雨の世界の終わりまで

七つ目の子

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第二章:恐怖を煽る二人

第二十三話:村長の娘

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「くらうす!」

 川で血を洗いながらしてから村長の家に戻ると、ドアを開けるなりマナが飛びついてくる。
 たまたま村の中に魔法使いがいたおかげか、びしょ濡れだったクラウスもすぐに乾かしてもらうことが出来て、マナを濡らすこともなく受け止めると、抱き上げる。
 そして村長の家の中を見ると、皆が苦笑いをしながら何か片付けをしていた。
 床を拭く者、何かの欠片を集める者、そして名残惜しそうにマナに手を伸ばす女。
 流石にその様子を見れば、思い当たることは一つしかない。

「えーと……マナが何かしました?」
「い、いやいや大丈夫だ」

 言葉の詰まりが大丈夫ではないことを物語っているので、マナに問う。

「マナ、何かしたのか?」
「えーとね、おじさんにおいかけられたんだけど、おねえちゃんがまもってくれた」

 どんな状況だそれは。そんな感想が真っ先に浮かんでくるが、村人達は相変わらず苦笑いで作業を進めている。
 報告はどうしたものかと考えていると、付き添いの村人が口を開いた。

「オーガが約三百ほどいましたが、クラウス様が一人で討伐を完了してくださいました」

 簡潔な報告。
 随分と恐怖していたことは自分自身が恥ずかしいのか、後で報告するのか、無かったことにしてくれるのか、いずれかは分からないにしろ、今報告されることはないらしい。
 マナを抱えている今、あまり余計なことを言わないでくれるのは助かると思って小声で「ありがとうございます」と言っておく。
 それに対して、村人は「い、いえいえ」と苦笑いをして片付けをしている村人たちに混ざっていった。
 どうやらこの村の人達は苦笑いが得意らしい。
 申し訳ない気持ちとそんな下らない感想が出てきた頃、マナが手を伸ばす女を指差した。

「あのおねえちゃんがまもってくれたの」
「そっか。あの、よく分からないけどありがとうございます」

 家の中をぐちゃぐちゃにして謝れば良いのかとも迷ったものの、一応村を救った事実もある。
 その為に一先ずは感謝の意を示すことにして、どうしたものかと考える。
 クラウスにとってはオーガ三百から村を守ったという実績よりも、家の片付けの方が随分と大変なことの様に思えてしまうのだった。

「アイリ、クラウス殿に村の案内を。宿には疎開したガースの家を使ってもらおう。クラウス殿、今晩は救ってくだすったお礼に宴を開催しようと思う。参加してくれるとありがたい」

 早めに村から退散すべきか考えていた所、村長がそんなことを言い出した。
 どうにもクラウスも困ってしまっていることに気づいてしまったらしく、マナへと手を伸ばしていた女性、アイリに支持を出すと、宴へと招待してくる。

「はい、お父さん」

 アイリは村長に返事をすると、クラウスの手を取って家の外へ引こうとした。
 どうやらマナを”おじさん”とやらから守ってくれた女性は村長の娘だったらしい。

「クラウス殿、村を救ってくれて感謝する」

 最後にそう声をかけられて、掃除を続ける彼らを背に村へと出て行くのだった。
 その視線の中に一つ恨めしそうな門番の視線があったことを気づきつつ、しかし娘の手を振り払うわけにいかない。
(これはオーガ討伐よりもよほど難敵かもしれない。というか、無防備に手を取られたのは油断だな……)
 そんなことを考えながら、言われるがままにアイリに手を取られたまま歩いていく。

