雨の世界の終わりまで

七つ目の子

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第三章:王妃と幼馴染

第五十七話:上には上がいる

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 エリザベート・ストームハートの戦闘スタイルはでたらめな身体能力に任せた一撃必殺の早期決着型だ。
 一般的には、そう言われている。
 サンダルやルークとの戦いを見たことがある者ならその言葉を疑うことはないだろう。
 いや、むしろサンダルやルークとの戦いを見たことがある者こそが、その様な勘違いをしてしまうのだろう。
 サンダルの加速からの奇襲に対しては、まるでスローで見えているのではないかと言うほどに的確に回避やカウンターを合わせるし、ルークの魔法のその尽くを力任せに破っては瞬時に間合いを詰めて戦闘不能へと追い込んでいく。
 巧妙に仕組まれたその演出は、ストームハートの本当の力を上手く隠蔽していた。

「アーツとジャムおじさんの頼みなら聞いてあげるよ。その代わり、ゆっくりで良いから良い国にしてよね」

 そんな独り言を呟いて、ストームハートは間合いを詰める為歩き始めた。
 独り言に二人が頷くのを視界の端で確認すると、正面のエリックは既に魔法の詠唱を始めている。
 拘束系の蔦と重力魔法の複合で、たったそれだけでエリックが才ある魔法使いだということが分かる出来栄えだ。
 しかし、ストームハートはそんな詠唱を気にも留めず歩き続ける。

 いつもの戦闘スタイルとはまるで違うそんな行動を訝しながらも、エリックは詠唱を続けた。
 ストームハート対策としてエリックは、魔法を組み合わせて足止めを行い、それに強大な重ねて一撃を入れようと考えた。
 ストームハートは身体能力は高いが、決して瞬間的に間合いを詰めることが得意な勇者ではない。
 エリックは実際に彼女の試合を見たことは無かったが、データ程度は集めている。
 その為、いつもストームハートが行っている一瞬の試合展開を、逆に自分が再現し返してやろうと考えていた。
 彼女の身体能力は軍に居る者の内、エリスを除いた最も速い者で想定していたし、詠唱を短縮し思考を重視した魔法と、戦闘開始時の距離があれば間違い無く間に合うだろうという考え。

 まあ、実際の所はストームハートが間合いを詰めるのが得意ではないとは言っても、今のグレーズ王国軍最速程度の勇者が相手では話にならないのが実の所ではあったのだけれど、それにも関わらずストームハートは悠々自適に歩みを進めている。
 それはまるで、魔法を打ち込んで来いよとでも言わんばかりのものだった。

「なめやがって」
「なめてるわけじゃない。私の力を知らないみたいだから、本気を見せてあげる」

 ちょうど、見に来てる子もいるしね。
 その考えが誰かに届くことは無かったが、そんなことを思いながら、ストームハートは放たれた二つの魔法を、いとも簡単に打ち砕いた。
 絡みつく蔦はただ歩くだけで引きちぎれ、重力は軽いハイキングでもしてるかなと言った程度の影響しか与えていない。

「馬鹿力め……」

 流石にその光景を見て、エリックは考えを改めた。
 即座の決着等、どうしようが見込める訳が無い。まずはあの馬鹿力をなんとかして封じなければ、膂力だけで押し切られてしまう。
 となると、膂力だけではどうにもならない手段で足止めをしなければいけない。
 考えずにすぐに思い浮かぶ方法は二つ。
 一つは精神系、幻術等で知覚を狂わせ、自身がいる場所を誤認させる方法。
 二つ目は業火等で行く手を阻み、人である以上突破が不可能な状況を作り出すこと。

 エリックはどちらかといえば出力に任せた大規模な魔法が得意で、精神系等の細かな想像が必要な魔法は苦手としていた。
 つまり、選択肢は一つだ。

 思いつけば、即座に実行に移すのみ。
 しかしその魔法は、何故かまともに発現しなかった。
 ストームハートの周囲の温度は徐々に上がっていってはいるが、サウナにすらならない夏日と言った程度。とてもではないが灼熱には程遠く、当然ながらストームハートの歩みは止められない。
 何故だと一瞬考えている間に、敵は目前へと迫っていた。
 慌てて距離を開けようとするが、慌てた魔法使いが勇者よりも早く動けるなんてことは万が一にも有り得ない。
 その一瞬だけ素早く間合いを詰めると、エリックの体は途轍もない力で打ち上げられた。
 正確には、両手で腰の部分を掴んで放り投げられただけなのだが、ただの人と変わらないエリックの体には凄まじい衝撃と、その目には一瞬にして離れていく地面が見えている。

