンブロワーズは教室で、ねぇねぇと甘ったるい声で何度も縋りつくように声をかけて来た少女を思い出して、ぶるっと身震いした。
何故、あんな話の通じない女がいいのか、さっぱり分からん。
報告を明日に回そうとしたアンブロワーズに、父が溜息を吐く。
「いや、今日中に終わらせてしまえ。忘れぬ内に書いておかないと、何度もその嫌な思いを反芻する羽目になるぞ」
「うぇぇ」
言われてみれば、納得できる言葉で、アンブロワーズは渋々机に向かった。
アリス・ピロウは王太子レンダーと、その婚約者のオリゼーが入学した歳に学園に入った男爵令嬢だ。
一ヶ月もする頃には、王族のレンダーと大商会の息子マーティン、騎士団長の息子グラッドがその周囲に侍りだした。
その手際の良さに、一番初めに調査をし出したのはオリゼーだ。
他国の間者ではない、と確認すると、オリゼーは注意をする事も無くそれを放置したのである。
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そこで男爵はアリスを男爵家に呼び戻し、アリスの母を後妻としたのである。
こういう話を聞くと、嫉妬深い妻が悪いかのように言われるが、悪いのは浮気をした男爵だ。
しかも誘ったのが使用人の方だったとすれば、余計に始末が悪い。
アリスの性質は、母から譲り受けたものだったのかもしれない。
貴族の女性は淑女としてあるべき姿や、己が使命をきちんと心得ている。
誰かに甘えてやってもらおう、という精神ではない。
品格を備え、教養高く、優雅に慎ましやかに振舞うのだ。
多くの貴族男性はそんな淑女を求めるし、大事に扱うだろう。
でも、稀にいる「褒められたい男」「頼りにされたい男」は自立した淑女を好まない。
妻としてはいいだろう。
色々な問題を自力で片付けるのだから、手間はかからない。
だが、矮小な人間ほど自分を褒め讃える相手に気分が良くなって、自分を価値ある人間のように思い込む。
そこで現実との齟齬が生まれると、負の連鎖の完成だ。
婚約者や親兄弟の言う正論は、自分を過小評価するもので、聞くに値しないとばかりに無視をする。
逆に甘言を捧げる人間に、依存して離れられなくなるのだ。
少なくとも、アリス・ピロウは甘く居心地の良くなる言葉を並べ、甘えているだけで、魔法や薬は使っていない。
中庭であった、ある日の茶番をアンブロワーズは思い出す。
「やだぁ……全然、開きません……」
「どれ、貸してご覧」
バスケットに詰めたパンと一緒に入っていたジャム瓶を開けようとしてぷるぷるしていたアリスから、レンダーは瓶を受け取るといとも簡単に開けてみせた。
「わ!すごぉい!レンダー様は力がお強いのですね。男らしくてかっこいいですぅ」
「いや、アリスがか弱いだけだろう。困った事があったら何でも言うがいい」
「はい、レンダー様。レンダー様はお強いだけじゃなく、お優しいですね」
何その茶番。
アンブロワーズは鼻高々なレンダーと持ち上げるアリスと、か弱くて可愛いアリスを褒め称える取り巻きを生温く見守っていた。
中庭ではこういうよく分からないけど、か弱い自分演出と強くてかっこいい皆様、という茶番が繰り返されていたのだ。
褒められた事がない、若しくは優秀な誰かと比べられている人間や、もっと褒められたいという承認欲求の強い人間は割りとあっさりとこの手の女に引っかかるのかもしれない。
この中庭茶番劇場が有名になり、人々の口に上り始めたのは半年ほど経ってからだろうか。
既にその頃には公爵家の令息カミーユと宰相の息子エルリックまでも仲間入りしていた。
同じ時期に、アンブロワーズもひっそりと仲間に入って、観察を続けていたのである。
魔法や薬が疑われるようになったので、派遣されたのだ。
正直、面倒臭かった。
だが、国の根幹を揺るがす大事件になりかねないこの事態に、国王と宰相と法務大臣のオルブライト公が動いたのだ。
そして、運命を分かつ中庭での婚約解消事件。
オリゼーの行動によって、アンブロワーズの調査もやっと、終わりを迎えた。
いつまでこれ続けなきゃならんの?
何でこんなくだらない見世物見てなきゃいけないの?
アンブロワーズは辟易していたのである。
しかし、明日からは自由だ。
大きく伸びをして、アンブロワーズは書き上げた報告の入った調査書を、父の机の上へと載せるのだった。
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