雨の世界の終わりまで

七つ目の子

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第十一章:血染めの鬼姫と妖狐と

余談:悪夢のエレナを敵に回すな

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※グロ注意


 ある日、エレナは久しぶりにルークと二人で街へ出かけ、ショッピングを楽しんでいた。
 3歳になった娘のサラは既に二人に似た賢さとふてぶてしさを兼ね備え、また偶然にも魔法の才能にも目覚め始めていた。やはりこのベラトゥーラ共和国では魔法使いの誕生率が高いらしい。
 そんな娘だから、きっと無茶はしないだろうと使用人に預け、二人は久しぶりの夫婦水入らずのデートへと繰り出したわけだった。

 二人は魔王討伐の英雄でもあり、ルークは魔法理論を飛躍的に発展させた天才でもある。更には、エレナは魔法による演出の素晴らしさで、舞台を盛り上げる大人気演出家でもあった。
 つまるところ、二人はこのベラトゥーラ共和国に於いて、名を知らぬ者は居ない大富豪だ。

 ルークの著書は『聖女の魔法書』と並ぶ魔法の参考書で、特に幼い頃からの魔法教育、超高等魔法教育、そして実戦に於いての魔法使いの役割と戦い方と言った分野では『聖女の魔法書』を超える参考書として世界的に売れている。

 魔王が滅び、ドラゴンなどの強大な魔物も多くが殲滅され、それなりに平和な時代となった今、人々の欲望は尽きない。
 そんな二人の財産を狙う者がいるのは、これまた自然なことだったのかもしれない。

 ――。

 その日、二人が家に帰ると、出迎える者は一人として居なかった。
 いつもならばサラが走って来て、「おかえりなさい」と元気に挨拶をしてくる筈だ。使用人達も、玄関扉の音が聞こえれば一人は出迎えるのが恒例だった。気にしなくても良いと言っても、「英雄に最上のお持て成しをすることこそが私共の誇りです」と言って聞かなかった彼等が、一人として出迎えない。
 それが異常事態なのだと、二人はすぐに気付いた。

 屋敷に上がると、すぐに嫌な臭いがすることに気付く。それは今まで生きてきて、何度か経験したことがある、とても嫌な臭いだった。

「僕が見るから」

 ルークはそう言うなり、探知の魔法を発動させた。周囲の情報を認識する為の魔法で、基本的には生き物の出す音や体温、呼吸などを受け取って認識するものだ。それも、屋敷の構造を完全に把握しているルークが使えば、異変のある箇所を明確に見極めることが出来る。

「リビングに四人倒れてる。……もう死んでる」
「一人は?」
「……居ない」
「サラは?」
「…………居ない」

 ルークが言うと直ぐに、空気がピリピリと張り詰めるのが分かる。
 エレナが静かに怒りを抑えているのだ。直ぐには感情に任せないこの強かさがエレナの強さで、恐ろしい所、そして、ルークが彼女に惹かれた理由でもある

 リビングに二人がたどり着くと、そこには四人の使用人が血を流して倒れていた。全員が既に冷たくなっており、テーブルの上には一枚の手紙が置いてある。
 開いてみれば、内容はこうだった。

『サラは預かった。返して欲しくば今晩中に3億用意しろ。簡単だろう? 出来なければ娘を殺す。明日の早朝までに東部の森を超えた所にある岩山の頂上に置いておけ。
                    英雄様の使用人』

 その筆跡は、間違いなく使用人の一人のものだった。最近入った新人で、病気の両親の為にも精一杯頑張りますと言っていた好青年。
 勇者らしく、戦闘能力も高かった為に今日はサラの護衛として付けていたはずの者。

「はあ、ねえルー君。殺しても良いよね?」

 静かな、しかし凄まじい怒気を孕んだその声は、ルークの方を見ることもなく投げかけられる。
 こうなった以上、止めるのは不可能だとルークは分かっている。もしも止めようとすれば、屋敷の周囲一帯が地獄絵図となるだろう。もちろん、ルークが素早く解決すればその限りではない。
 しかし、ルークは止めなかった。
 サラをピンポイントで探知する。今ではルークにしか出来ないだろう、遠距離での個人特定。娘の服に付けていた一つのボタンは、ルークの探知に呼応する様に信号を発する魔法がかかっている。

