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8.公爵令息、カミーユの疑問

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「えっ……婚約解消、とはどういう……?」

カミーユは我が耳を疑った。
オクレール公爵の令息として、バシュラール公爵家のブランシュと婚約していた。
彼女は帝国へ留学している筈だ。

「どういう事か?それはこっちが問いたい。どの様な意味で、その質問をしているのだ」

父の公爵は冷たい眼差しを容赦なく息子のカミーユに突き刺した。
ぶるり、と震えてカミーユは口ごもりながらも言う。

「だ、だって、ブランシュは帝国にいるのでは……?」
「ああ、留学中だ。それがどうした?」

苛々したように父は言う。
母は溜息を吐いて、侍女に命じた。

「お茶を運んで頂戴。長くなりそうだわ」

長くなりそう、って何が?とカミーユは母を見たが、向かいに座っていた弟のバスティアンが呆れたように笑う。
心底軽蔑したような、視線を向けて。

「え?もしかして兄上、ご令嬢達が自分の意思で動かないと婚約解消にならないと、思ってるの?まさか」

カミーユは、そうじゃないのか?ときょとんとしてバスティアンを見る。
バスティアンはやっぱりか、と呟いて更に肩を落とし、父は、はぁぁと深く盛大に溜息を吐いた。
妹のアメリーに至っては、ぷっと吹き出してころころと鈴の様な笑い声を立てる。
気を取り直して、だがどっと疲れを増したように父が静かに問いかけた。

「お前とブランシュ嬢の婚約は誰が決めたと思っている」
「え?ブランシュが僕の事を好きだからでしょう?」

当然のようにカミーユはそう言った。
カミーユの白銀の髪も、紫の瞳も、白い肌も美しいと評判の貴公子である。
母譲りの美貌は、この国では有名だ。
対して弟は父譲りの男らしい見た目で、髪も灰色がかった金色。
目も地味な灰色だ。

「…………。」
「……わたくしは、存じ上げません」

無言で傍らの妻を見るが、否定されて公爵は首を振った。
誰も彼もが可愛い、美しいと褒める息子は、家の中では特にそんな風に持ち上げられてはいなかった。
冷たく言い放つ母を見て、カミーユは首を傾げる。
どんな意味で、何を話しているかも理解していなさそうな顔で。
母の横で紅茶を飲みながら、白銀の髪に灰色の瞳の可愛らしい妹、アメリーが可笑しそうに笑う。

「昔からお兄様は自信過剰なのよね。なのに頭は空っぽのお馬鹿さん」
「やめなさい、アメリー。はしたなくてよ」

うふふ、と笑って、アメリーは小さな唇から少しだけ赤い舌を覗かせた。
母は仕方がない、という風に閉じた扇で、アメリーの膝を軽く打つ。

「で?お前はブランシュ嬢の事が好きなのか?」
「うーん……確かに綺麗だけど、別に……結婚相手としては悪くないと思ってた」

ブランシュ・バシュラール公爵令嬢はふんわりとした白銀の髪に、桃色の瞳の美しい令嬢だ。
二人並ぶとよく、お人形さんみたいだと周囲の人間たちに持て囃されたから、そういうものだと思っていた。
お似合いの、お人形。

「ブランシュ嬢もその程度だったろうな」
「え?どうして?」
「婚約自体家同士の決めた事で、ブランシュ嬢の望みではないからだ」

美しい自分を誰もが褒めそやすし、欲しがるのに、何故ブランシュはそうじゃないと言い切れるのだろう?
カミーユは不思議そうに父親を見つめた。

「まあいい。婚約もそうだが、解消もブランシュ嬢の意思は関係ない。お前が彼女の留学中に、男爵令嬢と遊び回ったのが問題だ」
「別に、遊ぶくらい問題ない…」
「問題ないか?ああ、お前の中では問題ないだろうな。身体の関係さえなければいいとでも思ってるんだろう。人目も憚らず抱きついたりする男爵令嬢を喜んで受け入れていたそうだからな」

ふう、と溜息を吐いた母が眉間に皺を寄せて、責めるように父を見上げた。

「娘の前で話す内容ですかしら?」
「あら、お母様。淑女と言うものは耳年増でございましてよ。ねえ、お兄様。同年代の令嬢の立場から言わせて頂きますけれど、わたくしでしたらそんな殿方との婚約を親が解消した所で文句もございませんわ。お兄様も良かったのではなくて?自由になれたのですから、そのはしたないご令嬢へ婿入りなさったら?」

婿入り、という言葉にカミーユはきょとん、とした。
この公爵家を継ぐのは自分なのに。

「婿入り?何で僕が?」
「お兄様に公爵家の当主が務まると思えないし、まともな女性なら嫁になんて来ないからよ」
「僕とアリスはただの友人だよ」

困ったように眉を下げる兄に、アメリーは冷たく言い放つ。

「そんなのどうでもいいのですわ。周囲にどう見えるかが問題なのですもの」

実際に肉体関係があったかどうか、ではない。
貴族社会において、噂が立てばそれだけで詰む事も多い。
例えば、親族以外の男性と二人きりで部屋に居た、それだけでその令嬢の瑕疵となる事もあるのだ。
そこで何があったか?真実は?などと問われないまま、奔放な女性と揶揄されて敬遠されるのが貴族社会である。
軽率である事がそもそもの罪なのだ。

「お兄様のように何も考えずに女性と遊び歩く方に輿入れを望む人なんて、ああ、顔と財産があればいなくはないですけど、同じくらいに空っぽか性悪でしょうね」

「アメリー」

窘めるように母に名前を呼ばれて、アメリーはだって、と頬を膨らませた。

「お兄様のせいで、わたくしまで笑われますのよ?」
「そうね。恥知らずな恥晒しなのは否定できないわね」

お茶会に出れば格好の餌食なのは公爵夫人も同じだ。
まだ家格の高い家門は良識がある分、地位や礼儀で嘲笑は免れるが、一刻も早く元凶を遠くへやりたいのが真情である。
特に婚約相手である、バシュラール公爵家の夫人と顔を合わせるのは辛い。
今のままでは謝罪すら儘ならないのだ。

常々注意はしてきたが、楽な方、楽しい方に流されて、考えが及ばないカミーユである。
同じように育て、家庭教師もつけても、バスティアンやアメリーは優秀といえる部類なのだから、もう個人差でしかない。
ここまで話しても、未だ彼は望まれた婚約で、自分は相手を愛していないが、相手は自分を愛していると盲目的に信じている。

「お父様、お母様、お話しするだけ無駄ですわよ。多分ですけれど、お兄様は綺麗な分頭が弱くていらっしゃるのだわ。お勉強は辛うじて出来ても、応用が出来ませんのよ。これ以上は我が家の足を引っ張るお荷物でしかありません」

「な、何て事を言うんだ、アメリー……」

自分より年下だが評判の良いアメリーに痛烈な批判をされて、流石にカミーユは顔色を失くした。
だが、父はふう、と一息ついて、母へと視線をじっと向ける。

「あの話を、受けるか」
「それが宜しいですわ」

その会話で、カミーユの将来が決まってしまった。
カミーユも、その場に居る弟妹ですら、それが何を意味するのかはその場では分からなかった。
その日から、カミーユは部屋に軟禁される事になったのである。
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