「うわあああ!」

 なんの準備も無く不意に空中に投げ出されれば、人は何かを掴もうともがき出す。
 それは、普段は重力魔法で空中に浮くことが出来るエリックでも変わらない。

 この試合は既に、ただのテストになっていた。
 これで恨み言を言うのであれば、きっと驕りは消えない。
 試合前、ジョン・ジャムがストームハートに伝えたこと。

「今回の参加者のエリック・ソーウェルは優秀な魔法使いだ。それも、グレーズ始まって以来と言って良い位かもしれない。ただ、驕りが過ぎる。少し叩いて、見込みがあるなら鍛え直してくれると助かる。まあ、後々のことを考えても、精神的に未熟なのは困るからな
 本来敵国の人間ながら、ストームハートの人間性に頼ることになっちまうってのは情けないところだが……」

 そんな、なんとも言えない内容のことを。
 それをストームハートは、快くとは言わないまでも受け入れた結果が、今の空中のエリックとなる。

 エリックは、重力魔法で空を飛べる。重力魔法は通常マナ効率が悪い為に余り使う者は居ないが、聖女に対して強い信仰心のあるエリックは、後継者ルークが多用する重力魔法を普段から積極的に使うことにしている。
 とは言えルークよりマナ効率もマナタンクの容量も劣るエリックは実戦ではあまり重力魔法を使えない。
 今回の様に相手を封じる為に使うか、高所から奇襲を仕掛ける時に落下速度を抑える為に使う程度だ。
 しかし、エリックは重力魔法で空を飛べる。

 空中に投げ出され地面が随分と遠くなり、上昇速度と重力が均衡状態になった頃、正確には地上25m付近まで上がった頃、ようやくエリックは事態を把握した。
 事態さえ把握していれば、空を飛べるという経験はその頭を冷静にさせるのは充分だった。
 エリックは素早く重力魔法の用意をすると、落下直前にそれを行使してふわりと地面に降り立つ。

 ストームハートは、離れた所で降りてくるのを待っていた。

 その姿は、それまでの柔らかな雰囲気とはまるで違う、気迫溢れるものへと変化していた。
 それを見て、ようやく理解する。
 今からが、やっとストームハートの本気なのだと。
 今までもなめてはいない等と言っていながらも、まるで本気ではなかったことを。
 そしてその勇者を見て、エリックはどうしようもなく察してしまった。

 この勇者には、自分では絶対に勝つことなんか出来ないんだと。

 ただ、自分も国家を代表している。
 聖女の信奉者で、ルークを研究して、グレーズ軍一の魔法使いになったのだ。
 その誇りだけが、エリックを突き動かした。

 それからの勝負は一瞬だった。
 エリックが覚えているのはほんの僅か。
 目の前の勇者がグレーズ最速の勇者よりも速く踏み込んだと同時、改めて炎を飛ばす。
 その炎をストームハートが盾で薙ぎ払ったかと思うところまで。
 気がつけば、エリックは地面に大の字で寝転んでいた。

「君、才能あるね。私が本気出しても魔法が使えるなんて、殆ど居ないんだけどね」
 頭の上から、そんな声がかけられる。

「あんた一体何者だ……?」

 思わず声をかけると、その声の主は「君を認めたアーツ王やジャムに感謝しなさいよ」と前置きをして、柔らかい声で言う。

「私はエリザベート・ストームハート。ほら、こんな顔してるのよ」

 そう言って、顎の方から仮面を上に持ち上げた。
 それを見てエリックは驚くと同時に、納得した顔になる。
 ストームハートの素顔は、よく知る人物に似ていて、知っている肖像画にもよく似ていたからだ。
 試合内容を思い出して、陛下やジャムという言葉を聞いて、一体どういうことだったのか、全てを把握する。
 エリックはただ、知らないだけだった。
 グレーズ軍という個人戦では随分と弱体化してしまった環境であっても、そこで最強であれば強いに決まっている。そんな風に思っていただけ。
 しかしを見れば、そんな驕りも瞬く間に吹っ飛んでしまった。

「そりゃ、勝てるわけないな。八年連続優勝も納得だ。……上には上がいる。いつもジョンさんは言ってました。負け惜しみかと思ってたけど、……良い経験が出来ました」

 顔を見せても嫌な顔はしないと分かっていながらも、それを聞いてストームハートは、はあ、と息を吐いて安堵の息を漏らす。
 それはどうやら、相当の覚悟が必要なことらしかった。

「私だって、未だにレインの域には届いてない。届く気がしない。今回のこと、忘れちゃダメだよ」

 その言葉に、エリックは未だに倒れたまま、ゆっくりと頷いた。
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