 発信源は、7km程離れた倉庫だった。既に見た目はボロくなり、確かに賊が潜んでいてもおかしくはないというそれなりの大きさの倉庫。
 そこにエレナを送り出す。これから行われる惨劇を、ルークはあえて放置する。
 まあ、ルークも父として、館の主人として、これ以上無いほどに怒り狂っているのだから仕方がない。
 本当に、エレナを相手にあの元使用人は馬鹿なことをしたなと思いながら、ルークは必死に守ろうとしてくれた使用人達を弔うことにした。

 元使用人に不幸な点があったとすれば、一つは魔法使いは奇襲に弱いと言うルークの言葉を間に受けてしまったことだろうか。

 あの手紙は挑発の様なもので、彼はきっと二人はやってくると分かっていたし、サラがいる以上はルークの得意な大規模魔法は繰り出せないと分かっていた。
 つまり、倉庫の中に二人のどちらか、または片方が必ず踏み込むだろうと予想していた。
 そこを待機していた仲間が不意打ちすれば、一人は倒せる。そしてそれに戸惑ったなら二人目も簡単だ。こちらは仲間十五人全員がデーモンを倒せる勇者の賊なのだ。不意打ちなら、普通の人間と変わらぬ魔法使いは確実に倒せる。そう思っていた。

 そしてそれは実際にその通りだ。
 極々一部の魔法使いを除けば、魔法使いの夫婦は片方を仕留めれば確実な隙が出来る。そこをデーモンを倒せる勇者が狙うことなど、容易いことだった。そして、一人は探知に引っかからない隠密性能を持っている。

 二つ目の不幸は、エレナとルークがその極々一部の魔法使いだということだ。
 簡単に言えば、相手がルークではなくエレナ単体で来ると言うことだろう。
 エレナは英雄とは言え、普段は舞台の演出をしている。舞台を、役者を引き立てる華やかなその魔法に見惚れる者は多いが、それと戦闘はまるで結び付かない。更に、普段の生活で魔法を使うのはルークの役目で、エレナは自宅では殆ど魔法を使うことがない。
 そして、異名。【悪夢のエレナ】と言う異名を付けた者達は、皆エレナの戦いを怯えながら語る。しかし、今までエレナの相手をした盗賊に、死者はゼロ。
 つまり、エレナは人を殺すことが出来ないのではないかと、元使用人は判断していた。
 来るのならばルークが前線に立ち、エレナが後方でサポートするのだろう。そう、安易に予想していたのだった。

 元使用人はサラを抱きかかえ、その首元にナイフを押し当てていた。
 サラは使用人達が殺された時には泣いていたが、今はもうすっかり落ち着きを取り戻している。それが何やら不気味な感じではあるものの、親を信じているのだと思えばイラつきと、殺せばどんな風に泣き叫ぶのかと楽しみだという嗜虐心、その二つがせめぎ合っていた。
 暫く待っていると、仲間の一人が言う。

「エレナが一人で来たぞ」

 早速予想と違う情報に元使用人は目を見開くものの、彼は取り乱さなかった。

「むしろ好都合じゃないか」

 にやりと笑うと仲間達も同じく不気味に笑い、配置につく。
 大人しくしていたサラが、突然カクンと脱力した。
 その、瞬間だった。

 倉庫の中が唐突に暗闇に包まれる。

「ギャアァアアァァァアアア!!」

 その直後、この世の終わりの様な叫び声が聞こえ、元使用人は慌ててサラの首元にナイフを刺す。
 見えないのならば、人質として役に立っている間に絶望を与えてしまえば隙が出来る筈だ。
 しかし、そのナイフは空を切っていた。どれだけナイフを突き刺そうと一切の感触が無い。しかし、膝の上には確かにサラの重みが乗っているはずだった。
 それがボトッと足元に落ちたかと思うと、その暗闇は晴れてくる。