「クラウス様、村を救って下さって本当にありがとうございました」
「いえ、あの程度ならいくらでも」

 あ、と思う。
 だが言ってからまずいと思っても遅い。
 周りが異常な人物ばかりで忘れていたが、オーガ三百は「あの程度」と言うには些か数が多すぎる。

「オーガ三百であの程度!? それは素晴らしいです」

 さっきからクラウスにも、何処かおかしい気がしていたのだ。
 やたらとマナを可愛げな視線で見るし、ちらちらとクラウスの顔を見ては直ぐに目を背けるにも関わらず手を離さない。
 別にクラウスは鈍感なわけではない。
 ライバルでもあるサラが最近は男として認識し始めていることも分かっているし、恐怖とは別種の視線の種類位は理解出来る。
 しかしこの村に留まる気は無いし、旅に連れて行く訳にもいかない。
 旅に連れていけばいつか必ず残虐な場面を見せることになるし、ドラゴンが目の前に生まれたとしたら守り切ることは絶対に出来ない。
 もちろん、それでもマナ一人ならなんとかするつもりだったけれど……。
 ここで相手の好みを刺激する様な発言は完全な油断。
 二回目、素振り14万回が決定した瞬間だった。

 だからこそ、クラウスはアイリの賞賛に何も答えないことにした。

 ところが、一度火が付いた田舎者の村娘の凶暴性は、食人鬼をも上回っていたのかもしれない。
 クラウスは、何も答えないことで、手を離すことを忘れていた。

「なんか、こうしてると夫婦みたいですね……なんて」
「ふうふ?」

 その言葉にマナが反応する。
 マナは当然ながら、あまり言葉を知らない。
 しばしばクラウスを質問攻めにしては自分の知識を増やしていく、普通の子どもの側面を強く持っていた。
 娘はしてやったりとその質問に答える。

「クラウス様と私がお父さんとお母さんで、マナちゃんが子ども、みたいな」
「ははは、流石にそれは――」
「おねえちゃん、ままなの?」

 クソッ! 否定の場面を潰された! そう思っても、もう遅かった。
 娘の猛攻は留まることを知らない。

「クラウス様は村を救ってくださった救世主ですし、そのお礼に私を貰って頂ければそうなりますよ」

 そう頬に手を当てながら答える娘は、完全に猛獣の顔をしていた。
 それは可愛い甥を鍛えると言いながら邪悪な笑顔を見せるエリーに、とても似ていた。
 少なくとも、クラウスにはそう見えた。

「なんでおねえちゃんがおれいなの?」

 良い質問だマナ。心の中でそう感謝するクラウス。
 人はお礼にはならない。
 少なくとも個を尊重するグレーズでは、貴族間であっても政略結婚は罰せられる。
 今まで良い教育を出来たということだろう。
 そんな風に勝手な解釈をして現実逃避気味に遠くを見る。
 当然ながら、まだ勝利ではない。
 それに対して、村娘は最初から答えを用意していた様だった。

「村の特産品はちょっとした事情で全て壊れてしまったので、その代わりが無いんです。マナちゃんは私が嫌い?」

 ちょっとした事情の言葉の時にクラウスを流し見る娘。
 間違いなく、マナが暴れて壊したのだろう。
 一つだけ言えることがある。

 この娘は、オーガ千匹よりも強い。少なくとも、クラウスにとっては。

「おねえちゃんはすき」

 そうやって外堀から埋められていく感覚を味わいながら、クラウスは「母さん元気かな」と本格的な現実逃避を始めるのだった。
 結局村を出るまでアイリの猛アタックは続き、最終的にはオーガの集落への案内役に相談して諦めてもらうことに成功した時には、素振りの回数は77万回まで増えていた。

 ちなみに、相談を受けた案内役は、
「クラウス様はヤバい。オーガを素手で殺して邪悪な笑みを浮かべながら内蔵を引きちぎる人」
 そんな風に真っ青な顔で震えながら言っていたらしく、「嘘ですよね?」と問われたが、曖昧に苦笑いしたら信じてくれたらしい。
 ちょうど、その時に案内人も隣にいたこともあって、考え直すことに決めたとのこと。

 何故クラウスを狙ったのか。
 その主な理由は、マナが可愛すぎたから。
 そう案内人に聞いた時には膝から崩れ落ちそうになったが、素振り77万回と引き換えに女の怖さを知ったのだった。
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