 元使用人が見たその光景は、地獄だった。

 仲間の内の三人は、全身の皮を剥がされ、苦痛にのたうち回っている。跳ねるたびに肉が直接床に触れ、更なる苦痛を生み出す痛みの連鎖。恐怖の叫び声は全く止まず、早く止めを刺してやりたいと思わず思ってしまう程の凄惨さ。
 三人は、仰向けに手足を床に同化させられ、胸の上に引きずり出された心臓が置かれている。目は閉じることが出来ない様に瞼は切り裂かれ、自分が死にゆく様を眺めさせられていた。
 二人は嬉しそうに共食いを始め、一人は、隠密が得意だった者は糞尿にまみれたまま口をぱくぱくとさせている。
 そして、五人は内蔵以外が壁と同化している様で同じく瞼を切り開かれている眼球を、エレナが楽しそうに撫でている。彼らは震えることも、涙を流すことも出来ぬままにそれを受け入れている。

 そして、そのエレナは目が落ち窪んで血の涙を流しながらも裂けた口でケタケタと笑っている。手には、子ども程の大きさの真っ白な骸骨を抱え、……足下を見ると、骨の無い子どもがこちらを見て笑っていた。

「あ、ああああぁぁぁぁぁあああああ!!!」

 元使用人は叫んで逃げ出そうとするが、立つことも動くことも出来ない。
 見てみれば手足の骨は無くぶらぶらと踊っており、尾てい骨が椅子と同化しているかの様に張り付いている。
 そんな元使用人に、エレナは言った。

「人の思い込みってね、凄いのよ。私は倉庫に入る前にサラを眠らせて、その卵と交換した。そしてね、みんなに幻術をかけたの。隠れてる人も居たみたいだけど、倉庫全体にかけたから関係ない」

 そんな風に、落ち窪んだ瞳と裂けた口で笑いながら、「あ、あなたは死んでね」と言いながら、動かない元使用人の体に、ゆっくりゆっくりとナイフを突き立てて行った。
 猛烈な痛みと苦しみの中、最期に元使用人は思う。
 これでようやく、悪夢は終わりだと。

 帰り道、一先ずの役目を終えたルークはエレナを迎えに行くと、いつも通りの笑顔のエレナが眠っているサラを抱きながら言い始めた。

「ねえルー君、今度から使用人を選ぶ時はエリーちゃんに見てもらうことにしようよ」
「そうだね、でも彼女も忙しいし、あんまり付き合わせるの悪いんだよね」
「じゃあ、全員私が調教してあげればいっか」
「いや、エリーちゃんに頼もう」

 倉庫の惨状を探知で見たルークは微妙な吐き気を抑えながら、そう答えるのだった。

 ――。

「うっ……なんだこれは…………」
「こいつら【後継者】の屋敷から財産掠め取るって言ってましたね、うっ……」
「ってことは、この様子は【悪夢】に反撃を受けたのか……うぷっ」

 倉庫は、惨状だった。
 皮を全て剥がれたまま苦痛に歪んだ顔でピクピクと跳ねている者、手足を床と同化させられたまま胸に置かれた心臓に恐怖の表情を浮かべたままの者、椅子に座ったままぶよぶよの手足で心臓にナイフを突き立てられている者、糞尿まみれの者、欠損の激しい者、壁になっている者。
 とてもじゃないが人の行いだとは思えないその光景に、立ち寄った数人は吐き気を抑えるのに必死だった。オーガロードやゴブリンに捕まった者達が酷い目に合う? これと比べればマシなのではないか。それ程までの光景。何故なら、ナイフを突き立てられている者以外、全員がまだ生きているからだ。
 何故生きているかも分からない程の状況。何をどうしても治り様が無いことが分かるその光景を見て、せめてもと、彼らは止めをさしてやる。
 取引の日、元使用人が纏める賊の倉庫にやって来た裏の住人達はその光景を見てある情報を回すことにした。

【悪夢のエレナ】にだけは、例え妻や子どもが殺されても、故郷が滅ぼされても絶対に手を出すな。
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